次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2008-09-30劇の練習

    劇の練習は,いまは幕毎の練習である。体育館のステージとフロアの2カ所を使ってローテーションをしながら,練習している。今週末に1度,序幕から最終幕まで通せるようにしておくことを伝えている。

    昨日の練習は,質としては全然だめだった。幕によっては,途中で笑ってみたり緊張感がない台詞の声だったりして真剣さが足りない感じがしていた。でも私は,任せて見ていた。

    「ここはこうしなさい」「ここはこのくらい間を取って」「目線はこう」とかかつては言いたかっただろうけど,今回はなぜか

    「このゆるい空気から,どうやってシフトアップさせるかな」

    と考えて見ていられる。考えようによっては,劇は「遊び」なんだから初期段階ではこうやって,笑いながら,練習そのものを楽しめばいいのかも,とも思う。遊びながら,だんだん流れをつかんでいったり,遊びながらもその場面の様子をつかんだりしていくのかも知れない。なんといっても,叱られことで,「自分たちで創り上げる」感が損なわれてはならない。

    練習の最後には

    「本番は幕が開いてから閉じるまで約30分間,25人がずーっと緊張感を保たなくてはなりません。舞台に出ていようがそでにいようが関係ありません。なぜなら,全員が感動の積み木を一つ一つ積んでいくんだから。一人でも積み木を積まないと,頂上まで詰めないどころかそこから崩れます。でも,安心しなさい。一生懸命さがあれば,たとえ失敗しても大丈夫。周りのみんながカバーします。それが劇の醍醐味かもしれません。予期せぬアクシデントをどうカバーするかなんて,わくわくするね。カバーできない場合はいい加減な演技。それは,全てを一発で壊します。だから,明日からは,緊張感を持続できるように,「始め!」と「ここまで!」と声をかけるなど稽古を工夫し,演技の質を上げましょう」

    と言いました。

    そして今日。子どもたちはなかなかよくやっていた。舞台での位置どりやセリフの言い方などもお互いにアドバイスをし合い,いい緊張感も保っている。それでいて和やかさも。劇の完成までは,まだまだ,道のりはながいけど,その道のりの間に子どもたちがどんなことを考え,どう関わり,どう問題を解決しながら,本番を迎えるのか楽しみだ。この道のりが,学芸会の本来のねらいがぎゅっと詰まった価値ある学習活動なんだよね。

    「観客を泣かせるような劇をみんなで創り上げる」

    という課題の達成に向かってファイト!!

    2008-09-29課題を立てるって難しい

    分数の割り算。真分数÷真分数の計算の答えをだすのにはわる数の分数の分子と分母を逆にしてかける。この通りにやれば簡単に答えは出せる。では,何でこのようにすれば答えが出せるのか,を考えさせたかった。

    私の課題提示が悪かったのだろう,始め動きが悪く,うまく伝わっていないかと思い直し,課題文の変更などをやったもんで,もうメタメタ…。救いはそれでも,子どもたちは前向きに考え,振り返りの感想でも「○○の考えは分かったので今度は▼▼の考えを分かるようにしたい」「よく分からなかったけど,○○君が一生懸命説明してくれてうれしかった」などの前向きなものが多かったこと。それから,そっちこっちで「え~,分かんない」という声が聞こえてきたこと。分からないことを分からないと言えるのはすてきです。

    「説明する」という課題は難しいなあと思いました。どこまで説明できたらできたことになるんだろう。

    2008-09-27いよいよ学芸会シーズン突入

    どんな学芸会にしたいのか,どんな学芸会になったら満足できるのかを子どもたちと話し合った。

    いろいろ出たが,最後には

    「自分たちも感動できるように」

    「見ている人にも感動してもらいたい」

    というところに向いていった。

    「で,それはどうなったら感動したっていえるの?」

    と聞いてみたら

    「見ている人が劇をみて泣いたら」

    という。

    で,うちらの劇,白虎隊の劇の目標は

    「観客の半分を泣かせる」

    となった。

    内心,(ホントか??できるのか?)と思ってしまった…。しかし,教師が心の底から信じないとそれは子どもの目標にはならないですよね。子どもを本気にさせるにはまず,私が本気でそれを目指し,それができると心の底から信じないと,と決心しました。よし,やるぞ!!

