次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2008-06-29児童会

    子どもたちが自分たち自身で学校がより楽しく,生活しやすい場にするという活動が児童会活動。

    だから,その目的にそう活動であればどんどん奨励していきたい。

    先週は,わかば児童会主催のドッジボール大会と,移動給食を実施した。移動給食は,違う学年の教室におじゃまして給食を食べるというもの。先日は日を違えて6年生が1~5年の教室に5人ずつ移動して一緒に給食。

    いろいろな形でたくさんの子どもたちが,自由に交流する体制を作っていきたい。

    2008-06-28学級参観・学級懇談

    今日は学習参観日でした。算数の単位当たりの量。(速さの表し方)自分の歩く速さや急ぎ足の速さ,片足けんけんの速さを求める学習をしました。

    場所は体育館です。こういう形なら,『学び合い』を保護者に見てもらうのにもほとんど抵抗はありません。そもそも座席がないし。(笑)

    初めはやや教師主導のように3分ほど,課題の確認を行いました。子どもたちにはしっかりホワイトボードに注目するように指示し,話ました。その後はいつもと同じで「さあどうぞ」です。

    子どもたちはグループ毎に交互にタイムを計りながら,1mあたりの時間や1秒当たりの距離をみんなでわいわいと求めていました。授業の終わり10分前にはみんなを集めて,課題達成の確認と,1人の結果を板書して,速さ比べ。ちょっと教師主導風に。5分前には,

    「さあ,みんなで会場の片付けをしよう。それぞれ自分たちで仕事を探してやってね!」とだけ声をかけ,みんなはああだこうだと言いながらそれぞれに片付け。

    前回の学習参観(4月)ではいきなりの『学び合い』それも2週間目をもろにぶつけたので保護者もちょっと面食らったようで,その後の懇談会ではちょっと質問攻め(詰問?)を受けたので,今回はちょっとソフトに提示してみました。

    授業後,教室に戻る途中にある子のお母さんと話したのですが

    「特定の友達としかつきあえなかったり,しょっちゅう友達とぶつかり合っていたりしたんだけど,あんなふうに男の子とも女の子ともいっしょにやっているんですね。びっくりしました。」

    とおっしゃてくださいました。

    その後の懇談会にも,前回のような『学び合い』への質問はなく,少しずつ認められてはきたようです。ただ,まだ完全では無いと思うので,これからもまめに情報発信していきたいと思います。謙虚に,謙虚に。

    2008-06-27「個別指導」

    いわゆる「学力」差が大きい場合,なかなか子どもたち同士の学び合いでも,苦しいことがあるみたいです。それはもちろん,子どもたちの動きがまだ十分でなく,全ての子どもが縦横無尽に課題の達成のために動けていないからです。一部の「出来る子」「教師の意図が分かる子」で背負ってしまっている感じなので苦しいのです。全ての子どもが課題達成のために動ければ,「学力」的に大きく落ち込んでしまった子でも,自分のベストな学習パートナーを見付けられるのでしょうが。

    みんなが課題の達成をする,と言うことを私が本気でやる気であることを,示すために,場合によっては個別指導もする,と宣言しました。もちろん私がベストな教えてではないことは承知の上です。子どもたちに

    「やっぱり本気でやる気なんだ…」

    と感じてもらうためです。子どもたちの中で解決できる方がいいということを話した上で,場合によっては個別指導もやろうと思います。『学び合い』の考え方を保持したうえでなら,それも有りでしょう。

    2008-06-26明日からまた

    今日は出張で,学校を1日あけました。でも,夜にPTAの用事があったのでまた学校にもどりました。そうしたら,親について,我がクラスの男子が2人来ていた。

    「どう?ちゃんとやれた?」

    と尋ねると

    「うん,大丈夫。ちゃんとやれた。な。」

    と2人。どの程度のちゃんとかは分からんが,でもうれしい。

    先日の全校授業研究会。真っ向から『学び合い』で挑んだが,賛否両論。まだまだ私の力不足。でも向かっている方向性は間違っていないはず。明日からまたがんばろう。

    2008-06-23「みんな」の求め方は,難しい

    子どもたちには「みんな」を求める。自分だけできるんじゃなくて,みんなが出来ることが大切だと話す。そして,それを具体的な「結果」で出すために「みんなが○点」という基準線を出す。しかし,それは決して点数が大事なのではないことは自分では分かっているつもり。

