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2016-02-16

F先生の授業。

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北信の会を開かれているF先生の授業を拝見しました。

自分の価値観を変える授業でした。

わたしは子どもたちに、本当に困ったときに「助けて」と言える力をつけてほしいと思っていました。

でも、その思いと行動は矛盾していたんだ、と見学して気づきました。

わたしの行動は、もう少し待てば、「助けて」が出せたかもしれない子の芽を摘み取ってしまっているのかも、と。


先生に出来ることは、理想を伝えて、教室の状況(問題点も良い点もすべて含め)をたんたんと伝えていき、どう改善していくのかをしっかりと記録・記憶しておくことじゃないのかなあ、と思います。

プランナーは、相手の理想を聞きながらいろいろな道筋を提示するけれど、結局道筋を決めるのもその道を行くのも、その人自身。という感じに似ているような。

i-Kawa-nakajimai-Kawa-nakajima2016/04/12 03:54凄く興味があります!

mei-c5mei-c52016/05/23 13:54記録・記憶はビデオでもできますが、それをどう伝えていくかのチョイスは機械では難しそうですね。
もっとも、これからはそれもできてしまう時代になってしまうかもしれませんが……。

2015-12-18

根付く感覚。

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アドラー心理学には、共同体感覚という概念があって、その要素は以下の3つです。


・他者信頼「他者は私を援助してくれる」

・自己信頼「私は他者に貢献できる」

・所属感「私は仲間の一員である」


先日お邪魔した福島県のT先生のクラスは、わたしの中で、ほぼこの感覚がクラスに浸透しているイメージがありました。

1時間しか拝見していないので、本来であれば子どもたちがどうだったと言うことははばかられる立場なのですが、ひとつだけわたしの持った印象を述べるとすれば、そんな感じでした。

やはり、『学び合い』とアドラー心理学は親和性が高い気がするなあ、と思いました。

ogymogym2015/12/24 00:21「どうして 家出・誘拐が起こった?」→ スマホがある、悪い大人がいるから
といういつもの論調のTV番組を見ていて、記事の「なんのために」を思い出しました。
「なんのために 家出 した?」では答えが全然変わってきます。

この「なんのために」への変換、いいですね。

mei-c5mei-c52015/12/24 01:03>>ogymさん
どうして?から推測して行われる改善は、結局は他者のおせっかいにすぎない、なんてことがあるような気がします。
それに、自分の心に聞いてみるときも、どうして?だと原因が複雑に絡み合っていて混乱してしまうんです(笑)
自分自身の振り返りをするときにも、健全に改善をしていけるので有効です(^^)

2015-11-01

全校。

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N小学校で全校『学び合い』……ならぬ、「寺子屋タイム」を見てきました。

ランチルーム2部屋を開放して、朝の20分間ドリルタイムを全校で行うというもの。

第1回目なのに、すごい熱気を感じました。

気付いたことを、思い出せる範囲で順に箇条書きしていきます。




・i-Kawa-nakajimaさんが最初に「寺子屋タイムとは何か?」を子どもたちに説明するとき、具体的な良いな(かしこいな)と思われる動きについて触れていた。

→こうしなさい!とは強制していなくて、◯◯もしたらいいかもね、というあくまで一案として出している。何も出さないよりは具体的な方向性が分かって、わたしが子どもの立場だと動きやすいだろうなーと感じる。


・さらに、説明の中で「日本一の学校になるための取り組みである」という説明がされる。

→下級生などは「日本一?」「えー?」という反応があったけれど、i-Kawa-nakajimaさんのクラスは何となく言っている意味が分かってるのかな、と。


・ドリルは1学年に3枚(3種類)あって、自分に合うものをやってよい、とされている。

→まわりの人が必ずしも同じ課題をやっているとは限らないので、分からないときに聞きづらいかも。でも実際に社会に出ていくなら、その聞きづらい部分を乗り越えて「ちょっと助けて」を言える必要がある。しかも、バリエーションが増えるほど、学習内容的にも、ひとりひとりのつまずきにより丁寧に対応できるのかも。(増えすぎると逆に選ぶのが大変になりそうだけど、選ぶのもまた必要な力かなあ。)


