次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2012-07-31プール「監視」

     ここ2,3年,夏休みのプール監視,というかプール当番というのが意外と好きな自分がいます。

     このプール当番,厳密に言えば,教育課程外であるし,本来の「職務」とはちがうものです。どっちかというと社会教育にあたる部分なのでしょう。

     ですが,今の私にとってはとっても貴重な場面です。2年生の受け持ちである今は,上級生の泳ぎを見させ,まねさせたりイメージを持たせたりするのに格好の場です。そして何より,これだけみっちり練習できる時間は,日常の授業時間にはありません。そして,それは2年生に限らず,どの学年であってもおなじこと。

     以前の私は「プール監視」ですから,子どもたちは,ある意味好き勝手に水遊びを楽しんでいました。私は危なくないように見ているのが役目。でも今は,毎日変わるメンバーを,どうやって練習の楽しさに引き込もうかなあ,と考えています。

     今心がけているのは,この夏のプール解放の場を,9月の校内水泳大会に向けての練習の場にする,そういう雰囲気を作るということ。まあ,夏休みのことであるので,「水遊び」を完全否定はしません。ただ,水遊びの場所と目標をもって練習する場をわけてみました。そして,練習しながら自分のきろくをのばしている子を,拡声器でじゃんじゃん励ましたり,応援したりすること。

    「お~,すごいぞ!もうそこまでいけるようになったね~」

    「そうそう,リズムをくずすな~,あと少しだ~!!」

    「やったー!ブラボー!!!!」

    なんてやっていると,遊びチームの子もだんだん,練習コースに混ざってきます。

    「お!君ならできる!チャレンジだ!」

    なんていって励ましながらやっていると,いろんな学年が入り交じりながら練習する雰囲気がだんだんできあがってきます。これが楽しい。

     ただ,無理強いしないこと。遊びの場所も残してあげることも必要かな,と思います。目標がはっきりしたり,一緒にがんばる友達が見つけられたら子どもは,遊びと同じかそれ以上に練習することが楽しくなることが,プールサイドからみていて分かるようになったので(笑)

     今日も,プール半分もいけなかった3年生の子が25m成功したり,2年生でも25mいっちゃったり,いままで遊んでばかりだった(失礼!)5年生の子が25mクリアして,50mにもばりばりチャレンジする姿に出会えてハッピーでした。

    2012-07-30今はどの段階?

     今日は,プロジェクト結の理事でもあり,ファシリテーターの(順番はどっちが先なんだろ?)中川さんをお招きしての校内研修。

     タックマンのチームの発達段階の表を見ながら

    「ここの職員室は,今,どの段階?」

    との問い。

     人それぞれ,感じ方は違うだろうけど,私は

    (やっと混乱期の入り口かな?)

    という感じ。

     中川さんによると,メンバーが一人減っても,反対に一人増えても

    「それはチームの解散,になり,また1からのチーム作り」とのこと。

     それも納得できる。学校は毎年毎年諸君の出入りがあるから,本当は目標を共有してのチーム作りは,非常に困難なんだと思う。だから,悪くいうと「例年通り」とか「当たらずさわらず」になる,それもある意味,もっともであるかもしれない。だって,1年でメンバーチェンジなんだから,その1年で,言いたいことを言って逆にごたごたしてしまうのは,「コワイ」もんね。

     だったら4月の段階で,3月をゴールに設定して,「形成期」「混乱期」「規範期」「達成期」の見通しを持って,みんなでそれを承知の上で事を進めていけばいいのだけどね。でも現実には,今までの学校でも4月の段階で3月のゴールのイメージをじっくり,職員みんなで話し合う,なんてことはなかった。あって,クラスの中で,という感じ。

    「急がば回れ」

    という中川さんの言葉,かみしめたい。

     で,職場の件だけど,やっぱり混乱期に入るのは怖いんですよね。私の立場では,コントロールする限界がありそうで。そこんとこ,どうするのかなあ。クラスなら,いいんだけど。自分で見通しを持ってコントロールでき立場だから。

     でも,今回は同僚の多くが(全員ではないけど)チームには発達の段階があるんだってこと,そこをくぐって次の段階にいくってこと,それはクラスでも職員室でも同じってことを,考えられたことと,

    (今の職員室ってどの段階?)

    って,きっとそれぞれが思いを巡らしたことも成果かな,と思います。

     また,次回へと,続けたいけどなあ。今度は保護者も混ざってもらって,学校チームを考えるなんてのもいかも!

     どうです,Kさん!のりません?(笑)

    2012-07-29物語

     昨日の講座の2日目。今日は物語文。「かさこじぞう」をベースに。

     話題提供の先生の

    「教えよう,教えようと思うと,どうも誘導尋問みたいになってしまった。とにかく,子どもの話を聞こう,と決めたら,なんか気持ちも楽になったし子どものいい考えに気づくようになった。」

    とお話されていた。

     ある子の

    「じさまは,どうしてそんなに優しいの?」

    という問いに対して,グループのみんなでしゃべったのが楽しかったな。

     物語の楽しみ方ってこうだな~,と思いました。

    2012-07-28言われなくても気づくもんだ

    教育講座に参加しました。秋保温泉のホテルでやったので,待っている間,温泉にも入りました。まあ,そんなことはどうでもよいのですが。

     国語の分科会に出ました。詩を中心にしてやりました。

     分科会自体の構成が,グループ討議が中心だったのでおもしろかったです。

     「答え」のないことを考えるのが,おもしろいと思いました。○とか×で勉強を語るのは,おもしろくありません。どっちがいいとか深いとか,人に決めてもらわなくても,話したり聞いたりしているうちに,

    (あ,そっちのほうがいいな)

    とか

    (あれ,自分ってちょっと浅はかだったね~)

