次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2008-12-23冷たいようだが

     子ども一人一人の声を聞きあれこれやってあげることがいいこととは限らない,個の要求にいかにきめ細かく対応することが必ずしもよいことではないと考えられるようになったのは今年の成果の1つ。今まではそれが大事だと思っていたから。教師が介入すればするほど子どもたちは自分たちで解決することを忘れる。だれかが何とかしてくれると思ってしまう。何とかならないと「ナンデ○○してくれないのか」という。それでは,その子(たち)の本来持っている力を発揮させてあげることはできない。でも,放任とは違う。子どもたちがどう動くか,どう解決のプロセスを歩み出すか,じっと見ているつもりである。必要なときには必要なことは言う。子どもたちをコントロールする気は全くないが,目指して欲しい方向性は示す。

     私があれこれやって,見た目,うまくいったかのようにするのは,簡単だしそっちの方がずいぶん楽ちんだ。でも,それでは力が付かない。

    とんたんさんの学級便りを頂いた。実に丁寧に保護者向けに,担任が何を狙ってこうしているのか,子どもたちの今の現状はどうで,今後こうなっていくだろうなど,説明している。毎号。保護者への丁寧な説明は私には足らなかった。前任校では保護者との飲み会がわりとあったので,その中で十分話してきたし,7年もいたので,お互いある程度は分かっていた。今年は1年目という事もあり,保護者全体と話す機会もあまり無かったし,私自身積極的に出会った保護者に伝える機会を作ってこなかった。そこは反省点である。

    とにかく全ての子どもを学ぶと言うことから,逃げ出させずに,みんなでやっていきたいのである。勉強が苦手と思っている君も,君も,大丈夫やれる,みんなと一緒にやっていこう,そう思うからこそ『学び合い』を選択している。そして,だからこそ,私は子どもたちを若干突き放して,見守りたいのである。

    2008-12-17ドッジビー大会

    この1週間,児童会の計画委員会主催のドッジビー大会が昼休みに開催されている。1~3年生4名と4~6年生4名の混合でチームを編成し,計画委員会にエントリする形式。

    計画委員会のメンバーは,各参加チームのとりまとめから,試合日程の計画,トーナメント表の作成,放送や掲示による試合の連絡,試合会場の設定と審判,などなどすべてを取りしきっている。たいしたもんだ。おまけに,参加チームすべてのメンバー表も,いつの間にか印刷室で印刷し,自分たちで丁合して冊子にして配っていた。

    なかなかやるものである。おかげで毎昼休みはギャラリーも集まり,ドッジビー大会で盛り上がれる。もうすぐ決勝が行われる。

    「計画委員会の時間が楽しみ!」という委員の子もいる。なんか嬉しい。

    2008-12-16役割

     近頃,子どもたちの学習が今一つである。学び合う友達が固定化しまい,「みんな」が達成できない。高い達成度で学ぶグループもある一方で,時間をかけてどうもエンジンがかからず,かけた時間に見合う結果を出せないグループもある。

    しつこいようだが,また「みんな」の意味について話す。

    ○みんながよりよい仲間作りをすること

    ○一人一人がよりよい学習者になること

    を私は願っている。子どもたちの願いも一致する。だからその実現のためにどうするか,だ。

    学校は学習する場だから,学習を通して「みんな」の達成を目指す部分が多くなる。課題を達成できないグループや友達を見て見ぬふりをすることは,日常生活では,様々なことで困っている人を放っておくことと同じである。勉強が得意な人はなるほど,授業中はそれほど「困る」ということは少ないかもしれない。しかし「勉強」という狭い範囲でなく,もっとひろく学校生活や,日常生活で考えれば勉強が得意な人も助けが必要なときがたくさんあるはずであるし,助けられている。だからお互い様なのである。「みんな」を目指すことは,やはりひとりひとりのみんなにとっても大きなプラスになる。

    「みんな」を意識し,「みんな」の意義がわかり,「みんな」の達成のために動いてくれる子どもたちもたくさんいる。「みんな」をどう徹底するか,結局最後はここなのである。ここをしっかり守り続けることが私の役割なのである。

    2008-12-12どう伝えるか

     「やらされる学習」ではなく「自らの必要感から学習する」気持ちを持って欲しいと思って4月以来『学び合い』を進めてきた。それは,単に「勉強」を乗り越えて,自らの生き方を創ることにも繋がると思っている。子どもたちは,『学び合い』の学習方法でもちろん困ることはあるだろう。今まで「教えてもらう」「やらされる」学習できたのだから。しかし,今では,課題の達成を意識して,自分たちで学習できる彼らである。「みんな」が達成できないときもある。個人差をまだ埋めきれない部分もある。しかし,なんとか「みんな」を達成しようとする彼らを素晴らしいと思うし応援したい。

