次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2009-01-24校内研究「算数に関するアンケート」から

    本校の今年度の校内研究の研究教科は算数です。年度末になり,研究の評価を行うために子どもたちへのアンケートを実施しました。

    (算数が楽しいと思うのはどうしてですか)

    ○みんなに教えてもらってだいたいのところを理解できるようになったから

    ○つまづくところがなく,すらすらできるから

    ○教えてくれるから分かりやすい

    ○自分でドリルを進めて分かったり,友達に教えてもらって分かったりしたから

    ○教科書やドリルに書いてあることが分かりやすいし,分からないときは友達にきく

    ○前にやったことがある問題や,やったことはないけど分かれば解けたりできたりしたから

    ○6年生になってほとんどできるようになった

    ○算数が得意だし,分からない時があっても友達が教えてくれる

    ○納得できるから

    ○友達や家族に教えてもらうから

    ○友達や近くの人に教えてもらい分かるようになった

    ○前は勇気がなくて友達とかにきけなかったけど,6年生になったら勇気が出てきたので友達にきいて分かるようになってきた

    ○友達にも教えられるしテストでも90点以上はとっているから

    ○友達などと動いて出来るので分からないときは教えてもらえばいいのでだんだん好きになってきた。

    ○難しい問題や課題をみんなで考える

    自分で分かること,そのために友達や家族に相談できることが楽しいにつながっているのは,当然なことと言えます。だからこそ,みんなが分かると言うことを追い求める必要があります。

     「分かる」という感覚は,個人個人で異なるもので,教師から見て「分かっている」と感じても本人は「まだあまり分からない」と感じていたり,逆に「まだ十分分かっていないなあ」と感じていても,本人は「分かった」と思っていることもあります。だから客観的な指標としてテストがあるのでしょうが,テストの結果を客観的という理由だけで教師が重視すると,子どもたちのやる気を失わせてしまうことにもなりかねないと思います。テストの結果を見て,自分で(もしくは仲間で)もっと点数がとれるようになろう,という内からの欲求を引き出したいものです。

    わが学級のある子が,そのアンケートの別な項目での記述欄にこう書いてくれました。そのアンケートを今手元にないので正確な記述ではありませんがおおよそこのような内容でした。

    「自分が分かるために,がんばって勉強して教えられるようになって,がんばっておしえても,みんなにならないとおこられる。そうするとやる気がなくなる。」

    と。このアンケートをみて,早速,その子に謝りました。そしてそのことをちゃんと書いてくれたことに感謝しました。もちろん怒っているつもりはないのだけれど,受け取る子どもの方がそう感じたのであれば,それは同じことです。「みんな」を求めるあまり,私の方に焦りが出た結果です。

     その後,子どもたち全員にもこのコメントを紹介し,そう感じさせてしまったことを謝りました。そしてまたなぜ「みんな」が大事なのかも話しました。人間はときに,自分たちに甘くなってしまうことがある。「まあ,がんばったから」とか「仕方ないね」で自分たちを甘くしてしまう。だからこそ,本当にみんなを達成して,自分たちが願う学級を創って欲しいと話しました。

     その時間その時間の「みんな」を求めることももちろん必要なこと。一方で,長いスパンでの「みんな」の物差しも持ち合わせること。それはもちろん分かっているつもりではいましたが,まだまだ自分の中で状況に応じた使い分けがうまくいっていないのでしょう。とんたんさんが言う「ゆーっくり」ともつながるでしょうか。

     とにかく,子どもたちからもこういう指摘がもらえることがうれしいですね。私もいっしょに学ばせてもらっています。