次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2010-08-30いらいらともやもや

    2学期が始まり,今日で3日目。

     好調なスタート!と言いたいところだけど,私の中では(う~む)という感じ。クラスの雰囲気は,悪くはない。1学期前半,あれほど毎日もめて,泣かない子がいない日がないほどだったけど,まだだれも泣いていない。(と書いたが,そういえば,今日「黒板,私が消す!」ということで,どっちが今日の当番かで涙目になっていた子たちがいたが,まあ,それはご愛敬と言うことで)

     がしかし,算数では,なんか「みんな」ができるために,メンバーが力を注いでいないような気がしてしまうのである。それぞれの子どもたちの間での情報交換は低調だし,しばらく手の着かない子もいるし。小単元毎に預けているので,そのぶん,私の中の評価も甘くなっているのかもしれない。それで何となく,イライラモードが(私から)出ているような気がする。そうなると,多分,悪循環にはまる。

     このわたしのもやもやを,はっきり子どもたちに伝え,もう一度仕切り直すことをもとめることにするかな。

    2010-08-28東北フェスタ

    先日紹介した「ALL東北教育フェスタ」に行ってきました。

     そこで,50分×2回,『学び合い』について話すことになっていました。

     結論からいうと,うまく伝えられなくて反省ばかりです…。『学び合い』とはこうです!といって説明できる立場ではないし,ただなぜ,『学び合い』の授業が今はいいと思って取り組んでいるかと言うことだけでも伝えられればよかったのですが,イマイチでした。

     

     フリートークの時に,歯学部の学生さんとお話しました。

    将来は歯医者さんになるそうです。なんで,この会へ?と尋ねたら,

    「人とのつながりがあっておもしろそうだから」「教員志望以外の視点もあったほうがいいと思って」

    みたいなお返事だったと思います。

     その彼が話の中で

    「学校は必要ないんじゃないか」

    と。どういうことかというと

    「何か,学校に適合するのが,当たり前,それが前提みたいになっている。子どもの居場所は家庭と学校,みたいになっている気がする。もっといろんな居場所があっていいと思う。」

     居心地のいい居場所として,学ぶ場として「学校だけ」がその場でなくてもいい,という主旨だと思います。確かにその通りだと思います。

     私は小学校の教員ですから,学校が,子どもたちにとって行きたくて,行く意味のある場になるようにどうするか考える必要が在るわけです。

    「今日もこんな楽しい事があった」「今日はこんな事をみんなと学んだ」

    そう思って毎日帰れる学校がいいね。

    http://tohokuedufesta.web.fc2.com/

     

    2010-08-25きゅうり農家のYさんのお宅にご挨拶にいきました

    明日から2学期が始まります。

    「農家の仕事」の学習では,地域できゅうり栽培を行っている方のところに,9月に入ったら,すぐ出かけます。快く承諾していただき感謝です。

     今日は午後から,そのきゅうり農家のYさんにご挨拶と,ビニールハウスの下見にいきました。

     実際にハウスを見学させて頂きながら,年間や1日の仕事,仕事の工夫,出荷先などいろいろたずねました。わたしも始めて知ることばかりで,私自身がとても楽しかったです。

     ハウスの見学のあとも,Yさんご夫妻とお話をしたのですが,やっぱりなあ,と思うこともありました。

     Yさんのお宅はもともと米農家だったそうです。それを,Yさんの代からきゅうり栽培に取り組み出したそうです。

    「新しいことを始めるにあたって不安はなかったんですか?」

    と聞いて見ると,それはもちろんあったとのこと。そうだけれど,自分で調べたり学んだりしてきたこと,それに加えて,先にきゅうり栽培をはじめていたSさんからいろいろと学んだといっていました。Sさんも,何から何まで教えてくれるとは限らず,一緒に仕事をしたり,直接見たり,触れたり,話の中から吸収したり…そうやって学んできたそうです。Yさんは,