・子どもたちの雰囲気がやわらかい。

→とくにi-Kawa-nakajimaさんのクラスは普段からお互いに思い合える大切さを体感しているためか、動きが素敵だなあと思う子がちらほら。(記憶力の限界で全員は顔を覚えていなかったので、、、すみません。)

例えば、最初から下の学年の子について、ちょこちょこ教えながらも自分のドリルを解いている。分からないところがあれば、「これはあいつに聞きに行けばいいんだよ」とその子のところに連れていってあげて、自分もついでに説明を聞く。集中して解いていても、近くに「んん~~?」と悩んでいる子がいると、快く自分のことを中断して「どうした?」と気遣える、など。20分間の中でも、盛りだくさん(ほんとはもっとたくさんあるのだろうけど)の素敵が。


・超、主体的。勉強を「えーーもっとやりたい!」と思える、言える雰囲気。

→仲間とともに取り組めるという環境がそうさせるのか、むさぼりつくように子どもたちがドリルをしている。あまりにもすごいので、途中でドリルのプリントを確認しに行ったけど、そこまで変わったプリントでもない。ええ、そんなに?ちょっと怖い、と思うくらいに取り組む姿勢がすごかったです(ごめんなさい。笑)。


・i-Kawa-nakajimaさんだけではなく、他の先生方のお力があって成り立っている取り組みだということ。

→司会?進行?や締めもi-Kawa-nakajimaさんではなく、他の先生がされていた。やっぱり、こういう取り組みは、理想のイメージがありつつも、他の先生方と一緒に作っていく、という意識がなければできないことなんだなあ……とつくづく感じました。疑問に思う先生もいらっしゃるけれど、それを「ここが疑問なんですよね」と言える雰囲気が、またいいなあ、と。




さて、ずらっと箇条書きにしたのですが、本当に書ききれないほどの刺激をいただいた見学でした。

今日の子どもたちが勉強している姿をぼーっと見ていると、

「みんなが」わかる

みんなが「わかる」

どちらかというと、後者の雰囲気を感じました。

でも決して、みんなが、の部分をおろそかにしている訳ではなく、むしろ前提としてある、あって当たり前のもの、という感じです。


それから、ある先生から「全校でやる意味って何ですかね?まだまだ全然理解してなくって……」と聞かれました。

わたしは、自分も詳しくはないです、と前置きしながらも、上のような姿を見られるのでいいなあ、と思います。とそのとき思ったままのことを伝えました。

でも、今書いていて、見られるのでいいなあって、単なる自分の感想だったな、と反省。


もしも、自分が全校で寺子屋タイムのようなことをするならば、環境(いる人数や関係性)が変わってもその中で自分の課題を解決しながら、なおかつ集団の課題にも貢献できる力を育てるためのもの、という認識かな。と思いました。

クラスのメンバー内での振る舞い。

もっと違う環境での振る舞い。

人によって態度を変えることって、なんだか不誠実なように聞こえますが、それが筋のとおった折り合いの付け方であれば、身につけていった方がもっと楽しく過ごせるのかもしれない、と思います。

嘘も方便、みたいな?


とにかく、新しい感覚を得られた見学でした。

i-Kawa-nakajimaさん、N小学校の先生方、そして児童のみなさん、本当にありがとうございました。

2015-07-10

2ヵ月。

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昨日は、午前中に支援校での支援があり、そのままi-kawa-nakajimaさんの学校へ授業見学にうかがいました。

