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2014-01-23

わたしの願い。

| 00:42 | わたしの願い。 - 幸福論 を含むブックマーク


今日は今期最後の心理学の授業でした。

最後にやったワークは、「わたしの願い」です。


どんな内容かというと、

自分の願いを紙に書いておいて、複数人の人にその願いを見てもらいます。

そして、その人たちには、願いを書いた人のことを思い浮かべながら、もし今この人にプレゼントを贈るならばどんなものがいいだろう?と考えてもらいます。

そして最後に、考えてもらったプレゼントをカードに書いて贈ってもらう、というもの。


例えば、わたしの願いが「ゆっくり自分のことをできる時間がほしい」だったら、

『温泉旅行をプレゼントします』

『すてきなアロマオイルを贈ります』

『毎日の笑顔を贈ります』

こんなカードが贈られる、というような感じです。


もちろん、贈りますと書かれてあるけれど、実際にもらえるわけではありません。

でも、その人が「わたしの願い」をみてわたしのために贈り物を考えてくれたんだ、と思うと、なんだか嬉しい気持ちになりますよね。





わたしは、最近寒いせいもあってか、服装も部屋もモノトーンだらけなので

「もっと色のある生活にしたい」

という願いにしました。


今日は時間の都合上、2人の人に願いを見てもらうことに。

そして、その2人にもらったカードには・・・


『虹色のカーテンを贈ります』

『わたしcolerをプレゼントします!みんなの色があつまればカラフルだ~』


と書かれてありました。

発想がおもしろいですよねえ。

まさか、自分を色に例えてしまうとは思ってもみなかったし、

虹色のカーテンなんて、わたしの頭ではきっと何十年たっても現れない単語だったんじゃないかな、と思います。

わたしは自分自身の願いについて考えたとき、

「洋服に色を取り入れてみようかなあ」くらいしか思いつかなかったので、新鮮な気持ちになりました。

それと同時に、この2人はわたしのために贈り物を考えてくれたんだ、という思いから、やっぱり嬉しくなりました。


準備するものは紙と鉛筆くらいですし、

時間もそんなにかかりません。

それなのに、この幸福感。

なんてお手軽!

お暇があればぜひ試してみてください~。

2014-01-15

模擬授業。

| 02:10 | 模擬授業。 - 幸福論 を含むブックマーク


忘れないようにメモしておきます。

中学校の道徳(模擬授業)を『学び合い』でしてみようと思い、

実際に道徳の授業をされていた先生からアドバイスをいただきつつ、なんとか考えてみました。



授業が終わってみると、納得のいかないことだらけでもやもやして、

さらに生徒役で授業を受けてくれた人たちや先生からのフィードバックでは、

「その通りだよなあ」と思う指摘だらけで落ち込み、

でも、結構回復は早くなってきているので、わたしも成長したのかな、と思います。(そんなところで。笑)




わたしの選んだ教材の主題は、4‐(1)について。

(「法やきまりの意義を理解し、遵守するとともに、自他の権利を重んじ義務を確実に果たして、社会の秩序と規律を高めるように努める。」というところです。)


模擬授業だったので、与えられた15分間の中で

主発問についての考えを○人以上と意見交換をして、似ている・違う意見の人を見つけ、なぜそう考えるのか、その背景を聞いて共感できる

という部分をやりました。


が、意見交換の際に、流れが「きまり意義」というよりも「思いやり」の方向になり、

これでは主題通りになっていないのではないか、という指摘を受けました。


こうなってしまった原因としては、

・主発問が良くなかった

・時間が少なかった

・意見交換のときに教師にもっとうまく声がけをしてほしかった

・生徒から出る発言をもっと予想して指導案に書いておくべきだった

・子どもたちがどういう答えを言うのか、をもっと考えておくべきだった

・ねらいについて、自分なりのブレない解釈を持っておくべき

ということが出ました。


本当にその通りだ、と思います。

特に、ねらいについての解釈で、自分なりの意見を持っておくべきだというところは、勉強不足だな、と実感しました。

法についての本や、それに関連する本も読んでみたのですが、結局、自分がこれだ!と思う立場を決められないまま時間が来てしまい、

主発問も深く考えず、よく使われている無難なものにしてしまいました。



それと、先ほどの原因に加えて、

・主題について提示していなかったこと

・意見交換をすることの意義についてしっかりと話せていなかったこと

もあるだろうな、と思います。


もう授業内ではリベンジする機会もないので、せめて自分は最後まで頑張ったと思えるくらいに向き合っていれば……と後悔中です。

次こそは、こんな後悔をしないようにしたいなあ。

FlipperKFlipperK2014/01/16 03:54 具体的な主発問(中心発問のことですよね)が、なんだったのかはよく分からないので、いい加減な意見は言えませんが、次のようなことが考えられたかもしれません。

