次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2011-06-12ありがとうございました

    震災から3か月。

     今日は,私が15年近くお世話になっている,本当に本当に大事な先輩教師,Y先生の葬儀でした。3月11日の津波の被害にあいました。

     その学校は,私の勤務校の隣の学校です。その学校が,そんな津波に襲われているなんて,まさにその時には考えもしませんでした。校庭に子どもたちを避難させた私たちは,程なくして「大津波警報発令」の防災無線をきいたのですが,よもやあの学校に津波が来るなんて,予想すらしていませんでした。

     その先輩は,本当に尊敬すべき先輩でした。その先生が起ち上げたこの石巻の教育研究サークルにわたしも誘って頂いて,その後,一緒に事務局までもやらせていただいていました。月に一回の例会も,すでに250回を越えています。私はそのサークルの仲間と一緒に,今日は葬儀の受付をさせていただいたので,会場の中には入らず,受付の席で,遠く遺影を眺めていました。弔辞を聴きながら,涙をこらえることが出来ませんでした。「教師は子どもの前に立ってこそ教師なんだ」という信念を貫かれた先生です。その上,学校作りは教師一人一人が主体的に参画すること,職員みんなで納得と合意のもとで進めていくことを大事にされてきました。Y先生から学んだことは,今の私のベースになっています。

     クラスの子どもたちを救うことが出来なかったことを,本当に本当に無念に思っているに違いありません。Y先生のことですから,きっと最後まで何とかしようと,奮闘されたことでしょう。本当に残念でなりません。

     私は実は,前任校を転出する際に,異動先として希望したのは,その津波被害にあった小学校でした。Y先生と同じ学校で勤務して,もっともっと学び取りたい,と思ったからです。しかし,その時は,希望が叶わず,隣の学校の現任校となったといういきさつもあります。私も,今,こうして生きているのも,生かされているということなんだと思います。

     悲しい,残念,はらが立つ,力が抜ける…,どれも当てはまりそうで,どれも当てはまらないような気がします。ぴったりする言葉がありません。

     でも,受付の席にいながら,ぼ~と遺影や入口付近に飾ってあった写真や中から聞こえてくる5人の方々の弔辞の言葉を聴きながら,やっぱり「ありがとうございました」しかないよ,と思いました。

     今の自分があるのも,Y先生のおかげです。Y先生のおかげで「今の自分じゃだめだ」と思ったし,学ぶってどういうことかも教わりました。この研究サークルを出発点に,県内外の多くの方とも繋がれました。だから,やっぱり「ありがとうございました」なんだと思います。

     いっしょにすごさせて頂いたこと,本当に感謝します。そして,Y先生がずっと目指してきた,「いい学校をみんなでつくる」ことを大切に,この石巻の学校を,みんなの力で,震災前よりももっとよくすること,そこに力を注がなくてはなりません。そうです。「みんな」の力で,です。

     今の小学生は,まさにこれからの宮城県石巻市を支える人たちです。その人たちの成長に携われることのありがたさと責任を痛感します。

     がんばるぞ~。