およそ2ヵ月前に見学させていただいた学級です。


人間関係がすごくあたたかい方向へ変化しているなあ、というのが、一番の感想でした。

前は、自分の課題が終わったあと動きのあまりなかった子が、今回、ふらふらっと立ち上がっているところが見られたり、

前は、分からないところを聞きたいのに勇気が出なくてギリギリまでひとりで困っている子がいたのに、今回は勇気を出して聞いて、結果、まわりに人が集まっていたり。

それが、男女などほとんど関係なく行われている感じです。

はたから見ると??と思うような子もいたのですが、後からのご説明では、子ども同士では事情が分かっていて、お互いに気遣えている状態、とのこと。

今後も、より相手の気持ちをおしはかることができる集団になっていくのだろうなあ、と、彼らをみていて嬉しくなりました。

わたしも、相手の気持ちをおしはかれるように、成長しなければ。


それから、一緒に見学に行ったY氏と話しているとき

学び合い』をしていると、学級集団に先生の色がうつっているよね。と。

色がうつる、というのは、結局どの学級(『学び合い』をしていない学級)でもそうなっていくものかもしれません。

が、改めて考えてみると、先生の想いは色濃くうつされるものなのかな、と思います。

ただし、まるっきり先生の色単色ではなく、全体を見渡すと、個々の色が滲み出て混ざった色になっている気がします。

先生の色だけで染めてしまうよりも、そちらの方が民主的な集団らしい、とわたしは感じました。

2015-05-14

授業見学。

| 16:00 | 授業見学。 - 幸福論 を含むブックマーク

先週末、i-kawa-nakajimaさんの学校を訪問し、5年生の2時間(算数と国語)の授業見学をさせていただきました。

(i-kawa-nakajimaさん、お忙しい中、本当にありがとうございました!)

一緒に見学したscorpion1104さんと学校へ着くまでにお話しした内容も濃くて、人間的に学ぶことがたくさんでした。

が、私的な内容なので割愛して。


駅から徒歩で向かったのですが、場所が分かりづらいとのことで、副校長先生がわざわざ学校の外に出て待ってくださっていました。

学校に入る前から感動です。


教室にお邪魔すると、小テストのあと、算数の時間が始まります。

黒板にはネームプレートが貼ってあり、この時間の課題を達成した人が「分かった人」の枠にプレートを移動させていきます。

基本的なところかもしれないですが、わたしは小学校実習の算数で同じような仕組みで、枠内に名前を書く方法を取りました。

でも、そのときには「分かった人」ではなく「できた人」としていた記憶があります。

本当に分かることを求めきれていないと、細部にボロがでるのかな、、と反省しつつ。


子どもたちの印象は、一人一人の表情がキラキラしているなあ、という感じでした。

学び合い』では、教師は集団を見ると言われますが、やはり、こういう表情を見ていると、先生と子どもたち一人一人が良い関係を築いているんだろうな、と思います。

脱線気味の会話をしている子に向かって「今関係ないじゃん~」と言ったあとに、「だよね?」と言わんばかりに先生の顔をチラチラ見ているかわいい子もいました。


最初に指定した時間では難しかったこともあってか、

「あと何分あればできそう?」

など子どもたちと相談しながら、少し時間を延長し、それでも全員達成はできず、多くのネームプレートが枠の外に残っている状態でした。


「最初に言っていた時間を延ばしました。それでもできていない。なぜだろう?」

というi-kawa-nakajimaさんの問いかけに、子どもたちはシーンとなって考えます。

ポツリポツリと声が聞こえてきます。

「ネームプレートが動いてなかったけど、もう(課題が)終わっているみたいだったから、動かしてないだけかと思ってた」


なるほど、と思いました。

ネームプレートがあると、可視化できて便利、と思っていたけれど

ネームプレートの使われ方がうまく機能していないことによって、あの子は出来ているだろう、という混乱を招く可能性もありうるということです。

そこで、i-kawa-nakajimaさんはこんなことを子どもたちに話していました。



この仕組みはまだ課題を達成していなくて困っている人はどれくらいいるか、どこにいるかをわかりやすくするために取り入れているけれど、実際、町に出てみたら、どうなのか。