    とか人に言われなくても,気づくものだな~って思いました。

    2012-07-27支えあうことが主体性を育てるのだと思う

    下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

    下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

     夏には、普段より時間がとれるので、読書もも励みたい。

     再読。再読すると、以前は読み飛ばしていたようなことに新しく気がつくことができてなかなかよいなあと思う。

     「学びからの逃走」やニートの問題を内田先生の視点から、論じているのだけど、とても興味深い。宮城県では「志教育」といって県の重点施策があるのだけど、現場では今一つ「なんだろう?」という感がある、みたい。「社会人としてよりよく生きる」力を子どもたちに身につけさせるために、「かかわる」「もとめる」「はたす」の3つの視点を柱に、授業をはじめ、日常の教育活動を充実させていくものだけれど、その言葉はわかっても、

    「じゃあ、いままでとどう違うの?」

    と一般的には思うことだろう。

     『学びあい』の考え方にずっとふれていて、その考え方を軸に授業やクラスづくりを考えてきた私にとっては、とってもその目指すことと、具体的な活動の在りようもイメージできるんだけど、そうでない場合は今までの授業スタイルをもとに考えるわけだから、

    「いままでどおりでいいんじゃない?」

    ともなるだろうな、とも思う。

     ちょっと脱線したけど、今回再読して、強く印象に残ったのは後半の4章「質疑応答」のところ。ニート問題に解決に対して氏は

    「『もうニートになっている人』については、その人権をまもる方途を考え『これからニートになるなりそうな人』については、『やめたうがいいよ』と説得する。「ニート対策」に一番欠けているのは、この『常識のでたらめさ』というか、『常識の2枚腰』だと思うんです。ですから、『世の中、それほど冷たくないよ。』ということをアナウンスしてあげて、実際に手を差し伸べれば、そこからゆっくりとでも事態は変わってくるんじゃないか、と」

    と述べている。

     競争社会や、自己責任、の考え方から言うと、「働かないのならその責任は自分にあるのだから、その結果は個人で引き受けるべきだ」となるであろう。しかし、氏は、そうであるからこそ「ニート問題は解決しない」と考えているようである。つまり、最後の最後まで見捨てない「支えあう社会」をもう一度構築しなおすことが、鍵だと述べているととらえた。

     逆説的だけど、その通りだと思う。たとえば、クラス。競争主義がクラスの文化だったら、そこに乗って行けない子やどんどん学ぶことをあきらめていく。「意識的に学ばない」ことで自分の立場を「守る」わけである。「私は、この競争には参加しません」ということで、「同志」を求めて動く、時には勧誘することもある。しかし、クラスに「共生」の文化が少しずつ根付いてくると、今まで学ぶことに背を向けていた子も、「ぼくも学んでいいんだ」「うまくできなくても、それで不当な扱いを受けることはないんだ」と安心できる。そうなると、人間だもの、自分がよりよく生きるために行動を起こすのは至極当たり前なことである。

     支えあうことが主体性を育てるのだと思う。

     学校の教育目標の校訓は「共生」「自主」「努力」まんま、目指す方向である。文科省の「生きる力」であろうと県の志教育であろうと、目指すことは同じことだと思っている。目指すことを言葉でなく「イメージとして」具体的に共有できるための、話し合い(対話)を何度も何度も現場では必要であるのに、どうも、そこんとこをすっとばして、方法論に行ってしまうのが残念でもある。

     が、そういう機会が必要だと思っているのなら、そういう機会を地道にしつこく作っていけばいいだけの話、だなと思う。

    2012-07-26すきだったらいいわけだ

     昨年度,担任した子どもたちが5年生として,先日宿泊学習をしてきました。

     2泊3日の中日に,私も冷やかし?に行ってみました。

     担任の先生に

    「どう?お疲れ?」

    と聞いてみると

    「今まで何回も,宿泊学習に連れてきているけど,今までで一番楽しい!」

    と言っていました。

    「なんで?」

    と聞いて見ると

    「精神的ストレスがない。」

    と。まあ,いろいろあるにはあっても,子ども同士でなんとか相談したりサポートし合いながらうまくやっているらしいからみたい。それ以上に,みんな,すっごく楽しそうに笑顔で活動しているからみたいです。

     養護の先生も

    「このクラスって,とってもおもしろい!」

    「とっても個性的!」

    「絶対に友達を責めたりしないんですよね~,助け合うのも自然な感じで。」

     そしてうれしかったのは

    「山登りとかで,おくれる子も出るじゃないですか?でも,絶対に置いていったり文句言ったりしないんですよね。どの班も。」

     子どもたちは,確かに成長してきているのだと思います。それもあるけど,このように,子どもたちのプラスの面に目を向けて,それを喜んだり,子どもに返してあげているからだろうなあ,と思います。クラスの子どもがすき,それですね。

     なんでもかんでもほめればいいのじゃあありませんが,子どもたちは当たり前のように成長したがっている訳です。そこを信じて,プラスの言葉かけをどんどんしていく,うまくいかないときや失敗だって

    「OK,OK,次はどうチャレンジする?」

    なんて返し方ができるといいんだよね,と思いました。

     今日も1日,プールに付いていました。きょうも,プール半分しか泳げなかった子が25m,35mと距離をのばしたり,潜れなかった子が

    「見て~!」

    とだるま浮きをして,見せたりと,うれしい姿がたくさん見られました。

     