    「やっぱり仲間だな。一緒にやる仲間と協力したり,情報を交換し合ったり,学び合ったり。そうやってきたからこそ,今があるんだなあ。いい仲間との出会い,だね。」

    「今度は近くに新しくきゅうり栽培を始めたうち,Hさんもあるんだ。今度は私がSさんに受けた恩をHさんに返す番だと思っているんだと。」

    と。

     やっぱり,仕事に打ち込んでいる方のお話は,その他のこともうんと興味深く,つい1時間以上もお話を聞いてしまいました。

     社会科では今まで,イチゴハウスの見学,魚市場,青果市場,市役所,畜産農家…,様々な所に子どもたちと出向いて,直接見て,その「人」とじかにふれ合うことを大事にしてきました。

     やっぱり,人から学ぶことは多いです。本物に触れ,本当の人と接すること,その人の心に,子どもたちもふれてほしいなあ,そんな風に思います。

     地域の大人と子どもたちがどんどんつながる,そんな学習をしていきたいなあ。

    2010-08-24何で『学び合い』かと考えると…

    8/28に国立花山少年自然の家で「ALL東北教育フェスタ」というのが開かれます。それは,教員志望の学生さんが主催している学習会です。昨年度の2月にも松島を会場の行い,その時に声をかけて頂いたのがご縁で,今回も誘って頂きました。

     で,昨日,一人の実行委員のNさんと打合せをしました。話をしながら,「何で『学び合い』に今,取り組んでいるのか」ということを,Nさんと話す中で,また考えることができた貴重な時間になりました。

    なんで,自分は今,『学び合い』を中心に取り組んでいるんだろう。

     その一つは,やっぱり人間の多様性をとことん前提にしているところかな,と思います。「ひとりひとりみんな違う。」この当たり前のことから出発しているところ。

     「みんなちがってみんないい」これは金子みすゞさんの有名な詩の一部ですが,この詩を大切に捉えている人,または共感できる人は,教師,親,その他の方々も含め多いと思います。それは『学び合い』をしているか,そうでないかにかかわらず。

     『学び合い』の考え方は,まさに,この「みんなちがってみんないい」につながる部分だと思います。そしてこの考え方は,教師としてクラスの子どもに接する場合も,その他の仲間といっしょになにかをするときにも,そもそも人間の見方にも,全てに通じることです。その見方,考え方によって,自分も教師として,人間として,ちょっとずつ,前には進んでいる気がします。きっと,それが嬉しいから,『学び合い』なんだと思います。

     自分自身が,みんな(いろんな)といっしょに少しずつ前に進んでいることを実感できる,そのことが『学び合い』の考え方のよさです。教師の仕事も『学び合い』の考え方を通してみると,とっても楽しいです。そのことを学生の方々にお話ししようかな,と思います。

     

    2010-08-23「みんな」ではないこと

    あくまで自分の話。

    学び合い』をやっていると,「みんな」が大事だということを語る必要が在る。そして,そのことに何の疑いも持たなくなってしまう。少なくとも私は。そうすると,「みんなが達成すること」「みんなが協力すること」「みんなが…」と。「みんな」が前提条件になってしまう。

     ちょっと待て。

    「『みんな』なんてどうでもいいじゃん!」

    「別にオレはできなくてもいいし」

    という人だって,当然いるはずだし,いても,もちろんいい。そこからはじめないといけないと思う。

     やっぱり大事なのは「一人も見捨てないこと」なんだ。そこを基軸にみんなで考え,行動していくこと。

    突っ走ると,見えていたことも見えなくなる。分かったような気になっていると大事なコトを忘れてしまう。危ない危ない。

    「みんな」は「みんな」という人がいるわけではなく,○○君だったり,◇◇さんであったりという,固有名詞を持った“みんな”であるんだということ。そのことを忘れちゃあいけないんだと。

     固有名詞をもった存在になれば

    「『みんな』なんてどうでもいいじゃん!」

    とは言えても

    「“みんな”なんてどうでもいいじゃん!」

    とは…,どうだろう?

