次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2012-12-28そろえるのは「やり方」じゃないよね

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/ogym/20121227

    なんでやり方をそろえようとするんだろう。素朴な疑問。

    「みんなちがってみんないい」とか,「ひとりひとり違うよね」というのは,誰でも納得できることだし否定する人はいないはず。

     でも,なんで,こと,子どもに対するときは「やり方」をそろえてやろうとすることが多いんだろう。多いとは言うと語弊があるかな。

     「共通理解」を「やり方」に適応しようとすると,Kさんが言っているとおり,

    >必要以上にやり方をそろえようとするとき、まず「ねらいを達成できたか」の前に、「そろえることができているか」というとても高いハードルが横たわるようになるからです。

     そして何年かがたっていってうまくいかなかったときの「考察(いいわけ)」が「共通して取り組むことができなかった(できにくかった・徹底しなかった)」というものになるだけです。(以上引用)

    となるでしょう。その繰り返し。

     どんな子に育ってほしい?そういう願いを「共通理解」というか「共有」できるようにしたいなあ。

     「やり方」をそろえるのは,たぶん,自分を守るため。みんなが同じやり方をしていれば,とりあえず,人からあれこれ言われ非難されることは少なくなるだろう,そういうことじゃないかな。それは,裏返せばきっと教師も様々な状況の中,とても苦しい状況にあるってことだろう。

     だからこそ,人と違ったことをしていても,結果は出せること,そして自分だけ結果を出すんじゃなくて,学校丸ごと子どもがのびのび学んでかつ勉強も出来るようにしていくこと。

     だから,校内研究は大事なんだと思っています。私たちが「やり方」をそろえなくても,学べること,目標を共有するだけで十分やれること,その方が楽しいことをつかめれば自然とそれが学校の文化になるはず。そう感じます。

     でも,これがまたなかなか難しいんですけどね。急激にやることはできません。かつ,そのやり方を強制することもしません。ただ,多様なやり方を許容するだけです。ゆっくり。

    Kさんがさらにこんなことを書いていらっしゃいます。そうですよね~,みんな,心の中ではそう思っているんじゃないのかな~

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/FlipperK/20121228