2014-03-01
前夜祭。
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軽音学部では3月の初頭に、今年度卒業される先輩方を送る大きなライブイベントがあります。
その前夜祭に出演させていただきました。
わたしたちのバンドは、毎回ライブに出る前に必ずメンバー内で確認し合う目標があります。
それは、「今日出演する誰よりも楽しむこと」です。
みてもらうためにやるべきことはたくさんあって、
技術の向上も、機材の質をよくしていくことだって、どんどんすればいいと思います。
けれど、音の一体感や、それぞれがどれだけライブを楽しんでいるかというものは、みている人にはっきりと伝わるものです。
他人のライブをみに行くと、それを余計に強く感じます。
だからこそ、わたしたちは直前に「今日出演する誰よりも楽しむこと」をもう一度思い出して舞台に上がります。
今年卒業される先輩方には、今書いたようなことを、その姿や言葉で教えていただきました。
だからこそ、わたしたちはこうして楽しんでライブができるのかもしれません。
わたしは、後輩にこのことをちゃんと伝えられているのかなあ。
先輩方がいなくなる直前になった今も、ちょっと不安です。。。
bunbun-h「商店街に場所を構え、商店街を盛り上げながら『学び合い』を進めていくという、一石何鳥!?なお話・・・」
昨日、写真ブログをつくってFBでもちらりと紹介したことと関連してるようで、私のアンテナがピピンと反応しました。
でも何かができるのかどうかは分からないけど、目の前に現れるいろんな事々に反応できることがまずは大切なんですよね。(ほおおお…!とか、すごいなあ…!とか)
mei-c5>>bunbun-hさん
FBの記事拝見しました!
この商店街も、クラブの『学び合い』というかたちで盛り上がっていくのでしょうか。素敵ですね(^^)
確かに、勉強のみで考えていましたが、クラブの『学び合い』だって交流は可能ですよね!
また、manabiaischoolの方にもお話してみたいなあと思います。ありがとうございました。
2013-12-26
熱さ。
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ここのところ、更新が出来ていなかったので、話したいことが多すぎて、どんどん日記を書きたくなります。
なのに、数ヶ月ぶりに発熱して身体が重くて動かなくなりました。
いや、もとから重いには重いのですが、だるさがじんわり身体中にあるような感じです。
今日はライブがあります。
わたしが大学に入ってからずっと尊敬している先輩のバンドが主催するライブで、今年最後のライブです。
ライブおさめを先輩方と一緒に共演できるなんて、嬉しくて仕方ないです!
わたしは、その先輩のライブがとても好きです。
それは先輩の出演の時間になると、それまでにどんなことがあったとしても、何もかも忘れて楽しめるからです。
どうしてこんなに楽しくなってしまうんだろう?と思って、一度先輩に聞いてみたことがあります。
お酒の席で、しかもずいぶん前のことなので、先輩は覚えていらっしゃるか分かりませんが、
「なによりも自分が一番楽しんでいるからじゃないかな」
とのことでした。
その言葉を聞くまでは、あーあの部分失敗した……とかいつまでも引きずっていたのですが、今では自分の出番を前よりも楽しめるようになりました。
というわけなので、ギリギリまで寝て、ライブは熱を吹き飛ばすくらい楽しみたいと思います。
swprism 私がボランティアに参加している気持ちとしては、「自分のため」という理由に尽きている気がします。ただ自分の関心が向いているだけで、「誰かを救っている」という事実は副次的な位置に来てしまっています。本当に自分本位ですが、苦しんでいる人や困っている人を放っておく自分に幻滅してしまうのが嫌で、それを回避するため行動のように思えます。一年ほどボランティア活動を続けたある時に、やっと自分の本当の動機が見えました。でも、そんな動機だとしても喜んでくれる方は毎回必ずいるので何だかwin-winであると感じています。
私も、ボランティアに参加している人の気持ちというのが凄く気になりました!今度、参加した時にたくさんの人に聞いてみようと思います。
FlipperK ボランティアですか…。たぶん私もしたことはないと思います。でも1つ疑問がわきます。
ボランティアって、どこかにわざわざ出かけて何かをしないといけないものなのでしょうか?ちょっと定義づけが狭すぎないかなぁ、と思うのです。
もしかすると、道に落ちているゴミを拾ったり、転んだ子どもを起こしてあげたりというのも、ボランティアと言っても差し支えないのでは?