① 課題が複雑だった:課題の中に、「人と同じ意見・違う意見を見つける」「なぜそう思うのかを共感できる」といった、複数の要素が混ざっていると、短時間では難しいかもしれません。たとえば
「主人公の気持ちについて、○人以上の人と意見交換をして、誰に当てても自分の意見を言えるようにする」位だったら、何をすればよいのか学習者も見えやすかったかもしれません。

②意見の可視化:「予想される学習者の反応」を考えるのは難しいですが、主題を押さえておけば、「こんな意見が出ると好いな」というものは、ある程度予想されます。そうすれば「○○さんの意見はすごいな。そんなことに気がつけるんだな」「そんな考え方もあるんだ。他の人の意見も聞いてみたいよね」などと、大きな声でつぶやくことによって、学習者の意見を「可視化」することができます。そうすれば、どこに行けば、どんな情報が得られるのかを学習者が見つけやすかったかもしれませんね。
③主題について:気がつかれていたように、主題について事前に提示していれば、学習者が何について考えればよいかが見えやすかったかもしれませんね。

 学習者が積極的に動くためには、「この時間で何をすべきなのか」を行動レベルで把握している必要があります。課題について悩む先生が多いのも、その辺にあるのかもしれませんね。私は適当なんで、あまり深くは考えませんけど。以前よりは…。

mei-c5mei-c52014/01/17 09:45>>FlipperKさん
①に関して、そう言われてみると、時間と課題が釣り合っていないように思います。
実際よりも時間が短縮されることを考慮できていなかった、つまり、授業についてまず自分自身がどのようにしたいかというイメージを持てていなかったことに気づきました。
意見の可視化も全然できていませんでした。
言い訳になってしまいますが、とにかく緊張をしてしまって、何を話せばいいのか、もう頭が真っ白で……(笑)
いえ、笑い事ではないですね。次は一言でも二言でも多く言えるようにしようと思います。
とても詳しいご指摘をありがとうございました。

>学習者が積極的に動くためには、「この時間で何をすべきなのか」を行動レベルで把握している必要があります。
本当にその通りですね。身をもって知ることができたので、このお言葉が胸に突き刺さります。ずっと忘れないようにメモしておきます。

2014-01-10

意図。

| 03:24 | 意図。 - 幸福論 を含むブックマーク


今日は方法学の授業がありました。

この授業は、学生が戦後の教育実践者について調べて、授業内でそのことについて発表するという形態で行われています。


今日クローズアップされた教育実践者は、有田和正さんでした。

わたしはこの方の著書を読んだわけではなく、教科書として扱われた本に記載されたほんの十数ページ分とインターネットで検索して出てきたいくつかの情報しか知らないため、あまり理解が及んでいないと思うのですが、自分なりのまとめをメモしておきたいと思います。