    まずは幕ごとの立ち稽古。幕毎にセリフの言い方や演技を考えながらやっている。ときどき笑い声も聞こえながら和やかに。今まで,叱りながら学芸会の指導をしてきたこともあるけれど,それは今年はなくしたい。和やかさ,笑顔の練習を積みながら,しかも真剣味を忘れずに。子どもたちに目標を達成することによって得られるものを意識させ,その場その場で必要なことを語りながら,そして,子どもたちが「自分たちでやりきれた」という満足感が味わえるものに。考えるとワクワクします。

    週末の宿題は「俳優の演技を見て,表情,目線,間の取り方,セリフのない時の演技を盗む」。何たって,児童会の学芸会スローガンは「役者魂!」ですから。えへへ。

    放課後は5年生の先生と雑談しながら,歌の指導に付いても話していた。「学芸会のエンディングで歌う全校合唱の歌,5年生の歌声いいよね~」

    なんて話から,我が6年の今一つ歌い切れていないというか,まだ本気モードになれない悩みを話したりしている中で,

    「朝の会で5・6年で練習しますか~」

    なんて話になった。うれしい。5年生に刺激されて6年生も気持ちよく歌うことのよさに気付くに違いない。だって,みんなで歌うって気持ちいいはずだし。そして,5・6年が楽しく歌えば,我が校のの元気クラス4年生も黙っちゃいないははず。そしてわんぱく3年生も…。

    学芸会のフィナーレは全校合唱でばっちり決めて感動のフィナーレ!うんうん,青写真はきまったぞ。

    職員室も2学期になってさらに,笑顔いっぱい笑い声いっぱいでいい感じ。このスタッフなら行けそうだ。う~ん,楽しみ。

    2008-09-25事務局会議

    今晩は,宮城の会の事務局会議でした。

    皆さん,お茶やお菓子を持参してくださり,さながらお茶会のようです。コーヒーをのみ,お菓子を食べながら近況などを話し合うのもまた楽しいものです。みんな私の前任校の同僚の先生で,どなたもすてきな方なので,とてんも楽しい時間が過ごせます。

     もちろん11月の宮城の会の準備に付いても,しっかり話しました。事務局長?のY先生なんか(事務の先生なんですよ)すごい立派なチケットを作ってきてくださり,まさに「期待を上回る」ものでした。みな拍手喝采!!

     まずはそれぞれのつながりで参加者を集め始めています。

     よい会になるよう努力しますので,全国の皆さんも応援お願いします(礼)

    2008-09-23学芸会,初めの一歩。いきなり壁。

    会津若松への修学旅行を終え,次なる学級の目標は学芸会。運動会,修学旅行と並んで,いやそれ以上に学級目標の達成には重要な大きな取り組みで,1年間の学級づくりの核になると考えている。どんな卒業式を迎えられるかについてもその取り組みのしめる比重は大きい。

    運動会,修学旅行,日々の活動から学んだことを生かして,次のステップへ,という流れを意識させて取り組んでいくことが大事であろう。一つ一つの活動は単体でなく,一つながりであるという,意識を私自身忘れないようにしたいし子どもにもその意識を持ってもらいたい。

    という訳で,学芸会は「白虎隊」。本当は別なもの(「ぼくたちの階段」)を考えていたのだが,修学旅行前に何人かの子どもが

    「学芸会に白虎隊やりたいな~」

    と言っていたし,教室の空気も何となくそんな感じだったので急遽変更。

    地域で脚本情報を集めてみたら,なんとどうやら,その脚本のおおもとの出所は,福島のあべたかさんのようだ。これは偶然。ここでもお世話になります(礼)

