次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2010-06-08毎年悩むこと

     今年の学級は,言ってみれば理解力の差が大きいクラスです。おそらく普通にテストして得点分布をしたら。ふたこぶになり,中間層は少ない形になります。

     じゃあ,いわゆる下位層(まあ,今の時点でのテスト点を基準とすれば,の)のやる気はないのか,といえば,やる気はあります。ただ,理解のペースがゆっくりだったり,言語の理解力がまだ不充分だったりして,教師の思うとおりには「伸びて」いかないという感じです。

     以前,そういう理解力の差が大きいクラスで,単時間毎の「みんな」を要求し続けて,かえって子どもたちを窮屈にしてしまったという思いがあります。今年は,けっこう長いスパンで見ていくように心がけています。ただ,そうすることが,自分の「みんな」意識が薄くなることにならないようにしないと,という思いはあります。つまり,スパンを長くすることで,自分自身の「こぼし」に対する危機感に鈍感になってしまうというか。

     「みんな」に対する気持ちが過剰に(違う方向に?)でると,結局は「勉強(強いて学ばせる)させている」という感じになってしまい,なんか違うなあ…と思います。結局,「みんな」を「みんなが」求めることで,子どもたちもそれぞれが,クラスの仲間の学習を保障し,いつでも支え支えられるという準備を保つ。そして困った時には誰もが,「ねえねえ…」と尋ねられる,そんなクラスになってほしいんだよな~,と思います。イメージとしては,学習が苦手な子が,得意な子から勉強させられる?と言うんじゃなくて,苦手な子も自分でおもしろい,やりたいと思って学べるようなそんな感じ。みんなが主体的にまなぶっていうか。そういうなかでだんだんと,自分で学ぶことの楽しさをそれぞれが味わえるような,そしてできないことがあったとしても(その分,クラスの『学び合い』の中で十分自分のよさに気付け,友達からも認めてもらっているという素地の中で,)「ぼくはダメだ…」なんて思わなくていいような,そんなクラスになってほしいと持っています。

     今のクラスの『学び合い』は,まだまだ情報の交流が滞っている感じ。言語能力,コミュニケーションの力が個々によって開きが大きいので,まだ話しやすい,話が通じる仲間との対話が中心です。「みんな」意識はまだ低いです。だから,ごく単純に子どもたちに要求するとなれば「テスト点をあげよ」となるんだろうけど。

     結局,私の中で「学ぶことを楽しむ」ことと「テスト点」の関係が整理できていないということなんだろうなあ。「みんなと楽しく気分良く学びなさい。そうすりゃいずれ点は取れるようになるから。」と言いたいものです。というか,それくらいいえるだけの自信をはやく自分が身に付けたいです。