次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館でおこないます。7月に内容をお伝えします。
  • 2019-06-27

    そこにストーリーを見いだす

    07:43

     学校評議員会兼協働教育推進会議。

     評議員さんや協働教育推進委員の方々と学校の会議。

     

     そこでの、学校生活ムービーやホワイトボード・ミーティング®は今回で確か3~4回目なので定番になってきた。

     それはそれで大きい。

     そこでしたいことはエピソードの共有。

     そのために、上記の2つは私にとっては大事なツール。

     エピソードが共有できると、圧倒的に理解が進むって分かっているから。

     

     エピソードの共有は情景の共有

     情景の共有=情報の共有

     ストーリー

     

     今回の成果は、小中一体の「1学期の学校生活ムービー」がつくれたこと。


     小、中が別でなく一体となった「かたち」ができてそれをこのメンバーで共有できたことこと。これ大きい。


     ムービーとなることで、そこにストーリーが生まれるから。

     1つ1つの活動や出来事が、つながっていって今ここ、そしてこの先をみんなでつくろう、つくれるって気持ちになれたらうれしい。

     もちろんムービーだから、切り取ったものであり、象徴的な場面であることは認識しないといけないのは重々承知。

     だけど、今まで関わってくれた方々とこれまでを振り返るために見るそれには、ここまでのあれこれ、つまり困ったことや大変だったことも同時に想起されるはずだから(それは個人個人によってもちろんその中身は違うんだけど)その結果、こういう場面が生むことができた、と思ってもらえるとうれしい。

     「ああ、あのときこうして来たことが、ここに集まってきたみんながそれぞれ別な場で、別な活動で学校に関わってきたことが、ここの子どもたちにとってこうい学びや経験としてつながってきているんだね。」

    「そして、これから、どうこのストーリーはすすんでいくのかなー」

    っていうちょっとしたわくわく。

     どうなっていくのかわからない、そんな楽しみ。

     子どもたちも地域の方々も先生たちも、いろんな人が、それこそごちゃごちゃになって「これから何がおこるか分からないちょっとした不安、それでもなんとかなりそうというわくわく」がエンジン。

     そのときの向かう先、は学校教育目標であり、OGATSU COMPANYの「自分を元気に、みんなを元気に、まちを元気に!」なんだよね。

     つまり「快」の方向。

     「快」の方向にいくものなんだよ、何も邪魔しなければ、というのを当たり前に信じるのが『学び合い』でもあるな、と私は思っていて。

     「快」を求めるための「トライ&エラー」そこを楽しむストーリー。

     そうなると、その「ストーリー」を紡ぐこと自体が「快」になるんじゃないのかな、って思う。

         

          

             

     「モアイと伝説の海」

     モアナは危機に瀕した島を救うために海にこぎ出す。伝説の英雄マウイを最初にガイドに、そして時に自分がガイドになったり、他のガイドが現れたり。自分の心の声を信じて、あの波の向こうに命の女神テ・フィティの「心」を返しにいく。

     そうそう。

     誰もがモアナになれるってことさー。

     誰もがモアナってことさー。

     ストーリーには、登場人物がいる。

     だれもが自分のストーリーの主人公。


    f:id:motoryou:20180722175557j:image

    2019-06-26

    「人は快の方向にしか行かない!」

    06:31

     エピソード記録。

     この日は支援員の先生が書いてくださっていた。

     

     「こんな感じでいい?」

    って私に声までかけてくださって。そういうのがうれしい。

     話をきくと

    「毎日子どもたちと接していて、私なりに,『どうしたらいいのかな…』って考えたり『こうしてもみようかな』って考えたりしたことを、ノートにメモしたりしてきたんだけど…」

    と話してくださった。

     ああ…と思った。

     私たちは、こんな風に子どもたちのことを考え、あれこれ工夫してくださっていた方々の思いを、どれだけ受け取り子どもたちに返していけたであろうか、という思い。「評価」という特別な響きのある言葉に、成長を支える、という本質的な意味を時に見失い、その場その時のジャッジにしてしまっていなかったろうか、または自分だけの目でそれを行っていなかったろうか、そんなことをその一瞬に感じた。

