次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2012-08-22悲しい

    うちに帰ったら,テレビでニュースをやっていました。女性がインタビューの受け応えをしている映像でした。

    「あ,Mさんじゃん!このひと,大学生の時の同級生なんだ~,英文科で同じクラス。おまけに出席番号が,おれの次!」

     なんて言ったあとに,愕然としました。紛争の銃撃戦に巻き込まれて死亡,というテロップが出たからです。

     Mさんは,ジャーナリストとして世界中で活躍し,確か,最近も出身大学にで後輩向けて講演?かなんかもしてたはず。私たちの学年でもしかしたら一番有名だったのかもしれません。

     ニュースでは,戦争における女性や子どもの現状・窮状を世界に,日本に伝えたい,と思い活躍してきた,と落ち着いた中にも情熱的なインタビュー映像で伝えていました。私が最初にみたのはこの映像だったのです。大学で学んでいた英語も,まさに彼女の夢,情熱を支えるツールとしていかされていたはずです。

     大学を卒業してから一度も会っていませんから,それほど親しかった訳ではありません。でも,涙が出ます。ニュースの報道では,「救いなのは,顔には擦り傷一つなく,きれいなままで亡くなったこと」と同行していたジャーナリストが話していました。

     

     前にも書きましたが,私の尊敬する先輩教師は,O小で津波子どもたちとともに津波に巻き込まれ,亡くなりました。泥の中から見つかったときには,子どもを抱えるようにしていた,と噂にききました。今でも,思うと涙が出ます。それが事実はどうかは,どうでもいいことです。「たしかにYさんななら,そうしただろうな,ぜったいにそうしたはず。」と思えますから。そういう人でした。

     紛争に巻き込まれて銃で撃たれて死ぬなんて誰が思うでしょうか。津波にのまれて死ぬなんてだれが思うでしょうか。がんで死ぬかも,交通事故で死ぬかもとは思っても,銃で,とか津波でとかは思いません。

     MさんもYさんも,本当に残念です。無念だったとおもいます。そういう言葉を軽々しく使っていいとも思えません。言葉が見つかりません。ただ,不幸だったのか幸せだったのかは,正直,分かりません。というか,今は分からないようになりました。軽々しく「不幸だ」と外野から言えない気持ちです。もしかすると,MさんやYさんにもわからないことかもしれません。

     今,私は,教師をしています。なりたくてなった仕事です。だから,今できることを,一生懸命するしかないと思います。Mさんも,Yさんも,亡くなってもなお,メッセージを残します。そういうことなんだと思います。

     ご冥福を心からお祈りします。