次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2010-12-30「学習強要 低学年は逆効果」

    「学習強要 低学年は逆効果」~中学生以降は好影響~

    こういう見出しで,先日地元の新聞に記事が載りました。仙台市教委と東北大学で学習意欲の科学的研究に関するプロジェクト委員会をつくっています。記事によると

    ■「委員会は,勉強の強要や詰め込み教育は,低学年であればあるほど逆効果と指摘している。」

    とあります。

     「勉強をやらされている」と感覚があると,そりゃあ,学習がきらいになるのは当たり前ですよね。何事も無理やりはよくないに決まっています。近年の「学力低下」のかけ声の中,学校現場にも強く「学力向上」が要求されます。とにかく目に見える結果を,数値を出さないと「説明責任」が果たせん,ということで,小学校でさえ「テスト点」が重視されます。多くの学校の校内研究だって,立派な主題を掲げてはいても,最後は「学力テストの成績があがった」「平均点が何ポイントどうなった」という形で評価する場合も多い気がします。

     そんな感じだから,まずは手っ取り早く点数が上がりそうなドリルやプリントなどに偏ったり(それも必要ではありますが。誤解のないように)するということもある気がします。テスト点も学力の一部ではあるけど「学力=テスト」ではないですよね。私なんかは,学習意欲,学ぶことが好き,というのが一番大切な学力だと思いますけど,まだまだそれは現場では少数派。 この見出しで,「何か違うんじゃない?」と思ったのは「~中学生以降は好影響~」のところ。記事を読んでみると,

    ■「委員会は,低学年に無理に勉強させるのは逆効果で,外圧による学習が良い成績に結び付くのは,中学生以降であると分析。○教授は『学年が上がると,具体的目標のある児童生徒が高い学力を示す傾向にある』と説明する。」

    と。「外圧による学習」というところが,

    (多くの人は,やっぱり子どもは,させないと学習しないと思っているんだなあ)

    と感じました。「学習」でなく「勉強」なんですね。そのあたりの,大人の「学習観」こそ,変えていったほうがいいのかなと,記事を読みながら思いました。

    2010-12-29特別活動

     新年度に向けて,学級活動の年間指導計画を手直しする作業をしていました。そこで,「小学校学習指導要領解説特別活動編」を読みながら,マーキングをしていったのですが,この目指す所ってすごくすんなり入ってきました。

     「ふだんの教科の授業とかでも大事にしていることと,基本的に同じだな~」

    って思いました。

    2010-12-27その先

     今日は地区の教員の研究発表会があって,そこに参加して来ました。

     主に,学校として取り組んでいる研究(校内研究)の実践報告が多く,どこも緻密に考えられた実践だなあと思いました。

     私なりに考えたことは,

    「その先には,何があるか考えたいなあ」

    ということでした。

     うまく言えませんが,例えば,その研究主題を達成することが,その子の育ちの中で,どういう意味を持つのか,そこを考えながらやりたいなあということです。

     例えば「自分の思いや○○を伝えられる児童の育成」というテーマだとしたら,そうなることが,そこを目指すことにどんな意味があるのか,というところをはっきりさせたいということです。その子の今後の生き方にどんな生きる力となって働くのか…,といっていいでしょうか。

     本校の研究テーマは「生き生きと学ぶ子どもの育成」。3学期はじめの全体会では,そのテーマを達成を目指す意味について,みんなとまた「雑談」するところから始めたいなあ,と思いました。

    2010-12-21ありがとう

    なりたい職に付けているというのは幸せなことである。大変なことももちろんあり,トーンダウンすることもあることはあるんだけど,それでも,なりたい職につけているってことは,幸せな事なんだなあと思う。

     2010年,最後の登校日は明日。今年も子どもたちに感謝。おかげで,今年もいい思い出ができました。ありがとう。来年もよろしくね!!