有田和正さんという方は、教材づくりを中心とした授業づくりで有名な方だそうです。

有田さんの授業は、よく「ネタのある授業」と表現されるのだとか。

教科書には、この「ネタのある授業」の真意とは、子どもが


・これまで既知だと思い込んでいたことを大きくゆさぶられる

・自らの認識の甘さを思い知らされる

・追求せずにはいられない心境に追い込まれる


ことにある。

そして、彼から学ぶべきこととは、


・少しでも子どもたちの追求を生む教材をつくろうとする授業改善の意欲

・「教材から授業をつくる」という授業づくりの道筋について


である。とまとめられています。

いろいろと考えることもあったのですが、ここではそれは割愛して……

今日は、この授業をしてくれた人(学生)が、主発問として出した問いについて書いておきたいな、と思います。

その問いとは、


「授業づくりは誰のためにするのだろう?」


でした。

で、えっ。と思ったのが、

授業に参加していたみんなが、「子ども」もしくは「教師」のためだと答えたのです。


「理解の難しい子に対して、より分かりやすくするために」

と答える人もいれば、

「いや、どんな子どもに対しても平等にあるべきだ」

という意見が出て、

「教師が授業づくりをすることで成長していけるから、教師のためでもある」

「でも、その成長って、結局子どもに良い授業を提供するためにしていることだから、子どものためって言えるんじゃない?」

というやりとりもありました。


そんな中、わたしは自分のワークシートを見て、あれ?おかしい。と思っていました。

もちろん、「子ども」「教師」という言葉も書いてあるのですが、その他に、

「地域の人(お店、施設、周辺で暮らしている人・働いている人たち)」

「家族(親、祖父母)」

「学校(同学年、異学年、先生、別の学校)」

と、思いつく限りの人たちを書いていたのです。

同じ問いを見たのに、どうしてわたしだけこんな勘違いをしてしまったのだろう、と残念な気分になりました。


みんなの出した意見を聞いたあとだと、自分がどういうふうに書くべきだったのか、ちゃんと分かります。

じゃあ、どうしてこんなふうに勘違いを起こしてしまったのか。

授業時間中、ずっともやもやしたままでした。


でも、帰ってよくよく考えてみると、もしかして、わたしは出された問いに勝手に自分なりの解釈をつけてしまっていたのかもしれない、と気づきました。

わたしの答えからすると、きっと問いは

「授業づくりは誰のためにするのだろう?」

というよりは

「授業は誰のためにつくることができるのだろう?」

になるはずで、しかも

「思いつく限り挙げよ」

というような注意書きがありそうです。


今日の授業をしてくれた人のように、どんなに頑張って考えた問いにも、こんな勝手な解釈をして訳の分からない答えを書いてくるような子どもがいるんだろうなあ。と思うと、

教師の立場だったら、「なんで!?」となる反面、今日のように授業を受ける立場だと、その子どもの気持ちがすごーーーーくよく分かる気がします。

だって、頭の中で勝手に変換されちゃったんだもんね!

よくよく見てみると、そういうふうに解釈できなくもないよね(だいぶ肩を持っていますが…)、と。


もちろん、前後の流れを考えながら質問の意図を読み取る力は大切なので、反省しないといけないということも十分に分かっています。

でも、こんな子どもがいたら共感できるに違いない、と思えた一時間でした。

FlipperKFlipperK2014/01/11 11:07 え、???あなたの答えのどこが間違っているのですか?????
 私がその授業の指導者なら、あなたの答えをAに、教師と子ども両方を書いていればBに、どちらかのみならCに、何も書いていなければD似評価すると思いますけど。

scorpion1104scorpion11042014/01/11 15:47FlipperKさんと同じように思いましたよ。

daitouirukadaitouiruka2014/01/11 22:04子どものためでも、教師のためでも、どちらも個に閉じられた印象を受けます。
もちろん個人の幸福を大切にしつつ、共同体全体の幸福、しかもより大きな共同体の幸福を視野に入れることが大切だと思います。

sweetsdaisukisweetsdaisuki2014/01/11 22:36うふふ。おもしろいです。もし私のそばに、mei-c5さんのような生徒がいたら、
かわいくてかわいくて、つい頭をなでまわしてしまいそうです(笑)

mei-c5mei-c52014/01/12 06:10>>FlipperKさん、scorpion1104さん
授業中は、わたしもどこが間違ってるんだろう????と思って、腑に落ちませんでした。
でも、あとから考えたとき、それはわたしの基準での見方であって、この授業ではそうではなかったのかなあ、と思ったのです。有田さんの授業をベースにした問い、として見ることが必要だったんですね、きっと。みんなは、そういうことが分かっていたからこそ、同じ答えが出せたんだと思います。
前提がそうでなければ、わたしの考えでもありだったのではないかと思っています。

>>daitouirukaさん
両方を大切にしていきたいです。欲張りかもしれないですけど。
みんなが欲張れば、共同体全体の幸福も夢ではないと思います。

>>sweetsdaisukiさん
出来の悪い子ほど……ってやつですね(笑)
でも、本当は「出来が悪い子」なんていないのかもしれません。「出来が悪い子」と見る人がいるだけで。

sweetsdaisukisweetsdaisuki2014/01/13 00:28いえいえ~!出来が悪いとかではないですよ!自分の書いたことにモヤモヤして、
素直に純粋に考え続けるような人っていいなぁと思いまして。
その実直さが本当に愛しいです^^

mei-c5mei-c52014/01/13 23:52>>sweetsdaisukiさん
ありがとうございます。
自分の中でぐるぐると考えすぎてしまうところは、短所だと思っていたのですが、
そう言っていただけてとても嬉しいです!あと、ちょっと照れます…(笑)
これからも、似たようにもやもやと考えているような内容の日記になると思いますが、どうぞよろしくお願いします。