    修学旅行前に台本を渡し,読んでおくように指示して翌日,大まかな役の希望を確かめた。25の役を黒板に列挙し,マグネットのネームを希望の役のところに貼っていく。当然偏りが出る。どうしても重なってしまった場合はオーディションで最終的に決めると言うことが話し合われていたので,

    「少し時間あげるから,移動する人は移動していいよ。」

    というと若干の調整を子どもたちはし始めた。しかし,それでもまだ役の配置はきちんと収まらない。問題なのは,隊士の母,とか,家老の妻,とかの役がこのままオーディションの入ると男子になってしまうこと。

    「学芸会の成功が私たちの目的だよね。だったら,自分がなりたい役に決まればそれでいいというわけにはいかないよね」

    といって様子を見ていたけど,なかなか動きは,見られない。まあ,子どもの気持ちも分からんでもない。やっぱり,この役をやってみたい,という気持ちも大事にしてあげなくてはいけないとは思う。子どもたちの話し合いの結果,修学旅行後にオーディション実施ということになった。しかし,劇の成功が学級としての目指すところだから,それを考えに入れずに配役を決定してしまうわけにはいかないので,私から

    「まあ,歌舞伎にもあるように,男子が母役や妻役をやってやれないことはない。ただ,この白虎隊の劇を成功させるためには,男子が女性役を演じても会場に笑いが少しでもおこるような雰囲気を作らせないくらいの演技をみみんながする必要があるね。それだけの覚悟があるのなら,おもしろい。それと,女性役をする男子が出た場合にその男子が本当にその役に挑戦する,と本気で思うようにみんながサポートするんだよ。」

    と話した。(ここまでも2時間もかかった…),

     どうなるんだろう…,と私自身も思いながら,昨日役決めのためのオーディション。隊士2人分のオーディションが終わった当たりから,何人かの子どもが

    「どうする…?」

    の声が。このままオーディションを続けていくと本当に母,妻役が男子になることが現実味を帯びてきたことに気付いたようである。結果,数人の女子が薩摩藩士から母,妻役に移動し,仮に隊士役のオーディションに落ちたとしても女性役となる男子はいなくなった。ここまででタイムアップとなり,最終的に最後のオーディションを24日の休み時間に行うことになった。  隊士のオーディションは規準を「声の大きさ」とした。子どもたち自身に判断させたのだが,今日のオーディションをみる限りでは,中には?と思われる判定もあった気がする。子ども自身に判定させると,規準以外の要素もその判断に影響を及ぼすのではないか,と思われた。子どもを信じる,子どもと大人は同じ,その集団のなかにいる人こそがベストの判断ができる,というが,ここでは私に迷いが生じた。私は子どもたちに

    「声の大きさ,という規準で判断するといったけど,みんなの判定に公平性があったかという点では疑問を感じる所があった。残った隊士2役のオーディションは,先生たち(数名)でやりたいのだがどうか。意見が欲しい」

    といった。すると,

    「先生(私)が入らないのならいい。」

    という子が数名。理由を尋ねると

    「先生は,いつも見ているから」

    と言う。私が入ると公平性が失われると考えたようだ。ふむ。

    「みんなはどう思うの?」

    と聞いたら,多くは私も入っていいというので結局私も含めた数名で24日の休み時間にオーディションを行うことになった。


    ■考えたこと

    ・自分たち自身の学芸会とするためには,役決めに関しても自分たちが(100%ではないにしろ)納得ずくのうえで決定する必要があると考えてこのようになった。自分がなりたい役に決まればいいと言うのではなく,あくまで6年生としての劇が成功し,みんなの力でみんなが満足するものに創り上げることが大事であること。(「先生,僕の役は一人しか希望がいないから決まりでしょ」という言葉は認められない。)

