次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2011-01-31部活

     この間,中学校の若いK先生と話し込んだ。

     そのK先生,小学校から昨年4月,中学校へと異動となった。今までも何度か話してきたが,そのたびに,中学校と小学校の違いを伺う。

     この間は,4時間はなした中の一つは部活のこと。よくも悪くも中学校は「部活」中心,(な面もある。)とのこと。

    分かる気もするけど,なんで?と聞いて見たら

    ・部活は集団(チーム)でやっている。

    ・目標がある程度共通。

    ・先輩の姿,活躍から目標達成のイメージが持ちやすい。

    ・自分の可能性を信じられる。

    往々にして,クラスより「集団」としてのまとまりを構成しやすいし,だから?感動も深いものがある。教師も,集団をまとめ上げるというやりがいを感じられるため,部活にのめり込みやすい…面もある,らしい。

     その反面,弊害と思われることもあるようだけど。

    2011-01-30わかり合おうとする姿勢

     昨日は教育研究集会が仙台であり,参加して来ました。一つの目玉として,大阪大学大学院教授 小野田正利先生の講演がありました。

     演題は「保護者との関係作りに悩む教職員の皆さんへ~「モンスターペアレント」論を超えて~」というもの。

     小野田先生,とにかく「ここを難波花月と思ってね!!!!」というくらい,エンターティナ-性抜群でびっくりしました。ど派手な上着,そして

    「顔は車団吉,語る調子は綾小路きみまろ」というぐらいの!!とにかく2時間ほど,まったく飽きることなく参加者を引き付けていらっしゃいました。

     内容的にも,実は学ぶことがたくさん。いろいろあったけど私の心に残ったことをあげるとすると 

    ①「モンスター」ではない。モンスターと呼ぶな,ということ。

    私が今まで勤務校した学校では,そう感じたことはないのだけど,新聞やテレビの報道なんかでは,この「モンスターペアレント」なる言葉が出てくることがあります。

     少なくとも,どういう事情であれ,人を「モンスター」呼ばわりしては底から先の対話の糸口がたたれます。意見の食い違いが起こったときに「あなたが悪ぃ」「いやそっちが悪ぃ」では物事うまく進みませんもんね。

    ②職場に白い丸いテーブルを!

    もちろん白でなくても、丸くなくてもいいのですが。ようは職場の中にゆったりお互いに雑談できる場と時間を,ということです。今,多くの学校で精神的に追い込まれて病気休職したりする方も増えてきています。職場の中に良好な関係が気付かれていれば,防げる場合もあったことでしょう。

     クラスでも職場でも,どこでも,ほんのちょっと相手の立場や思いを分かろうとする気持ち,姿勢さえあればそれでいいのだと思います。そうできないときは,きっと自分や自分たちに余裕がないのでしょう。そのことが認識できれば改善はできるのだろう,と。

     M県が打ち出している「志教育」。実現するには,県内の「全ての学校に『白い丸いテーブル』」だけ(本当に,“だけ”)でいいと思っています。

    「いや,そんな時間がない」というのなら,優先順位を上げればいい。

     講演のあと,中学校の先生の「超多忙な実態」を聴いて,余計そう思いました。

    2011-01-29ケンカさわぎ

    昨日,久々にクラスでケンカ騒ぎ。

    5時間目にクラスに入ると子どもたちが集まって,なにやら話し合っている。口げんかから,発展し,たたいたけったまで言ってしまったらしい。

    何人かの子どもたちが間に入り,事実確認と仲裁。

    「○○っていわれて,怒ったの?」「それでどうしたの?」

    「そういわれたら,口で言い返せばいいんじゃない?」

    「○君が悪ぃと思うのはどこ?●君の方はどう?」

    お互いの言い分をちゃんと確かめながらするもんだなあ。 

    2011-01-26なぜ学ぶのか

     昨日の「志教育」の話から。

     「学ぶ意味,目的を子どもたちに伝えてほしい」「学ぶことと生きることの意味をつなげてほしい」「学ぶことも含め,自己と社会との関わりを意識させてほしい」この願いが志教育ベースにあるととらえた。

     