    ただし,それも,ありだと言うことだ。そういう子の立場・存在も認める。そういうことだろう。

    重松清「青い鳥」のなかの「拝啓ねずみ大王さま」を読んで。

    2学期前に前に「間に合ったなあ」

    2010-08-22重松清 「青い鳥」

    「みんな仲良く,ケンカ禁止  。」

    「人を嫌いになるのも禁止   。」

    「いじめ相談ポスト『青い鳥』」

    いじめによる自殺未遂事件が起きたある中学校での「お話」。

    自分の中の本気の言葉に向き合いなさい,人の本気の言葉に耳を傾けなさい,感じなさい。そういうことを重松清は「吃音の“臨時”教師 村内先生」という姿で伝えているように思います。

    自分自身が何を感じ何を思っているのか本気で考えたら,人の言葉も,言葉にならない,言葉では伝えられない思いも感じ取ることが,そのためのアンテナが働き出すことでしょう。

     「罰ではなく責任だ」と村内先生は「ぼく」にいう。外的なルールやきまりなど,誰かに強いられることで何となく自分の中から「そのこと」がぬけて,どこかの置かれる感覚。

     村内先生はその出来事を,野口を「忘れるな」と語る。そのために,いじめを受け,自殺未遂し,転校した「野口」の席を,再び,クラスに運び込み,毎朝声をかける。

     自分の中の本気の言葉をつくっていきたい。見つけていきたい。

    2010-08-21やっぱりそれぞれちがうもんだ

    昨日は宮城の会の例会。

     その後,飲み会だった訳ですが,頭がぐちゃぐちゃになってしまった…

     みんなであれこれしゃべるんですが,考え方ってやっぱり当然だけど,同じようで違うし,違うようで同じ…。自分の考えすら,日々変わっていくものだろうし。 

     (こうだよね~)

    と思っていたことでも,別の人から

    「本当?どうして?」

    と問われれば

    (ん?)

    と自問し,別な言い方で説明しようと,考える。そんなことをくり返していくうちに,新しい発見をすることもあるし,

    (あれ~?????????????)

    となってしまうこともあります。

    一応,同じ事を目標にしている仲間どうしでの話でも,千差万別なんだから,いろいんな人がいろんな考えを持っているのは当たり前で,一致するわけはやっぱりないんだなあ,と思いました。

     一致しなくても,相手の人格を尊重する,相手の考えも大切にする,そこから何か学ぼうとする,そういうことができればそれでいいんだな,と思います。

     多様性を認める,多様性を楽しむ…そういうことかな。

    「有能とは何か」とか「法とは何か」とか,難しい話を延々としたのですけど。

    さんざん話をし,帰る前に

    「やっぱりさ,こうやって議論しながらも,楽しく話せればいいんじゃないの!」

    とA先生。すごく納得です!

    2010-08-19「一元論」「二元論」

     この間の講習での話。

     物事を「一元論」的に考えるか「二元論」的に考えるか。

     例えば「インクルージョン」と「ノーマライゼーション」,「バリアフリー」と「ユニバーサルデザイン」。どちらも,前者が一元論的考え,後者が二元論的考えらしい。今まで,私も不勉強で,「インクルージョン」と「ノーマライゼーション」,「バリアフリー」と「ユニバーサルデザイン」その言葉が何となくにているけど少し違う程度にしか認識していなかったんだけど,(お恥ずかしながら),その「一元論」「二元論」という話を聞いて,すっと分かった気がする。すとんと落ちた。アハ体験?

     まあ,こんなことは分かっている人には,

    「なんだ,こんなことも分からなかったの?」

    という話にもなるんだけど,私にはその言葉で分かったのだ。

     ちょうど,その講義は「認知」についての話もあったのだが,あらためて

    ・人の分かり方は多様。その人の過去の学習・経験・知識がもと

    ・分かる人には分からない人がなぜ分からないのかが分からない(忘れている)

    ということも,確かめられたきがして嬉しかった。

     それに,この講義を全国のたくさんの受講生が聴いたということと本校からも3人の教員が聞いたと言うことも意味があるなあ。この中の何人かの方が『学び合い』の考え方やそれに基づいた様々なやり方に触れたら

