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幸福論 RSSフィード

2016-09-28

大きくなったから。

大きくなったから。 - 幸福論 を含むブックマーク

死因「大きくなったから」


ACの広告のコピーです。

他にも「可愛くなくなった」「家族旅行に行けなくなった」など。

ペットを飼うこと、命のこと、考えさせられます。

2016-09-27

声の出し方。

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最近、よくひとりでカラオケに行きます。

大体、一回の平均時間は3時間~4時間。

前はカラオケが終わると、喉がガラガラで風邪を引いたような声になっていましたが、

最近では平気で歌い続けられます。

喉が潰れるのは痛いし嫌だなーっと思って、できるだけしんどくならないように歌おうと

歌手の声を耳コピで徹底的にした結果、

お腹から声を出すやり方が、知らないうちに身に付いてきたみたいです。


昔からよく、「鼻から抜けるように声を出す」とか「頭のてっぺんから声を出す」とか言いますが、

あれを意識してやってみてもなんだか上手くいかなかったのに、

いざ出せるようになってみると、その表現も分からなくはないな、と思います(笑)


学び合い』も同じで、苦しいなーこうかなー?いや、こうか?と思いながらいろいろ試していくうちに見えてくるものがあり、

完全にそっくりコピーしてみて分かることがあり、

分かったあとには、「あのときもらったアドバイスってこういう意味だったのか……!」

なんてことがありそうですね。

ogymogym2016/09/29 00:28心理系の研修で、講師だった明治大学の諸富先生が一人カラオケでの発散をお勧めしていたのを思い出しました。一人カラオケ、いいみたいです。

2016-09-22

何のために。

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「叱る」の中でも、大きい声や普通の声、小さい声などの声のボリュームがいろいろあります。


その中でも、大きい声は何を目的としているのか。

わたしが思うに、一番の効果はびっくりして動きが止まることかな、と。

本当に命に関わる危ないことや怪我をすることは、その瞬間に子どもの動きを止めてでもやめさせないといけないことがあると思います。

ただ、その場合には動きが止まったあとでちゃんとびっくりさせてしまったことを謝るところまでがセットです。


それ以外のことについては、そんなに大きな声は必要ではないと感じています。

今のところ、です。

やっぱり実際にクラスを持つと変わっちゃうものなのかな……。

soulbombersoulbomber2016/09/22 20:00若い先生の立場だと、「周りからちゃんと指導してるって思われなきゃ!」という思いからついつい強い指導に走ってしまうことがあるように思います。大阪の金大竜先生は「イライラしたときは右のポケットから左のポケットにクリップを移動させると、そのうちにイライラが消える」とおっしゃっていました。

strongmind222strongmind2222016/09/22 22:33私の場合は、いらいらしたら「合掌をする」がそれを鎮める定番です。手を合わせると怒れませんよ(笑)
大きな声で叱るのは、子どもたちにイライラを募らせるだけだと思います。大人の世界ではそうあることではありませんし。
でも、命の危険がある場合だとか、そういう場合はmei-c5さんのおっしゃるように大きな声を出すべきだと思います。理由も先ほどと同じで、大人の世界でもそういう場合は悠長なことを言ってられないからです。
(あくまで私の意見ですが)

ogymogym2016/09/23 02:14>>いらいらしたら「合掌をする」!!

今度やってみよう、と思いました^^。

mei-c5mei-c52016/09/23 22:50>>soulbomberさん
ありがとうございます(^^)
「ちゃんと指導してるって思われなきゃ!」……て、本当にきっとクラスを受け持って責任のある立場になると必要以上にできていないところを見つけてイライラしてしまうんじゃないかな、と思います。
クリップ、右ポケットに常備しておきます!

mei-c5mei-c52016/09/23 22:54>>strongmind222さん
合掌!すごいですね~
確かに、拝みながらは叱れない……(笑)
斎藤一人さんの「ありがたいなあ」と呟いてからその理由を考えるのもそんな感じですよね。行動や言動は、意外にも考えを変えられるものなんですね(*^^*)

>>ogymさん
お得情報、ラッキーです♪
効果を教えて下さい!