例えば、道に迷って困っている人がいたとして、その人は「困っている人シール」を貼っているだろうか。

今のところは磁石(ネームプレート)に頼っているけれど、こういうものがなくても、

もうちょっと心を働かせて、アンテナをはっていけば……。

そして、それは君たちならできると思う。



要約しているものですが、タイムアップになってからのi-kawa-nakajimaさんの子どもたちに対する問いかけを聞いて、本当はそういうことだな、と感じました。

助けてくださいを待っている人だけではなく、それを感じ取れる心が育つと素敵だなあ、と思います。

それは、道徳的に、ということもあるのかもしれませんが、もっと現実的に見て

自分が周りの人の過ごしやすさのために動けるということは、自分も含め、みんなが過ごしやすい環境になっていく

つまり、その少しの心の働きで、自分の過ごしやすさが保証されるということになります。


また、「ほとんどの人が課題を達成して、あと2人、というところまできたとき、みんなはどう動く?」

ということも問われていました。

全員が全員、その2人について教える?どうすればいいのか?よく考えて欲しい、とおっしゃっていました。




i-kawa-nakajimaさんの言葉を受けてから、2時間目の国語に突入したわけですが、

2時間目はさっそく、ネームプレート無しの『学び合い』でした。

もちろん、先ほどの言葉をみんなしっかりと受け止めているので、動き出そうか様子をうかがっているようでしたが、最初は少しかたい雰囲気でした。

動きたいけど、どう動くか迷っているような雰囲気でもありました。

ある子が「できたら他のとこやっちゃだめ?」と聞いたのに対して

「みんなができたら、みんなが、ね」とi-kawa-nakajimaさんは答えています。

そこから、「(できたかどうか)聞いてみてもいい?」→「いいよ」というやり取りを経て、やっとその子は周りに

「まだ分かんない人いるー?」と声をかけます。

シーンとしているかたい雰囲気の中で、です。

それを皮切りに、遠慮しながら一人、手をあげる子がいて、やっと一人動き出し、

いいんだな、となってからは、みんながのびのびと動き始めました。


その子にとっても、そうですが、周りの子にとっても、大切な一瞬だったのではないかな、と思いました。





授業中にとったメモをもとに振り返ってみると、その時は何も感じなかったことでも、実はすごい言葉だったんじゃないか?と思います。

まだまだ、見学したことを自分の中で噛み砕けていない状態ですが、これからもっと自分なりの表現をしながら分かっていけたらいいな、と思います。

i-Kawa-nakajimai-Kawa-nakajima2015/05/15 02:56ありがとうございました。担任しているのに副担任の先生がいるので算数は4月から担当しています。今年度の国語は副担任が主に担当しています。8名の先生に担当してもらっているので、正直なところ子ども達は戸惑うことも多いのが現状です。でも、見ていただいたとおり、子ども達が1ヶ月かけて考えていた学級目標の「みんなが笑顔(幸せに)になるために思いやり協力するクラス」をつくるために何ができるのか?を考えようとする気持ちだけは感じていただけたと思います。授業規律を重んじる伝統の中ではありますが、授業の型をなぞるのではなく「よりよい社会を構成する一人の市民を育てるための最善の場を提供する」ことを共に考えていきたいと思っています。2年間は近くにいるのですから、これからも是非、子ども達が変容する姿を見にきてください!

scorpion1104scorpion11042015/05/15 04:43Mちゃん、授業の振り返り正確ですね。さすがです。
I先生の授業は、継続して参観すると様々な疑問が腑に落ちることでしょう。また、行きましょう!

mei-c5mei-c52015/05/15 08:17>>i-Kawa-nakajimaさん
規律、規律で来ていた子どもたちにとっては、上にかかれたようなことが問われる授業って新鮮だろうな、と思います。これから少しずつこの価値観に慣れていく(呼び起こす?)ことで、変化していくのかな、とわくわくします。
なんせ、学級目標で、そんなに時間をかけて哲学的な話し合いまでしてしまう子たちですからね(笑)
また、ぜひよろしくお願いいたします(^^)


>>scorpion1104さん
勉強不足だと分からないことも分からない状態に陥る、と言われることもありますが、授業を見終わった直後は未消化すぎて、そんな状態でした。
だから、たくさん質問されているscorpion1104さんを見て、おおおお、やっぱり、違う、どうしてわたしは、ああすごすぎる、と思っていました(笑)
またお邪魔したいですね~。