次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2008-05-31何かが足りないから揺れ動くのだろう

    子どもたちには,「課題の達成」という結果を求める。それは,私のためでなく,みんなにとって大切だから,という点では大方の子どもは分かってきた,という実感は持てた。

    実際の授業になると,そうは簡単に「みんな」が課題達成とはいかない。むしろ,厳密に言えばその時間時間の課題を「みんな」が達成できたことはない…。それでも「みんな」を要求し続けてきた。「一人も見捨てない学級」であることは,他の全てに繋がっていくから。

    本当に目指すところは,点数とか「出来る」とか目に見える分かりやすいところではないのだろうが,目に見える分かりやすい部分を達成せずして,その上の部分までは到達できないし,そこを達成できないと取組にも甘さが出てくるであろう。なあなあ,というか…。そしてそれは結局は「みんな」といいながら「みんな」がお題目になっていく過程だろう。

    だから,やっぱり結果は出さないと行けない。本気で結果を出しに行かなくてはいけない。そして,それを目指すのは子どもたち自身でなくてはならない。

    …しかし結果ばかりを強く要求しすぎた結果,子どもがつぶれてしまってはもともこもない。結果を出すこと(つまり評価)は大事。それは分かっている。

    あ~,やっぱり課題を本気で達成しようとする前向きなエネルギーかな。

    眉間にしわ寄せていてもそのエネルギーはでないな。やっぱり,にこにこして,そして「信じる!」ということかな。

    私の中でまだ何かがたりないから,周期的に同じようなことで揺れ動いてしまうんだろうなあ。

    2008-05-29学級の力を伸ばすチャンスに

    分数の足し算と引き算の学習。どうも途中から子どもたちの動きがやや停滞してきた観がしていた。それは子どもたちの動きが流動的な感じが停滞してきたと言うことでもあり,何となく声がしっとりしなくなって,ざらつき具合が感じられるようになった。手がついていない子にもサポートが遅く,見えているけど見えていない感じで時間が過ぎていく。

    「作業量が多すぎたか…」「課題が不適切か…」

    と問い直しながら,それでも自分自身うまく修正することができずにいた。これは結構疲れる。精神的に。

    このままテストを行えば,何人かはしずむのは分かっていたが,あえて実施。結果は予想通り24人中135点以上が12人,120点以上が6人,119点以下が6人(うち50点に満たない子どもが2人)という結果。

    一斉指導中心に授業を行ってもこれに近い感じの結果だったろうとは思うがそれにしても50点以下2人という結果はだめである。そのままにしておけない。

    この結果を早速学級通信に以下のように書いた。

    『5/28実施 24名(1名欠席)



           135点~(90点相当)    12人

           120点~(80点相当) 6人

    119点以下        6人

    ◎どうして,6人の友達を120点以上取らせてあげられなかったのかを 合格した18人のみんなは考えなくてはならない。「みんなが合格できる こと」を本気で目指す学級になれば,たとえどんな学習でも,「みんな」を大事にする学級へと成長することができる。それは今回の6人の友達のため,というよりは,自分たちのためである。なぜなら,どんな場合でも,自分がピンチの時は友達が力を貸してくれるという安心感のある学級をつくることにつながるからである。もちろん,そのピンチとは学習に限ったことではない。』

    そして,子どもたちと再度「どうしたらみんなが合格出来るようになるかを話し合い再度取り組むことにした。この失敗を成功へとつなげることが出来れば,これは価値のある失敗となるはず。「負けない方法は勝つまでやること」である。来週のリベンジテストに向かい子どもたちの健闘を応援したい。

    家庭訪問期間中にこの結果を公開することで,透明性を示し,保護者の理解も得たいと思う。教師主導より『学び合い』のほうが彼らにとってはプラスという確信があるから,勝つまで(結果をだすまで)やる。

    2008-05-25家庭訪問

    明日から1週間,家庭訪問期間です。

    4月の学級懇談会で様々質問攻めにされ,『学び合い』に対する不安もたくさん聞きました。

    「しばらく様子を見ましょう」

    ということでその懇談会が終わって,それから約1か月。その後特に「苦情」や「訴え」はありませんでしたが…。

    明日からの家庭訪問,じっくりと子どもたちの家庭での様子や保護者の今の感じ方を聞いてきたいと思います。保護者の願いを丁寧に聞き,応えていけば大丈夫だと思っています。

