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2014-02-10

疑問。

| 02:51 | 疑問。 - 幸福論 を含むブックマーク


今、ゼミで佐藤学さんの本を読み合わせしています。


技術的な問題の点で、小グループの組織について書かれてあって、

男女混合の4人のグループにする、というところについて、同じゼミ生から疑問が出ました。


「前に、『学び合い』の話を聞いたときには、ひとりで勉強するのもあっていいんだ、と言っていたけど、ここではグループにすると書いてある。この違いって何なんだろう?考え方が違う?」とのこと。


まず、わたしが『学び合い』について話したこと、覚えていてくれたんだ~!と嬉しくなって、

次に、『学び合い』というのは方法ではなく考え方だと言っていたのも、ちゃんと受け止めていてくれたんだ、とびっくりしました。

あんな拙いわたしの説明でも、ちゃんと聞いてもらえていたなんて。


この本には

「どんな学びも個人で行われることはない。個人で行えるのは<練習>と<記憶>だけである。」

と記述されているため、その部分と見合わせながら、こういった前提のもと、授業中にはひとりで勉強させないようにグループが決まっているのかもしれない、という結論に至りました。

助けて、を。

| 02:24 | 助けて、を。 - 幸福論 を含むブックマーク


わたしには、論理的に考える力があまりありません。

世間一般の常識には疎いし、知識もこの年齢にしては十分あると言えません。

なので、最近、とても多くの人から助けていただいて、その不足分を補ってもらっています。

実際には、いつも助けていただいているのですが、

ここ最近、さらに「助けてもらってるなあ」と強く感じる出来事がありました。


思い返すと、22年間教育も受けてきてこんなに力がついていないのも面白いことなのですが、

それでも、誰かに「ちょっと助けて欲しいんだけど」「ちょっと話を聞いて欲しいんだけど」と言える口があって良かったです。

この言葉が言えなければ、どれだけ辛かっただろう、と思います。

しかも、辛いとき(その渦中にいるとき、ということですが)には、

果たして本当に辛いのかどうかも分からなくなってしまうという、厄介な現象が起こります。


自分ではしんどい気もするけど、他の人にとってはそうではないのかもしれない。

もうちょっと頑張らないといけないのかもしれない。


という気持ちが邪魔して、「ちょっと助けて欲しいんだけど」の一言が言えなくなるのです。


わたしはその一言が言えるような周りの人たちがいてくれることに、本当に感謝したいです。

みんなにも、そういう人がひとりでも多くいればいいのにな、と思います。

「助けて」が見える環境、そして、ゆくゆくは「助けて」が見えなくなっていく(見える前に誰かが寄り添える)環境だと、住み心地がいいんだろうなあ。

そして、『学び合い』はそれを作り出せる考え方なのだと思います。

daitouirukadaitouiruka 2014/02/11 06:34 1人という状態を物理的な面や時間的な面や内心的な面から考えてみたらどうでしょう?
『学び合い』で1人でもOKというのは、その時点で物理的に一人でいても「全員の課題達成を意識しての行動の一場面であるなら」という前提があると思います。
また、短い時間だけ切り取って1人だからといって、他とのかかわりがないとは言えません。
誰かと対話する下準備として何かを調べたりまとめたりしているときや、誰かの言葉を反芻しながら頭の中で対話しているときもあるでしょう。それは、「練習」や「記憶」とは違うと思うし、佐藤先生ものべつまくなしに他人としゃべっていなければ学んでいないと言っているわけではない思います。たぶん。
佐藤先生の講演は何度かお聞きしたことはあるものの、本などでしっかりと勉強したわけではないのでわかりませんが、男女混合4人の班とそうでない場合とを学術的に比較した研究はあるのでしょうか?
「経験上そういった印象がある」というのであれば、私個人の印象では、そうである場合もそうでない場合も「経験」しています。
と、いうことで今のところは、「子ども達自身に判断してもらい、その可否をその都度振り返ってもらう」方が合理的で、今後の自主的に学ぶ力を育てるためにもなるのではないかと思っています。

mei-c5mei-c5 2014/02/11 22:25 >>daitouirukaさん
その通りだと思います。下準備の時間も、ひとりで考えている時間も学びに入りますよね。
今回読んでいる本は、とても薄い本なので、その分内容が凝縮されていて、学びの共同体初心者にとっては理解しづらいところもあるのかもしれないです。
グループの編成についても「どの形態の授業よりも強制的に学びを促す機能」と紹介されていましたが、事例については詳しく記述されていませんでした。

>「子ども達自身に判断してもらい、その可否をその都度振り返ってもらう」方が合理的で、今後の自主的に学ぶ力を育てるためにもなるのではないか
何か違うなあ、と感じていたのですが……結局そこだと思います。
子どもにどれだけそれが委ねられているのか、です。
ただ、合理的だと思うことと、実際に行動に移せるかということの間には、何故か壁があるんですよね。難しいです。

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