    ・ただし,もう少し短時間できめらるようだといいが。時間がかかったのも,それもまた大事な学習か…。ととらえることにしよう。では,子どもたちにどう投げかけたらもっと,スムーズ話し合いになったのか…。

    ・結局,最終的には大局的な見方をした子どもが自分から役をゆずって,全体に貢献したことになる。その子どもたちが損した感を味わわないように,逆に譲ったことがよかった,となるような取り組みにしなくてはならない。

    学芸会が成功に終わった後,今回の成功のキーポイントの一つだと子どもからあがるような取り組みにすること。

    ・最後の私の提案をどうとらえるか。結局,子ども自身に,といいながら最後の最後に注文を付けてしまった形になる。つまり,君たちの判断は信用できないというメッセージである。私から見れば,声の大きさという判断規準で言えば,こんなに差が開くはずはないだろう思うものもあったのでそのような提案に繋がったのであるが。じゃあ,その時に口を挟んでおけば,とも思うのだが,判定後にいちいち,「それでいいの?」というと「それはだめだ」という裏のメッセージになるし。そうなると,結局は「先生」のもとやらされるオーディションになる…。う~ん。最後の私の提案に「先生が入らないんだったら…」という提案はある意味では「完全な公平」を守ろうと言うのなら…,という子どもの提案だったのかもしれない。(でも,正直,その時私はムッとしてしまったんだよね~。私が入ると不公平ってことか??という感じで。修行が足りないのはこういうところなんだよね~)

    ・で,24日の最後のオーディションをどうするか。

    ①決めたとおり私も含めた教師3人程度で行う。

    ②子どもを信じるという原点に返り,私の正直な気持ちを語り,再度規準に対して公平性を訴えた上で,子どもたちが判定する。

    この文章を書き始めの頃は①で,と思っていたのですが書いている家に②かな,と自分の中では思っていますが,どう思います??。

    結局,最後の私の一言は

    「やっぱり,子どもに公平な判断はできない。」

    という思いからでた言葉なんですよね。結局。でも,それは私に置き換えても同じ事で,

    「やっぱり,先生に公平な判断はできない。」

    なんですよね。となれば,学芸会の目標や,学級目標をしっかり語った上で,子どもに任せるしかないですよね。結局はそこに行き着く。

    2008-09-21「耕せ耕せ,ぼくらのからだ」

    「ダンプえんちょうやっつけた」の絵本のもとになったのは,石巻のわらしこ保育園。

    「耕せ耕せ,ぼくらのからだ」はその園長であるダンプ園長が「まじめに」書いた保育実践記録である。ずっと前に読んだのだが,きょうあらためてめくってみた。

    小さな保育園であり,園庭はない。というよりも町中が園庭なのである。土筆がでるころには川の土手へ,天気がよければ神社へ,などなど。もともと高校の体育の先生だったので,体作りの視点から論じているが,「体育」という範囲にとらわれず,子どもというか人間丸ごととらえた取り組みが非常にダイナミックで面白い。いまどき,「こんなことできない」と思われる向きもあるだろうが,そう思ってばかりいては前に進めないのもまた事実。

    理想を追い求める熱い意志は,方法はまた違っても,私に勇気を与えてくれる。ちなみに,わたしの息子も「わらしこ卒園児」。

    「もっとも大きく重く,私の心の迫るものは“待つ”と言うことであった。機が熟するのを“待つ”。それはただ,これまでの親がそうであったように,手をこまねいてオロオロと不安の時が過ぎさるのを待つということではない。(中略)“待つ”ということの切なさと待った事への自信,それは「わらしこ」の親たちがいちまつの不安の気持ちを持ちながらも,「わらしこ」の保育にかけた期待への,私自身の不安の払拭でもあったし,子どもの限りない未来への生活をより地球的視野で見つめさせている。」(後書きより)

