次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2009-05-31「分かる」とは何か

    「分かる」とは何だろう?と最近思う。(「できる」も同じだろうけど)どこまでいっても,分かりきった,ということにはならないことは想像がつく。だからこそ,もっと分かるように,もっとできるように人はチャレンジするのだろう。それが『楽しい』となればすてきなわけで。

     社会科の『学び合い』に少々悩んでいる。例えば「~で…なことが分かる」としてみても,何処までが「分かった」なのか,私自身よく分からない。だから子どもたち自身も,今ひとつ,見通しが持てないで,あれこれやってみるものの「分かった」という満足感が得られず時間切れ,となることがこの間あった。私自身が子どもたちに求める課題が曖昧だったから,子どもたちも,さて?と思い,いきなり図書室に行ってみたりPC室に行ってみたりで。情報の共有化も図れず,といった状態に陥った。う~む。

     算数は,とりあえず,「答え」がはっきりするから,子どもたちにとっても一応「分かる」はある程度,つかめる。もちろん,答えが出せる程度の「分かる」ではあるけれど。国語なんかは,今までもある程度「分かる」レベルは,漢字や文法以外はけっこう曖昧にされていたし,子どもたちも,分かる,という線引きははあまり意識していないみたいだ。それは図工や家庭科とか音楽にしても同じ。

    学ぶということ(勉強?)を○とか×,正解か誤答かの範囲で考えるのではなく,より深く,広く(これ自体曖昧なんだけど…)考えることととらえ直して欲しいなあ,と思う。そうするには,まず,私自身が「分かる」と言うことにもっと考えないといけないな,と思う。

    「分かる」「できる」への道が『楽しい』になればいいんだよな,とは思う。そうすれば,みんなが満足できる。