    保護者の「学校教育に対するアンケート」。「先生たちの子どもたちの学習指導は適切か」について,(まだ半数も集まっていないが)「改善の必要」という返答が,集まったうちの半数くらいあった。ふ~。記述欄には何の言葉もないのでその真意がどこにあるのか分からないけど。やっぱり今までの普通の授業と見た目が違うことがあるからなのかな…。がっかりはするけれど,子どもたち自身の成長は見て取れるので,焦らずそしてぶれずに行くしかない。ただ保護者の真意が何処にあるのかは確かめないと次に進めない。

    見た目「教えるのを控える」ことが,やっぱり「先生はナンデ教えないの?」となっているのかな。なぜ,あえて直接教えるのを控えているのかということを,もう少し丁寧に伝えていかないといけないかな,と思う。転任1年目の試練もあるのかな。

    4月の学級懇談会では『学び合い』についていろいろ質問され,それに答えてきたし,その後の学級通信でも折に触れ授業についても知らせてきたつもりではある。その後の学級懇談などでも,特に授業のやり方については何も出なかったので,応援してもらっていると思っていたらそうではなかったということか。人としてはがっかりし力がぬける思いだが,この機会をどう次に生かすかを考えた方がいいだろう。

     しかし,この無記名式の,記述もないアンケートで本当に手を取り合ってやっていけるのかなあ。やっぱり直接聞きたいよなあ。

    2008-12-06飲み会で

    仮に,学校内で,うまくいかなくなってしまう学級がでるとする。そういうときにどうするか。昨日の宮城の会での飲み会で話題になったこと。

     『学び合い』の考え方からいくと,どこかの学級がうまくいかなくなったら,それはすなわち,自分の学級(加えて,学校そのもの)がうまく機能しなくなることに繋がるわけだから,職員集団で前向きに「じゃあ,どうしていこうか」と課題を共有し,解決策を探ることになろう。教師同士のネットワークをいかに作りだし,機能させ,具体的に行動に即移すことだろう。○○会議を開いて,なんてことよりもまずはその辺の職員でごちゃごちゃ話してまずあは動く,かな。

     それぞれの教師が個別の動きをして,「教師集団」になれない場合は事態の解決にはなかなか届かず,ある誰かだけに「責任」があるかのような空気を作ってしまいがち。でも,そうじゃないよね。うまくいかない学級が出るということは,そうなる必然が,その集団(大人,子ども,保護者)にあると言うことだと思う。まあ,特定の教師や特定の子どもに,責任を求めるのは簡単だけど,それで解決はしない。仮にそういう要素があったとしても,全体の集団内で解決はできるはず。

     それは,教師としての立場からの対応。もっと言えば,子どもたち,それも該当学級の子どもたちはもちろん,全校の子どもたちに事態の解決策を尋ねる,かな。そんなことができる学校だと,まあ,そもそも,そこまでになることはないだろうが。

    昨日の宮城の会での飲み会で,そんなことも話しながらわいわいやりました。

    2008-12-04「学校の教育活動に対するアンケート」

    県内であれば,今だいたいどこの学校でもやっているんですが,保護者に対する「学校の教育活動に対するアンケート」。

    目的は,学校の教育活動に対して保護者から意見を頂き,今後の学校経営や学級経営に生かすことが本筋の目的である。しかしながら,改めて見直してみると,

    「このようなことを保護者に質問しても判断に困るだろな…」

    と思うものや

    「このような形式のアンケートで,保護者の真意はつかめるのだろうか?」と思ったり,

    「この質問は目的と関係ないのでは?」

    と思うものも少なくない。結果,私から見ると

    「どうやってその目的を達成するのか?」

    と思う。

    今現在,そのアンケート内容を全面的に見直して作り直している最中である。私の基本的な考えは,

    (1)今までの学校経営,学級経営のの中で意識して取り組んできたことに対して,その評価(ご意見)を頂く。ただし,それは評価者が評価できるものであること。

    理由→当然学校教育目標の達成にかかわってのものである必要がある。学校教育目標の達成に向けて意識してやってきたものが具体的に成果があったのかどうかについて,保護者の意識をたずねることで,3学期もしくは次年度に生かせるから。ただし,保護者がはっきりと自分の意志で判断できないものについてははじめからたずねるべきではないと思います。調査自体の意味が薄れるからです。

