次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2013-03-06よかったね

     変な話ですが,最近自分の無力感を感じれば感じるほど,教師としてはまとも,というか,自分でいうのも何ですが成長しているかな,という感じがしています。

     ですから,その「無力感」は決して後ろ向きなものではないのです。

     小川三夫さんの本に「不揃いの木を組む」というものがありますが,まさにその題名のような心境というか。もちろん,私が小川さんだというわけでは決して(そう,決して)ないのですが,そもそも多様な子どもたちを(広く考えれば人間を)自分がなんとかしようとしても,それは土台無理なことで,何とかしようとすればどこかに無理がでるに決まっている,と心から思えるようになったという感じでしょうか。

     そう思うと,最近,めっきり腹を立てることが無くなりました。そんな必要がほとんど(ぜんぜんとは言えませんが)なくなりました。だって,腹を立てるということは,結局「自分の思い通りにならない」から腹が立つわけで,そりゃそうでしょ,と思えば腹も立ちません。どうするかな~と考えるくらいです。または,相談するか。

     そんなふうにしていると,いわゆるバリバリやっている人から見ると,

    (そんなんでいいのか!?)

    って思われるかなあ,思われているかもなあ,と思うけれど。以前はそういうのも気になって時々無理をしてそのツケが子どもたちにいっていたこともあったなあ。特に「○○付属小」なんていうところの公開授業を見た後なんかに。(苦笑)

     子どもを型にはめることは,以前から好きではなく,まあそういえばかっこいいのですが,そうは言っても自分の価値観を押しつけることはありました。日記指導の時も,私の赤ペンを受け入れてくれた子もいたでしょうが,くどい赤ペンをいれてたぶんいやだった子もいたかもなあ,いやいたはず,と思います。そういうところから言えば,私も見え方の違う型のはめ方をしていたのかもしれません。

     今日,クラスでちょっとしたもめ事が二人の子の間でありました。「どういうことか話してみて?」とクラスのみんなの前で,事情をききました。聴きながら黒板にホワイトボードミーティングのように書いていきました。とちゅう,以前の私なら「かちん」ときて,「そりゃあ,君がだめだろ!」といってしまうような感覚が起きましたが,今日はその感覚があっても,それをどこか別な視点でメタ認知していた自分に気がつきました。で,そのまま,ずっと二人の話を聴きながら,メモすることができました。

    「で,そういうことですね。A君が怒ったところはここで,B君が怒っているところはここですね。じゃ,あとは君たちでね!」

    で終わりにしました。でも,その後解決した,とB君が教えてくれました。そんなもんなんですね。あ~,よかった。でしゃばらなくて。

     ながなが,支離滅裂書きましたが,ようは,私が今日出しゃばらなくて,ホント,よかったってことでした。