次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2012-12-30成人式の案内

    前任校で受け持った子どもたちが,今度成人式を迎えることとなり,このたび招待していただきました。

     当時の文集や,写真を出してみました。ああ,そうだったそうだったと思い出します。

     この学年との思いでは,学芸会「ぞうれっっしゃがやってきた」。保護者も合唱隊として参加していただいたり,地域のピアノの先生が伴奏していただいたり,保護者の知り合いの方がフルートを吹いてくれたり,とそんな感じでやったのでした。で,私自身が音楽がまったくダメ…,ときています。

    (そのピアノの先生は,学芸会後の手記?で「すっごく不安だったんだよ~(笑)といっていました。)

     やる人がいなくて,結局私が指揮をすることになったのですが,けっこうめちゃくちゃだったらしいです…。

     当時は,総合学習で地域の戦争体験を学んでいたので,それもあってどうしても「ぞうれっしゃ」を学芸会でやりたかったし,子どもたちにも考えてほしかった題材だったのでした。音楽がダメダメだった私でも,なんとか「ぞうれっしゃ」が学芸会でやれたのも,子どもたちの力とその周囲の方々のお力添えのおかげだったなあ,とあらためて感じます。

     その3年後?(だったかな)には,3年生を受け持ちながら,音楽の得意な4年生の担任と6年生の担任で3学年合同で同じ「ぞうれっしゃ」をやったことを思い出すと,『学び合い』の考え方を学ぶ前から,けっこういろんな人と一緒になんかをすることが好きだったんだな,と思います。

     なんでそうかと思うと,それははっきりいうと,私だけでは出来ないからです。自分が出来ることもあるけれど,出来ないこともたくさんあります。でも,やりたいことをやるためにはやっぱり誰かの力を借りることが必要です。だから,です。

     当時は『学び合い』の考え方に出会う前だったので,授業は一斉のみで行っていましたが,もっと早く『学び合い』に出会っていれば,このたび,20才になる彼らにももっといい経験をさせてあげられたかなあ,と思いますがそれ仕方がありません。当時は当時で私なりにはやれることはやったと思うので。

     綴り方教師を目指していたその頃の文集を引っ張り出しました。写真も出してみました。この当時の学校も地域も今はもうありません。この子(もう成人か)たちは雄勝なので,このたびの震災で自宅や地域も大きな被害を受けたからです。

     この「新成人」たちは,これからの石巻を背負ってたつ人たちでもあります。この世代の人たちともつながりながら,私はさらに今の小学校の子どもたちに何ができるか考え,できることしていきたい。私には,自分でも自覚していますがカリスマ教師にはなれませんし,向いていません。そういう力ももちろんありません。でも自分にもなにか出来ることはあるはず。そう思います。石巻の教員でいることに誇りが持てるような仕事がしたいです。震災で,地域も学校もめためたにされたところが多い石巻です。震災前に戻るんじゃ足りません。震災前よりも,もっといい学校にすること,そして,この新成人たちが自分の息子や娘が学校に入る頃には,どの子も一人残らず幸せな学校生活おくれる学校文化ができている,そうじゃなくては割が合いません。

     じっくりやります。