次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2009-02-26自分へのメモ

    忘れないようにするために。

    ○大事なことは,子どもたちに自信を付けさせていくこと。自信をもって,進めるように,どんなサポートをするかということ。

    ○求めるイメージを伝えられているか。そのイメージの共有ができているか。自分自身が,求めるイメージをはっきり持って具体的に語っているか。

    ○本気で信じ切っているか。

    ○自分自身が楽しんでいるか。

    もしかすると,方法論じゃないと言いつつ,いつの間にか「方法論」にはまり込んでいたのかもしれないと,ふときづかされた日に考えたこと。

    2009-02-25疲れが溜まってくると

    疲れがたまってくると,いつもは気がつけた子どもの良さも,見のがしていたり,声をかけるべきところをかけなくなっている,のだろう。案外,そういうところに原因ってあるのだろう。

    忙しくなってくると,目先のことしか見えなくなる。気をつけないと。

    明日は,卒業企画の「1日遊びの会」近くの運動公園に,みんなで自転車で行くことになっている。陣取り,けいどろなど,担当の子どもたちで企画している。天気もよさそうだ。きっといい1日になるだろう。

    2009-02-24まだまだ

     楽しければ学習はそれ自体が目的化する。だから,あれこれ言わずとも,楽しいことを追究するために,当然行動を選択する。学校には,学校の,子どもたちに,身に付けて欲しい課題があるから,

    「何でも好きにしていいよ~」

    とはいかない。だから,教師は課題を子どもたちに提示するのだけど,なかには,

    「そんな課題に興味ない。」「面白くない」「無理」

    という子だっているだろう。

    自分が面白い,がまず大切なんだろうけど,そこから,

    「自分にとってはたいして面白い内容(課題)ではなかったけど,みんなとやって面白かった」

    にいくにはどうする…でいつも壁にぶつかる。

    ・「みんなが」を本当に願って,しつこく語り続けていないから…

    ・がんばっているであろう子どもたちを,結果という言葉でばっさり切りたくないから…(それが甘いと言われればそれまでだが)自分でシビアな評価を避けているところもあるな…


    どの子も満足する,そして「結果」も出せる学習ってどうするんだ,と悩みます。考え方が腑に落ちていない証拠ですね。いろんな事が気になります。

    頭の中と同じで分もごちゃごちゃです。

    分かりやすさでは点数だけど,本当はその上がある。その上をうまく語れていないのだろう。

    2009-02-21廃案

     「ダルマさんが笑った」さんのページを見ていて,思い出したので…。

     私は,日記や作文を子どもたちに書いてもらって,それを赤ペンをいれて返したり,一枚文集にしてみんなと読み合う事をずっと大事な仕事として位置づけてきたので,子どもから「注文」を受けることも結構あります(笑)でも,そんな子どもたちのことを,大変頼もしくも思い,それがじまんでもあります。

     これは去年受け持ちの3年生の日記。

         やだ

     「ぜったいやだよね-。だって好きな人ばっかとうひょうするじゃん。」

     業間,一りん車で校庭をまわりながら,先生がいった,書き初めの代表をみんなで決めることを,少し反対していました。一りん車をしていたのは○ちゃんと○ちゃん,○ちゃんで