    2008-09-20修学旅行で考えたこと

    修学旅行で会津若松に行ってきました。

    「みんなと一緒に楽しむ」「人に迷惑をかけない」ことを行動の目標にして,子どもたちにも

    「極力,細かな指示を出さないから,自分たちでこの目標に沿って考えて行動してね。言われたことを言われたとおりにするのは簡単だけど,自分たちで判断し行動する力を付けることも修学旅行の目的の1つだからね。今後の学校生活や人生にも役立つはずだよ。」

    と話して準備を進めて来ました。

    子どもたちが急に文句の付けようがない行動に変わるわけではないので,必要な場面や,これはいま言わなくては,と思う場面は当然指示や注意も必要になります。でも,私の心の持ちようで,その指示や注意も内容や子どもたちへの投げかけ方が変わってくるので,私も子どももお互い納得づくの話になるので,イライラ感がないのがうれしい。

    ハイキングの時は,すれ違う人とあいさつができるのに,朝添乗員さんと顔を合わせたときにあいさつができないとか,ガイドさんが話しているときに自分たちの話に夢中になってしまうときがあるなど,考えなくてはならないこともあります。やはり自分たちだけの「みんな」になってしまって,その場にいる人みんな,という意識が足りないんだろうなあと思い,2日目の朝には

    「修学旅行は学校の外での活動だから,みんな,というのはその場を共有するみんなという考えでいかないとね。」

    と話しました。

    ようは心配り,なのかな…。今後の生活に生かせそうです。

    一緒に引率してくださった先生方も,私の考えを分かってくださり,同じ目線で子どもたちを見守ってくださったり,助言を与えてくださったりしました。感謝です。

    2008-09-11当たり前,の出来事から

    職場では児童会の担当だったり,体育主任だったり,6年の担任だったりして,全校の子どもたちにかかわる役割が多い。それが結構楽しい。児童会担当で6年担任であれば,5,6年生全体に語る機会も多いし,それを理解してくれた5,6年生が自分たちの判断でその時々ベターと思われる行動を取ろうとしてくれる。それは時によって個々人のレベルではうまくいかないこともあるんだけど,それは周りの子も,その子がベターと思って行動したことは空気で分かっているので責めたりはしない。結果,あたたかい空気が流れる。ここちいい。

    体育主任としては全校の前で短く(これがけっこう肝心)(でも短いと思っているのは自分だけかもしれないから,今度計ってみなくちゃ…)語る。そうすると,3年生や4年生だって高学年のような動きをしてくれる子どもも多い。そうすると1,2年生だって見て学ぶ。

    今朝は児童集会。集会委員で勝手に準備して始めていた。ゲーム終了後の,結果の整理の時間が3,4分あったんだけど,その間もどの縦割り班も耳障りでなくここちいいおしゃべりの時間になっていた。(しーんと待っているんじゃないところも私は好きである。)そして,結果の発表になると

    「静かにして」

    ともいわずともスーっと聞く気持ちになる。当たり前の事かもしれないけどなんかいい感じ。

    あなたはリーダーなんだから,とか6年生はリーダーとして,とか司会の人しっかりしなさい,とかじゃなく,そこに参加しているみんなでよりよい会だったり集団を作れればいいんだな。言葉でああしろこうしろいうと,それは結局先生好みの活動を子どもが作ってくれているに過ぎない。子どもにとってここちいい会,集団にするためにはどうするかを嗅覚?で感じ取って行けるはずである。

    もうすぐ学芸会。学年演技もだけど,学芸会を全校で盛り上げる空気をどう作れるか楽しみだし,1学期の運動会や諸々の活動,2学期の修学旅行や学芸会が3月の卒業式にどう絡んでいくのかも楽しみだな~。

    2008-09-08指導主事訪問終わり。

    先日,指導主事訪問がありました。授業は国語「ニュース番組を作ろう」(東書)。グループ毎に番組の構成や工夫点を相談しながら考えるというもものでした。

     自分たちのグループの計画を立てながらよそのグループにも情報を収集しにいったりしていました。なかなかエンジンがかからない子どももいて,少し「う~ん…」と思ったりもしたのですが,程なくしてまた学習の輪に戻れました。あやうくその子に注意するところでした。