     それが「ああ…」の中身。


     それからもう一つ。

     「体育は、全校でやってるじゃない?それって授業のあとにほんの2~3分とか5分でいいから、授業者みんなでサークルになってその時間の振り返りの時間つくってみない?そのなかで、子どもたちのエピソード交換をしたり、それぞれの課題意識も共有できるし。」

    「それを毎回するだけで、授業研究会になるじゃない。」

    「みんなで短時間で振り返り、次のチャレンジや役割を決める。他教科へのつなぎのアイデアも出てくるだろうしね。」

    と、ある先生に伝えた。


     中心になって体育を担当してくれている若い体育主任の先生にもそういったら

    「ぼくも、それうれしいです!今まで、自分でも『うーん、これでいいのかなあ…』って悩んだりしてもんもんとしていることっあります。低学年から高学年までをまとめてやっていくのに、私もまだ経験が少ないですし…」

    と。それを一緒に聞いていた、ベテランの先生も

    「えー、そうだったのー。そっかあ、ごめんねぇ。必要に応じて『こうしてもらえます?』って言ってもらえたらー。気が付かなくてごめんね。」

    「善は急げ、やろう、やろう!」

    と。


     日常的に、会話をたくさんしているこの職場であっても、こういうことは普通におきることなんだなあ、と感じます。

     つまり「授業」についての情報交換や意見交換は,思った以上にできなくて。できていなくて。


     これは私の感覚なんでどうかは分かりませんが、教員同士で授業のことをあれこれ話すと、どうも「どれがいい」とか「よくない」とかそんなニュアンスになってしまうことが多い気がする。それは、今まで「授業」が、一人の先生が特定の子どもたちを対象に行ってきた、ずっとそうだった、という習慣があったからじゃないのかな、と感じていて。

     「授業者の責任において」みたいな感じ。表現が適切ではないかもしれませんが、ニュアンス的にはそんなイメージ。だから、人の授業にあれこれ言うのは、(そういうつもりじゃなくても)その授業を批判している、みたいにとらえられかねない、そんなアンテナが働く…。違うかな?

     そうじゃなくて、「授業はチームでする」という意識になったらどうだろう?

     みんなで同じ方向を向く。

     北極星を目指す。

     つまり、学校教育目標に向かって、みんなで(子どもたちも一緒に)船を進める。

     みんな同じクルー。



     「学校教育目標ワークショップ」

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20190405

    も、「みんなで書くエピソード記録」も、授業後の「教師のサークルタイム」も、みんな「お互いの思いを大事にしながら、同じ方向を向いて進む」ため。

     なんとなく、ここまできたのかも…。


     だから、この種を大事に育てたい。

     育てるためには、どうするか。


     仕組みができればいいってもんじゃなくて、それは「育て」ないといけない。

    それも「みんなで」


     ここで、思い出したことば。

    「人は快の方向にしか行かない!」

     ある保育園の園長(ダンプえんちょう)から聞いた言葉。

     

    迷ったときにいつも思い出す言葉。



    f:id:motoryou:20190526111002j:image

    2019-06-25

    全職員で全児童をみていく

    06:46

     全職員で全児童をみていく。

     それを、本当にやるシステムの第一歩が動き出した。

     全職員で書く子どもたちのエピソード記録。

     ジャッジではなくて、その子その子のエピソードを記録していく。


     私たちは日々膨大な子どもたちに関する情報交換をしている。

    「今日ね、こんなことあったんだ、あのね…」

    「へえ、すごいよねえ、そうだっただあ。」

    「ねえねえ、聞いて聞いて!もうほんと、うれしくってさー(^^)」

    「どうしたの(^^)」

     などなど、日々子どもたちの頑張りやすてきな姿、次のチャレンジなどについて私たちは毎日話しているわけで。

    それは職員室の日常会話だけにとどまらず、会議の中でもそれはでてくる。

     そういうことを、みんなで記録として残し「合う」ことはできないかなあ、と思っていた。

    担任だけが「その子」の記録を残すんじゃなくて、全職員で全児童の記録、つまりエピソードを記録していく。

      