    2010-12-20○○規律

    規律とは何かな,と思って手近な国語辞典で調べたら

    「人の行為の規準としてさだめたもの。おきて。転じて秩序」

    とありました。

    私たちの現場で,この「規律」という言葉が聞かれるとすると,多いのは多分「学習規律」と「服務規律」だと思います。

     私の主観だけど(あくまで,主観)「学習規律」と言う場合と「学習のルール」という場合は,その意味合いはなんか違うように,感じます。「ルール」と表現する場合,学習者と一緒に,より良くい学ぶためにどうしたらいいか考えてみよ~!!みたいな感じが私はします。「規律」というと,何か,「先生の言うことをお行儀よく聞くこと。言うとおりに従っているような様」を求めているような,感じ,がします。そういうシチュエーションでよく使われるのを見てきたから。「学習規律」という明文化された物は,見た事はない(私は,ね)。ありえないけど,「先生の話は,目を見て聞く」なんてことが明文化されていたら,そんなの無茶ですよね。

     服務規律は,教育計画などに書いてあるし,そこに書いてあるのは,多分,法律とか条例なんかで定まっていること,なんだと思います。それに,??と思うものはなく,納得できる内容です。そこには,「職員室では,背筋を伸ばして仕事すること」なんてことは,もちろん書いていません。

     こんな風にいうと,マナーや行儀はどうでもいいというのかい?と言われそうですが,決してそうではないんです。マナーや行儀は大切と思っています。人に対する思いやりがあれば、当然,そこは考えなくてはならないところですから。とっても大事。当たり前です。

     でも,正面切って「規律」っていわれると何でか,「ん?」と思ってしまうんですよね~。

     へそ曲がりなのかな。

    2010-12-19お楽しみ会で

     クラスは,相変わらず「まとまり」という面ではまだまだです。(笑)でも,その中にも,クラスのいいところを見つけようと思えば見つけられるなあ,と思いました。

     先日は,2学期末のお楽しみ会。教室での出し物,ゲームが終わって後半戦の会場の体育館へ。まずはじめに,ドッジビー。係の子どもたちがみんなを集めて簡単にルールやチームに付いて説明してゲーム開始です。しばらくすると,A君が何か納得できないことがあったのか,一人肋木の裏に入っています。「どうしたのかな~」と見ていたのですが,他のみんなは,A君が一人ドッジビーから外れていることを気付いているのかいないのか,そのままゲームに夢中です。

     (う~む,ここは声をかけるべきか,待つべきか…)

    とちょっと悩みつつ,ちょっとしてから

    (私)「ねえねえ,A君が参加できていないけどいいの?」

    と声をかけました。そうすると,近くにいた数人がかけより,それを見た残りの全員がA君にかけ寄りました。なにやら10秒ほど子どもたちのなかでやりとりがあり,その後はA君もドッジビーに参加。よかった,よかった。

     続いてのケイドロ。「けいさつ」が6人でスタートしたのですが,その「けいさつ」足が速いメンバーに加えて,6人と多かった?のもあって,あっというまに全員「逮捕」。「どろぼう」チームから不満続出。

    「6人じゃ多いし!!」

    「タッチしてないのにつかまえたっていうし!!」

    「う~,つまんね~!!」

    「ずるいよね~」

    「先生!6人じゃ多いですよね!」

    あっちこっちの小グループでなんだかんだと言っています。


    (うわ,お楽しみ会なのに,雰囲気わる~)

    しばらく見ていると,なんとか事態をまとめようと,活発な子たちで集まってなにやら相談し,大きな声で

    「じゃあ,こうすっから!」

    と。

    私「ちょっとまって。今の話し合い。みんなが参加した?あっちのはしやこっちのはしにいたひともいたよね。みんなが話し合いに参加した方がいいと思うけど。」

    そういうと,子どもたちは

    「みんな集まって~」

    と声をかけ合い,サークルをつくってごにょごにょと1分ほど相談。「けいさつ」の人数を減らすことで合意した模様。その後は,前回「6人じゃ多い!」と言っていた子も楽しくやれたようだしめでたしめでたし。

     何かするたびに,何かしらのもめ事が相変わらずあるわけで,「なんでそうなるかな~」と思うこともあるんだけど,ドッジビーでも譲り合って投げる姿や,サークルになって話し合う姿,転んだ子に「大丈夫?」って駆け寄る姿なんかを見ると,やっぱりいいなあと思います。そういうよい姿をたくさん見つけて,嬉しい気持ちを伝えていかないとな,と思います。