    昨日,S君のお母さんと話をした。

    「先生の言う,『みんなが○点』以上って親はとってもプレッシャーを感じるなあ…。勉強が出来る子の親ならそうでもないかもしれないけど,うちみたいに勉強が得意じゃないと,『うちの子のせいでみんなに迷惑をかけてないか?』とか『分かる子に苦労をかけてやいないか』と思っちゃうんですよ。ましてや,通信とかで,『みんな』の達成に向けて,とかって書かれちゃうとね…。Sにしても,説明されて自分が分からないと悪いと思って,追い込まれているようなかんじなんですよね~」

    とのこと。

    「とんたんさん」のブログにもあったように『学び合い』は「教え合い」ではナイト思う。とはいえ,実際の授業の中では双方向の『学び合い』が出来る組み合わせと「教え合い」に終始してしまう組み合わせが生じる。「教え合い」に終始してしまう場合は,授業の後半で,ある程度分かった子どもがまだ分からなくて困っている子どもに「教える」場合に多い。それも,こと学校の「学習」という範囲で考えれば大方,「教える」立場の子は教える役回りをすることが多く「教えられる」子は教わる場面が多い。もちろん,「教える」子も勉強にはなるだろうし,教えることで学ぶことも多い。ただ,その感覚は教師の立場での言い分であったり,「教える」立場の子どもの感覚である。おそらく「分からない」子どもにとっては「おれが分からなくて,○君,勉強になったでしょ。」とは思わない。

    「みんなが課題を達成することをみんなに求めること,そして結果を出すこと」を求めることは,下手をすると,「いつも僕のせいで,みんなが課題を達成できない…」と思うことにつながる可能性がある。ましてや,「僕が課題を達成できないことでみんなが注意された」と思うとどうか…。それが積もり積もってしまうと集団に対する所属感さえ失ってしまうこともあるのではないかと考えさせられる。

    学び合い』では個にこだわらず集団としてとらえることが必要だと理解していたし,事実そのようにとらえた方がよいことのほうが多い。ただ,それは教師が個の思いにも寄り添おう,という感性を持ちつつ集団を見ていくということだと思う。ちょっと最近の自分は,個にこだわらないということを意識しすぎて,個の思いをつかむ努力を怠っていたようである。同じ「みんな」を求めるのにもそこらへんの感覚が言葉や態度の端々に出ていたのであろう。

    S君のお母さんのおかげで,視野が狭くなっていた自分に気付くことができた。ありがたいことである。

    それにしても「みんな」の求め方って難しい。便宜上とはいえ,点数を教師が求め続けるのは,子どもを追い込んでしまうこともあるんじゃないかなあと思う。子どもの中から「よし,今度は○点以上を目指すぞ!」となれば,いいだろうけど。要は「みんなの力を伸ばす」ということなんだよね。それを分かりやすくするための「点数」なわけで…。点数が一人歩きをしないように気をつけなければ。

    2008-06-17ぼちぼちいきましょう

    我が学級の『学び合い』も3歩進んで2歩下がる,だったり,どうかすると4歩も5歩も下がってしまうことがある。

    昨年度,3年生の頃は,学級の特性もあるのかもしれないが,かなりみんなで動き回ってやっていたんだけど,今年の学級(6年)はそれに比べて動きが少ないんだよな~。全体的に学習に対する意欲は上がってきているとは思うんだけど,「みんな」を達成するぞ!というオーラがなかなか出ないなあ…。

    ここで焦って,私がなんやかや言いすぎると,かえってよくないと思うので,じーっくりじーっくりやっていくことにします。結果を早く出そうと焦りすぎないようにしよう,と自分に言い聞かせる日々。

    2008-06-12「みんなで支えよう」

    勉強の苦手なA君がいます。今のところ他の子と大きく差がありすぎて,『学び合い』でも苦労しています。子どもたちはA君に関わって何とか教えようとするのですが,そのA君に何ともやる気が感じられません。(教師の私から見れば,余りにも分からなすぎてそのせいもあるだろうなあ)とは思うのですが,子どもから見たら

