次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2012-11-10きのうのおしゃべりから思ったこと

     雨で順延になっていた,我が校の校内マラソン大会が無事,実施されました。今年度は,学芸会の実施が例年より時期が遅くて,マラソン大会への取組期間は少なかったのですが,それでも,子どもたちは一生懸命に参加し,見ていてもさわやかな感じを受けました。

     親和的で温かい雰囲気を,高学年を中心にみんなでつくっている本校のいい文化がそれを支えているんだろうなあ,と思います。

    さて,昨日の,私たちが月1回行っている教育実践サークルでの話。

    本題に入る前に,参加者で雑談をする時間もあるのですが,そのときに,ある先生がこんな話をされました。

    「おらほの学校,もうすぐ校内マラソン大会なわけさ。それで体育の時間に,その練習をしていたんだよね。おらは,『走る』ということを,子どもたちにもっと楽しんでほしいと思っているし,マラソン大会の練習を通して走ることをもっと好きになってほしいと思っている。だから,その入り口として友達とおしゃべりしながら走れる位のペースで走ることを楽しむことだって必要だと思っている。自分たちの研究サークルでは『おしゃべり持久走』って実践なんだけどね。でも,今日さ,その練習を見ていたある先生が『6年生,もっとピリッとさせないといけないんでねえの?しゃべりながら走っていたど。』て言われたんだ。意図を説明すっかな,と思ったけど,分かってもらえなさそうだからやめてしまった。その説明もしなかった自分にもちょっと残念な気持ち。」

    というようなことを話していた。

     

    私自身は,そういう練習の仕方も好きである。走ることの楽しさはいろいろあるから。マラソン大会の練習のおかげで,走ることがきらいになってはもとも子もない。最終的には,走ることが好き,楽しい,体を動かすことが好き,楽しいになることがゴールであるはずである。だから,そこに向かっているのなら,いろんなチャレンジの仕方があっていいと思っている。

    しかし,一般的にいえば(主観だけど)「マラソンの練習で,おしゃべりしながら走るなんてけしからん!」とか「友達とペースを合わせて走るなんて,全力でやっていない証拠だ!」とかっていうのが,多くの教師の価値観かな?と思う。厳密にいうと「教師の」,というよりも「学校というところの」価値観かな,と思っている。まあ,それはあくまでもわたしの今までの経験から感じるものでしかないけれど。

    校内マラソン大会の,もっと先にある姿は何かな?と思う。例えば東京マラソンとかホノルルマラソンとかニューヨークシティマラソンとか。そんな大会に進んで参加するような人に育つといいわけではないかと思う。だとすれば,その参加の仕方だっていろいろある。順位やタイムにこだわって走る人もいていいし,誰かと一緒に走ることを楽しんでもいい。参加すること自体が目的,でもいい。その人の,いろんなチャレンジがあるはず。そして,そのそれぞれの参加の仕方をお互いに認め合っている。だから楽しい。

    そういうマラソンと学校のマラソン大会は違う,と言われるかもしれない。目的が違う,ねらいが違う,と言われるかもしれない。確かに自主的に参加するマラソン大会と,全員参加が前提のマラソン大会は違う。だったらなおさら,走ることが好きになるような,アプローチや経験を丁寧に積み上げていくことは必要だと思う。

    子どもは,もともと走ることが好きなんだと思う。だって,小さい子はいっつも走っているじゃない。そんなに走るなよ~なんて思うこともしばしば。走ることの楽しさを「競争」「競走」「克服型」だけに限定してしまう(意図的であろうとなかろうと)ところが,学校という場には少なからずあると思っている。もちろん,「競争」「競走」とか,克服すること,忍耐力を否定するものではない。しかし,そこを求めるのなら,子ども自身にそのことの意味を分かるように丁寧に説明し,その子自身が納得して自分のチャレンジに

    変えていくことが必要になってくると思う。

     でもさ,マラソン大会の本番に,おしゃべりしながら。それこそ「だらだら」走る子なんて見たことない。だれだって,自分が「いい自分」でいたいんだから。でも,様々な状況・環境で,「いい自分」が出せない,「わざと出さない」子だっている。だったら,出せる環境をみんなでつくっていけばいい。つくろうとすればいい。回り道でもそれしかない。

     だから,教師同士がもっと職場で,学校のこと,子どものこと,授業のことをおしゃべりしないとね。