     「かけ算できなくても電卓があるし」確かにそうだ。

     「漢字が書けなくても,メールでは困らないし」確かにそうかも。

     「逆上がりできなくても,困らん」その通り。

     じゃあ,なぜ学ぶのか,ということ。「知っている,知識がある」「~ができる」というレベルでは,この願いには届かないだろう。「なぜ学ぶのか」という問いに,自分自身が明確な応えを持てているか。

     なぜ学ぶのか?「楽しいから」と応えたい。楽しく無ければ,だれも進んでしたいとは思わないから。人間は「快」の方向に動くのが自然だから。ただ,この「楽しい」とはつまり何なのか,だ。

     達成感?自己肯定感?人とのかかわり?

     「なぜ,学ぶのか」の私の今のところの応えは…

    「人の役に立てるから」

    かな。

     ここまで考えてK先生の書いていたことを思い出した。

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/F-Katagiri/20110117

    2011-01-25「志教育」

     県では,教育振興基本計画を受けて「志教育」という取り組みを始める。

    今日は,地区の各校の研究主任が集まり,その概要の説明を受けた。

     時間がないので,今日は詳しくは書かないけれど,

    ・社会に出て生きてはたらく力,人づくり

    ・そのために,学校教育の中で「自己肯定感」を育ててほしい。

    ・学ぶことと生きることのつながり,なぜ学ぶのかを伝えてほしい。

    というようなこと。

     言葉にすれば簡単だけど,実現するのはけっこう覚悟がいるはず。

    「今までやってることでいいのです。新しいことを始めると思わなくてよい」

    とはお話される。

     では何を変えるのか?「学力」をどう捉え直すのか?

     そこを質問したのだが。

     何も変えなければ,おそらく絵に描いた餅。何かを変えなければ,きっと何も変わらない。変えるとすれば,多分,いや,きっと「考え方」。

     だんだん,方法でなく考え方の部分で,多くの人と対話できる素地ができつつあると捉えたい。

    2011-01-24ポートボール始まります

    今日からポートボールの学習がスタート。

    目標は

    ①みんながポートボールのゲームを楽しめるようにする。(ルール,協力,安心・安全)

    ②パスを出す,受ける,シュートができる。

    ③パスがもらえるところに動ける。

    の3つで,まず始めました。

     子どもたちはまずはボールを持って,それぞれパスの練習などを始めましたが,ちょっとしてから,

    「ねえねえ,パスをして,相手がうまくとれなかったら,どちらが悪ぃと思う?」

    「・・・パスしたほう?」

    「そうだね。そう考えた方がいいかもね。パスは,味方にボールを渡すためにするんだよね。だから,味方がとりやすようにパスを出してあげないとね。だれにパスを出すかでも,パスの仕方は変わってくるよね。大事なのは思いやり。それがないと,パスも成功しないよね。」

    「パスは『お願い』とか『頼んだよ』ってこと。お互いの信頼の印。」

     子どもたちにはそういっただけで,とってもやさしいパスになりました。その前には,ちょこちょこ見られた

    (ドッチボールか??)

    みたいなパス?もなくなりました。よかった。

     そうしていると,声をかけてパスを出し合うグループや,動きながらのパスを出すグループも。

    「いいね,いいね,どこがいいか分かるかな~」

    なんて言いながら,体育館を子どもたちに声をかけながら歩いていました。

     アイコンタクトでビビッとコミュニケーションをとって,思い通りにシュートが決まる,そしてハイタッチ。そんな風になるといいなあ。

    2011-01-23福島の会に参加して・あれこれ

     昨日は,宮城のN先生といっしょに福島の会に参加させていただきました。

     「学校観」「子ども観」「授業観」についておしゃべり。

    人によって細かな部分に相違はあるかもしれませんが,「学校観」や「子ども観」については,今までの経験上,多くの部分同意してもらえる部分だと思います。「「授業観」については,様々な意見が一般的にはあるでしょう。

     だから,「結果を出さねば」となります。その場合の結果とはなにか。テストの点か。それがもっとも分かりやすい。なぜなら,今の多くの大人は程度の差こそあれ,テストの点で学力を測られてきた経験があるからだと思うし,そういうものだと思っているからじゃないかな。入試も実際,テストだし。だから,テスト点がとれない,という状態では今までの授業に対する考え方とは違う「授業観」は受け入れられづらい,ということなんだろう。