    2012-07-25できるとおもえばできるんだなあ,すごいなあ

    今日はプール当番でした。

    夏休みのプール当番は,基本「勤務」とは違うわけですが,わたしは意外と好きだったりします。だって,声のかけようによっては,異学年の水泳学習になりますから。

     今日は4年生の女の子が練習していました。クロールをしているんだけど,まだ,10m位しかいきません。

    「半分の,あの赤い線までいってみなよ~」

    「え~,むり~」

    「大丈夫だよ,いけっから!だって。そこまでいってんじゃん。そこから赤い線までは,あとちょっとでしょ?」

     なんていいながら,励ましていると,すぐに半分(12.5m)くらいはいってしまいます。

     で,なんだかんだいって,じゃんじゃんはげまして,

    「半分いっちゃえば,あとは,リズムさえ崩さずにいけば,25mいけるぜ~!!」

    な~んていいながら,プールサイドで騒いでいると,ほら,やっぱり25m,二人とも行ってしまいました。

     本人がやる気になれば,いけるもんですねえ。こどもたちって本当にすごい。

    「やれるかも」が「できるぞ」になれば,いけちゃうんですねえ。

     「しっぱいしてもいいからさ,でも,絶対にできるようになりたいって思い続けることは大事にね!」

    「わあ,くるしくてもうだめ,と思ってから,もう一がんばりできると壁をこえるぞ。どうチャレンジしてみない?」

    「ほら,そのリズム,とってもいいから,ぜったい,最後までいけるよ~」

     とにかく,応援しまくると,けっこうやれるもんだなあ,と思います。

    「この夏,50mもいけるんじゃない?だって25mいったら50mもいけると思わない?」

     この子たち,きっとこの夏50mいくだろうなあ。

    2012-07-23そこから

     負けを見つめる,自分の足りないところをちゃんと受けいれる。そこからが本当の勝負なんだろうな。

     

    2012-07-21かみあわない

     イメージすることが違っていると,どうも話すことがかみ合わないと感じることがあります。

     「共通理解」という言葉が,本能的に,しばられる気がして嫌いな私は,なんかやっぱり普通ではないのかしらん。

    2012-07-19少しずつ前に進んでいるかな

    【通信№47】

    クラス目標は、

    ○えがおで元気なクラス

    ○たすけあうクラス

    ○あきらめず、ちょうせんするクラス

    ○あいさつをするクラス

    です。学習でも、生活でも、行事の中でも、目指すのはここです。もちろん、この言葉だけでは、イメージが共有できませんので毎日の具体的な事実から、

    「そう、今の、そのことが大事だよね!」

    「今は、この目標がうまくいっているね。」

    「今の感じは、あの目標に近づけている?」

    などと。機会を捉えながら言葉を返すようにしてきました。

     昨日は、体育で、久しぶりに「じんとり」と「ドッジボール」をやってみました。

    でも、ただやるのではなく、子どもたちには次のような目標を意識させました。

    「ぼくらが、4月からどのくらい成長したか確かめられるような、じんとりとドッジボールにしてごらん。もめそうになったら,自分たちで相談すること,ドッジボールは自分たちでチームを決めてみんなが楽しめるようにすること,ね!」

     結論から言うと、子どもたちは4月に比べて、クラスとして一歩大人になっていました。

     

     以下は、その様子です。

     まず、子どもたちは、誰ともなく勝手に準備を始めます。何人かがマットを引っ張り出してたら、次々助っ人が加わります。まずここがいい。だれかが、みんなのために動いていたら、自分も手伝うのが当たり前、と考える子が多いこと。マットを出す人は十分だなあ、と思った子はデジタイマーの準備をします。この状況判断もすばらしい。

    「じゃあ、始めるよ~」

    と私が言うと、子どもたちは

    「ちょっとまって~!作戦タイムするから~」

    とのこと。チームのみんなで、どう攻めるかどう守るかの相談をします。これもいいですね。

     ゲーム開始。攻守入り乱れる中、予想通り、最初の「ヤマ場」がきました!相手陣地を踏んだのが先か、タッチしたのが先か、微妙なプレーがでました。

    「ふんだ!」

    「タッチした!」

    一触即発?な雰囲気?

    (お~、きたきた~、さあ、どうするかな~)(笑)

    とみていたら、即座に数人が集まり、

    「ちょっとまって、まって」

    と間に入り、なにやらごにょごにょ。程なくして、ゲーム再開です。こういうことは、5月ころはなかなかできなかったことです。以前であれば、そのまま言い合いに突入!のケースでしたが、数人が間に入ることで、「調停」できたようです。このあたりのクラスの動き方は、むしろ高学年に近いかもしれないなあ、と感心しました。

     2回ほど、陣取りを楽しんだ後、チーム替えです。くじでもう一度チームを変えて、ゼッケン(ビブス)を交換します。すると、ここで、第二の「ヤマ場」が。実はこれは予想外。どうやら、ゼッケンの交換がうまくいかなかったようで、一人泣いています。それに気づいた数人が、そのこの周りに集まり事情を聞いています。

    「どうしたの?」

    「どうだといいの?ちがうゼッケンがいいの?」

    「じゃ、聞いてみる?」

     子どもたちがいろいろ聞いてはいますが、その子も、機嫌をなおすタイミングをつかみかねているようで、なかなか次のゲームに入れずにいます。

    (う~ん、どうするかな~)

    と考えていた私でしたが、子どもたちの出した結論が、なかなかのものでした。

    「じゃあさ、落ち着くまでちょっと休んでてもいい?混ざるときにいってね!」

     それで、とりあえず、ゲームを始めながら、時々

    「○くん、まざる?」

    と声をかけています。ここから、決して○くんを放っておいているわけではないことがわかりました。なかなかのものです。(それでも結局○くんは、ゲームに戻るタイミングを最後までつかめずにいたのですが、終わるころには友達と談笑していたので、まあよし、でしょう。)

     低学年期では、まだまだ自己中心性が強く出ることがあります。それが当たり前の状態でもあります。自分はこうしたい、自分はこうだ、という自我です。自我の発現は正常な発達の表れですが、年齢が上がるにつれて,その自我をコントロールする力も身についてきます。それが心の成長、というものだと思います。

     自分の思いや願いだけを出し過ぎると、衝突します。けんかや言い争いになる場合は、多くの場合、自分の主張だけをしすぎて,相手の言い分を聞かないときです。(ま,大人でもですが…自戒を込めて)

