次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2011-01-23福島の会に参加して・あれこれ

     昨日は,宮城のN先生といっしょに福島の会に参加させていただきました。

     「学校観」「子ども観」「授業観」についておしゃべり。

    人によって細かな部分に相違はあるかもしれませんが,「学校観」や「子ども観」については,今までの経験上,多くの部分同意してもらえる部分だと思います。「「授業観」については,様々な意見が一般的にはあるでしょう。

     だから,「結果を出さねば」となります。その場合の結果とはなにか。テストの点か。それがもっとも分かりやすい。なぜなら,今の多くの大人は程度の差こそあれ,テストの点で学力を測られてきた経験があるからだと思うし,そういうものだと思っているからじゃないかな。入試も実際,テストだし。だから,テスト点がとれない,という状態では今までの授業に対する考え方とは違う「授業観」は受け入れられづらい,ということなんだろう。

     でも,実際に一緒に学んでいる子どもたちの声を聴くと,その「授業観」はほとんど受け入れられている。もちろん,私が未熟で「方法」の拘って子どもから指摘を受けたことはあるけれど,それは私自身の問題である。

     教育とか,授業の結果にテスト点も含むことはその通りだし,それを否定もしないし,テスト点がどうでもいいとは思っていません。結果をだすことの意味の一つにテスト点があることも,そうだろうな,と思います。

     自分の身の周りのすてきな人や幸せそうに生活している人,社会や地域で信頼され活躍している人は,それほどテスト点に代表されるような学歴とはそんなに関係ないように見えるし(少なくとも必須ではない),実際様々な機会に見聞きする著名人の言葉にもそれは出てきます。

     そもそも,教育とか授業の結果は曖昧なんだと思います。それを認めることから始まらないと,結局分かりやすいテスト点が一番重要視されるようになってしまう気がします。だれのために?自分への説明のために。いわゆる今の「普通の」授業ではないことへの説明。

     『学び合い』は,教えない授業,ではないと思います。必要があったらもちろん教えます。「こうしてみたら?」といいます。子どもが「先生,ここ,教えて!」ときたら教えます。教師が1時間の授業で,全員をコントロールしようとしようとしない(見てはいるけど)だけだと思います。そういう部分で言えば,たぶん,「受け入れる」「受け入れない」という部分での意見の食い違いは,生まれてこないだろうなあと思います。

     話があっちこっちいきますが,じゃあ結果って?私の中では,昨日furu-tさんも言っていたけど「あきらめないで学び続けられる心,気持ち」を育てることだと思います。その中に「テスト点」も含まれるけど,それが目的ではないこと。今,苦手な子も,自分に自信を失わずに学び続けられること。学校にきていることでかえって自信を失わせることのないように。そのための評価をしたいなあ。心,気持ち,となるとやっぱり曖昧。でも,そもそも曖昧なものなんだから仕方がないと思います。人間のことなんだから。

     昨日の話の中に,壁を取っ払う,という話もでました。私の思っていたことは,学校の子どもたち,保護者,教員,みんなで,体育館に集まって年間何回か学校づくり,授業作りについてゴチャゴチャと話す時間を作ること。それを「PTA総会」とすること。学級懇談でなく,学校懇談にすること。

    それを継続して続ける…。子ども,親,教員をすべて取り込んだ「チーム○小」。「どんな学校だったらいい?」「この学校のいいところは?」「もっと学校を楽しい場にするには,何ができる?,何したい?」そうすれば,いろんな意見を包み込んだ,みんなにとっていい学校になるんじゃないかなあ。妄想。でも,たぶん,簡単にできるはず。壁をなくせばいいだけ。みんなと考えればいいだけ。学校評価アンケートなんかよりも,何倍も実効性のある,「学校評価」ができると思うんだけどなあ。

     昨日の会に参加して,ぐるぐる考えたことを,好き勝手につぶやいたので,文としてはぐちゃぐちゃですね。