2014-01-09

SP。

| 01:59 | SP。 - 幸福論 を含むブックマーク


心理学の授業で、サブ・パーソナリティという言葉を知りました。

サブ・パーソナリティ(以下SP)というのは、誰もが心の中に持つ性格や癖、そのひとつひとつの人格のこと、だそうです。


分かりやすい例が出ていたので引用させてもらうと、

“カレー”は“スパイス・にんじん・たまねぎ・じゃがいも・お肉……”などでできています。

“カレー”が自分自身だとしたら、SPというのはスパイスなどにあたるのです。

さまざまなSP(スパイスやにんじんなどのもの)が1つになって、自分(カレー)という存在をつくっています。




そして、今日の授業では、SPトランプという道具を使ってのワークショップでした。

SPトランプは、名前の通り、普通のトランプとは少し違います。

ハート、ダイヤ、スペード、クラブのマークや1~13までの数はあるのですが、それに加えて、真ん中に代表的なSPが文字と絵でかかれてあるのです。


例えば、ダイヤの10は「優柔不断な迷子さん」で、迷子の子どもの絵。

クラブの8は「努力家」で、汗をかきながらマラソンをしている人の絵。

というふうな感じに。



ペアワークですが、まずは個人作業です。

このトランプにかかれてあるSPを見て、「これは自分に当てはまるな」「これは自分とは違うな」と思うもの2種類に分類しました。

52枚もあるというのに、案外時間をかけず、すぐに分類することができました。

それから、「当てはまる」に分けた方の山から、さらに「自分ってこうだ!」と表現できるもの10枚を選び抜きます。

そして、その選び抜いた10枚を机に好きなように並べます。

並べ終わったら、おそらく他人からはこう見えているだろうな、と思う自分や、人には見せていないけれども実は自分ってこうなんだよね、という自分があれば、それをペアの人に話します。

ペアの人は、それをただ聞くだけ。(それは違うと思う!と否定してはいけません。)


それから、個人作業をしているのと同時進行で、

ペアの人にも自分のイメージを思い浮かべながら、カードを10枚まで厳選してもらって、それを見せてもらいます。

そのペアの人が選んだカードと自分が選んだカードは、全く違う場合もあれば似ている場合もあって、

それがとてもおもしろいのです。

わたしは、ペアの人が選んだカードと似たカードを自分自身でも選んでいて、

やられた~、見抜かれているなあ。

わたしってそんなに分かりやすい??と感じました。



でも、この10枚のカードを選んで分かるのは、それだけではありません。

このようにカードを選んでいくと、自分がどういう傾向の人間か、ということまで分かってしまうのです。


その傾向は、ハート、ダイヤ、スペード、クラブを見れば分かるような仕組みになっています。(そういうことも計算してSPの絵がかかれてあるんですね。)

ちなみに、分類はこのようになっています。



ハート:能動的・感覚的

ダイヤ:受動的・感覚的

スペード:能動的・論理的

クラブ:受動的・論理的



これだけ見てみると、自分はダイヤに分類されそうだなあ、と思ったのですが、意外にも選んだ10枚の中にダイヤは1枚しかありませんでした。

残りはハートが6枚、スペードが3枚。クラブは1枚もありませんでした。

それなのに、ペアの人が選んだ10枚にはダイヤが5枚も。


あれ……?どうしてだろう??


と、思ったのですが、先生曰く、これは全くおかしいことではないそうです。

なぜなら、自分と相手の能動的と判断する基準は異なっている場合もあるし、相手との関係性で自分の見せているSPは変わるから、だそうです。

この選んだ10枚が自分の全て!