    2008-05-22出る釘

    本気の自分を,みんなそれぞれが出せるように早くしたい。

    運動会の取り組みを通して,子どもたちの多くは「全力でやることはきついけど,その先に充実感がある」ことをつかんでくれたと思う。今まで「まあこの程度で…」とかまわりの友達の様子を見ながら「頭を出さない程度に…」がんばってきた?みたいだが,早く「出る釘」にみんながなって欲しい。

    単学級で,どちらかというと閉鎖的な人間関係のなかで過ごしてきたこともあるだろうが,それぞれが色の違う,方向の違う「出る釘」になってほしい。

    やっと,「出る釘」が増えてきた。さあ,みんなも安心して「出る釘」になりたまえ!!いつまでも引っ込んでいてはいけないよ!!

    「いいっちゃ,(いいでしょう)失敗したって。できなくたって,命取られるわけでねえべ!まず,やらいん!(やってみなさい)」

    2008-05-21考え方の転換

    学び合い』に出会ってからすごく気が楽である。学級内の仕事やその他でも以前なら細かく役割分担を決めたりして個人に責任を持たせるようにしていたのだが,そんなことは必要無くなった。

    「みんなで,これこれのことをこれこれまでにしてほしいんだけど」というだけでだいたい済むようになった。説教をする必要もほとんどなくなったし,ことがはこばず,きりきりすることが少なくなった。

    「君たち,大人になろうよ。」

    「世の中ではさ…」

    と時々必要に応じて話せば,子どもたちは分かってくれる。

    要はやらせようと思えば,やらされていると思うんだよね。必要感がわかると,やっぱり自分たちの責任でやるもんだよね。だって,自分たちにとって必要だし利益になるんだから。

    「子どもとの関係を職員室に置き換えてみたら…」

    「大人の社会ではこういう場合…」

    と考えるのは今の私の思考の「マイブーム」。

    2008-05-20修行が足りん

    全体的には子どもたちはよくやっている。

    修行のたらん私は,そんな中でもな~んかたらたらやっている(ように見えてしまう)子が気になるときがある。

    (お~い,20分もたったぞ~,進んでいるのか~)

    とか

    (それって今必要なのかな~)

    とかの心の声。

    なんとか「その子」に注意することは回避しているものの,全体の学習を深められていない感がしてしまう。

    原因を自分に求めよ,うんうん。子どものせいにしたって仕方がありませんね。修行,修行。

    やっぱり,課題と評価の問題かな~

    2008-05-17「気になる子の指導に悩むあなたへ」の本

    今日は,午後に届いたこの本を読みました。

    「特別に支援が必要」という判断は,誰がするのかということ。我々の会話の中で多く使われる場合のその意味は「教師にとって」ということ。その線引きは教師がするわけであって,

    「その境界線なんてどこにあるのかな~」

    なんてずっと思ってきました。

    「特別」という言葉が,自分(自分たち)とは違っているから仕方ない,とかという考え方につながっていけば,つぎつぎと「特別」を作りだして関係を遮断していく方向に進みます。そして,気が付けば自分も「特別」とされて切られていく…う~ん,恐ろしい。

    西川先生がいう,『学び合い』は学び合うことは強いない,一人一人が自己実現出来ることが大事だ,ということがより深いレベルでつかめた気がしました。「みんな」を願い要求し続けることの意味も「大きな集団」を意識させるためであるのですね。妙に納得しました。同時に集団が腐る,という意味もよく分かりました。そして,『学び合い』の究極の目的が世界平和(どこかの本か何かに書いてあったような気がしたのですが…)というのもよく分かります。

    「生きるとはどういうことか」「幸せを追求するとはどういうことか」を学校教育,そして一つ一つの授業の中,学校行事全てのなかでとらえきれるこの『学び合い』の考え方はやっぱりいいですね。

    日生連の金森俊郎先生の考え方も私は好きで本も読んでいますが「つながりあってハッピーに生きようぜ」の教育思想も目指すところは近いんじゃないかな~と思うんですがどうかな。

