次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2009-11-04今日は研修日

    今日は,地区の一斉授業研究会でした。市内の教員が,所属の教科部ごとの会場校にわかれ研修を行います。私は国語部員なので,国語の授業研究会に参加しました。

    参観したのは3年生の説明文の授業。授業者は,私とも自主的な研究サークルでご一緒させていただいている若い先生です。とても一生懸命な先生で,今日の授業にも,かなりの準備をされて臨まれたことがわかります。一斉指導の授業です。

    わたしも,はじめから最後まで,いわゆる「一斉授業」の形態をとらなくなって1年以上になるので,どんなふうに子どもたちが見えるのだろう,と思い,あえて教室の前のほうから子どもたちの様子を見ていました。

    37人の子どもたちです。正直,37人の子どもたちに「教える」とすれば,そりゃあやっぱり無理だよね,と思いました。それは授業をされている先生がどうとかという問題ではありません。そもそも,37人の思考を,一人の先生の発問や工夫でまとめ上げ,一人一人が確かに「分かる」ようにするなんて…,と思ってしまいました。子どもたちは一生懸命な子もいました。先生の発問に反応して考えようとするする子もたくさんいました。でも,やっぱり中には,????のまま子がいます。何か別なことを考えているだろう子もいます。不安そうに周りの子の様子を見る子もいます。そして,自分の課題が終わって,しばらく待っている子もたくさんいます。先生は個別指導に回りますが,それで対応できる人数ではとうていありません。だって37人ですから。

    「○○でいいですか」

    「いいです!」

    と子どもたちは言いますが,本当に

    「いいです」

    と判断して言っている子は何人いるだろう?と思います。

    こんなことを書くと授業を批判しているようになってしまい,気がとがめます。でもそうではありません。本当に,みんなが分かるためには,学習者自体が分かりたいと思い,分かるために自分の頭で考えて進まねばならないんだなあ,ということです。以前iku-nakaさんやとんたんさんが授業を前から見ることを書かれていましたが,やっぱり,そうですね。子どもたちの顔がぱっと明るくなったのは,先生の

    「お隣の友達と相談してごらん」

    といったときでした。どのペアもすっとお隣と会話を始めました。クラス作りがうまくいっている証拠ですよね。だからこそ,もっと相談させれば面白くなりそう,と思いました。

     その後の研究協議。司会は私でしたので,課題を提示し,グループ討議を提案しました。「普通」の研究協議を予想してういた方々は面食らったと思います。その進め方に若干反対意見もあったので,折衷案としました。前半,グループで自由に話す,後半,全体で共有。司会の位置から見ていると,前半のほうが皆さんの顔が生き生きとしていたように見えました。だって,全体の協議になったとたん,一部の人が言うだけで,あとは「し~ん」だもん。大人だって子どもだって,どういうときにより学べるか,という点では同じだよな…,と思いました。

     「学びがいのある授業」とかで,自己有能観なんていうけど,今日の話し合いのなかで,「そうだよね~」とか「なるほど!」とか「あ,そうか!!」なんて会話が飛び交っていたグループはそりゃあ,自己有能観をお互いにプレゼントし合っていたんじゃないですかねえ。若いとかベテランとかに限らず。ひとりが話して,そのたがずっと聞いてる。そしてまたしばらく沈黙,苦し紛れに司会が指命…,なんていう話し合いじゃあ,つまらないですよねえ。

    今日は,午前午後と,いろいろ体験できて,私は学習できました。あ,みんなが学べることが大事なんですけどね。