    「あ~,そういうことか…」

    と分かってくれる人がきっといるに違いないと思う。


     それにしても「一元論」「二元論」,このものの見方は使える。それも,この言葉を私が理解したからだろうな。言葉ってやっぱりすごい。

     

    2010-08-18「いい学校だよ」

     今日,職員室で,昨日までの教員免許更新講習について,その内容がなかなかおもしろかったことを,ほかの先生たちとおしゃべりしていました。その話の流れで,その大学が通信制の大学で,単位制の高校もあるみたいな話になりました。その高校は,パンフレットを見るかんじ,既存の高校のような在り方ではなく,自分が学びたいことを学びたいようにやれそうな高校でした。

    「こんな高校もあるんですね~」

    「失礼だけど今まで聞いたことない大学名だったんですけどね~」

    なんて話をしていたら,その話を聞いていたある先生が

    「あ,そこ知ってる知ってる。知り合いの先生の子どもが中学校で不適応になっちゃって,高校,そこに行ったんだよ。その高校に行ってから,すっかりよくなって,自分の進路に向かって自分のやりたい学習に熱心に取り組んだんだって。その子自身も『いい学校だよ』って言ってた。」

    と。

    通う子ども自身が,自分の学校はいい学校だと自慢できる。そんな学校はステキだなあと思います。

    自分のクラスはステキだなあ,自分の学校はステキだなあ,自分の地域はステキだなあ,そんなふうに,そこに所属する人自身が,自分の口でそういえる,そんな風になればいいなあと思います。

     ほかの誰かから「いいクラスだね」と言われるよりも,クラスのだれもが「ぼくたちのクラスはなかなかいいよ」と言えるクラス。それよりも,学校に通う子どもたちみんなが「僕らの学校はいい学校だよ」といえる学校。それを目指せばいいんですよね。

     「みんなでいい学校をつくろうね!」と全職員が子どもたちにいつもにこにこ語りかける,それだけでいいような気がするなあ。2学期,朝会でチャンスを探して話してみたいなあ。

    2010-08-17免許更新講習

    教員免許更新講習。この制度自体,どんなもんか…とは思っているし,正直その講習自体もあまり期待はしていなかった,というのが本音。

     しかし,2日間の必修講習を終えてみて,なかなか楽しかった。

     「学力観」のこと,「学校と地域の連携」「学習指導要領」「生徒指導」「認知心理学」…。それぞれの講義を聴きながら,

     (まんま『学び合い』が目指している方向性と同じだし,それを後押しするような内容だな…)

    と思った。

    (確実に教育にまつわる状況は大きく変わりつつあるんだな)

    というのを感じた。

    2010-08-15おしゃべりの中から

     私の初任校は半島部の(当時は)全校80人くらいの小さな学校(Y小学校)でした。その学校に,私と一緒に着任した先生と昨日,会って一緒におしゃべりをしました。

     彼女とは新任時代の4年間を一緒にY小学校で勤め,その後一緒に私は近隣の小学校へ,彼女は地元近く県都S市近辺の学校に転任となりました。

    彼女がこちらに来るのも,そうめったにないので,

    「お互いの原点を確かめに行きますか~」

    てなことで,一緒にその半島部へと車を走らせました。そのY小学校は当時のまま,そこにあり,

    「あ,ここで磯辺学習したよね」

    「この岸壁で写生会した」

    「この神社にきて遊んだよね」

    「あ,ここ○ちゃんの家!」

    「あ,イカ釣り船!これに乗せてもらって,イカ釣り行ったんですよ!船酔いして…」

    「地域の方々の中に子どもたちが自然に溶け込んでいて,今思えば理想的な感じだったよね~」

    とか,話はつきませんでした。

    今,彼女は大きな市の規模の大きい学校に勤務しているのですが,そこではいろいろたいへんなことも多いようです。子どもとのこと,職員間のこと…。昨年度はクラスのことでも苦労した1年をおくったようでした。そんなこんなの話を半島巡りが終わった後も4時間以上もコーヒー1杯で話し続けました。