いや、ちょっとした買い物をすることだって、お金を動かして経済を回しているという点では、誰かのためになっているのかもしれないし、お店の人に「ありがとう」と声をかけることだって、その人が元気になったのなら一種のボランティアではないのでしょうか?
ムリしてでも時間を作って、出かけていって何かをすることだけがボランティアと考えることは、いろいろなものを犠牲にしてムリをするのがよい教師と同じような危険をはらんだ考えになりかねないと思いますけどね。
ただ、単純に出かける人は尊敬するし、いいなとは思うし、素敵だとは思いますけど、私は今はできません。家族を犠牲にしてしまいますから。
mei-c5>>swprismさん
いただいたコメントのことについて、もう少しじっくり考えて日記の文章として残したいのですが、かまいませんか?
自分に幻滅するのが嫌で……とおっしゃっている部分、とても共感できます。
でも、わたしは心が弱いのか、その気持ちだけで動くことが苦しくなってしまうときもあるのです。
また他の方とお話しされたことお聞かせいただけると嬉しいです(^^)
mei-c5>>FlipperKさん
そうですよね。ogymさんからも似たようなご指摘を受けました。
そもそも、ボランティアの定義とはなんなのか。その定義が違っている人同士で話し合っているから、どこかズレているような気がしてしまったのでしょうかねえ?というふうに(笑)
もしもわたしがボランティアをうける立場になったらどうだろう?と考えてみました。
そうすると、何かを犠牲にしてボランティアしてくれている場合、「ありがとう」よりも「ごめんね」が先に出てしまいそうだな、と思います。辛いのは、あまりよくないですよね。
mei-c5あ、付け加えで。
辛いのは、あまりよくない
という部分は、ただのわたしの感想でした。
もちろん、そうできたら素晴らしいことなのだろうけれど、わたしだったら辛くて負担になってしまうかも、ということです。
swprism もちろん構いません!とても嬉しいです。
私は、大学二年生の頃が特にボランティア活動に熱心だったのですが、その頃はきっと、いい事をしている自分に満足して酔いしれていたのだと思います。でも、そんな気持ちで取り組んでいたからか、一年経ったときに自分が何の力にもなれていないこと、そして何も身についていないことを突きつけられてしまいました。その時に、自分の行為は単なる「偽善」だったのだと気づきました。人を支援することって、ただ一緒にいてその時だけ充実していれば良いという話ではなくて、私が去った後までもその人がしっかりと歩いていけるようにしなくては意味がないのではないかと感じました。
そういった支援を出来る人間になりたいという気持ちが強くて、それを達成するためにボランティアという場を使わせてください、という気持ちがあります。誰かのことを救うのが、自分の一番の救いになる、といった感情でしょうか。そういった願いを持っているのに関わらず、その気持ちを知らんぷりて生活していると「自分に幻滅」してしまうので、私はボランティアにずっと参加しているのだと思います。
meiーc5さんの気持ちもゆっくり聞いてみたいです。1月にお会いできる時には、私が聞いた他の方のボランティアへの動機も伝えられたらと思います。きっと人それぞれ、色々な思いがあるのでしょうね。ボランティアと改めて向き合う時間を与えてくださったことに、とても感謝しています。
mei-c5>>swprismさん
できるだけわかりやすく、簡潔に~簡潔に~と思って書いていたら、まとめすぎてよくわからない日記になってしまいました。すみません。お会いしてお話しするのが一番よさそうです(笑)
わたしもボランティア活動をしていたのですが、swprismさんのように「その人の先を考えて活動をする」ようなことはできていませんでした。なので、
>人を支援することって、ただ一緒にいてその時だけ充実していれば良いという話ではなくて、私が去った後までもその人がしっかりと歩いていけるようにしなくては意味がないのではないか
こういうふうに考えられることって、素敵なことだよなあ、と思いました。
今となっては、あのときそういうふうに考えられればよかったー!と思うのですが。。。でもやっぱりこういう思いをもって活動をしても、その状況にいっぱいいっぱいになって結局考えられないこともあるのかもしれません。
わたしがいなくなってからもその人がしっかりと歩いていけるためには、どうすればいいのでしょうかねえ?