    「だって,○ちゃんとおれ,二年れんぞくででてるから,今年だれもとうひょうしないと思うし。」

    と○ちゃん。

    「しかも,一人も手あげられなきゃ,がんばった人もかわいそーじゃん」

    と○ちゃん。

    「そーだよね~かわいそ~だよね~」

    ○ちゃんも○ちゃんも同じ意見。

    「何か『何で手あげてくれなかったの~」なんて言われそうでやだし~」

    と私。(そ~じゃん,ひどいし,えらびづらいじゃん。)って本当に思っていました。

     そして,みんな(4人)で一りん車をしている女子とかに

    「さんせい?はんたい?」

    って聞いて,○ちゃん,○ちゃん○ちゃん反対で,反対意見の人は7人。

    「7人もいればちょっとは先生も考えてくれるんじゃないの?」

    って○ちゃんが言って,

    「でも…,でもねえ…そこまでは…」

    って○ちゃんと私はぶつっと言って(はんげきまではしなくていいけど,そのまま先生のやり方だといやだし…)とまよっていました。

    「でもねえ,『そんならやんなくていい』とかって言われっかな~」

    と○ちゃんと○ちゃんと○ちゃん。

    「でも,本当のことは,はっきり言おうよ!!」

    と○ちゃんが言って,(べつにおこられたっていーや)と思いました。

     ちなみに理由,いろいろありますよ。なのでちょっと考えてください!

    理由は①好きな人に手をあげてとうひょうするから。②『なんでとうひょうしてくんなかったの』って言われる。③一人にも投票されなかった人がかわいそう④去年出された人は,自分が出たいからってとうひょうしないかもしれない⑤『とうひょうしろよ』という人がいるかもしれない⑥習字とこう筆でたとえば,こう筆○ちゃん,○ちゃんがでたとして,毛筆も○ちゃんと○ちゃんが出たら,『ずる~い』とかってなるから不公平。⑦出た,出ない,でケンカ?とかにもなるから⑧二人えらんだりできな~い⑨せっかく一生けんめい書いても,『この字へん』とかってかげで言う人だっている。⑩しかも,半分くらいみんいやがっていますよ⑪とにかく,なんとなくケンカとかありそうだし,とにかくやだ。まあ,とにかく理由はこれくらいです。先生はどれくらい,理由があるのですか。私たちより理由があるのですか。(11こ以上)



    完敗です(笑)この日記を一枚文集にして,みんなで読み合い,意見を聞き,私の案は廃案になったのでした。ちゃんちゃん。

                

    2009-02-19陣取りから思う

     先日,ふとしたきっかけで,子どもの時やっていた「陣取り」という遊びを思い出した。地域によってたぶん若干ルールのちがいはあるもののおよそ次のようなもの。

     

     2チームに分かれ,それぞれのチームに「陣地」がある。それは地面にかいた○でもはえている木でもなんでもよい。ゲームの始まりは,それぞれのいチームのメンバーはその陣地に足を入れた(さわった)状態からスタートして,相手陣地に攻め込み,相手陣地を相手にタッチされる前に踏んだりさわったりしたら勝ち。というもの。ただし,先に陣地をでた人は,後から陣地を出た人よりも「命」が古いから,弱い。だから,命が古い人は新しい人にタッチされると,相手につかまって「便所」に入れられる。(牢屋ともいうことがある)とにかく,自分の陣地に戻ったり出発したりをくり返しながら命を新しくしたりしながら,何とか相手の陣地を陥れようとするものである。

     今日,体育の時間,それをやったのであるが,けっこう盛り上がった。子どもたちは初めてやったみたいで,はじめのうちは,ただ陣地を出たり入ったりを繰り返していたけど,だんだん,「おとり」とか,「集団作戦」とかをつかって,攻めたりしていた。20分では決着がつかず,給食の時間もあったので,「また今度ね」としたけど,ぜひ,またやってみたい。

     私だけが思うことかもしれないけど,かもしれないけど,近頃のもどもたちは,大人の管理の下での時間が長すぎて,自分たちで決まり事をつくって遊んだり決めたりする経験が圧倒的にすくない。都会もここのような田舎でもそれは同じこと。で。「どうするんですか。どうするんですか」と大人に聞いてばかりだったり,思い通りに行かないと,おこってみたり,「もうしない!」「ずるい!」だのとなる。だいたい,こんも陣取りだって,相手よ鉢合わせしたときに,どっちが命が新しいかなんてはっきりしないこともあるんだけど,そんなところも,今日は不思議ともめたりしなかったし,だれも,ずるだの何だのと言わず,わいわいやっていた。「健全だな~」と思った。