     話しながら思ったことは,やっぱり大人同士であれ子どもとの関係であれ,人と人との関係はどう信頼を結んでいくかと言うことしかなく,そのためにはやっぱり「正直」とか「平等」とか「尊重」とか「誠実」とか,そういうことなんだということ。変なプライドとかはその邪魔になるということ。

     大事なコトはやっぱりシンプルなんだなと思いました。

     

    2010-08-13評価

    最終的には3年生といえど,自分の学習を自己評価できるようになってほしいと思います。どこかの誰かさん,ソレがたとえ教師であったとしても,じゃなくて自分で評価できるようになった方がきっといいはずです。

     自分は何を目指して学び,その結果どういう成果があったのか,うまくいったのはどんなところで,今度改善をしたいと思うところはどんなところなのか…,を自分で振り返って,次の一歩を踏み出せる主体的な学び手。

     夏休みで時間がわりと使えるので,今日は2学期単元の,子どもが使う評価規準表(試作)をちょっと悩みながら,いくつか作ってみましたが,まだまだしっくりきません。2学期,試しに使いながら,やっていきたいと思っています。

     テスト(だけが)ゴールにならないような,いわゆる「テスト」の位置づけを下げた評価,というかテストに代わる評価って,なんて考えながら今日は半日考えたのでありました。

    2010-08-12戦争

    8月6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして15日。夏はいつも「戦争」について考えさせられます。そして、この「戦争」に関しては、教師をしているからには(もとろんそうでなくてもなんですけど)、しっかりと向き合って考えてく必要が在ると思っています。

     爆笑問題が出ていた番組。印象に残った場面。ゲストの「分かろうとしても、その時代の人にしか分からない感覚だと…」という発言に太田さんが(たしか)

    「それって、相手を思いやった発言のようだけど、実は冷たいんじゃない?」みたいな返し方。

    「結局、私には関係ない、みたいなことにしてることにならない?」と。

    確かに、極限状態の中で、生きるか死ぬかという極限状態にいる人の思いを今の私(たち)が想像するのは難しいし安易に「分かります」ということはできません。だから、私も、ゲストの方のような言い方になってしまうと思いました。だからこそ、ぐさっときました。私に言われたみたいな気がして。

    それから、

    「そんな戦争のことなんか、教わってこなかったから…」

    と言ったゲストの方にも、戦争の体験者の方が

    「何で自分で調べようと思わないの?」

    「調べる手段はたくさんあったでしょ?」

    「自分でフタしてんじゃないの?」

    と。

    そして、Nスペ。なんかしめつけられます。アッツ島「玉砕」で生き残った方々の言葉。「生きていることが恥なんです。あなた方に対して恥なんです…」軽々しくは言えないのですが、これだけ大変な目に遭ってきてもまだ「生きていることが恥」と言わしめる戦争ってなんなのでしょう。

    どうしたら、世界に(現に今でも世界には戦争があり)戦争がなくなるのか、そのために私にできることは何か、具体的に行動に移せることは何か。

    その間の距離はとてつもなく大きくて、

    「私がなんかしてもなんにもなりゃあせんし」

    とも思いがちだけど、それこそ、それを言い訳にしているわけで。

    日本国憲法の前文にあること、それを頭にいれて、日々の仕事をすることだと思います。(うわ、言っちゃった)

    2010-08-09飲み会です

     これから飲み会。

     17年前に受け持った、当時1年生だった「子どもたち」と。昨年に続き2回目。昨年度、本当に久しぶりに会って、すてきな青年になっているのにびっくりした。

     

    その1年生を受け持って、転任したのでその後の彼らの学校生活の詳細はは分からない。でも、昨年の時に思ったんだけど、子どもはやっぱり、自分で成長し大人になっていくんだなあ、ということ。「教師」をやっていると、「子どもを変える」なんて大仰なことを思ってしまう(私の場合、そんなことを思って1年をやったときは、子どもにきっと迷惑をかけたであろう)けど、教師にそんなことはできやしないんだなあ、と思う。考えてみれば当たり前だけど。

     「子どもは自分で育つ」。それに気付いて、じゃあ、自分には何ができるかな?とやっと考え出せるようになった。今さらながら。でも、今からできることをやるしかないよね。

     

     今日はどんな話がきけるかな。楽しみです。

    2010-08-08ツーリング

    朝7時半に出発。

    まずは田沢湖へ。高速道路の気温標示では「37℃」だって。本当!?

