次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2008-08-14そのまんま

    父の葬儀の時にお世話になったところより,半年に1回ほど会報が送られてくる。今まで,それほどしっかり読んだことは無かったのだが,今回はどういう訳か,目を通してみた。

     そのなかのに「そのまんま・そのまんま」というタイトルで文章がのっていた。それによると大乗教典の「法華経」には『諸法実相』という教えがあるという。それは「全ての事物(諸法)の真のありよう」という意味だそうだ。そして。その真のありようは,仏様だけが分かるのであって,人間には分からないということだそうだ。

     働き者のイメージの蟻も本当に働き者なのは2割であって残り8割はそうでもないらしい。その働き者の2割を集めてもやはりその2割しか働き者にならないとのこと。怠け者,とされた8割を集めるとその2割はまた働き者,となるようだ。だから,真実の姿(実相)は目に見えないものであって,人間には分からないものであって,分かろうとしてはいけないものだという。

     つまり,私たちは今ある姿そのままでいいのだ,そのままが真実の姿なんだと思うべきだという。

    今ある姿を,自分に対しても他人に対しても受け入れることを教えているのだと思う。それは決して,現状に満足せよ,ということではなくて,今ある姿や状態をマイナスにとらえてエネルギーを失う事なかれ,と言うことだと解釈する。

     世の中には出来ることもあれば,できないこともある。やりたいこともやりたくないこともある。できないと思っていたができることもあるし,やりたくなくてもやらなくてはならないこともある。いろいろだ。できる,できない,やる,やらない…。それらは自分と自分を取り巻く環境(人的,物的…)に左右される。自分だけで判断し決定していることはまずない。

     

    みんなが「同じように」算数ができたり,水泳ができたりしたら,気持ち悪いし,そうなるはずはない。異なる人間を,同じ規準で「評価」しようとするから,「できる」「できない」が生まれるわけだ。それで有頂天になっていたり,がっかりしても仕方がない。世の中にはできることもあり,できないこともあり,で,それでいいのだ,と思えることがやっぱり大事かな。

    「できること」「できないこと」をみんな抱えながら,それでいて,「できないこと」を恥じずにいて一向に構わないということだ。

    人間いろいろ,だからいいね,といことだよね。内田先生が講演でおっしゃっていたこともこういうこともあるんだと思う。