    (2)その意見が,今後の学校経営,学級経営に生かせる建設的なものになること。

    理由→目的達成のための調査だから。逆にいえば生かせるものでないと目的は達成できません。仮に,注文や批判的な意見が出てもそれはそれでよいと思います。その思いを受けて どう改善できるかを考えればいいことだからです。しかし,批判のための批判では意味がありません。「どうしたらいいのか」をともに考えられることが大切ではないでしょうか。

    (3)学校と保護者の信頼関係を結び,学校をより良くするために機能しなければならないこと。

    理由→保護者も教師も願いは同じはずです。子どもたちがよりよく育つためには立場は違ってもお互いに協力して事に当たらなければならないと思います。この調査も,子どもたちにとってよくなるために機能しなければ意味がありません。信頼関係は,相手の顔が見えて思いを伝えあってこそ培われるものでだと思います。ですから基本的には匿名でなく記名式で応えて欲しいと思います。顔が見えない,評価の理由や基準,改善への方向性も見えない,では,信頼感を培うどころか下手をすると学校と保護者の間にお互いが望まない隙間が生まれる心配があります。

    そこで私の提案は

    (1)質問内容の精選→知りたいことのポイントを絞る

    (2)記述式の回答→具体的な改善内容を知ることでねらいを達成しやすい。

    (3)記名式(強要はしない)→即改善につなげるには必要。信頼感を育てる意味でも,発言に責任を持つことにもなる。

    (4)「よい」「改善の必要あり」の選択制→4段階の選択式では「よくわからないけど,これくらい?」というような曖昧な回答が増え,改善のポイントがかえってはっきりしない。調査の信憑性も損なわれる。「調査のための調査」になる恐れがある。

    現在,職員みんなで検討中である。今後の学校教育活動に実際に生かせるように。

    2008-12-03さとうきび畑の唄

     ちょっと遅れてはいるけど,これから社会科は日中戦争・第2次世界大戦の学習にはいります。

     私は,とにかく2度と戦争は起こしちゃいけない,そういう世の中にしちゃいけないという思いを自分の中でもう一度確かめることと,子どもたちにも「戦争」について自分の身に引き寄せて考えて欲しいと思っています。

    子どもたちにとっても,もちろん私にとっても,日本の戦争は遠い過去のことであり,リアリティがありません。世界では今現在も戦闘があっても日本は「平和」です。しかし,ひとたび戦争になったら,今の目の前の子どもたちが戦場に行くことでしょう。あたりまえに,普通に暮らしていたお兄さんやお父さんが,人殺しをしなくてはならなかったり人に殺されたりするのです。そのイメージだけでも持つ必要があると思います。

    「さとうきび畑の唄」これは,沖縄で幸せに暮らしていた写真館一家の悲劇を描いています。数年前にテレビで放映されました。胸が苦しくなります。今,子どもたちと見ています。

    2008-12-01目標は世界平和って本当ですよね

    本日は,代休である。昨日はPTA祭りで出勤日だったからである。

    郵便局に行って,なにがしの会とかの会費を振り込んだり銀行に行って通帳を新規にしたりしているうちにあっという間に午前中も終わりに近づいた。

    そうだ,今日は1日。映画が1000円で見られる日じゃないか!と思い,見たいと思っていた「私は貝になりたい」を見ることにした。

    当たり前だけど「戦争を起こしてはぜったいだめ」ということ。「最大の人権侵犯は戦争」ということ。ごく普通に生活し,優しいお父さんやお兄さんであったろう人たちがあるひ突然戦地に送られ,人を殺したりもしくは誰かに殺されたりする。普通じゃ考えられない。しかし,それが現実の時代があった。だれもが幸せに暮らしたいし,自分らしく生きたいし,誰とも仲良くしたい。そのはずなのに,どうしてそんな時代になったしまったのか。

     どうしたら二度とそんな時代にならないようにできるのか。そのことを考え,じぶんにできることを実行するのが大人の役割。

    「どうしたら,みんなが幸せに,楽しく過ごせるかな」

    そのことを日々の学校生活の中で語り合い,お互いが納得する着地点を見出そうとする気持ちをゆっくり育てること。そのためには,今のうちは少々もめたってケンカしたってかまわない。

    本当に本当に大事なことは,誰にとっても大事なこと。だったら必ず思いは一致するはず。一致させる努力のできる人になりたいものだ。

    二度と戦争が起こるような世の中にしてはいけない。そのために具体的に何をするか。それが,親の,教師の,大人の責任である。

     N先生はよく「政治をしましょう」と言われる。聞こえはよくない(私だけ?)が,大事なことを守るには必要なことも多い。