次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2012-11-29サッカー遊び

    【通信№84】

    今までは男子が中心だったのですが,女子もサッカーをやり出しました。近頃は,朝や昼休みにも男女一緒になってサッカー遊びをする姿が見られるようになりました。場合によってはいろんな学年が入り交じりながら。なでしこの影響なのか,女子も男子に負けていません。

     体育でサッカー遊びをやっていることもあるのでしょう。こちらは,自分たちでセルフジャッジをしながら,そして時々もめては,また相談して始めるという感じでやっています。自分たちでやりながらみんなが楽しめ納得できるちょうど良いルールや取り決めを作り出し,改善していくこと。体育の中ではそんなことも重視しています。そういう感覚を一人一人が活動を通して磨いていくことが,実際の生活にも役立つ学力となるからです。

    2012-11-13もめ事

    【通信№79】

     クラスでも,ときどき、もめ事があります。はじめのころに比べて,ずいぶん自分たちで(というか,周りの子たちの力を借りて)解決できるようにはなってきましたが,うまくいかないこともあります。

     そういうときは,時間は多少使ったとしても,全員の前でおたがいの話を丁寧に聴くようにしています。

     先日のもめ事。黒板に,メモしながら聴きました。

    私「で,どうしたの?」

    A君「…」

    私「じゃあ,B君から聴くね。どうしたの?」

    B君「いきなり,押したりたたいたりしてきた。」

    私「なるほど。それで?」

    B君「だからたたき返した。」

    私「たたかれたから,たたき返したんだね。ふんふん。で,A君,なんかある?」

    A君「だって,B君に何度も○○にして,って言ってんのに,聞いてくれないんだもん。」

    私「ふんふん,それで?」

    A君「無視して知らんぷりしてるからさ!」

    私「なるほど。それで怒っちゃったってこと?」

    A君(うなずく)

    私「B君さ,A君はこう言ってるけど,そう?無視しちゃったの?」

    B君(だまる)

    私「A君はさ,B君に○○って何度も言ったのに,無視したって言ってるけど,B君はA君が○○って言ってるのは聞こえてたの?」

    B君「うん。」

    私「なるほどね。無視したのかどうかは先生には分からないけど,応えはしなかったってことだね。」

    私(黒板のメモをさして)「じゃ,黒板見てよ。けんかの始まりは,どこだと思う?」

    A君,B君,子どもたち「怒ったところ」「無視したところ」「たたいたところ」

    私「うんうん,どうやらここのあたりだね。で,どうしたらこういうけんかにならなかったかな?A君やB君は,どうしていたらよかった?周りにいたみんなはどうしたらよかったの?」

    (続く)

     もめごとは丁寧に聴いていくと,どちらにも,それなりの言い分はあります。今まで積み重なってきた経験や,どうかするとその日の気分なんかも関係することもあるようですし。(虫の居所が悪い?)一概に,どちらが悪いとは言えない場合がほとんどです。

     こうして,何回も様々なもめごとについて聴いていくと,その原因のほとんどは「話を聞いてくれない」です。そしてその反面の「きつく言う」「責めるように言う」などです。どっちが先でどっちが後かはあるでしょうが,つまり,ことば,コミュニケーションの問題。

     相手の話をまず聴こうとすること,相手のことも考えながら自分が伝えたいことを言葉を選んで伝えること。そういうことが,相手を大切にすることでもあり思いやりでもあると思います。これは2年生でも考えてほしいことですから,こういうチャンスには,全員にこういうやりとりを聞かせます。自分たちにも起こりうることですから。

     こうやって聴くのは,「どちらが悪い」を決めるためではありません。どちらが悪い,の比率の差はあるかもしれませんが,それは大概,当の本人たちがよく分かっています。90%自分が悪くても10%の言い分を聞いてもらえさえすれば,90%の自分の非は認めることができますから。(大人でも,ね)そうなると,自分で悪いと思ったことに付いては謝ることができます。