     でも,実際に一緒に学んでいる子どもたちの声を聴くと,その「授業観」はほとんど受け入れられている。もちろん,私が未熟で「方法」の拘って子どもから指摘を受けたことはあるけれど,それは私自身の問題である。

     教育とか,授業の結果にテスト点も含むことはその通りだし,それを否定もしないし,テスト点がどうでもいいとは思っていません。結果をだすことの意味の一つにテスト点があることも,そうだろうな,と思います。

     自分の身の周りのすてきな人や幸せそうに生活している人,社会や地域で信頼され活躍している人は,それほどテスト点に代表されるような学歴とはそんなに関係ないように見えるし(少なくとも必須ではない),実際様々な機会に見聞きする著名人の言葉にもそれは出てきます。

     そもそも,教育とか授業の結果は曖昧なんだと思います。それを認めることから始まらないと,結局分かりやすいテスト点が一番重要視されるようになってしまう気がします。だれのために?自分への説明のために。いわゆる今の「普通の」授業ではないことへの説明。

     『学び合い』は,教えない授業,ではないと思います。必要があったらもちろん教えます。「こうしてみたら?」といいます。子どもが「先生,ここ,教えて!」ときたら教えます。教師が1時間の授業で,全員をコントロールしようとしようとしない(見てはいるけど)だけだと思います。そういう部分で言えば,たぶん,「受け入れる」「受け入れない」という部分での意見の食い違いは,生まれてこないだろうなあと思います。

     話があっちこっちいきますが,じゃあ結果って?私の中では,昨日furu-tさんも言っていたけど「あきらめないで学び続けられる心,気持ち」を育てることだと思います。その中に「テスト点」も含まれるけど,それが目的ではないこと。今,苦手な子も,自分に自信を失わずに学び続けられること。学校にきていることでかえって自信を失わせることのないように。そのための評価をしたいなあ。心,気持ち,となるとやっぱり曖昧。でも,そもそも曖昧なものなんだから仕方がないと思います。人間のことなんだから。

     昨日の話の中に,壁を取っ払う,という話もでました。私の思っていたことは,学校の子どもたち,保護者,教員,みんなで,体育館に集まって年間何回か学校づくり,授業作りについてゴチャゴチャと話す時間を作ること。それを「PTA総会」とすること。学級懇談でなく,学校懇談にすること。

    それを継続して続ける…。子ども,親,教員をすべて取り込んだ「チーム○小」。「どんな学校だったらいい?」「この学校のいいところは?」「もっと学校を楽しい場にするには,何ができる?,何したい?」そうすれば,いろんな意見を包み込んだ,みんなにとっていい学校になるんじゃないかなあ。妄想。でも,たぶん,簡単にできるはず。壁をなくせばいいだけ。みんなと考えればいいだけ。学校評価アンケートなんかよりも,何倍も実効性のある,「学校評価」ができると思うんだけどなあ。

     昨日の会に参加して,ぐるぐる考えたことを,好き勝手につぶやいたので,文としてはぐちゃぐちゃですね。

    2011-01-19ピンチは…

     今週は,地区の中学校に1週間研修のために出張に行かれている先生がいます。ですから,その学級は1週間担任不在となります。なので,残った教員や7年部で,補完し合いながらの1週間です。そんな中で,ご不幸のあった先生がいらっしゃって,その学級も,しばらく担任が不在となります。つまり,昨日は6学年中2学年で担任不在。そして今日は,もう一つの学年でも出張が入り,担任不在。つまり,6学年中3学年が担任不在となりました。学校としては「ピンチ」です。

     こんななか,校長先生も教頭先生も,教務主任も,養護の先生も授業に入ります。場合によっては,学年部でも合同体育をしながら,一人の教員は,補欠授業へと,ということも。