その人のみへの支援というよりは、その人を包括する全体の人や環境ごと変えていくことが必要??でも、そこまでを変えていくには大きな力が必要なのかな??……と、swprismさんのコメントを読んで考えました。
こちらこそ、深く考える機会をいただき、感謝しています。ありがとうございます。
2013-11-06
前進中。
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部活動で、ちょっと新しい取り組みをしようということで、前から案を練っていた
「他大学の人が試合でやった型(高得点をとっている)を完全にコピーしよう!」という練習をすることになりました。
ねらいは、大会で高得点を取るような動きを自分たちのものにするくらい完璧に身につけることです。
こういう取り組みをしよう、となった理由は2つあります。
1つ目は、良いものはとにかく取り入れてみる!という意識を部全体で持ちたいと思ったため。
2つ目は、完全にコピーをしようという目標を定めることで、やる気(士気?)を高めたかったため。
12月18日には、仕上げたものを発表する場を設ける予定です。
そこに引退した先輩たちをよんで、練習の成果を見てもらいます。
次の大会に向けての計画も、しっかりとたてることができました。
それぞれが目標に向けて自分で考えてたてた計画です。
計画をたてている最中に
「あーもうはやく練習したい!」
という声があがりました。
うんうん。すごく良い感じやなあ。と思って、嬉しくなります。
swprism相手のデータは取ったりするけれど、攻略法を掴むことだけが目的でいつも分析するだけで終わってました。完全コピーはとても良いですね!なるほど。これはさっそく後輩に伝えてみようかな。mei-c5さんありがとう。
mei-c5>>swprismさん
いえいえ、とんでもないです。
攻略法を掴むための分析も必要なんでしょうけれど、何よりもまず基礎がなってないぞ、ということで完全コピーにしてみたのです。たまにはこういうのもいいのかなあ、と(笑)
ただ、発表会が終われば、さらにコピーしたものの中でも直すべき点はなんだろう?ということも考えていく予定なので、あくまで一手段としてお考えいただければ幸いです。
i-Kawa-nakajima「守り尽くして、破るとも、離るるとも『本』ぞ忘るな」つまり「守・破・離」の精神にもつながりますね!そしてここでは、やっぱり本《基本》を忘れるなって書いてありますね!『学び合い』でもそうですよね。禅や茶道や武道、そして何事にもつながる真理なのかな?なんて思います。『学び合い』の本(基本)は「ひとりも見捨てない」「全員が幸せになる」ということなのかな。
mei-c5>>i-Kawa-nakajimaさん
まさに守破離ですね。わたしが武道を好きなのは、守破離のかたちが分かりやすく見えるからなのかもしれません。
『学び合い』で「まずは本に書かれてある通りにやってみてください」とよく言われますが、これが守りを尽くすことなのでしょうか。
本(基本)の部分は、i-Kawa-nakajimaさんのおっしゃるように、わたしも「ひとりも見捨てない」だと思います!
i-Kawa-nakajimaさんのコメントを拝見して「全員が幸せになる」もあればなお良し、だと思っていたのですが、今書いている最中に、図的に表すと「ひとりも見捨てない」→「全員が幸せになる」という感じに矢印がつきそうだな~。ということは、これは付随してくることだろうか?と思いました。
2013-10-27
ダメでした。
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今日は朝早くから大会に行ってきました。
先日メモをした、あの絶対に入賞してほしい大会です。
(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/mei-c5/20131012/1381600178)
あの話をしてから、何度もデジカメで録画した自分の型を見直しながら
今までにないほど練習に意欲的に取り組んでいたので
本番前、みんながコートへ行くときには、細かいことは言わずに
「ああ、楽しみ。しっかり撮るからねー」
とだけ声をかけました。
これまでで一番頑張っただろうな、と思う2年生の子が、本番を終えて席に帰ってきました。
彼女たちは、練習を始めた当初よりも、お世辞ではなく本当に成長していました。
(録画した映像がその証拠です。)
ただ、まわりの子たちのレベルが高く、全体的に見るともう少し成長が必要だったと感じました。
他大学の人たちもしっかりと撮り終えてその子のところへ行くと、見るからに落ち込んでいます。
おつかれさま、と言うと、「ダメでしたー」と笑っていました。
それで、あれ?と思って
「ダメじゃなかったよ、すごい、成長してたよ」
と素直な感想を伝えると
