次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2010-08-12戦争

    8月6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして15日。夏はいつも「戦争」について考えさせられます。そして、この「戦争」に関しては、教師をしているからには(もとろんそうでなくてもなんですけど)、しっかりと向き合って考えてく必要が在ると思っています。

     爆笑問題が出ていた番組。印象に残った場面。ゲストの「分かろうとしても、その時代の人にしか分からない感覚だと…」という発言に太田さんが(たしか)

    「それって、相手を思いやった発言のようだけど、実は冷たいんじゃない?」みたいな返し方。

    「結局、私には関係ない、みたいなことにしてることにならない?」と。

    確かに、極限状態の中で、生きるか死ぬかという極限状態にいる人の思いを今の私(たち)が想像するのは難しいし安易に「分かります」ということはできません。だから、私も、ゲストの方のような言い方になってしまうと思いました。だからこそ、ぐさっときました。私に言われたみたいな気がして。

    それから、

    「そんな戦争のことなんか、教わってこなかったから…」

    と言ったゲストの方にも、戦争の体験者の方が

    「何で自分で調べようと思わないの?」

    「調べる手段はたくさんあったでしょ?」

    「自分でフタしてんじゃないの?」

    と。

    そして、Nスペ。なんかしめつけられます。アッツ島「玉砕」で生き残った方々の言葉。「生きていることが恥なんです。あなた方に対して恥なんです…」軽々しくは言えないのですが、これだけ大変な目に遭ってきてもまだ「生きていることが恥」と言わしめる戦争ってなんなのでしょう。

    どうしたら、世界に(現に今でも世界には戦争があり)戦争がなくなるのか、そのために私にできることは何か、具体的に行動に移せることは何か。

    その間の距離はとてつもなく大きくて、

    「私がなんかしてもなんにもなりゃあせんし」

    とも思いがちだけど、それこそ、それを言い訳にしているわけで。

    日本国憲法の前文にあること、それを頭にいれて、日々の仕事をすることだと思います。(うわ、言っちゃった)