     考えてみれば,うちの学級なんて,朝からず~っと,そんな「陣取り」状態だからな~。臨機応変さに限ってはなかなかのもの。今日の5,6時間目の社会の時間には,「日本と関係の深い国々」に関する発表に向けて,ドイツを調べてるチームは,寸劇っぽいことを織り交ぜながら発表の準備をしているし,イギリスチームは,発表ボードを作る子とイギリスのお菓子?スコーンだかを作る子と二手に分かれていたりする。で,ときどき,そのお菓子作りのチームの状況なんかを見に行っては,また調べたり,なんてことをしている。そして,こっちでは,また他の国を調べる子がいたりして…,なんて感じである。そして,ときどき,笑い声がおこったり何かしている。

     それぞれがそれぞれで,目的をもち,知りたいことを知ろうとする感じがあって,なんかいい時間だった。ときどき私は

    「あ,このことおもしろいなあ~,と思ったものがあったら拘って調べてみてね~」

    「薄っぺらな楽しさじゃなくて,味わいのある楽しさを探すんだよ~」

    なんて言って回っている。

    以前の私よりは,自分に少し余裕が出てきた感じがする。あききちさんと同じかな。お互い6年生で,悩むこともなんか同じような(失礼かもしれませんが)感じです。同じように乗り越えられるといいです。

     3月19日の卒業式まであと少し。

     

    2009-02-18卒業式に向けて

     子どもの心にすとんと落ち,かつ,達成価値のある卒業式(卒業)に向けての課題をどうするか。子どもと考えるべきなんだけど,みんなの心に響かせることなんだよな。難しいのは。あ,私が響かせようとするから難しいのか…

    2009-02-17やっぱり

     放課後,仕事で残っていると,よく教頭先生といろいろな話になる。学級の事だったり,学校のことだったり,授業の事だったり。そのたびに結局は『学び合い』の考え方に行き着くから,毎回『学び合い』の話しになると言っても過言ではない。4月以来そうだし,こちらが話す子どものことも毎日見ているわけだから,『学び合い』のよさもよく理解してもらっている。もちろん私の『学び合い』の欠点も指摘してくれる。

     その教頭先生の娘さんは今,大学生なのだが,私がしょっちゅう『学び合い』の話をするので,その話を娘さんにふってみたそうである。

    教頭先生曰く,ショックだったそうである。というのは…

    教 「授業のことを聞いたら,『聞いてる振りをしていたんだ』って言うんだよ~」『なんで?』ってきいたら,『だって話を聞いてるようにしないと先生おこるし。それに,一生懸命やってるのに,聞いてる風にしないと悪いし』だって。けっこうショックだったな~」

    西川先生の本の中には,そんな話はよく出てくるから,「やっぱりな…」と思う反面,身近な,人からそんな言葉がポンとでてくると,「衝撃的」ではある。

    勉強させられる,から「学ぶ」へと,子どもの意識の転換を。というより,勉強させる,から学べる環境を整える,という大人の意識の転換かな。

    教師の役割という点で,職場レベルで考えられる環境になってきた。

    2009-02-16楽しみ

     以前から,ずっとやってみたかった「大きな主題を共有した上での,職員の自由な実践」タイプの校内研究が,次年度本校で取り組んでみることになった。

     そのような取り組みは,前例がないため(少なくとも,今の職員にとっては)不安視する部分もあったが,まずはやってみようということになった。

     イメージは,職員間の『学び合い』。年代もいろいろ,得意分野もいろいろな職員が,自由な実践の中で交流できたらきっと楽しい。職場がそのままサークル化することも夢ではない。楽しみ。そして,その先には,職員全てが全校の担任です,といえる学校になるといい。