     子どもたちには、「どういう時にけんかになるのか」「どうしたら、けんかにならずにすんだと思うか」を考えさせるチャンスが、実は必要です。先に「年齢が上がるにつれて」と記述しましたが,単に年齢が上がればそのような自我をコントロールする力が育つわけではありません。適切な時期に,十分な経験(もちろんトラブルも含めて)を通り抜けることが必要です。そうでないと「幼さ」を抱えたまま,中・高学年となり,また別な種類のトラブルの原因になることも少なくありません。

     けんかにならないように、自分の思いや願いをがまんせよ、とは違います。それをすれば、我慢するほうがストレスがたまります。そうではなくて、自分もよい、相手もよい、そのちょうどよいところを探る努力をすること、そのやり方を考えさせるチャンスが、実は毎日の学習・生活の場にあります。

     どういう時に,「みんなが笑顔で楽しめたか」「自分が気分良くできたか」「自分の力が発揮できたか」反対に,どういう時に,「トラブルになったか」「いやな気分になったか」「思い通りにならなかったか」などを振り返らせてきた1学期でした。その中から,みんなが楽しいから自分も楽しい,誰かが楽しくないと自分も楽しくないということをだんだん学んできました。その結果が,きっと「じんとり」に垣間見られた子どもたちの動きなのだと思っています。

     心の成長は,もちろん個人差がありますし,その状況によって,前回は大人の対応ができた子どもも幼さが出てしまったり,その逆もあります。それが普通です。しかし,どの子どもも必ず経験を通して成長することは間違いありません。

     人生にたった一度きりしかない,この子ども時代を友達と一緒に様々なことを経験し挑戦し,乗り越えながら「楽しく」過ごすことが,将来社会でりっぱに活躍する大人になることに,きっとつながっていくと思っています。

     2学期も,この子どもたちの成長が本当に楽しみです。

     つけたし。後半のドッジボールも終わったあと,ある子が,

    「先生,ぼくさ,◆くんとけんかになりそうになったんだけどさ,でも話し合ってけんかにならずにすんだんだ~。」

    と教えてくれました。

    「OK,OK,いいじゃん!!」

    と頭なでなでしてあげたいくらい嬉しかったですね。

    2012-07-17なんかいいな

     2年生。週1回6時間の日があります。

     この時間は,特別なことがない限り,図書室でみんなで本を読む時間にしているんです。

     さて,今日。午前中はみなでプールで練習したり,算数とかをがんばって復習したりして過ごしました。そして6時間目の図書室。

     私も,自分の本を読みます。子どもたちも一人で読んだり,友達と一緒に読んだり,楽しみ方はそれぞれ。窓を大きく開けると,涼しい風が入ってきます。

     ん?ふと見ると,一人の女の子が,本を読む姿から,パタンとなるように,眠っています。でも不思議なことに,周りの子がだれも,

    「あ~,ねてる~」

    とか言うこともなく,まるで,なんにも気がつかないようにして,そっとしています。

    (気がついていないのか?)

    ともはじめ思いましたが,その時間20分ほどでしたし,子どもたちはその間,本を取りかえたり何だりで動くこともあったので,気がつかないわけはないでしょう。(気がつかないようではそっちが問題!?)

     (疲れて?)居眠りしちゃってる子を,そのままにしているクラスの仲間,それも2年生,なんかすてきだと思いました。

     6時間目が終わり,教室に移動するとき,とんとんとやって

    「おはよ。いくよ~」

    といったら

    「うん。」

    と言っていました~。

    2012-07-15何で勉強するのかな?

     子どもたちには,人との競争ではなく,自分の楽しみとして,学習することをとらえてほしいなあ,と思います。どう伝えたらいいか,いろいろ考えます。

     私自身が,楽しむことが,たぶん一番かなとは思います。


    【通信№45より】

    昨日,朝会で校長先生が「夢」について子どもたちに話しました。そこでは「夢をもつことの大切さ」を校長先生は伝えました。

     教室にかえって,子どもたちに,私の小学生のころの夢は何か?と聞かれたので話しました。

     いい機会だったので,今までにも何度か形を変えながら話してきたことではありますが,「なぜ,勉強は大事か」について「夢」と絡めて話しました。

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     夢ってのはね,ずっと思い続けていればかなうんだ。ずっとだよ。忘れるようじゃだめ。そういう夢は,たいして願っていない夢だからかなうわけはない。じゃあ,ずっと願い続ければかなうか,というと,かなわないこともある。さっきと言うことが違うね。どういうことか,説明するね。例えばプロ野球選手になりたいという夢を持っている人がいるとするね。でもね,そういう夢を持っている人が全員,その夢が叶うことはないよ。かえって,ほとんどの人はかなわない。じゃあプロ野球の選手を目指して頑張っても,その夢が叶わなかったひとは無駄だったのか?そうは思わないな。サッカーの選手だったラモスという人はこう言っているよ。「夢をもって本気で頑張る人には,神様はたくさんの夢への入り口を用意してくれる」と。どういうことか分かる?つまりね,夢をもって,それに向かって頑張り続ける,「続ける」,だよ,人には神様はたとえその夢がかなわなくても,その夢と同じくらいの別な夢を与えてくれる,ということだよ。

     大事なことは「夢をもつ」だけじゃあだめなんだ。夢を持って,どうやったらそれがかなうか,行動すること。行動し続けることが大事だね,夢を叶えるためには努力が必要なんだ。たまたま夢がかなう,なんてことはあり得ないからね。