    2008-05-15「おれだって出来るようになりたいんだ」

    勉強が苦手で,やややる気の無いような態度を見せがちだった○○君。急には得意にはならないけれど,最近少しずつやる気を出しているように見える。

    今日の算数で,私の耳に聞こえてきたのは■■君の

    「もうちょっとちゃんと説明しろ~,俺だって分かるようになりてえんだ!」

    という言葉。すごくうれしかった。

    このクラスも動きだしたかも…。そう思った瞬間だった。


    また別な話。

    もし,学級に他の子より大きく学習面で遅れの見られる子どもがいたらどうするか。悩むところです。

    我がクラスの○○君もそのような子どもです。「みんな」を求めようと思っても同じ時間内にはなかなか難しいのが現実。学級の子どもたちが本当の意味で「みんな」を達成しようと考えていたら,学習の初めからその子に関わりながら学び始める必要があるんじゃないかな~と思って見ているんですが,子どもたちは自分が余裕ができてから関わり始めるので,間に合いません。というか,どう説明しても分かってくれないからな~と思っている節もあるように見えます。さてどうしたものか…。

    この前,子どもたちにこんな風にいいました。

    「あのさ,○○君が算数すごく苦手なのは,みんなも分かっていることだよね。だから,○○君も出来るようにするためには今までのようなやり方でいいのかな~と思うんだ。例えば交通事故にあった人がいて,大けがした人がいたらみんなはほっておくかい?そうだよね,助けに言ったり,救急車をよんだりするでしょ。いくらなんでもそのままにはしていかないよね。それが人の道だよね。いってみれば,○○君は算数において,交通事故にあったようなものなんだよ。ほっておいちゃあいけないんじゃないかなあ。事故に遭ったのは○○君の責任もないとは言えないけど,それを分かっていてずっと何年もそのままにしてきたみんなにも責任はあると思うよ。だって同じ教室でずっといっしょに勉強してきたんだから。今からでも遅くはないよ。「みんな」を達成するためにどうしあたらいいか考えてみよう。」

    と。(この例えがいいかどうかは?ですが…)

    次の日,の算数は机を合わせていっしょにやろうとする子どもたちの動きは見られたのは前進かもしれませんが,○○君の理解度,というところはまだまだです。

    九九がおぼつかないのに,異分母の分数の大小を理解させたり約分や通分を分からせるとなると子どもたちも難儀しています。当然,教師が教えたとしても同じように難儀するでしょう。教わる○○君の立場からしてみれば,教師である私が教えるより,友達に教えられたほうがまだ分かるだろうし,仮に分からなくても,学級の友達とのかかわりが生まれて,○○君にとってはプラスだとは思います。

     「みんな」を求め続けることと,なかなかそれが達成されないことに対して,本人や子どもたち,私がどこにお互いが納得する結果を見付けられるかという点で考えてしまいます。「みんな」を求め続けていくことに意味があると思いますし,それを要求し続ける気持ちは私はあります。仮に,その子が課題を達成できなくても,「人格の完成」という点で成長が見られればいいとは思います。「人格の完成」という点で成果があったと子どもたち自身がつかめればいいのでしょうかね…。このへんでいつもぶれがちになるんですよね~。

    皆さんは,こんな場合はどう考えているんですか?

    2008-05-11教師の感性

    先日,自分が所属している研究サークルの例会がありました。その中の話。


    何らかの不安で,教室に入れず泣き叫ぶA君。連れてきたお母さんからも迎えに出た担任の先生からも逃げ回り家に帰ろうとする。すると,たまたま外で遊んでいた子どもが

    「俺,○○。一緒に遊ぶべ。何で泣いてんの?」

    と声をかけてくれたとのこと。そして2人で遊び始めたところ,それを見かけた他の子たちがつぎつぎと集まってきて遊び始めた。時間は8時30分過ぎ。業前活動の時間。子どもたちは担任に