「ダメなんです、目標達成できなかったんです」
と泣きだしてしまいました。
主審から80点以上を取るという目標を決めていたのに、79点で達成できなかったのだとか。
わたしは、そうかーと言ったきりで、何も言えなくなりました。
今まで大会で悔しくて泣いたりするようなことがなかったこの子が、
今回、これだけの思いをかけて取り組んだのに、うまくいかなかったんだ。
この子自身も、何がどういけなかったのかを考えないといけないだろうけど、
わたしは本当に、自分にできることを全てやっていたんだろうか。
そんな気持ちで、改めて悔しさがいっぱいになりました。
やるにはやっていたのだろうけど、それは最善ではなかったのです。
だから、結果が出せない。
目標につながる計画を立てないと、途中で途切れてしまっては意味がないのです。
そのことを、もっとしっかりと伝えておくべきでした。
やはりミーティングの時間をとって、じっくり話せる機会があったほうがいいのかなあ。
でも、大会が終わったばかりでこんな話をするのも、まだ気持ちの整理がついていないかもしれないし……と思いつつ、
とりあえず、主将に
「次の大会に向けての計画も立てたいね。ミーティングとかして」
と話していると、その子が横から
「じゃあ、今日の帰りにご飯食べながら話しましょう。できるだけ早い方がいいです」
と言ってくれました。
次の大会は、まわりの人たちもさらに成長してきます。
でも、この瞬間に、わたしはこの後輩がそれ以上の伸びを見せてくれると思ってワクワクしました。
わたしも負けていられません。
みんながより練習しやすい環境になるためには何が必要なのかを、しっかりと考えていかなければ、と思いました。
daitouiruka悔し涙が流せるくらい真剣に取り組んでいたということですね。
今回立てた目標には惜しくも届かなかったかも知れませんが、目的にはしっかりと向かっていけているようじゃないですか。
…というふうに見れば、改善点はあるとしても、決してダメじゃないですね。
mei-c5>>daitouirukaさん
そうなんです。決してダメではないと思います。
このままではダメだ、と思っているときはいつも、ダメじゃなくて成長するためのエネルギーが与えられたときなんだな、と感じました。
向かう先は間違っていないようなので、向かい方を考えないといけないですね。
次は全員泣かしたいです。(※悪い意味ではないです!)
i-Kawa-nakajima目標につながる計画というフレーズについて考えました。なんとなく、いいなぁ。と思いました。そして、難しいよなぁ。とも思いました。
現在の自分(たち)と目標とする未来の自分(たち)のとのズレをとらえて、それを埋めるために一番よいと考える方法を選ぶこと。これは授業づくりや教材研究の時の考え方と似ています。学部の頃のフィールドワーク時の考え方とも似ています。ということは全ての事に通じる事かもしれません。
でも、必ずしも最短距離が一番良いか?直結していないとダメかな?と言うとそうじゃないって思います。自分の歩んできた道を振り返ってもそう思います。実に多様なルートが有るはずです。目標につながるルートは決して一つだけではないし、短くもないかな?と思います。
今回も1点足りなかったから見えた世界が有るはずです。だからこそ、目標が明確になり、そして目標に対する向かい方を真剣に考える機会が得られましたよね!
二度とないこの瞬間と思うと全て良い方向に行って欲しいですが、長い目で見たら大正解のルートを歩んでいるかもしれません。なかなか最初から分からないものですね!
mei-c5さんも書いてるけど、ダメじゃないよ!と思いました。
mei-c5>>i-Kawa-nakajimaさん
コメントありがとうございます。
目標につなげることって、本当に難しいですよね。
これこそつながっている!と思っていたことでも、やっぱりうまくいかなかったりする場合もあります。
>現在の自分(たち)と目標とする未来の自分(たち)のとのズレをとらえて、それを埋めるために一番よいと考える方法を選ぶこと。
この考え方は、i-Kawa-nakajimaさんがおっしゃるように、授業づくりやその他のこと全てに通じることだと思います。
このように解決志向であることが、成長していく上でもよいのかな、とも思います。
それから、最短距離が必ず最良であると言えるのか?という問いに感動しました。
この問いを見て、わたしは無意識のうちに、最短であればあるほど良いものだと考えてしまっていたことに気づきました。
もっと長い目で見ると、今回のこの経験は貴重なものだったと思えるときが来るのかもしれないですよね。いや、おそらく、絶対そう思えると思います。
素晴らしい視点を与えてくださって、本当にありがとうございます。
部内でも、このお話を共有させていただきたいと思います。
おおおっ、そう言ってくださるつえ蔵さんも、上記のお一人です。
本当にいつもお世話になっております。