というわけではなく、「そういう傾向にある」ということなのですね。


来週はこのSPトランプを使った対人関係の考え方について勉強するそうです。

楽しみだなあ。

FlipperKFlipperK2014/01/10 20:37 そのトランプ、ほしいですね。是非うちのかみさんとやってみたいです。

sumi-chansumi-chan2014/01/10 22:03面白そう〜!!
早速、検索してみました♪^^
都合が合ったら、講座に参加してみたいです。
http://www.yao-ec.co.jp/schedule/

mei-c5mei-c52014/01/11 03:18>>FlipperKさん
調べてみると、1組3000円ほどで手に入るそうです。
どんな結果になるのか気になりますよね。わたしもやってみたいです。

mei-c5mei-c52014/01/11 03:22>>sumi-chanさん
URLを貼っていただき、ありがとうございます。
こんな近日(一番近いところでは1月13日!)に講座があるんですね。驚きました。
しかも、関東、関西とさまざまな地域で開催されているなんて、思ったよりもメジャーなものなんだなあ、ということにも驚きです。
実践講座もあるようですし、面白そうですよね(^^)

2013-12-27

大きく捉える。

| 02:25 | 大きく捉える。 - 幸福論 を含むブックマーク

先日、通常学級における特別支援の授業で、おもしろいなあと思うことを聴きました。


障害者理解という項目についての内容で、配られたプリントには障害者理解をしていく段階が示してあります。

そもそも、障害者理解という言葉自体がどうなんだって感じなんだけど……と先生はしっくりいっていない様子でしたが(笑)

そこの話は今は置いておくとして、そのプリントの中には、理解をしていく過程でネガティブな感情(例えば、怖いとか。)を持ってしまうこともあり、それは決して悪いことではない。と書かれてありました。

そういう感情があっても、すべてをひっくるめて「そんなこともあるんだなあ」と容認することや、「じゃあ、その人関わるならば自分はどういうふうに接することができるのだろう?」と考えていけることが大切なのだそうです。

それが何故大切なのか、というところのお話で、先生は


人類の存続のため


だとおっしゃっていました。

それから、


「ずっと昔、まだ私たちの祖先が海の中で暮らしていたとき、何かの変異でその一部が陸に上がってきたんです。

水の中で暮らしているものにとっては、そういう存在はとても異質だったと思うけれど、それでも排除されずにいたから、こうして発展しながら今も存在していられるんですよね」


というのを聴いて、捉え方の大きさがいいなあ。すごくすきな考え方だな、と思いました。

自分とはまったく違った性質を持つ人のことを、分からなくてなんだか怖いと感じることもあります。

でも、それは相手にとってわたしもそういう存在であるかもしれないということです。

そこでお互いに排除してしまってはもったいない。

たくさんの異質が集まっているからこそ、そこを活かして発展していける、ということなんでしょうね。

そうしなければならないことなんだ、と思うことはあっても、生物的にそうであるのが望ましいのだろう、とは考えたことがなかったので楽しかったです。


それにしても、水の中で暮らしていたのに急に陸に上がるやつが出てきたら、そりゃびっくりしますよね。

わたしだって、急に空中に浮いて生活する人がでてきたら驚くもんなあ。

daitouirukadaitouiruka2013/12/28 04:38古代日本では先天的疾患を持つ人は「稀人(まれびと)」と呼んで、むしろ神の御兆が下った人として大切にされていたという話も聞きます。
多様性を受け入れた方が生き残れるという知恵があったのでしょうか?
「神の御兆」なので、多様性を「受け入れる」どころか「ありがたがる」感じですね。
でも、自分だったら「ありがたがられる」と一線を引かれているような気がするので、それよりも「当たり前」にとらえてもらって仲間でいる感覚でいたいですが…その感じ方も人によってちがうかもしれませんね。

いずれにせよ、空中に浮かず「足を地に着けて」生活したいですね(笑)。

daitouirukadaitouiruka2013/12/28 04:48障害にかかわらず、「自分が出会ったことのないタイプの人」に出会うと戸惑うのはごく普通の感情だと思います。
要はそのことをもって排除するかしないかですよね。

mei-c5mei-c52014/01/02 11:13>>daitouirukaさん
「自分が出会ったことのないタイプの人」に出会うと戸惑います。
その戸惑いを隠すためや、自分の安定のためにその人を排除をしようとしたりすると、それがいじめになる場合もあるのかもしれません。
出会ったことのないタイプの人がいることは当然のことで、それに戸惑うことも当然。そして、それをプラスの方向に考えていける集団であればいいのかなあ、と思います。
>多様性を受け入れた方が生き残れる
まさにこれですよね。