次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2009-11-12「指導したぞ!」観?

     教師の仕事は子どもの「指導」だといいますよね。一般的には。それには,まあ,違うとは言わないですが,なんか最近の自分にはしっくりこない気がするんですよ。それは,多分,その言葉の裏にある,なんというか,「強制」の匂いがするから,だと自分では分析しています。

     例えば,ある子どもの姿があったとして,それが,教師の立場からみて,好ましからざる姿だとしますよね。そうすると,なんかその子に言いたくなります。それを「指導」と言いますよね,普通。「こうしなさい。」とか。どうかすると,ひどいときには頭ごなしに怒鳴ったりしたりすることも,あろうかと…。どちらにしても,そういう場合,大概の場合,指導される子どもの側には,その指導を受け入れざるを得ない状況に在るわけで,そうでなくても「受け入れているふり」をせざる負えませんよね。受け入れない場合「拒否」する権利も,確かにあるとは思いますが,そういう場合,やっかいなことになることは「指導」される側には分かるわけで,かなりの確信か,拒否すること自体を目的にしないと,そういう選択はしません。

     となると,教師が「指導しよう」と思ってしたことは,受ける側が受け入れ体制になっていない限り,あまり意味がないことなんですよね。当たり前ですが。でも往々にして,そのことに気が付かずに「指導」しちゃって,満足してしまうことが多いんです。もちろん自分のことですけど。その「指導したぞ!」観は危ないなあ,気をつけないとなあと思います。

     子どもたちの一見足りないと感じる所,不十分に見えるところを取り立てて,なんだかんだいうことは簡単ですが,そうじゃなくて,子どもたち自身に自分が目指したい姿を意識できるような環境を整えること,まだまだやれる自分に気が付かせること,自信を付けさせチャレンジすることの楽しさを味わわせること…なんてことを指導と考えたいなあと思います。

     やっぱり「変えよう」ではなく「変わるのを(条件を整えて)じっくり待つ」「変わる事を信じて励まし続ける」ことだなあ。それが今の私の目指したい『指導』。

     即,効果!を要求されると苦しいけど,急がば回れ,だと思っています。