    午後の分科会では指導主事の先生からは

    「学級づくりの方向性が一貫していて,それが授業にも表れている」との事でした。学級づくりと授業作りを一つに括ってとらえたいというのは私の思いなので,それはそれで素直によかったのですが,まだまだ,子どもたち余力を残していると思うんですよね~。といえば聞こえはいいのですが,まだまだ私の課題や評価がよくないと言うことですね。

    私が中だるみしないようにしないと…。

    2008-09-04どうしてか

    修学旅行が今月の中旬過ぎにあります。だから今はちょうどその準備期間です。

    自主研修のグループや部屋割り,行動のルール作りなども,まず子どもに

    「どうする?」

    と投げかけられます。どれも,多少ああだこうだと話し合いながら,まあ,程なく決まります。じっとその様子を見ているのですが,派手に大騒ぎして喜ぶ子もいなければ,逆にしょんぼりする子もいません。そこそこ,うまく納得して決めているようです。それでいいんだと思います。

    全時間『学び合い』でやっていますが,とびきりすばらし『学び合い』ではありません。掃除ににしても,ときどきふざけ半分でやっていて,ときに

    (おいおい…)

    と思うこともありますが,まあ,なんとか普通にやっています。

    特別,すばらしい学級になったわけではないのですが,1学期のように胸の中で押さえていたイライラ感(ときどきですけどね。)は2学期になってありません。不思議です。

    少々はめをはずすことはあっても,大きくそれることはないという安心感が私の中にできてきたのだと思います。その根拠がどこにあるのかよく分からないけど,心地よい毎日を過ごせています。

    2008-09-03点数はつけない

    朝の読書で「効果10倍の学びの技法」を読んでいたときに

    「う~ん…」

    とうなってしまった。

    第4章「評価が変わると授業が変わる」の所の「テストやレポートの返し方を変える」のコーナー。

    「確かに…」

    と思える内容。学ぶ意味が腑に落ちてきた集団なら,というか腑に落とすためにも,大事なことではないか,と感じた。実行する意味は高いと思う。

    2008-09-02話ながら

    仕事が忙しくなって,夜,職員室に居残りして仕事を終わらせなければならないときがある。そういうとき,同じく職員室に残っている先生とあれこれおしゃべりをするのだが,その時間が(時には1時間を超える…)私にとっては貴重な学習の時間だ。

    しゃべりながら

    「ああ,そうか…」

    と思うことが多い。目指せ学び合う職員室。

    2008-09-01はまぐりとイソギンチャクとやどかりと…

     勉強が苦手な子どもほど,自分から何かを獲得しようと「見た目」動こうとしない。まあ,様々な要因で動けなかったりするんだろうから,それ自体を責める気はない。しかし,いつまでも,だれか来てくれないかな~とのんびり待っていられてばかりでも,それはそれで,今後その子も困ることになるのでは,と思う。

     だから,だんだんと自ら主体的に物事にかかわっていくような前向きなエネルギーを出して欲しいと願うのである。

    (どう言ったら分かるかな~,責めても仕方ないしな~…)

    と考えていたらいいことを思いついた。

    「お~い,いつまでもイソギンチャク君ではこまるな~。餌が来ないかな~なんて待ってばかりいてもダメだぞ~。そうそう,ヤドカリくらいにならないと!」

    なんてへらへら言っていました。

    子どもたちは

    「魚は?」「ウツボ!!」「鮫!!」

    とか言っていたので

    「それじゃあ怖すぎ!くい殺される~」

    とか言って楽しんでいた。

    ふと,思いついて

    「あ,あと,はまぐりではダメね~。」

    といっていたらうけてくれた。あははははは。


    しょうもないことで喜んでいてすみません…。