     焦らず,ゆっくり,皆さんの納得と合意を得ながらやっていきたい。

    2009-02-14無題

    一人一人がやりたいことに向かって,チャレンジできるクラスが目指すクラス像の一つ。その中で,お互いにできることもあれば難しいものもあったり,得意なことも苦手なこともあるんだよね~と思いつつも,それが当たり前じゃん,って笑っていられるようなクラスだといい。

     たまに凹むことがあっても,「よっしゃ,もういっちょ」と子どもたちが自分で思ったりできる,クラス環境を整えるのが私の仕事。

     漢方薬や針治療みたいなイメージのクラス作りが私の理想。

    2009-02-12なかなかおもしろい

     4年生が,「月刊フォー」なる月刊誌を作って,いろんな学年に配ってみたり,3年生が「お笑い」を体育館で昼休みにするから,ということでチラシを配っていたりする。

     自分たちで勝手に面白そうなことをする空気が実に気に入っている。蛇足だが,そのお笑いは,まだまだ修行不足でかなり「お寒い」そうである。「客足がのびないな~,ありゃ」

    とは担任の先生の談。売れない芸人時代もまた必要,との結論に達した。ちゃんちゃん。

    2009-02-11校内研究について考える2

    教師が元気で,お互いに言いたいことを何でも言い合える職員室であることが,大事だ。それがあれば,子どもも楽しく学校に通える。この職場は,それがかなりの割合でできているとは思う。うちの学校が,不登校や,生徒指導上の大きな問題がないのはその当たりにも起因しているのかもなと思う。もちろん保護者の方々もしっかりしているし。だからこそ,もっとを求めるために,今までの決まり切った校内研究のやり方かさらに自由度の高いものへとしていきたい。

     当然,「新しいこと」だから不安はあるかもしれないけど,今までやってきたことでいいんだ,ということだ。今までは「共同研究」の名の下で,心理的には個々で背負っていたものを,「一見個人研究」でも,集団で背負う形にしましょう,ということだけである。

     まずやってみる,という一歩を組織としてどう踏み出すか,そこの所はなかなか難しい。

     大事なのは,みんなの合意だから無理強いはできない。次年度の校内研究体制がどう組まれることになっても,まあ,そんなに大差なくはできるかもな,と楽観してはいるけど。

     sumichanさんから紹介していただいた,岩瀬先生のレポート,素晴らしいもので,こういう風にできたらなんていいんだろうって思った。前半部分をコピーして職場に配った。イメージがふくらんで,「やってみよう」になるか「え~無理…」とひかれるか。どっちかな~。

    2009-02-10今日の算数

    算数の教科書の終わりの方に,「算数卒業旅行」というのがある。外国の計算の仕方とか,クイズ・パズルのような問題もある。

    そこのところが,『学び合い』でやっていると,とっても楽しくって,あっちこっちで

    「あ~,なるほど!」

    「え,なんで~??」

    「だからさ…」

    なんて声が聞こえてくる。その一方で。算数ドリルがいまいち進んでいない子はドリルをしながら,時々傍らの友達に相談したりしている。そんなこんなの学習の時間って何かいいなあ,と感じた。

    2009-02-08校内研究について考える

     現在,次年度の校内研究の方向性について検討している。私の提案は,テーマを大きくして(例えば学校の教育目標)その達成の手段は各自に任せるというもの。個人で全教科を通して行ってもよいし,教科を限定してもよい。教科外でも構わない。とにかく,その主題に向かって達成を本当に意識して取り組み,自己評価。相互評価できればよいというもの。いってみれば職員の『学び合い』をイメージしている。

     『学び合い』の考え方は少しずつ校内の先生方にも理解はしてもらっている手応えをかんじる。もちろん私の『学び合い』は万能ではなく,まだまだ穴も多いので,「圧倒的な成果」を示しながら納得してもらうだけのものはない。それでも,教室情報をオープンにし,TTの授業や異学年授業などを通して,「こういうのもありかも」という感じにまではなってきている。