     それがシステムとして動き出した。

    うれしい。


    ①全職員(支援員さんや用務員さんも含め)がアクセスできる共有ホルダに個人ごとのエクセルシート作成

    ②項目は「月日」「曜日」「記入者」「場面」「エピソード」「観点」(観点は、ガードーナーもマルチ能力の観点を活用)「なぜそこに注目したのか」「備考」

    ③書ける人が書いていく

     単純にいうとこれだけ。

          

     

     これはある方話していてヒントをいただいああたことを元に実現に向けていろいろ準備して、ここにやっとたどり着いたと言うことでもあり、別にオリジナルでも何でもない。

          

     明確な視点をもって一人一人のエピソードを積み上げていく、プロセスを見取っていく。

    これは、当たり前といえば当たり前。

     なかなか、システムとして動かすきっかけを作れずにいただけ。

       

     この日の職員会議の冒頭の5分間でも、4月にそれぞれが決めた「1学期、私のチャレンジ」について、3~4人グループでおしゃべりする時間をとった(これは継続していく)けど、それぞれの「~たい」に向けての行動を、気持ちや意見を含んだ「エピソード」という物語として、仲間同士で共有していることって、まさにお互いをエンパワーしていくことになるんだと感じている。

     

     これはほぼ確信に近い。

      

     だから、このみんなで書く「エピソード記録」も

    「まあ、とりあえずやってみましょう。しばらく続けて、子どもも伸びる、私たちも伸びる、という点でそれ以上いい方法があれば、それに乗り換えてもいいです。まずは『試行』で。」

    とスタート。


     

     早速若い先生が

    「お、ぼく、ぼくこういうの好きなんですよ~。」

    「こんな細かいことでもいいんですか~(^^)」

    みたいに書いてくれている。

     

     ありがたい。

     こういう方のフォローが次の波をつくってくれるはず。

    数人が書き出せば、それが流れをつくるし、自分が書いたことが他の誰かの役に立つ実感を近いうちに感じることにもなっていくはず。他の先生が見ている視点にも気が付いたり、もっと子どもたちをよく見ようとする動機付けにもなるだろう。まさに個人も組織も成長する、そんなシステムになる可能性は高いと感じている。


     そして、ここから、エピソード満載の記述式の通信表へとプロセスをつくっていく。

     ジャッジではない、その子の成長記録としての通信表、そしてそれは同時に、子どもたち一人一人の育ちを「視点をもって見取る」という教師個人としての私たちの成長記録でもあり、学校教育目標を中心とした学校組織としてのそれにもなるんじゃないな、なるといいな、と思っている。

     

     へき地小規模小中併設。

        


    その強みをいかさないと。

     みんなと相談しながら、試行錯誤しながら進みます。

    f:id:motoryou:20190526111058j:image

    2019-06-24

    個人と組織

    06:49

    「私は基本的に個人が伸びれば、組織も伸びるという考え方をしています。試合でも、個人対個人で負けなければ組織対組織でも負けることはないと思っているのです。そのための唯一の必要条件は、その組織の、「個人の利益とチームの利益が一致していること」です。(中略)それが組織の利益になるのです。」(風間八宏)


    ◯個人の利益と、チームの利益が一致していればよい。


    職員室に置き換えてみる。

    「やり方」や手法で横並びにしようとすることってありがちです。

    「この学校としてこういうやり方でやりましょう」とか。それ自体が悪い訳ではありませんが,そこが強くなりすぎたり,双方向の意見のやりとりが上手くいかなかったりすると,次第に「揃える」ことが目的になりがち。

     つまり,行動目的が「はみ出さないこと」「同じようにすること」になってしまい,「学校を(組織)を誰にとってもよい,居心地のよいものにする」ことにつながりにくくなるんじゃないかな,と思います。

     子どもたちと同じように,先生たち一人一人にも「こうしたい」「こうなりたい」「成長したい」という願いがあります。

     だから,そういう個人の利益,欲求と組織の欲求,利益が一致すればいいってことです。そもそも一致するはずです。

     

     学校教育目標を中心に掲げ,その表すイメージを対話などを重ねる中で共有し続けるプロセスにおいて,お互いがエンパワーし合い,「ぼくらは『個人の利益と組織の利益』に向かっていっているよね」,と確かめ合えればいいんだと思います。

