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2016-02-09

押し付け。

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この前、現職院生さんの異学年飛び込み授業にお邪魔したとき、

ずーーーっと一人で手を止めて悩んでいる子がいました。

近くにいた上級生の子2名が、2年生のその子を「いこうかなあ」「どうしようかなあ」という感じにちらちらと見ています。

わたしは行ったらいいのに!と思ってその上級生の近くを通りすぎながら、「悩んで手が止まっている子がいるねえ。どうしたらいいのかな」と大きめの声で言いました。(これを可視化というそうです。)

すると、少ししてその子たちは悩んでいた2年生の子のところへ行って「どう?わかる?」と問題を覗きこみ始めました。

すぐにそこに近寄っていって、「そうやって悩んでいる人への聞き方が優しいのは素敵だよね。さすが上級生だなあ」とまた大きい声で言いました。(あわよくば、近くの男の子たちにも聞こえればいいな、と……)

でも、こんなふうに声をかけられることは、子どもたちからして押し付けのように感じるのかなあ?と今日思いました。


うちのゼミは『学び合い』で運営されているそうですが、先生はよく「可視化なんてしてほしくないだろ?」と言います。

確かにわざとらしく言われると、ちょっと嫌な気分になりそうですが、わたしたちがそう思うくらいなので、子どもたちにとってもそれが窮屈なんじゃないかと思ったのです。


それとも可視化、ではなくて

わざとらしい可視化、が窮屈なだけなのか。

いずれにしても、あのときわたしの言葉はすごくわざとらしかったよなー、と反省しました。

ogymogym2016/02/13 22:46行動するときに『逃げ道』があると、人は行動しやすい、と思っています。

わざとらしく可視化して声を挙げると、その声に従って行動した子は、「だって先生が言ったから」という『逃げ道(言い訳)』ができます。「行きたかったけど雰囲気で行けていなかった」という場合も子供によってはあると思います。そういう子にとっては、「言ってくれて助かった」と思うかもしれません。

嫌な気分になる子もいれば、助かったと思う子もいる、そんなとこなんじゃないかなーと思いながら声を出してみています。声を掛け過ぎて自分が自分に怒れてしまったり、声を掛けた子を怒らせてしまったりといろいろな時がありますが、すべて糧になる!と思ってます。わざとらしいときがあってもまあいいんじゃないでしょうか^^。
そんなこと、思いました。

mei-c5mei-c52016/02/22 22:19>>ogymさん
気づかずにお返事遅くなりました、すみません;;
なるほど、そういう視点もあったか……という感じです!
確かに自分も言ってくれたらいいのに!と思うことがしばしば(笑)
言わなすぎるのも放任しているようで何か違うな、とは思うのですが。加減の問題なのか、それとももっと別のところにその鍵があるのか。
まだわたしには分かりません。
でも、ogymさんのおっしゃるように、すべてが糧になるという心持ちで先生がいることこそが、一番いいのかもしれないです(^^)