    いままでのいわゆる「校内研究」のやり方を念頭に置くと,私の提案は,

    「なにそれ?」

    というものであろう。(他県は分からないけど)しかし,相変わらず超多忙な現場にあり,それぞれの先生方が毎日工夫して授業その他に取り組んでいるのに,それが校内研究とならず(つまり情報交換によりうまく職員間で共有できない)にいるのは実にもったいない。それぞれの先生方が自分の持ち味を生かして,日々の実践を生き生きと取り組み,それをみんなで共有するだけですてきな職場になりはしないか。

    先日も,研究主任さん(3年生)の学級と異学年算数を実施した。教室の関係で6年教室と隣の理科室の2教室を使い,やや交流しづらい部分はあったが,3年生は喜々として動き,課題を達成した。研究主任さんは年度始めは『学び合い』の考え方は理想ではあるけれど実際にはそうはいかないでしょ。という考え方ではあったが,この日の算数の後,体育でもちょっとまねしてみた,と話しておられた。

     『学び合い』をみんなが取り入れることはしなくても構わないし,強要してはいけないし,するつもりもない。職員間の学びの場である校内研究が『学び合い』の考え方で運営されればそれは自ずと子どもたちへと返っていくはずである。まだ,どういう方向で決まるか分からないが,楽しみではある。


    ●校内研究 私の提案

    2009年度の校内研究の進め方の提案

    (1)研究主題は,本校児童に付けさせたい力を明確に表現した,統一のものとする。

    ・目指すみんなで確認するため。ゴール(目的)をはっきりさせる。

    ・共同研究としてのステージをはっきりさせる。

    ・ゴールがはっきりすれば,自ずと評価もしやすい。

    ・評価規準も年度の早い段階で明確にする。

    (2)研究主題にせまる方法は各自が自分の学級の実態と,教師の持ち味など総合的に勘案してベストな方法で取り組む。手段や方法は各自に任せる。教科領域を越えるテーマになったときには,教科領域の選択も各自が行う。全教科を対象にしたものも可。


    ◇メリット

    ・目的はあくまで,主題の達成である。主題の達成に向けてベストな手段を自分で選択できる。

    ・我々は常に学級の児童のよりよい成長を目指して毎日取り組んでいる。日常の取組がそのまま研究のステージにあがる。(今年度の課題でも,日ごろの授業実践を通して検証,という言葉がでていた。逆にいえば,日常出来ないことを研究の中身にしてはいなかったか?。日常的に出来ることでないと大きな効果は期待できない。)

    ・教職員評価表の自己目標の設定と評価のシステムと合致し,日常の教育活動と校内研究,教職員価が重なる。それが自然ですよね。

    ・自分がやりたいことができる。ただし,なんでも有りというわけではなく,主題が達成できるのならば,という条件付き。手段は自分で決められ るので,やりやすい。自分のペースでやれる。

    ・目の前の子どもたちを念頭において取り組める。検証と評価がいつでも気軽に出来る。「この方法 はちょっと…」と思ったら軌道修正が容易にできる。

    ・一人一人の持ち味が生かせる。と言うことは互いに学びあえるというこ と。

    ・職員同士の情報交換が今以上に盛んになるはず。(実際には誰とも相談せずやる人はいない。学年部の枠を越えて,聞きたい人に相談するはず。今までもやっていることですよね。)

    ・授業研究もある程度,自分のペースでやれる。全校対象の授業研究会は日 程に調整が必要でしょうがミニ授業研究はやりやすいのでは。

    ・教科部提案の授業研究も生かせる。

    ・多忙化の解消に繋がり,かつ課題をもって授業改善に取り組める。

    ・研究主任は,主題や目標,目指す児童像だけを押さえておけばいいので, 負担が少ない。(しかし 今までにあまりない形なのではじめは不安か  も…)職員みんなでサポートする。つまり,みんなが自分の「研究主任」 になることである。とはいえ,日常 の取り組みを自分のペースでするだ け。