         

         

     そして,それはそんなに多くの時間を必要とはしないはず。

           

     ときどき,数人で,5~10分くらい話だけでいい。

    そこで話しておけば,必要に応じてあとは日常会話の中で補完は十分できるし,むしろ日常の中でできることのほうが望ましいでしょう。カスタマイズできるから。


     今の自分の考えでは,その5~10分は組織としてのオフィシャルな場で設ける(特に初期は)ほうがよいと思っています。組織としてそこを確認し合うことや場を大事にしよう,というメッセージでもあるから。

     そこ,とは「個人の利益と、チームの利益は一致する」「個人の利益と、チームの利益を一致させていく」ということ。


    職員会議の始まり5分は,「シャベリカ」でスタートしたところから,次第に「最近いいこと,ちょっと困っていること」を自由におしゃべりするなどのステップを踏んできました。1学期もそろそろ終わりを迎える今月,そのコーナーを4月にみんなで立てたそれぞれの「私の『なりたい先生チャレンジ』について4人グループくらいでちょっとおしゃべりする」そんなコーナーにしていきたいな。

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20190622

    f:id:motoryou:20190419125450j:image

    2019-06-23

    「復興」とは何か? 医療と教育をつなげて考えてみて

    10:14

    学び合い』仙南の会に参加。

    https://www.facebook.com/events/538902713266145



    テーマは、

    「地域医療の現場から見るこれからの学校教育の在り方」

     医師 長純一さんをお迎えしての会。

    https://www.nhk.or.jp/professional/2018/0312/index.html


     

     参加者は教員、保健師さん、地域の福祉や介護を担っている方々。そういう立場の方々が、いわゆる職種を越えて集まっているということ自体すごいことだなあ、と感じます。

     

     仙南の会がすっと追ってきた姿がこういう場を創っている、本当に主催のGさんすごいな…、と思います。


     医療と教育。

    (ああ、同じだなあ…)

    と思いました。


    私にとってのキーワードは、

    「ケア」

    であり

    「インクルーシブ」


     そして、だからこその

    〇境界を越えて、統合する

    〇総合的に見る、判断する,行動する

    〇その人にとって、を考える

     目の前の事実をマクロでもミクロでも、そして過去も未来もちゃんと見て(見ようとして)その上で。


     そんなことはできる?

     だから、「みんなで」なんだよね。


     まさに「生き残るために」。

     そう言ってしまうと、なんか悲壮感が漂ってしまって、「見たくない」ってことにもなってしまうかな…。

     

     でもさ、だからといって「見えないことにする」は、やっぱり違う。

     間違いなく、これからは人口は「右肩下がり」の時代に入っていく。少子高齢化社会。これは間違いない。だから、今までの人口が「右肩上がり」の時代の価値観を転換しないといけなくなってくるんだろうね。同じ価値観をもって向かおうとするから「悲壮感」も感じるのかもね。

     

     価値観を変える。

     いや、価値観を戻す?

     そもそも、何が一番大事なんだっけ?

     何を一番大事にしないといけなかったんだっけ?


     長先生は、震災後石巻の診療所に入った。

     なんというご縁。

    「命を大事にした復興に力を尽くしたい」

    との思いとのこと。


     会の中で、参加者の方とおしゃべりしていて。

    「そもそも学びってさ…」

    って話 になった。

     「学ぶってことを根本から考えると、それは生き残るためってことじゃない?自分の身を守る、食べ物を得る、とかさ。そしてそれが共に生き残るってことでもあるよね。」

     

     

     「命を大事にした復興」

     やっぱり、そこに教育の果たす役割はすごく大きい。

     そもそも医療は何のため?

     そもそも教育は何のため?

         

     そこはきっと一致するなあ、と思った時間でした。


     勤務校は震災地。

     復興、という言葉もよく聞かれます。

     でも、よく考えると,地元の方々が、日常会会話でその言葉を使うことはあまりない気がします。

     そこに「復興」とは何か?のヒントがあるような気がしました。



    f:id:motoryou:20120825134718j:image