     実は,勉強する意味もそこにあるんだと思うんだ。目標をもって,どうやったらできるようになるか,どうやったらうまくいくかを考えながらチャレンジしていく方法を学ぶことが勉強するってことなんじゃないかな。例えばね,足し算の筆算をするとする。でもね,本当は筆算なんてできなくてもたいした問題はないんだよ。ほとんどの大人は電卓を使うからね。じゃあ,筆算なんかしなくていいか,というのとはまた別だよ。「筆算ができるようになる」という目標をもつ,どうしたらできるようになるか考える,練習方法を考える,練習し続ける,あきらめないでやり続ける,失敗したらやり方を変える,そういうやり方が,夢を叶えるためのやり方なんだ。勉強をすることで,そうやって目標(つまり小さな夢みたいなもの)を目指して頑張り続けるやり方を身に付け,できるようになって,がんばれる自分をたくさん発見できると,自分にも自信がつくでしょ。それが自分が将来夢に近づいたり,新しい夢を見つけるのにとっても役立つ力になるんだよ。

     ね,学校の勉強くらいで,すぐあきらめたりさぼったりするようじゃあ,絶対に夢になんか近づけないよね?勉強するってそういうこと。だから,人から言われてするもんじゃないんだよ。自分で,まずは目標をもつこと。そして,目標を目指してやり続けること。それが勉強なんだ。

     さあ,1時間目,がんばっていこう!!

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     こんなくどい話を,ちょこちょこやっているのです。(笑)

    2012-07-14記事から

    http://blog.tatsuru.com/2012/07/12_1033.php

    「できる」ことは「よい」ことだ,「優れている」ことは「よい」ことだ,という,「客観的」な見方が,「当たり前」になっている,その価値観が大元にあるのかも。もちろん,その「価値観」を作っているのは,子どもでなく大人。

     多様な人が,多様に活躍する,できる教室・学校を目指さないと。

    2012-07-12しっぽ

    私が何で,いわゆる「フツー」の授業をしないのか,分かってもらう努力は必要です。仮に「分からな」くても,とりあえず,いい加減な気持ちでやっているわけではなさそうだ,と思ってもらえればいいのです。

     『学び合い』の良さは,勉強が苦手な子が,楽しく学べること。今日は,算数がとっても苦手な子が,

    「休み時間だよ~,休憩~」

    と言ったのに

    「やだ~,もっとやる!」ですって。

     今の私は,もしかしたら『学び合い』じゃないかもしれません。「みんな」とは要求しませんから。(カミングアウト!)「みんな」を言い出すと,私も子どもも苦しくなってくるんです。なんといっていいか分からないですが,学ばされているというか,学ぶことを純粋に楽しめないんじゃないというか気がしちゃうんです。私が「みんな,みんな」と言っていた頃は,上位の子は上位の子で,自分はがんばっているのにな,という感覚を持っていた子もいたし,苦手な子は苦手な子で,自分が分からないことに苦しんでいた気がします。いわゆる一斉指導では,考えなくてすむ(気づかないふりができる?)プレッシャーかもしれません。それは,もちろん『学び合い』が問題なのではなくて,私のとらえ方が不十分だったからに他なりませんが。じゃあ,一斉の方がよかったのか?と問われると,「それは,ない」とは言えますけどね。

     勉強が得意な子も苦手な子も,もっと自由に,それでいて,みんなで学んでいる,安心して学んでいる,というそんな環境がつくれれば,とりたてて「みんな」を言わなくてもいいかな,という今の感覚です。難しい理屈は言えませんが。

     「結果」は出ているのか?と言われれば

    「分かりません」

    というしかありません。でも,子どもたちは結構楽しく勉強しています。宿題も,自分で選んでやってきます。2学期の内容にどんどん入っている子も1/3くらいはいるかな,という感じ。もうちょっと,こんな感じで続けてみます。

     以前,とんたんさんたちが言っていた「緩くつながる」ということのしっぽが,私なりにようやく見えてきたか?という感じなんです。(ま,まだまだですけどね…。)

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    【通信№44より】

    子どもたちの「分からない」観,「間違い」観の転換をずっと図ってきています。

     子どもたちの多くは「分からないといけない」「間違っちゃいけない」,少なくとも「分かったほうがいい」「間違えない方がいい」と思っています。2年生ですらそうなのですから,学年があがったりすればなおさらかな?と思います。そして,子どもにそう思わせてしまうのは,我々教師も含めた大人の責任かもしれません。というのも,大人は,「今は」子どものやることが「分かる」「できる」から,それを,子どもにも無意識にそれを求めます。

    「何で分からないの?」

    「何でできないの?」

    「できるようになるまでは,だめ!」

    とか。でも,私たち大人も,今まで山ほど「分からない」「間違えちゃった」を繰り返してきたはずです。チャレンジをたくさん経験すればするほど,その回数はきっと多いでしょう。一流選手ほど,トータルでは敗戦も多いのと同じようなものでしょう。

     子どもたちに付けたい力は,「転んでも立ち上がる力」だと思っています。そのためには,今のうちにたくさん転んでおくことです。そして,転んだときに自分はどうしたら立ち上がれるか,どうしたら立ち上がれたか,を学ぶことです。そして,そういうことは,一人だけではなかなかできなくて,仲間の力も必要だということを体験を通して学ぶことです。それが,「大人になる」ということだと思います。

     私はよく言います。

    「お,分からないんだね!そりゃあラッキーだよ。挑戦することが見つかったねえ!」

    「これを乗り越えたら,また頭良くなるね~」

    「やる気のない人は,分からないって言わないんだよ。君はやる気十分だね!」

    「分からないことはたいした問題じゃないから。平気平気。あきらめなければいいだけ。」

    「大丈夫だよ。今は分からなくても,後から分かることも多いから,あきらめずに続けていこうね!」

    「間違えちゃたの?そりゃあ,よかった。それができるようになれば,また一つ成長だよね!」

    「え,全部あってたの。じゃあ,もっと難しいやつにチャレンジだなあ!」

     「分からないなあ」「まちがえちゃったよ」「できないなあ」「ねえ,どうやってやるの?」

    子どもたちがチャレンジを続けている教室ではこういう会話が増えます。どうどうと言えます。そこを目指します。分からないことを隠したり,間違えたことを恥ずかしく思ったり,友達や教師に分からないことを聞けない教室では,子どもはチャレンジできません。