    2010-12-175年生といっしょに

     先日,5年生と一緒に習字をしました。大勢があつまれる場所がないので3年生教室と5年生教室に分かれての,半分ずつの異学年みたいなかんじですが。

     5年生のちょっと大人な感じを感じ取ったり,自分たちとはちょっと違う筆遣いにさすが~と思ったり,3年生にとっては新鮮な時間になったようです。

     放課後,5年生の先生と,授業の中で見られた子どもたちのよい姿,意外な姿,ほほえましい姿をいろいろおしゃべりしました。そして,また来週もしましょう!と計画を立てたのでした。

    2010-12-15プラスのエネルギー

     昨日は,校内研究の授業研究会で,うちのクラスの理科の授業をみていただきました。じしゃくの学習です。

     

     事後検討会では,子どもたちのいい姿をたくさんの先生方から教えて頂きました。そういうプラスの言葉をたくさん頂けると,私の中にもエネルギーが蓄えられます。最近,子どもたちの気になるところばかりに目が向きがちだった自分でしたが,浮上?のきっかけになりそうです。

     

     事後検討会が終わってからの雑談の中で

    「やっぱり,人間,他の人から認められるっていうのがエネルギーになるよねえ。子どもも大人もおなじだよな~」

    なんてしばらく話していました。

     学期末。子どもたちにプラスのエネルギーを与えられるようにしないとね。それには,私自身がプラスのエネルギーを発しないとね。

    2010-12-13さてと

    「方法じゃない。考え方だ。教育観だ。授業感だ。子ども感だ。教師のあり方をどう捉えるかだ。で、方法じゃないから、説明が難しい。方法に過ぎないのであれば、もっと楽なはずなんだ。『学び合い』が辛い?のは、壁にぶち当たると、自分の腹の中を自分自身で探らなくてはならなかったりする点にある。効果がどうのという次元はなんか違う気がする。こういう効能があります。と言って飲むクスリとは違う。」

    と,ghjalさんが,西川先生のページでコメントとして書いていらっしゃったが,まさにその通り…。スランプと言う言葉が使えるのなら,スランプ。 この間,どうも自分の中で負のスパイラル?にはまり,何となくクラス

    状態も何となくいまひとつ,なかんじだった。

     それは,たぶん,クラスがいまひとつ,というよりも,自分の気持ちが今一つで,結果,うまくいかないところばかりに目が行ってしまったというところなのだと思う。まさに「自分の腹の中を自分自身で探らなくてはならなかったりする」ってのはきついよなあ。自分のありかたの問題だからな。

     正直言うと,そのスランプの原因は分かっている。学校評価アンケートだ。授業に関しては約22%の保護者が「改善」の項目に○を付けている。それ自体については,どういう点を改善と考えているかを,確かめ修正していけばいいことなので,よいのであるが,でもやっぱり,人と違うことをしていると,こういうのって心の底にどよ~んとたまる…。裏を返せば80%近くは,「よい」と思ってくださっているので,よいのかもしれないけど,それでも気になる。そこが,きっと自分のなかの覚悟を鈍らせているんだと思う。だから,きっとそれが子どもにも伝わる。だぶん,そこ。

     「自分ではけっこう,いろんなこと考えてやってるつもりだけど,子ども任せにしているって思われてるのかな~」とか。「じゃあ,結果を出すしかないってことになるんだけど…。そうすると自分の場合,なんか追い込んじゃうだよな~」「……」悶々。

     

     

     

     それでも,その「うまくいかない具合」を職場の先輩の先生に,寒い廊下で30分以上も聞いてもらい,アドバイスももらえたことは,もしかしたら浮上のきっかけになるのでは,とそんなことを思った。

     ようはこっちの気持ちしだいなんだよな,たぶん。さ,明日からまたがんばろうっと。

     「ぐんと成長する前には,ぐちゃぐちゃするもんなんじゃない?」

    というその先輩の先生のことばにちょっと元気をもらいました!