2016-09-16

叱る。

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叱ることはどんなときに必要か、というのが気になって

ゼミで先生に聞いてみました。


先生は、教師としての立場で叱るのではなく、人としての立場で言う、とおっしゃっていました。

勉強のことなどは、やはり本人の問題で、教師が叱ってしまうと教師の責任が重くなってくると思います。

叱ってやらせるからには、それを背負わなければならなくなってくる。

そこが、わたしにとってはしっくりこない点だったのかもしれない、と感じました。

2016-09-14

規律。

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「規律正しい」ということは、イコール「空気を読む力がついている」ということなのか。

2016-09-13

中身が見えるもの。

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昔、シルバニアファミリーの家やレゴで作った家のような、中身(断面?)の見える家が、とてもすきでした。

人体とか脳のミニチュア模型も、胸やお腹なんかをぱかっと開けて中身が見えるのがいいな!と思っていました。


今日、ふとそれを思い出して、画像検索をしてみたけれど、そんなに昔ほど大興奮でいいな!と思わなくなっています。

自分が何にどきどきわくわくしていたのか、忘れてしまうこともあるんだなあ。

2016-09-10

力になれるか。

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今週は5日間支援先の学校に通って、少し先生方に顔を覚えてもらえたのかな、という感じ。


ただでさえ忙しい学校業務の中で、よく分からない人たちが入ってきて、自分の仕事が増えてしまったり面倒なことに巻き込まれてしまったりするのは、わたしだったら嫌だなーっと思います。

なので、先生方にとって少しでもプラスになれるよう、

・何が必要で何が不必要なのか。

・どこを目指しているのか。

・そのために、自分たちの立場でお手伝いできることは何か。

をはっきりさせていきたいです。


でも、こういうのが話せるためには、本当にコミュニケーションが必要です。

わたしの場合は、先生が本当に忙しそうで、直接時間を奪うのが怖いので、お手紙を出してみました。

気持ちが伝わるといいなあ。

かたまり。

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気持ちのいい一体感と、そうではない一体感があります。

このままでいいのか、という思いと

このままでは気持ちよくないな、という思い

2つがせめぎあっています。


今のままだと楽で気持ちいいのですが、

仕事を任せなかったり関わりを省いたりすることが楽なのは当たり前で。


いや、これを楽と思えるだけ心が成長している?それとも鈍っている?

と混乱してきます。


自分の中で、「何のために」がぶれているんだろうなあ。

学校観の、学校は多様な人と折り合いをつけて自らの課題を達成する経験を通して、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場、というところを

忘れないようにしよう。

2016-09-07

違う世界に生きている。

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今日、2年生のクラスに入って授業補助をしていたときのこと。

ある男の子Aくんが、

12cm4mm □ 124mm

という問題の□に入る記号が分からない、と言っていました。

なので、わたしは124mmの12と4の間に一本線を引いて、

「10mm=1cmっていうの、黒板に書いてあるよね。分かる?」

「だから、10の位のところから、単位をcmに変えるよ(線の下に「cm」と書き加えます。)」

「これで、どう?」

と聞いてみました。


すると、Aくんは「ああー!」と嬉しそうな顔で言ったので、

その様子を見たわたしは(あ、分かったんだな)と思い込んでしまい、次に「教えてー」と呼んでいる女の子のところへ行きました。


が、その後、Aくんの前を通ったとき、

「先生! 先生の教えてくれたの間違ってたんだけど!」

と、かなりご立腹な様子で叱られました。

□の中を見てみると、「=」ではなく「>」の記号が書かれています。

その瞬間、後悔の気持ちが押し寄せてきます。

(あ……あのとき分かったかどうかを最後に確認しなかったからだ!)


次はAくんがどこから分からないかを確認しながら説明しないといけないな、なんて思いつつも、

「うーん。それは、そういう意味じゃなくてね……」

と言い始めたときに、Aくんからこう言われたのです。


「もういいよ。先生の教え方、意味わかんないから!」


ここでまた、後悔の気持ちになります。

(うわー、これはわたし、ひどいな。ここは真っ先にAくんに謝らないといけないのに、変に言い訳しようとしてしまった!)

なんだか、やりとりの中での一瞬の判断を自分中心に考えてしまったことに対する悲しさと申し訳なさで、ずーん。。。としてしまいました。






こんな経験から、やっぱり一人一人は違う世界に生きていて、いくら「分かった!」と言ったりそのように見えていたりしても、確認やすり合わせが必要なんだなあ

と強く思いました。

プラス、こういう瞬時の判断と対応についても気をつけていかないと、人を傷つけてしまうことになると胸に刻んだ出来事でした。

(※Aくんには休み時間に「ちゃんと教えれなくてごめんね」と謝って許してもらえました。)