     大人のすることは,チャレンジを続ける子どもたちを,温かく見守り励ますこと。「大丈夫だよ,大人もそうやってきたんだから。とにかく,あきらめずにチャレンジを続けなよ。応援するからさ!」と。

     子どもが安心してチャレンジを続けられる,そんな教室,学校を創りたいのです。

    2012-07-11水泳の学習

    水泳の学習もだんだん軌道にのってきまました。

     私は2年生の担任ですが,5年生の体育ももっています。(その代わり,5年生の先生が,2年生の音楽をもってくれています。)

     単学級なので,5,6年生一緒の水泳の学習です。

     インストラクションは体育館で5分以内,あとはプールで,ひたすら子どもたち同士で練習し,終わる,というシンプルな構成。

     前々から,水泳は特に「一斉」っぽくやるのは無駄が多いと感じていました。何百mも泳げる子がいる一方で潜れないこがいたりしますから。泳げる子と泳げない子をわけるなんてのも,そんなに細分化したコースがつくれるわけでもなく,まして一人一人に指導なんてできはしません。

     「何のために体育をするのか?」「水泳の学習で,自分の何をのばすのか?」「泳げたらえらいのか?泳げないとだめなのか?」「水泳の目標をどこに設定するか?」などなどをチャンスをとらえて,インストラクションのなかで話してきました。

     ここの子どもが,水泳の学習をそうとらえて,目標を達成することの意味をつかめれば,あとは練習は成立すると思います。確かに,水中のことですから,脱線する子は出ますけど,大方の子がばりばり練習していれば,それは長続きしないと思いますし。なによりも,テキトーに練習していてはうまくなれない。学習の責任を子どもに完全にあずける,ということです。それは,放任ではなく,学ぶってどういうことなのかを子どもたちに伝えることだと考えています。

     今は,6年生に担任のH先生と2人体制で授業を行っています。この間2人で相談をしながら,今日から練習の2期目に入ろう,ということになりました。というのは,今までの練習で,大方の子どもは自分の目標設定はできたし,それに向かっての練習パートナー選びを考えられるようになってきた感じ。プールサイドから見ていると,いくつかの異技術的な課題が見えてきました。クロールの場合,息継ぎで頭が上がりすぎることで,呼吸後にその反動で頭が沈みがちになり,そのためにスムーズな泳ぎにならない点,平泳ぎで言うとあおり足になってしまう点です。

     今までは,「上手な人の泳ぎを見て,まねなさい」としてましたが,それだけでは不十分です。水中のことですからよく見えないし,何よりまずは自分が泳ぐに一生懸命(そりゃそうかも!)

     で,2期目は,というと…。ジャン!Hスイミングスクール受講者募集作戦。メインのプールの横には1,2年生用に浅いプールがあります。そこを利用して,自由参加の「H先生クロール息継ぎ教室」や「平泳ぎ教室」を並行して行うと言うこと。私は

    「は~い,今からはHスイミングスクール,クロール息継ぎ講座です!なんか,うまくいかないな~と思う人は集まってね~」

    とハンドマイクで言う係(笑)。自由参加だから,自分で決めて参加する。参加しないで,自分でメインプールで練習してもよい。子どもに選択権を与えながら,自分の上達に必要な取組をする,という作戦。

     今日は,その1回目だったんだけなかなかいい感じ。子どもたちが,自分のために練習する,という感じ。

     先日,水落先生に,「目標と学習と評価の一体化」という言葉(それはまんま,『学び合い』と同じなんですけど)を教えていただきました。それを,子どもにも分かるように伝えること,そして,子ども自身がそれが分かって,自分のために取組を進めることが,私にとっての「主体的に学ぶ子ども」の姿なんです。

     それを追い求めてみたいです。

    2012-07-10主体的に学ぶ,とは

     「主体的に学ぶ子どもの育成」これは,本校の校内研究の主題である。 

     主体的に学ぶ,とはどういう姿か。

    ・学ぶ楽しさを味わっている子ども

    ・学習がおもしろいと感じている子ども

    ・進んで課題に取り組む子ども

    ・最後まで問題解決に取り組む子ども

    などなど。

     まあ,それはまあそうなんだろうけど。授業研究会が始まりだして,どうも私の中で気になりだしていることは,その姿(主体的に学ぶ姿)はだれが望むのか,ということ。

     つまり,今まで,私たち教師は,子どもは,「教師が」手立てを講じないと,「主体的に学ぶ」ことはないと考えてはいなかったか,ということ。何か,教師が,子どもの興味を引きつけるような手立てを準備し,その手立てにのって,子どもたちが「楽しそうに」「熱中して」学べば,それがよい手立て,有効な手立て,として「成果」とされるみたいな感じ。要するに,主体的に学ぶ子どもの姿,は教師が望み,その姿を見たがっている,とは言い過ぎか?

     しかし,考えてみると「主体的に学ぶ」ようになって,利益を受けるのはおそらく,学ぶ主体者である子ども自身。だから,本来,教師が何ら,特別なことをしなくても,子ども自身が派手さはなくとも粛々と学び続ける姿が,本当の「主体的に学ぶ」であるはずだ。教師がいてもいなくても,明日も,明後日も,1ヶ月後も来年も。卒業しても,社会人になっても。求めていることは,今この授業での「主体的に学ぶ」ように見える姿ではない。

     主体的,というと真っ先に思い浮かぶことは「遊ぶこと」である。本当の遊びは,常に主体的である。ところが,学校ではしばしば,「遊ぶ」は「学ぶ(勉強する)」と相対するものとしてとらえられがちである。

    「遊んでいないで,勉強しなさい。」

    「何,遊んでいるの!」

    なんていう風によく使われる。そういうとらえ方で言うと,「主体的に学ぶ」なんて本来,あり得ない!?だから,「主体的に学ぶ」を実現しようとしたら,「学ぶ」ことと「遊ぶ」ことを同一線上に,「私たち教師が」とらえ直せることが必要になってくるはずである。子どもは,遊びも勉強も,それが「楽しければ」区別したりはしないだろう。

     「遊び」の要素を「勉強」に,なのだと思う。遊びの第一の要素は何だろう。やりたいことを,やりたい仲間と,やりたいときに,やりたいように?