    「やる気あんの?」

    と思われるのは必至なA君です。

    そんな彼ですから,最近,友達もあまりいかなくなってしまいました。

    学級がA君を切り出したように思えて,何とかせねばと「みんな」を語ってもあまり効果無し。どうしたものかと考えていました。

    「A君に教えなさい。」

    とは言えないなあ,と思いながら。

    先日,F君のお母さんが私に話があると学校に見えました。何かと思ってお話を伺うと

    「Fが学校に行きたくないと言っています。『学び合い』をやめてくれませんか」

    と言います。びっくりして事情を聞いてみると…。

    F君は今までもちょくちょくA君のところにいって丁寧に教えていてくれた子でした。F君は学習中一人になりがちなA君が気になって仕方がない,だれもA君の所に行かないから自分が行くんだけど,いくら教えてもA君は分かってくれないし,やる気も感じられない…もうA君に教えるだけで疲れてしまうし,A君の所には行きたくない…。でも私に「みんな」と言われるとA君を放っておいているような気になる…という悩みを抱えていたようです。

    私が「みんな」を強調すればするほどF君を追い込んでいたようです。F君だけにA君を背負わせたつもりはなかったのですが,結果的にF君が背負っていました。うかつでした。

    今日,もう一度,昨日の○長先生の評価の件も合わせて,学校教育の目的について熱く語りました。F君の思いについても話しました。F君の思いをみんなも一緒に背負うことの意味を話しました。そしてA君にも

    「出来る出来ないでなく,出来るようになりたいという意志を示せ。そうでないとみんなは君を支えきれない」

    と強い指導を入れました。

    今日の『学び合い』は全体的に和やかな雰囲気で進みました。F君も他の友達4人とA君について学習していました。この状態が長続きし,学級の当たり前になるように配慮するのが私の役目ですね。

    A君は今日自分から

    「かけ算プリントやっていきます」

    と言って放課後30分,勉強して行きました。がんばれA君!

    2008-06-11楽しみ

    算数の授業。いつも通りわいわいとやっていました。○長先生が,ふらっと見に来られました。まあ,たまにあることなので,いつも通りやっていました。子どもたちも,普段通りやり続けました。10分ほど○長先生は授業をご覧になって出て行かれました。

    放課後,職員評価の面談がありました。(これはこれで大変問題のある制度だとは思いますが)その中で,私の目標についていろいろと話した後で,今日にの算数の感想も話されました。

    「先生の意図は分かったけど…」

    という前置きで

    「今日の授業の子どもの満足度はどうなの」

    「学習にすぐ取りかからなかった子がいたけど…」

    「基本的な学習態度という点ではどうかと…」

    「中学校に行ったときに,子どもが対応できないのでは…」

    などなど。

    私は,子どもの満足度は,まず課題が達成できたという喜び,そして仲間と共同できたという喜びで図られると考えている旨を話しました。その点で言えば今日の子どもたちは全員課題が達成できたので満足度は高かったと思っていると話しました。○長先生の言いたい本当のところは,「満足度」というよりも,あの授業の,悪く言えば休み時間の延長のような授業が気になったみたいでした。

    確かに,私自身も子どもたちの『学び合い』に少々ダレを感じてきていた所なので,○長先生の指摘を「ある面」受け入れるところはあります。つまり,学級全体としてまだ真剣に学び高め合う,という空気が作りきれていないのです。どこかにぬるい空気を作ってしまうのです。笑いがあったりしても真剣に学んでいる学級では同じ笑いがあっても心地いいものであるようにその空気が見る人に影響を与えます。○長先生がある面否定的に感じたのならそれなりの空気があったということです。

    ちょうどいい機会です!○長先生の評価をそのまま子どもに返して

    「さあ,どうする?」

    と語るチャンスです。

    ぬるま湯から脱出するチャンスに生かせそうです。

    学び合い』に出会ってから,何事も前向きに考える思考が身に付きました。これは財産ですね。「負けない方法は勝つまでやる」ですから。じっくり時間をかけながら,学級を仕上げていき(みんなの力で。私が,でなく)

