次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2010-08-23「みんな」ではないこと

    あくまで自分の話。

    学び合い』をやっていると,「みんな」が大事だということを語る必要が在る。そして,そのことに何の疑いも持たなくなってしまう。少なくとも私は。そうすると,「みんなが達成すること」「みんなが協力すること」「みんなが…」と。「みんな」が前提条件になってしまう。

     ちょっと待て。

    「『みんな』なんてどうでもいいじゃん!」

    「別にオレはできなくてもいいし」

    という人だって,当然いるはずだし,いても,もちろんいい。そこからはじめないといけないと思う。

     やっぱり大事なのは「一人も見捨てないこと」なんだ。そこを基軸にみんなで考え,行動していくこと。

    突っ走ると,見えていたことも見えなくなる。分かったような気になっていると大事なコトを忘れてしまう。危ない危ない。

    「みんな」は「みんな」という人がいるわけではなく,○○君だったり,◇◇さんであったりという,固有名詞を持った“みんな”であるんだということ。そのことを忘れちゃあいけないんだと。

     固有名詞をもった存在になれば

    「『みんな』なんてどうでもいいじゃん!」

    とは言えても

    「“みんな”なんてどうでもいいじゃん!」

    とは…,どうだろう?

    ただし,それも,ありだと言うことだ。そういう子の立場・存在も認める。そういうことだろう。

    重松清「青い鳥」のなかの「拝啓ねずみ大王さま」を読んで。

    2学期前に前に「間に合ったなあ」