    これを,勉強に取り入れる,なんて言い出すと,やっぱり

    「お前,頭がおかしいのか?」

    と言われるかな?

     つらつらと,考えたことを,とりあえずメモ。

    2012-07-09「ばか」事件

     4時間目,6年生での授業研究会に参加して,教室に戻りました。すると,子どもたちは,もう給食の配膳を始めていました。

    「お~,いいね,いいね~」

    なんて言いながら,気分も良くしていると…

    「先生,こんなく,書かれてた…」

    と,Aちゃんが教科書を出して来ました。見ると,教科書のAちゃんの名前が書かれていた後に「ばか」と。

     私の気分は,急降下,ジェットコースター並み。がっかり,というよりも,どっちかというと血圧上昇…(これが悪い癖)

     これはただ事じゃない!ここを何とかせねば!なんていう思いだけが先走り(これがだめなんだけどね…)

    「ちょっと,みんな座りなさい!」(配膳中なんだけど…,まだAちゃんに詳しく聞いてないんだけど…)

    「これが,どういうことか分かりますか?」

    「何か事情があったのいかもしれません。でもこういうやり方は許せません。」

    「書いた人は,誰ですか!」

    (わ,いきなりトップギア…おいおい,それじゃあ,だれも言えないよ…)

    「誰もいないんですね。そんなわけはありませんね!クラスとって大問題です。このままでは,だれも安心してこのクラスで勉強できません!」

    (わわわ…,どんどん上りつめている…)

    「だれも,自分から言えないのなら,仕方がありません。でも,このままにしておくこともできません。児童会の会議にかけるか,職員会議にかけるか,ですね。場合によっては保護者会です。」

    (わ,そんなこと言ってるよ,おいおい,それは暴走だ,だれか止めて~)

    重苦しい教室…。少し冷静になって,暴走しかけている自分に気付き,そして今はまさに配膳中であることを思い出して,

    「まあ,今,この場で言いに来なさい,なんて無理かもね。まずはご飯にしよう。書いてしまった人は,お昼休みかもしくは返りまでに来てくれることを願っています。」

    と,一時停止。

    (うんうん,それがいい,ちょっと頭を冷やして!)


     しかし,いただきます,をしても,なんか悶々として気分が晴れません。それは私。子どもたちは,というと,いつもとあんまり変わらない状態で。わいわい食べています,それを見るにつけ,そんなんで良いのか?気にならないのか?と思うものの,子どもたちはそんな調子。

    「これは,徹底的にやらねば,5時間目は話し合いだ…」

    なんて思っていたのです。

     早く給食を食べ終わった子が2,3人,食器を下げて私の近辺にふら~とやってきました。なんとなくむっとしている私。お構いなしに近づくその子たち。

    「ねえ…」

    (おいおい,今度は何を言い出すのか!?)

    「どうだと,書いてしまった子は言いやすいかな?さっきの調子じゃ,自分からは言えないよね…」

    B君「う~ん,そうだよねえ。ゆるすってのが分かればいいんじゃない?」

    B君「もしかしたら,書いた人も,まえAちゃんに書かれたのかもしれないし…」

    Cちゃん「あんまり考えないでかいたかもしれないし。」

    「ふ~ん,なるほどねえ。」

    やっと,少し冷静になった私。

    「うん,書いた人もなんか事情があったのかもしれないね。そうじゃなくても,あんまり何も考えずに書いたりとか。とにかく書いたことは良くないけど,大事なことはこれからはしないと言うことだよね。うん,とにかく,しかるとかじゃなくて話を聞くってことだね。そして,責めない。だから今度気をつけてね,ってことだね。」

     そして,昼休み。クールダウンに成功したわたしは,数人の子を読んで話を聞いたのでありました。そしたら,一人の子が

    「私が書いた。」

    と言ってくれました。なんのことはない,その子はいつもAちゃんと仲良しでいつも遊んでいるDちゃん。よく自分で言ってくれました。理由も,自分でもよく分からなさそう。強いて言えば“何となく…”ふざけ半分,ということなのでしょうか?

     

     とりあえず,解決したあとの教室は,活気がでました。よかったよかった。Aちゃんのジャーナル。

    ○(前略)生活の教科書にばかって書いてて,Dちゃんが書いたってゆるすからいいもん。

     (後略)

     あ~,今回は私がヒートアップしなくてよかった,よかった。あぶないあぶない。あの勢いじゃあ。下手すれば

    「今日は給食抜きで話し合いだ~!」

    とか

    「5時間目は徹底的に話し合いだ~」

    とかなってしまったら,たいへんだった。

     今回のポイントは,いつもと同じように給食を食べている子どもたちの様子から

    「あんまり,深刻な要素はなさそう…」

    と気付けたことかな。セーフ!