    ・自分で主体的にやらざるを得ない。自分で課題を設定して自分でそこにた どり着けるように努力しなくてはならない。与えられたテーマでなく,自 分の課題意識がまともに反映されるからやりがいがある。

    ・そして何より,本当の意味で全職員が参加できる!職員一丸となってやれ る。校長先生も養護の先生も参加できる。


    ☆このように私から見ればメリットの多いやり方だが,やれる条件があると思う。

    ①全員が納得して,この方式を取り入れる。

    ②一人一人が,テーマの達成(成果)は必ず出す,出したいという決意が必要。

    ③少なくとも,2から3人の主体的実践者が必要。研究全体をリードしていく役割を担う。(ベテランか若いかに限らないし,実践の質が必ずしも優れている必要はない。前向きなエネルギーを発する役割)

    ④いつでも相談しあえる温かい職員室(この方法がこの職員室を作る,ということもある

    ※自分が決めた目標に自分でチャレンジしたほうが楽しいでしょ?

    ※誰とでも実践上の課題を話し合えたら楽しいですよね?

    ※さあ,やってみましょう!わくわくしますね!まずはやってみることから はじめませんか。

    「こんな子どもたちに」に近づくためにベストな方法だと私は思うので提案します。他の方法がベストであるならば,その方法をとればいいだけのことです。


    ◇予想される疑問

    ■共同研究として成立するのか?「個人研究」ではないのか?

     →主題や目標が明確で,目指す児童像(評価規準)が共通なので「共同研究」です。同じ目標を目指すので「個人研究」ではありません。本時の中で,目指す児童像に近付けた姿がみられたか,単元の中で,年間を通して,などそのスパンの中で「目指す児童像」で評価すればよい。今までは教師の方法や手段がどうか?に目が行きがちで,実際に子どもがどうだったか,に話があまりいかなかったのではないか。「目指す児童像」で検討すれば共同研究になりますよね。

    ■学年の系統がそろわないのでは?

    →学年の系統,というのなら,ずっと同じ研究テーマで6年間はやらないといけませんよね。実際は2年や3年でテーマが変わっているのがこの現実です。ならば,ここで,校内研究の範囲で学年の系統をいうのはあまり意味はないのではないでしょうか。そもそも,主たる教材である教科書は学年の系統が考えられてつくられているわけですから,系統が乱れることはありませんよね。むしろ,各人がいろんな教科でやったほうが私たちも刺激を受けて,それぞれの学年でその方法がいいと思えば取り組んでみますよね。(ただし,それぞれが色々な教科でやるかはあとの話)

    ■研究が深まらないのでは?

    →ならば,深まると思う方法を考えればいいと思います。その方法を各自が学級の実態や自分の持ち味を生かして,深めると思う方法を考えればいいですよね。目標を決めて,手段は各自に任せることが私は上記に書いたようなメリットがあると考えています。深まる,とはどういうことをいうのでしょうか。目標に近づくことですよね。ある部分に限定した目標であれば,みんなで共  通した方法でやったほうが効果がある場合もあるかもしれません。たとえば100ます計算が速くできるとか,該当学年の漢字が9割以上書ける,とか。そういうことも大切ですが,それが私たちの目指す児童像ではないはずです。それらは部分ではあるかもしれませんが全てではありま せん。

    「深まった」「身になった」と思うのは,自分で「おもしろい」とか「やってみたい」と思ってとりくむことからではないですか。今まで「校内研究の授業が楽しみだな~」と言った人を私はほとんど知りません。ということは,やり方に問題があるんでは?と私は思います。

    ■一人で進めて行くのが不安に思う人はいないか?

    →一人ではありませんよね。職員室にはたくさんの職員がいます。相互にサポートし合えばいいではないですか。いままでやってきたことでいいと思いませんか?まずやってみないうちからする心配ではない気がします。子どもに何が何でも「自力解決!」のみを要求するのって,無茶なことが分かりますね!みんなでわいわいやりましょう。

      

    ■研究が進む学年とそうでない学年がでるのでは?

