2008-05-17「気になる子の指導に悩むあなたへ」の本
今日は,午後に届いたこの本を読みました。
「特別に支援が必要」という判断は,誰がするのかということ。我々の会話の中で多く使われる場合のその意味は「教師にとって」ということ。その線引きは教師がするわけであって,
「その境界線なんてどこにあるのかな~」
なんてずっと思ってきました。
「特別」という言葉が,自分(自分たち)とは違っているから仕方ない,とかという考え方につながっていけば,つぎつぎと「特別」を作りだして関係を遮断していく方向に進みます。そして,気が付けば自分も「特別」とされて切られていく…う~ん,恐ろしい。
西川先生がいう,『学び合い』は学び合うことは強いない,一人一人が自己実現出来ることが大事だ,ということがより深いレベルでつかめた気がしました。「みんな」を願い要求し続けることの意味も「大きな集団」を意識させるためであるのですね。妙に納得しました。同時に集団が腐る,という意味もよく分かりました。そして,『学び合い』の究極の目的が世界平和(どこかの本か何かに書いてあったような気がしたのですが…)というのもよく分かります。
「生きるとはどういうことか」「幸せを追求するとはどういうことか」を学校教育,そして一つ一つの授業の中,学校行事全てのなかでとらえきれるこの『学び合い』の考え方はやっぱりいいですね。
日生連の金森俊郎先生の考え方も私は好きで本も読んでいますが「つながりあってハッピーに生きようぜ」の教育思想も目指すところは近いんじゃないかな~と思うんですがどうかな。