     

    2012-07-08厳しさ

    先日,仲間と飲みながらのこと。

    中学校勤務から,今年度また小学校に戻ってきたK氏。

    「厳しさって何ですかねえ?」

    ということから始まった会話。

    ・妥協しないということ

    ・求め続けるということ

    ・言い続けること

    ・しつこさ

    それが,ある意味,見捨てないってことなのかもしれないですね。

    決して,「怖さ」?じゃあない。

    そういう意味で「厳しさ」を保つのも,相当な辛抱強さが必要になりますね。これが,じぶんには足らないところなんだよなあ。自覚はあるんだ…。

    2012-07-05不安定じゃダメ

     世の中,思い通りになんて,そもそもいかないもの。思い通りに行くと思うから,そうじゃないとイライラするわけで。

     はじめから,すんなりいくわけないじゃん,思い通りにいかなくて当たり前,そう思っていると,(思うように心がけると)多少ことではイラッとしない(笑)。ま,そうだろうな~というかんじで。

     というのも,きのうは,ちょっと自分でも不安定だったので

    (いかんな~)

    と反省し,今日は

    (とにかく,安定して1日をすごそう!)

    と心がけたのでした。

     まずまず,成功!

    2012-07-04短冊

    もうすぐ七夕。

     児童会から,クラスに

    「短冊を書いて!」

    という依頼が来ました。七夕集会の七夕飾りに使うのです。

     子どもたちが,短冊を書いているのをちょっと見ながら,

    「ねえねえ,お願いだけしたって,神様はきいてくれないんじゃないの?お願いだけの短冊がやまほどあっても,神様は『はい,それじゃあ!』なんて気前よくはかなえてくれないな~,たぶん。」

    「自分で何にも努力しないんじゃ,願いは叶わないでしょ,だから,○○するので,とか自分が努力することも書いた方がいいんじゃない?」

    と,余計な?一言。

     子どもたちは,

    「う~ん…。」

    と考え考え…。

    「勉強するので,アイスクリーム屋にしてください!」

    「がんばって練習するので,野球選手にしてください!」

    とか。なかには

    「いうこと聞くので,デザイナーになれますように。」

    とか(笑)

     「先生には,見せないんだ~」

    と言って,友達の短冊の下に隠して出そうとする子。

    「何?見せてよ~」

    と言ってみたら,

    「ないしょね!」

    と。

     どらどら?と見てみたら

    「がんばりますので,○○くんとけっこんできますように。」

    だって。

     おいおい(苦笑)

    まさに七夕!?

    2012-07-03「ファンレター」

    子どもたちが,友達に書くコメントってこんなにいいものかと感じました。一応「綴り方教師」を目指していた私なんかよりも,よっぽど「著者」に寄り添っているなあ,と思います。

     お母さん方のコメントもとってもすてきでした。

    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

    【通信40より】


    先日の学習参観(学習“参加”)で,子どもたちや保護者の方々が,一人一人の作文の「著者」に書いてくださったコメントをじっくり読ませていただました。

    どのコメントも,教師の私が子どもたちに書く以上に温かく,「著者」によりそったものでした。これは,まさに「ファンレター」。子どもたちは,きっとこれらのコメントを受け取りながら,きっととっても嬉しかったんじゃないかな~と思いました。

     多くのお母さん方も,自分のお子さん以外にもとってもすてきなコメントを書いてくださいました。ありがとうございます。

     子どもたちは,1日の多くの時間を学校で,クラスで過ごします。その空間が,居心地がよく安心して過ごせ,友だち同士(競争,ではなく)“切磋琢磨”すればするほど,子どもの様々な能力は引き出され,よりよく生きていく力になることでしょう。

     今回のように,クラスの子どもたち,学校の子どもたちにちょっと声をかけていただき,そのがんばりやよさを伝えてくださることで,新しいつながりがうまれ,それはクラスにとってプラスになります。

     今後とも,保護者の皆様には最強のサポーターとして,クラスを共に支えていただけると助かります,この度はありがとうございました。

    2012-07-02

    アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)

    アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)

    振替休日の今日,じっくり再読。

    「共同体感覚」かあ。

    納得できる。

    2012-07-01メインストリーム

    最近,やっとこさ,学習の中のメインストリーム?について意識するようになりました。これは,おそらく,大きくいうと「文化」ということなのかもしれません。

     昨日は学習参観でした。学習参観は2時間目でした。1時間目は,時刻と時間について,テストプリントを使いながらみんなで学習をしていました。

     この時刻と時間については,「そんなのもう簡単!」と思っている子もいれば,まだ,時計が正しく読めないで学習中,という子もいます。

     テストプリントが早くできて,まだ苦戦してる子にサポートに入る子もいます。自分の学習でドリルや漢字を始める子もいます。

     しかし,なんとなく空気がガチャガチャしてきました。

    「ちょっと,ストップ。今の集中は何店くらい?かなりダメダメだよね。なんでか分かる?『時計の勉強がぼくは,私はよく分かる』って思っている人が,気を抜いて,だらだらな空気を出しているんだね。例えば,会社で社長がだらだらしていて,いい会社になる?プロ野球チームで監督がだらだらやっていて勝てる?一流選手が適当なプレーしていて勝てる?クラスで先生がてきとうやっていて,みんなががんばれる?それと同じことじゃないかな。勉強の時は勉強が得意な人が今やれることを一生懸命やって手本を示す,運動が得意な人は,運動の時に一生懸命やって手本を示す,遊びの時には遊び,挨拶では挨拶が得意な人が,何でもそう。今みたいに手本を示さなくちゃいけない人がゆるむとこうなるの!今,自分がすることは何かな?クラスのために出来ることは何かな?そこを考えて行動しなさい。」

     ちょっと,きつめに言いました。言い終わってから,

    (あ,おそらく次の学習参観に早めに来て廊下で待っている保護者には聞こえたかな?)

    と思いましたが,それも,またよし,です。

     学習や活動のよりよいメインストリームを,子どもたち自身が安定的に維持すること,いい状態を維持した方が楽しいこと,いい状態を保とうと意識すること,自分がリーダーシップをとるべきメインストリームを子ども自身がつかむこと,そんなことが出来るようになると,また一歩クラスが成長できるなあ,と思い描いています。

     多くの『学び合い』の先輩方からの言葉や行動から学ばせていただいています。