    「先生,このまま遊ぶべ」

    と言ってきた。

    担任「う~ん」

    子 「A君,外の方がいいんでしょ。」

    担任「んで,遊んでいいよ。」

    母 「いいんですか?」

    担任「いいんじゃないですか。」


    A君に「一緒に遊ぶべ」と声をかけてくれた子,「A君,外の方がいいんでしょ。」と感じた子の感覚がいいなあ。そして,その感覚にピッと反応して

    「(遊んだって)いいんじゃないですか。」

    とさらっと言う担任の先生に,教師としての大事な感性を感じます。

    余裕がなかったりすると,

    「今は業前活動の時間になったんだから,君たちは教室に戻りなさい」

    なんて指示してしまうこともありそうです。

    大事なことは何なのか,それを判断できるぶれのない感性を持ちたいものです。

    2008-05-10運動会

    我が校の運動会まであと1週間です。今は,どの学年も運動会の成功に向けて取り組んでいるところです。

    私は,柄にもなく「体育主任」などという初めての役をもらい,当初はどうなることやら,と思っていました。「体育主任」というとなんか威勢良く全体を指揮し,ちょっと強面で?「気をつけぇ~!」なんてイメージがあったもので…(笑)私のキャラではありません。

    でも,『学び合い』の考え方でやると,私でも何とかつとまります。子どもたちに運動会の目標を語り,子どもたちを信じ,評価し,とやれば子どもたちは入場行進の練習でさえけっこう楽しくやっています。

    全体練習も何回かやりましたが,他の先生から

    「今年の運動会は,大きな声で指導することがなくていいね~」

    と言われました。うれしいことです。

    昨日は,縦割り対抗全員リレーの練習をしました。あらかじめ5,6年生でバトンパスの練習はしていたので,その子たちを中心に縦割り班ごとにバトンパスの練習をしていました。お兄さん,お姉さんが小さな1年生にバトンの持ち方や渡し方などをしゃがんで教えている姿にほっとします。(先生が教えに入ってしまうグループは,子どもたちの動きが止まってしまう様子も観察できました。ははは)

    私個人でも,分からないことや困ったことがあると職員室で騒ぐので,いろんな人がアイデアを出してくれて助かります。校庭のライン引きだって,体育専門の校長先生が,すっかりひいてくださいました。ありがたいことです。

    いろんな方々の力を借りて私も何とかやっています。

    月曜日は,縦割り対抗全員リレーの実走です。入場から各スタート位置に子どもたちが移動するときに混乱するかも,という心配のある先生もいますが,たぶん大丈夫です。各縦割り班の5,6年生がどうすべきか分かっているはずですから。彼らに任せます。だって,本番でミスったら,チームが負けるんですから。ははは。

    5,6年生,たのんだよ~。

    2008-05-07求めること

    テストで点数を取ることは,分かりやすい目標だし,テストで点数を取ることぐらいできるようにさせたい。しかし,その点数だけを強調してしまうと道がそれる。

    実際には学級の子どもたちは多様で,得意不得意の差はある。だからいかに『学び合い』といえども,ましてや『学び合い』途上の我がクラスではすぐに得点に成果として表れはしない。「みんなが80点以上とれるようにしよう」という投げかけはするが,それが本当の最終目的ではない。だから仮に目標の点数に届かなかったにしても,目標に向かって向上しようとする子どもたちを大いに励ましていきたい。

    分かりやすい目標となる点数を要求することと,その向こうにある自己実現への力を求めることとの子どもたちへの伝え方のバランスが難しい。

    2008-05-02思う

    学び合い』の考え方は実に人に優しい。勉強ができる,苦手。足が速い,遅い。挨拶が得意,ちょっと苦手。イラストが得意,苦手。計算が早い,苦手。我慢強い,あきっぽい…。

     いろいろな「物差し」は在るけれど,どんな物差しで測るかで評価は様々である。どの物差しが上等で,どの物差しが…ということはその場その時で異なるはずである。教師としては自分の中に数多くの物差しを持ちたいし,子どもたちにもたくさんの「物差し」を学校生活の中で増やしていって欲しい。

    とかくなんやかやと競争させられることが多い子どもたちであるが,競争でなく共に支え合うこと,共同する心を『学び合い』では育てることが出来る。

    わたしも優しくなれる。子どもたちも優しくなれる。

    今,運動会に向けて練習が始まった。勝った,負けたのレベルを超えた,運動会をみんなで味わえるよう取り組んでいる。

    「練習が楽しい」運動会に。