     たしかに,大変といえば大変なんですが,

    「うわ~,大変だ~」

    と言っている教頭先生も(そもそも中学校の体育の先生),見ていると何か楽しそうです。

    「明日の社会,どうすっぺ~。緯度と経度なんてどうやって教えるんだ?」

    「図工?どうしたらいいと思う?」

    とか,いってはいても,そんなにいやそうではないし,むしろうれしそう。

    「教頭先生,そうはいっても楽しそうですよ~(笑)」

    なんて言うと

    「んだなあ,やっぱり,大変だけど,充実感は全然ちがうなあ。今日なんか5年生にいったり,2年生にいったり,だろ?そして今週ずっとこんな感じだから,昨日はこうだったから,今日はこうするかな~,なんてかんがえるわけだよね。やっぱり,職員室で,はんこ押したり書類つくったりするより楽しいよな~」

    と。

     学校としては,ピンチの1週間ですが,職員室はなんだか,活気があります。笑顔や笑い声,おしゃべりがたくさんです。子どもたちの活躍や出来事であっちこっちで盛り上がっています。

     ピンチはチャンス。学校としては,もう一段レベルアップしたようなきがします。今後につながるように,今週の出来事や思いを,「校内研究」の場でも話題にしながら,意味づけして行かなくちゃ,と思いました。

    2011-01-17事後検討会でした

     今日は,先週の金曜日に行われた授業研究会の事後検討会でした。

     テーブル毎に3~4人ずつ座って,

    ・生き生きと学んでいた子どもの姿を具体的に

    ・そのような姿が見られた背景はなんだろう?

     この2つについて,自由におしゃべりをするだけのもの。

     私は一応研究主任なので,みなさんのおしゃべりを聞きながらホワイトボードに書き込んでいくだけ。

    「生き生きと学ぶ子どもの育成」というテーマで,一人一人が自由な実践をするので,授業研究も教科はいろいろです。手立ても,授業者のテーマによって違います。そんな感じで続けてきて,クラス作り(環境)と学習指導は切っても切れない,というのが学校のスタンダードになってきました。(まあ,当たり前なんですが)だから,今日みたいな場でも,授業を観る視点に「子ども同士の協力・人間関係」「笑顔・笑い」「安心感」「自己肯定観・自己実現」なんていうのが主流です。

     そして,何より,参加しているみんなが,リラックスして笑顔で話しています。

     「校内研究の話し合いの時間が楽しい!」

    と言ってくれる方もいます。嬉しいです。

    2011-01-14パス

     昼休みには,いろんな学年の子たちがごっちゃになってサッカーをしている。我が3年生の元気印も何人もその中に交ざり,高学年にもまれている。そしてその集団の中には,教頭先生もほとんど毎日参加し,子どもたちと関わってくださっている。

     放課後の雑談のなかで

    「いやあ,○先生,あの3年生たち,すごいなあ」

    と教頭先生がおっしゃるので,

    「え?どういうことですか?」

    と尋ねてみると

    「彼ら,仲間を見て,パスを回すんだよ。意識的に。高学年にもうまい子たちはいるよ。でもさ,ほとんどは,自分でボールをもったら,自分で持ち込もうとするのさ。シュートしたいからね。休み時間のサッカーなんて,そんな感じだと思っていたのさ。ところが3年生の彼ら,違うんだよね~。なんていうか,仲間を見てるんだよ。へいこっち,とかパス!とかいいながら。なんかちがうんだよね。」

    と。

     別に『学び合い』やっているから,なんて思っている訳じゃあないけど,子どもたちがお互いの存在を感じながら,こういう場面でも楽しんでいることを知ると,それも教頭先生から知らせてもらうなんて,やっぱり素直に嬉しく思うのである。

    2011-01-13「怒らない」宣言

     始業式に,子どもたちに「怒らない」宣言をしました。してしまいました。(怒ってしまったときのために,「もし,もし,怒ってしまったら,ストップストップってだれか言ってね~」とは言っておきましたが。)

     (やっぱり,怒るってダメだよな~,怒って話しても,なんにも伝わらんし,結局,なんの成果もないことが多いし…。笑顔とか安心とかとは,ほど遠いし…。)

     なんて思っていたところに,見つけた本がこれ。

    怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

    怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

     自分が正しい,と思うから怒るわけであって,そこには,他者を受け入れようとする気持ちがないなあ,と。その通りだ。自分が正しいとか,自分がエライとか,逆に自分はダメなやつ,とかそんなことから,脱することができれば,怒りという感情からは距離をとれると…。