     子どもも大人も,もめ事の原因はあまり変わらないものだなあ,と思います。私も,こんなふうに子どものもめ事の話を聞いていますが,今でもたくさん,ことばで失敗しています。なかなか,難しい物です。だから,何度もトライアンドエラーの経験を積み重ねて,少しずつ学んでいくしかありません。個人として,どう判断し行動するか,クラスとしてはどうするとよいか,とかを。

    2012-11-12「楽しけりゃいい」

    前にお世話になった教頭先生が,

    「○○先生ったら『学校は楽しけれりゃいいんだ』なんて言うんだよ~,まったく…。」

    なんて,(愚痴?ではないが)言うのを聞きながら

    (そうだなあ,それじゃあなあ)

    と,同調して思っていたことを思い出した。

     今では,ある意味「楽しけりゃいい」は,真理だろう,と思っている。楽しくなくてはならないのだと思う。

     でも,楽しくさせてあげる,というのとも違う。

     楽しさをつくる,楽しさを見つける,そんな感じなのかな。マラソン練習はキツイ,でもそれが,速いとか遅いに関わらず「楽しい」になることもある,そんな感じなのかな。。

     その楽しさって,自分が成長している実感であったり,仲間に認められているという所属観や安心感だったりするんだろう。だから「楽しけりゃいい」は簡単じゃあない。

    2012-11-10きのうのおしゃべりから思ったこと

     雨で順延になっていた,我が校の校内マラソン大会が無事,実施されました。今年度は,学芸会の実施が例年より時期が遅くて,マラソン大会への取組期間は少なかったのですが,それでも,子どもたちは一生懸命に参加し,見ていてもさわやかな感じを受けました。

     親和的で温かい雰囲気を,高学年を中心にみんなでつくっている本校のいい文化がそれを支えているんだろうなあ,と思います。

    さて,昨日の,私たちが月1回行っている教育実践サークルでの話。

    本題に入る前に,参加者で雑談をする時間もあるのですが,そのときに,ある先生がこんな話をされました。

    「おらほの学校,もうすぐ校内マラソン大会なわけさ。それで体育の時間に,その練習をしていたんだよね。おらは,『走る』ということを,子どもたちにもっと楽しんでほしいと思っているし,マラソン大会の練習を通して走ることをもっと好きになってほしいと思っている。だから,その入り口として友達とおしゃべりしながら走れる位のペースで走ることを楽しむことだって必要だと思っている。自分たちの研究サークルでは『おしゃべり持久走』って実践なんだけどね。でも,今日さ,その練習を見ていたある先生が『6年生,もっとピリッとさせないといけないんでねえの?しゃべりながら走っていたど。』て言われたんだ。意図を説明すっかな,と思ったけど,分かってもらえなさそうだからやめてしまった。その説明もしなかった自分にもちょっと残念な気持ち。」

    というようなことを話していた。

     

    私自身は,そういう練習の仕方も好きである。走ることの楽しさはいろいろあるから。マラソン大会の練習のおかげで,走ることがきらいになってはもとも子もない。最終的には,走ることが好き,楽しい,体を動かすことが好き,楽しいになることがゴールであるはずである。だから,そこに向かっているのなら,いろんなチャレンジの仕方があっていいと思っている。

    しかし,一般的にいえば(主観だけど)「マラソンの練習で,おしゃべりしながら走るなんてけしからん!」とか「友達とペースを合わせて走るなんて,全力でやっていない証拠だ!」とかっていうのが,多くの教師の価値観かな?と思う。厳密にいうと「教師の」,というよりも「学校というところの」価値観かな,と思っている。まあ,それはあくまでもわたしの今までの経験から感じるものでしかないけれど。