    ○長先生も納得の6年生にし,卒業式を迎えるという勝手なストーリーを思い描きました。う~ん,楽しみ。

    関係ありませんが,教員評価制度。個人目標を立てて,管理職に提出し,年度末に自己評価をさせられたあとに,管理職が「評価」をするシステム。目的は教員の資質向上だというけど。本当に効果はあるのでしょうか。どうせなら,その個人目標も職員全体に公開すれば,お互いに日々の教育活動のなかで同僚からアドバイスや励ましをもらえていいじゃん,と思います。そして最終的な評価も職員全体でやりたいよな~。だって○長先生が本当に正しい正確な評価が出来るなんて思えないですから。一番正しい評価が出来るのは自分であり同僚ですよね。ごまかしが効かないから。あははは,『学び合い』と同じですね。このこと,職員会議で提案してみようかな。どう応えてくれるかな。ある意味,楽しみ。「教員の資質向上」が本当の目的ならこのほうがいいもんね。

    問題なのはこの『教員評価』が給料にまで影響すること。密室の評価じゃ,学校がよくなるとは思えないんだけどな~。

    2008-06-09折り合いを付ける…

    「みんな」を求めつつ,指示した時間で切ること。全員が達成しなかったことをみんなの問題だと評価し,規定通りに次に進むこと。「みんな」を求め続けることをのぞけば,教師主導の授業と同じである。教師主導では(気になっても)その通りにしてきたことが『学び合い』だと気になって仕方がない。

    「折り合いを付ける」と「切り捨てる」は違うのでしょうが,それを子どもたちは実際どう区別するのでしょうか。どなたかヒントをいただければ…。我がクラスの今の課題です。

    2008-06-04子どもの身になって

    今日は,ある研修会に主張で参加しました。模擬授業を,子どもの立場で受けてきました。そこで感じたこと。

    「けっこう,手を挙げるのってたいへんだ~」

    ということ。

    初めは,私が好きな分野の話題だったので調子にのってああだこうだと2回ほどしゃべったんですけど,他の人があまりしゃべらないので

    「あれ,私ばかり話している?」

    という感じになり,おとなしくしてしまいました。自分でもなんか

    「もしかして。先生の邪魔になっている?」

    とか

    「他の人に『しゃべりすぎだぞ!!』と思われているかな~」

    とか不安になりますね。子どもたちってけっこう授業中にこんな気持ちになっているのかもな,と思いました。(研修の中身とは別ですが…)

    それから,発言したことが板書されないと,なんか「はずれ~」という感じがしてしまったり。

    「このことは,先生が求めているものではないんだ」

    というのも直感的に先生の表情で分かりますね。やっぱり。

    それから,得意なことであったり,よく知っているからこそみんなの前で話す気がしない,というのも分かりました。なんか知ったかぶりでじまんしているような感じになりますからね…。

    研修の中身についても,いろいろ考えられて収穫がありました。やっぱり『学び合い』って学び手にとってはベストだなあ,とあらためて感じて帰りました。それについては機会があったらまた書きます。

    2008-06-01感謝

    中総体が終わり,娘が所属している剣道部が見事準優勝してきて県大会を決めてきました。それも男子は優勝して,男女そろって県大会です。それで,指導してくださった先生と父ちゃんたちの仲間と今,のんできたところです。

    「剣道とはなんぞや」とか,「剣は心なり」とか「礼に始まり礼に終わる」とかなどなどいろいろ話したのですが,その全てが「やっぱり『学び合い』の考え方と同じ」と思ったのです。(まあ,そういうアンテナで考えているからかもしれませんが)

    とにもかくにも,『学び合い』の考え方は「当たり前の人間の生き方だな~」と妙に納得して,酔っぱらって帰ってきました。

    それにしても,運動神経の決してよくない娘が団体戦のメンバーとしてよくがんばってきたなあ,と思います。それも先生方や仲間たちがあってのものですね。感謝です。

    次の目標は「男女そろってみんなで東北大会に行く」ですって!