     う~ん,修行だ。とはおもったけど,

    ・怒りというものは,まず,自分自身を壊してしまう

    ・怒る人ほど頭が悪い,という真理。

    う~ん,自己を振り返って反省。(あ~,今までクラスでも,ずいぶん怒ってしまったなあ…,会議でもやり合ってしまったことあったなあ…。それで事態がうまくいった試しは,ないもんなあ…)

    と。

     ということもあって,「怒らない」宣言。今まで,保っています。だから,けっこう気分良く新学期を過ごしています。ほとんど「修行」みたいなもんなんで,そんな甘いもんじゃないんですけど,「怒らない」と宣言することで,怒りそうになったら,

    (お,怒ってきたぞ~,何が原因かな~)

    と自分を客観的に見られる機会は確実に増えることでしょう。それに,きっっと,子どもたちが「すと~っぷ!」と言ってくれるでしょう!!

     

    2011-01-10今年は…

    先日は,福島のnao-takaさんとnao-takaさんの同僚のS先生,仙台の(宮城の会にも2回来てくれている方。私の新任時の同期の同僚)I先生と一緒に仙台駅前で飲みました。楽しかったです!

     仙台に出て行って飲むなんて,今までほとんどありませんでした。なんでそんな気分になったかというと,以前furu-tさんが,

    「やっぱり,顔をつきあわせて…」

    のようなことを書いていて

    「そうだよな~」

    と思ったのがきっかけです。つながりたい人には,直接行動を起こして,つながる努力をしたほうがいいなあ,と感じたからです。だから,このことも,そもそも?N先生ととんたんさんのやりとりがルーツ,といえなくもないわけで。(すみません)

     今回,お会いして,nao-takaさんやS先生の人となりも感じることができましたし,もしよかったら,今後も様々な場面で学ばせていただきたい方々&力を貸していただきたい方々です。そしてI先生は,すっかり宮城の会のメンバーとして定着!(と,決めつける)南東北としての前進につなげたいです。(おおげさ)

     3学期は,自分のやるべきことをきちんと精一杯やること,目の前の人や仲間,集団の役に立てるようにすること,よいと思うことはまず行動してみること,そんなことを自分に課していきたいなあと思います。そうすれば,きっと物事はうまく回転していくように思います。ようは,自分の心のありようなんだな,と。

     年末から年始にかけて,いろんな方から嬉しいお声がけ,その他を頂くことがあり,本当にありがたいなあと思うと同時に,自分もできることで何かお返しをしたいし,いろんな方にちょっとでも役に立てるような,そんな1年にしていきたいなあ,とあらためて思いました。

     明日から3学期です。子どもたちに出会うのが楽しみです。

    2011-01-04あけましておめでとうございます

     あけましておめでとうございます。新しい年が始まりました。今年もよろしくお願いします。

     私も1年1年,ちょっとずつではあっても進化しているだろうから(たぶん…)今年はどんな進化ができるか楽しみです。

     その進化も,いろんな方々と話したり仕事をしたり,ときにはぶつかったりしながら,自然と学ばせて頂いているわけです。自分だけで何とかなるもんじゃないってことに気付かされます。

     ○自分の方向性は見定めながらも,謙虚に。

     ○良いと思ったことはまず動いてみる,やってみる。

     ○だれかの役に立つことを考える。

    そんなことを考えて今年のスタートを切りたいなあと思っています。

    そして,クラスのこと,学校がよりよくなることに関して,全職員がさらにつながれるように,保護者同士や地域で,地域の学校間でもつながれるような体制について考えたいなあと思います。学校にかかわる多くの人たちの力を「ちょっとずつ」かりながら,無理なくできることで。続けられることで。

     私自身,いろんな方々から今年も学ばせていただきたいなあと思います。そのために大事なことを心にしかり留めたいと思います。

     前任校のクラスの子が

    「このページ見てるんだよ~」

    と年賀状に書いてくれました。ありがたいことです。いろんな方々に影ながら支えてもらっていることを感じます。ありがたいことです。

     有○さん,今年は卒業ですね!すてきな3学期をクラスの仲間と創ってくださいね!