    校内マラソン大会の,もっと先にある姿は何かな?と思う。例えば東京マラソンとかホノルルマラソンとかニューヨークシティマラソンとか。そんな大会に進んで参加するような人に育つといいわけではないかと思う。だとすれば,その参加の仕方だっていろいろある。順位やタイムにこだわって走る人もいていいし,誰かと一緒に走ることを楽しんでもいい。参加すること自体が目的,でもいい。その人の,いろんなチャレンジがあるはず。そして,そのそれぞれの参加の仕方をお互いに認め合っている。だから楽しい。

    そういうマラソンと学校のマラソン大会は違う,と言われるかもしれない。目的が違う,ねらいが違う,と言われるかもしれない。確かに自主的に参加するマラソン大会と,全員参加が前提のマラソン大会は違う。だったらなおさら,走ることが好きになるような,アプローチや経験を丁寧に積み上げていくことは必要だと思う。

    子どもは,もともと走ることが好きなんだと思う。だって,小さい子はいっつも走っているじゃない。そんなに走るなよ~なんて思うこともしばしば。走ることの楽しさを「競争」「競走」「克服型」だけに限定してしまう(意図的であろうとなかろうと)ところが,学校という場には少なからずあると思っている。もちろん,「競争」「競走」とか,克服すること,忍耐力を否定するものではない。しかし,そこを求めるのなら,子ども自身にそのことの意味を分かるように丁寧に説明し,その子自身が納得して自分のチャレンジに

    変えていくことが必要になってくると思う。

     でもさ,マラソン大会の本番に,おしゃべりしながら。それこそ「だらだら」走る子なんて見たことない。だれだって,自分が「いい自分」でいたいんだから。でも,様々な状況・環境で,「いい自分」が出せない,「わざと出さない」子だっている。だったら,出せる環境をみんなでつくっていけばいい。つくろうとすればいい。回り道でもそれしかない。

     だから,教師同士がもっと職場で,学校のこと,子どものこと,授業のことをおしゃべりしないとね。

    2012-11-05もうすぐ校内マラソン大会

    【通信№77】

    「楽しい,と楽はちがう。楽しいことがしたければ,楽をしちゃダメだと思う。」とはある人のことばです。

     そのとおりだなあと思います。本当の楽しさは,本気でがんばった人が味わえます。

     もうすぐマラソン大会ですね。あなたのチャレンジは何ですか?「○位までに入ること」「歩かずに最後まで走ること」「ライバルの○くんにかつこと」「自分のはやさで最後まで走ること」…。チャレンジの数は,人の数だけあります。どのチャレンジがよくて,どのチャレンジがわるいなんてことはありません。自分が本気になってやれるものなら,それでいいのです。そのチャレンジにいっしょうけんめいになれたときだけに,自分に「やりきった」という自信が一つ,つくのです。そういうことのつみかさねが,大きな自信になります。その「自信」は,きみたちが,これから何をするときにも,きっと役立つものになりますよ。だから,自分のチャレンジを決めて,一生懸命がんばろうね。おうえんしているよ。

    2012-11-04「分からないなあ」はいいこと

    【通信№76】

     なんでもできる人は,世界にひとりもいません。できることもあればできないこともあるのが人間です。だから,学ぶんですよ。(^_^)。

     「分からないなあ,ちょっと教えてくれる?」と言える人は,どんどんのびます。だって,できないことに気づけているってことは,チャレンジしているしょうこですからね。そして,なんとかしてできるようになりたいって思っていることですから。できることしかやらなければ,「分からない」「できない」って思いませんから。

     分からないときは「分からない」といえること,「ちょっと教えて?」といわれたら,自分にできることは力をかしてあげること。そうやってたすけ合っているうちに,「自分にはできることもあるし,できないこともある。できることは,これからもっとできるようになるし,今はできないことも,やっているうちにいつかはできるかもしれない。」「おたがいに,とくいなこともあればにがてなこともあるんだね。」ってことが分かってくるんだよ。

     だから,「分からないなあ」「ちょっと教えてくれる?」っていえることが,せいちょうのしるしなんだよ。

     みんなでたすけあって,これからもまなんでいきましょう!