    田沢湖では、湖を1周。そういえば学生の頃は、よく富士五湖の周りを走っていたので、その時の感覚を思い出した。右手に湖面をみながら、木立の中を走るのはじつに気持ちがいい。

     田沢湖から、阿仁へ。ここはマタギの里としても有名だそうだ。温泉にも入る。ちょっと熱めが気持ちがいい。

     そこから峠を抜け、鹿角へ。そして帰途。8時半着。

     食事と休憩以外は走りっぱなし。10時間位は走っていただろうか。走ること自体が楽しいから、だからやっていられる。

     本日の走行665km。日帰りツーリングとしては新記録かも。

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    2010-08-07自分で作ってしまった垣根を除く

    今日、ある人と話しながら思ったこと。

     とかく教員は(それ以外でもそうかもしれないが)いろんな立場や主義・主張でグループやカテゴリー?をつくりがちで、それは時として、うち向きな集団になる恐れがある。

     まあ、わたしも、これまでに様々な団体や組織に顔を出したりしてきたけれども、自分の考えと違う人や事を排除ばかりシテイテハ、だいたいにおいて

    「若手がはいってこない」

    だの

    「なんとか拡大しないと…」

    なんてことになっている。

    内向きは楽だけど、前にはなかなか進まない。

    結局、何を達成したいわけ?ということを自問自答しながら、今できることをまずやってみること。そうしたほうが前進できるものだなあ、と思う。

    2010-08-06「やり方に縛られる必要はないんだね」

     職員室で,先輩の先生としゃべっていた。話しの中で

    「あのさ,今の校内研究,あるじゃない?あれって,はじめmotoryou先生が提案したときさ,『え,そんなやりかたでいいの!?』なあんて,思っていたけど,やっているうちに,『ああ,これでいいんだ』って思えてきたなあ…」

    と言われました。続けて

    「私たちってさ,『校内研究ってこうするもんだ』ってやってきたわけじゃない?だから,そのやりかたに縛られちゃうんだよね。でもさ,やり方じゃないんだなって。いろんなやり方でいいんだなって。」

     嬉しかったです。これからも,みんなであれこれいいながら,私たちにとってベターなやり方を探り,みんなで補い合いながら,結果を出していきたいですね。

    2010-08-05最後は気持ちだね!

     夏休みのプール。例年はどの子もほとんど「遊び」に終始してます。いってみれば,水泳の授業でいう「自由時間」みたな状態がずっと続いているわけです。

     あ,話はちょっと変わりますが,なぜ水泳の授業だけ「自由時間」(いってみれば水遊び)が認められている?んでしょうね。大概,初めての水泳の授業では時間の後半になると

    「先生,自由時間あるんですか?」

    なんて聞かれます。

    「自由時間って?練習時間じゃなくて?」

    なんて意地悪な返事を何回かしていると,子どもたちもそんなことは聞かなくなります。だって,何回か学習をしていると,自由時間かそうではないかなんてあまり関係ない,というか分かりますから。だって言ってみればほとんど自由時間なんですから。どんな質の自由時間にするか,が肝心ですから。それにしても,水泳暗いじゃないの?「先生,自由時間あるんですか?」なんて聞かれて「じゃあ,○分,自由時間ね!」なんてのがあるの。

     話がそれました。そうそう,例年の夏休みのプール開放では,その「自由時間」がずっと続くような感じでした。でも,やっぱりそれではもったいないです。3年生は,夏休み前に