    →それぞれ経験も違うわけですし,全員が同じ成果をあげることはありません。それは,従来型の校内研究でも同じ事ですよね。だいたい,それぞれ違うことをしてもいいのですから,差なんてどう比べるんですか?比べることに意味はありませんよね。同じことを同じ方法でやろうとするから「差」が気になるのです。大事なのは,それぞれが目標を意識して,それを日常の授業の中で実践しながら確かめていくことだと思います。そして,ある程度の結果を出すことだと思います。最終的には結果を個人で背負うのでシビアな面はありますが,当然それまでにお互いにサポートに入りますよね。職員集団で主題の達成を図る,という意識があればクリアできることではないですか。

    ■このような形で校内研究と言えるのか?

    →校内研究はこうでなくてはいけない,というのがあるのかは分かりません。「研究と修養」に努めることが出来るのであればいいのではないでしょうか。私はその目的に達するためのベストな方法だと思い提案します。みんなにとってベストな方法であればいいですよね。  

    ■成果はどうはかるのか?

    →これも,主題や目標が明確で,目指す児童像がはっきりしていれば評価の方法も明らかになりますよね。評価の方法を考えるのが,そもそも大きな研究の柱です。

    2009-02-02箏教室で

    地域の箏の先生が,そのお弟子さんたち数人と学校に来てくださり,子どもたちに箏の授業をしてくださった。

    箏の鑑賞や実技の指導も素晴らしかったが,その先生の語りも非常に興味深かった。お師匠さんだけに,「先生」と「生徒(弟子)」という関係を明確にしてお話しされていた。

    初めの3分で,その先生は

    「先生から教わると言うことは」

    という内容でお話しをされたのだが,その凛とした語り口に子どもたちはそれだけで,ビッとなっていた。

    「人の話を聞くときに下を向くことなどありえません。そんなことでは何も学べません。そのような人は教わる気がないものとして,出て行ってもらいます。」

    「目に力を入れなさい。見るとはにらみつけるように見るのです!そうでなくてはなにが学べるものですか!」

    「人生で大事なのは人に好かれることです。あいさつ,姿勢,表情。一つ一つが大事なのです。すべて心のありようです。」

    「生徒が先生に合わせるのです。そうでなければどうして上達するのですか!」

    「因果応報という言葉があります…」

    一つ一つの言葉に力があり,子どもたちは,先生の教えに必死に付いていこうと真剣な表情で2時間を過ごした。集中力高く取り組んでいたように見えた,学習後の感想にも,多くの子どもが満足した様子が伺えた。

    お師匠さんの厳しい言葉や,間に挟める褒め言葉にある面,引っ張っていただいて子どもたちは2時間という長い時間を集中力を保って学習することができた。それで,自分の中で「集中してやりきった」という満足感を味わえたことは子どもたちにとって価値ある体験となった。

     他者でなく,自分で自分にスイッチをいれ,あれだけの集中力でやれるようになればもう無敵だなあ~。そこを目指したい。

    お師匠さんのお話しの中で

    「鑑賞のやり方というのがあるのです。鑑賞は『いいなあ』と思って聴くのです。それが大事なんです。」

    とおっしゃっていた。受け入れて,楽しむ気持ちがないと何も入っていかないという意味か。何事もそこから何かを得よう,得たいという気持ちで取り組まなければ,進歩はないものである。いやいややっては,出るのは文句と愚痴ばかりになるなあ。私も毎日が勉強だ。今日もたくさん学べていい一日だった。

    付け足し。お師匠さんの語りには,「何としてもこの中身を伝えたい」という強い思いが感じられた。やっぱり,どれだけ本気で語るかなんだなあと思う。どんな言葉を使うかというよりも,どんな思いで語るかだ。