次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2013-08-24「いいから,やれ」はいやなんだよね

    ふと気がついた,(というより前から分かっていたことですが)私は納得できないことはやりたくないたちです。

    「こういうもんだから,こうしろ」

    とか

    「みんながしているんだから,そろえなさい。」

    とか一方的に言われると,勝手に私の中の“ちょっと待てよ”スイッチが入ります。(それは,それでいいのか?)と。

     こう言うと,非常に自分勝手なやつのような気がしますが,自分では違うと思います。断固として拒否するということは滅多なことではありません。自分でも,折り合いを付けようとする努力する態度は,以前よりずいぶん身に付いたと思います(笑)。『学び合い』や信頼ベースのおかげです。ただ,やりとりの中で折り合いを付けようとしないで「黙っていうことを聞け」「この方法でやりなさい」的な態度がいやなのです。

     細かな話ですが,例えば先日の模擬授業でも

    「じゃあ,これを5分でやりなさい」

    なんて言われると

    (なんで5分って勝手に決めるの?せめて“5分でもいい?”って聞いた方がいいんじゃない?)

    って思います。

     先日読んだ本「子どもの社会力」の中で「社会性」と「社会力」について記述していた部分がありました。その中では。「社会性」は「社会が支持する生活習慣,価値規範,行動規範などによって行動できるという社会的適応性」とありました。つまり「既にある社会にうまく適応できえいること」とか「社会に適応してやっていける様々な知恵や技術を身に付けていること」となります。対して「社会力」は「端的に言えば,社会を作り,作った社会を運営しつつ,その社会を絶え作り変えていくために必要な資質や能力」とありました。

     それを読んで感じたことは,「社会性」と「社会力」どちらか別々の物と捉えると,どっちが正しいとかどっちが高次だとかなりがちですが,本来それは往還するものだろうなあ,そう考えた方がいいんじゃないかなということです。ただ,その「社会」が常に開かれていて,自由に物がいえ,多様な考えが認められている場合,です。「学校の常識社会の非常識」,なんて言葉もあります。それがよい言葉ではないのは分かっていますが,そういう要素もあることを自覚することも必要だと思います。学校という場は,大人と子ども,というより教師と子どもという立場の「圧倒的」(ホントは違うけど。役割がちがう)に違う人が,ある面「閉じられた」空間に長時間います。学校だったり,クラスという単位だったり。「社会」という実態はそもそも無くて,「社会」とは「生きた人間そのもの」なはずなのに,あたかも「社会」という物があって,それに「適応」することのみを求めるようになると,ちょっと危険。クラスであれば,それが不登校やいじめにもつながることもあります。

     正直に言いますと,学校というところは,前出の書で言えば「社会力」よりも,「まず社会性」を重視するところのようです。今までの経験上。誤解の無いように言えば,社会力も重視しているんだけど,「子どもだから,まず」ということで。「社会性」を先に考えている気がします。一方的なルールが出てくるのもそこからでしょう。

     何が言いたいんだっけ?だから職員室も学校全体も,クラスも,「社会性」と「社会力」を往還しながら両方とも強く意識しましょう,ということかな?社会性は結構あるんだから,社会力により視野を向けて。多分学習指導要領もそっちの方を向いていると思いますよ。

     それで,私みたいなへそ曲がりがいても,それはそれでいいんだな,ということで(笑)

    子どもの社会力 (岩波新書)

    子どもの社会力 (岩波新書)