    「25m泳ぎ切れるようになるんだよ」「最高の目標が達成できたら,いいよな~」

    とかいっていたのでか,どうか分かりませんが,かなりの人数が毎日通ってきます。おかげで,私の見たところクラスの約2/3は25mいけるようになりました。5人くらいは50mや100mもいってしまいます。6月くらいからは考えられないことです。やっぱり,子どもたちって本気になるとすごいなあ,とい思います。ほんと,ド根性です。

     言っていることといえば

    「ここまでいけたら,あそこまではもう4かきだぜ!」

    とか

    「半分いける人は,25mだっていけるんだよ。だって,息継ぎができるってことなんだから」

    とか,ただ励ますだけ。

    「あ,クロールの息継ぎは,ほら,あの○年生の○ちゃんのを見な。まねしてみ!お~い,○ちゃん,ちょっとお手本見せてくれ~」

    なんて感じ。

    今日はとってもうれしいことがありました。5年生のKさん。なかなか,17~20mの壁が破れなくて,25m泳ぎ切れません。でも,先日,やっと25m泳ぎきりました。そして今日,

    「先生,今日ね~,誕生日なんだ~」

    と。

    「お~!じゃあ今日は50m泳ぎ切っちゃおうぜ~,いい記念になるじゃん」

     そこから練習を始め,なかなかうまくいかなかったのですが,とちゅう呼吸のリズムを変えたりしながら,ついに達成!!みんなで大喜びしました。

     やっぱり達成したい,という強い気持ちがあると強いな~。Kちゃんも25mなかなかいかなかったころは

    「ゴーグルに水が入って…」

    とか

    「水を飲んでしまって…」

    とか言っていたけど,だんだんそんなこと言わなくなったもんな。何度失敗してもいいんだよね。むしろ失敗をどんどんすること。気持ちをもってチャレンジし続けること。それでいいんだ,それが大事なんだと教えられました。

     Kちゃん,やったね!

     

    2010-08-04「中2になると意欲減退」

    地元S市教委と大学が中心となっているプロジェクト委員会の報告が,新聞に掲載された。

     記事では

    「S市 小中学生の学習 中2になると意欲減退」

    という見出し。

     

     記事には

    ・小2~中1までは概ね良好

    ・中2で低下

    とある。そして

    ・中1と中2の間では「覚える事は楽しい」も含め,「できないことは何回も練習する」「みんなが勉強しているから自分も勉強する」など8項目でポイントの低下

    とある。


     このプロジェクトには,あの「脳トレ」で有名なK教授も加わって調査されているのですが,そのK教授が

    「中1と中2の間に,子どもたちが学習意欲を失う何かがある。理由をきちんとさぐりたい」

    とも語ったと記事にはある。

    中1と中2の間。私なりの推論はあるけれど,それはまあここではいい。

    実際の現場で,この結果をどう捉え,本当の改善にむけてどう取り組むかだと思う。早速,うちの学校でもこの記事をコピーして,配った。2学期の研修の中で触れ,皆さんの意見も聞いてみたいと思う。

    2010-08-02

    競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書)

    競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書)

     いままで,PISA調査などで良く出てくる,「コンピテンシー」とか「リテラシー」なんて言葉,分かったような分からないような…でまあ,適当に読み飛ばして(…)いたのですが,じっくり読んでなんか分かってきました。そしてフィンランドを始め,ヨーロッパ諸国が目指している「学力」とは…。

     学校教育は何を目指して行うのか,学力とは,…。普段よりじっくり時間が使えるこの時期,今日は職員室で,この本の話題を2~3人の先生としゃべりました。こういう時間が貴重です。

     新学習指導要領についても学習会を開こうとしている,我が校のみなさんんも,ぜひこの本には目を通してほしいなあと思いました。新学習指導要領が目指しているところと学力観「生きる力」と方向性は同じだと思うので。でも,きっとギャップは感じるでしょう。

     「学力観」。わたしのこれはこの数年間でがらっと変わりました。でも,その方向性は,学習指導要領の求めるところとあまり変わらないと思います。