2016-01-28
飲食店。
普段のこと |
普段はなかなかひとりで飲食店に入ることがないのですが、今日は思い立って一人で行って来ました。
飲食店に入るときには、コンビニで簡単におにぎりを買って食べるときと違って、やはり美味しさを求めているわけです。
でも、一人でもくもくと食べていると、普段は「あ、これは美味しいね~」と言いながら食べているのに、そんなふうに口に出さないからか、味がよくわからなくなってきます。
単純に、あー美味しい美味しいと思って食べていればいいのですが、一人で食べるとなんとなく暇で、余計なことを考えてしまうのだと思います。
ん?これは本当に美味しかったのかなあ?と自分の舌を疑いだして、
そういえばあそこで食べたものの方が美味しかったな、と思い始めたら最後で、妙に満足しないまま食事を終えてしまいます。
こんなふうに一人で食事をすることと、誰かと一緒に食事をすることでは、心の持ちようが違うのはどうしてだろう、と思って調べてみたところ、
人がストレスを解消するカギが書かれてあるページにたどり着きました。
ストレスを解消するためには、2つ幸せホルモン
「オキシトシン」「セロトニン」
を増やす必要があるのだそうです。
オキシトシンは、信頼している人と関係を持つことなどで分泌され、
セロトニンは、感動したときに声を出したりすることで分泌が盛んになると書かれてあり、
やっぱり誰かと「美味しいね」と言い合いながら食事をとることは科学的にもよい効果がありるみたいです。
ところで、学校の給食などで、喋らずに食べましょう、といって静まり返った中で食事をするところもあると思います。
わたしは、あれが苦手なんです。
もちろん、お喋りに夢中になって食事が進まず、食器を返すのが遅くなってしまったり、残してしまったりということもあるかもしれませんが、
今回調べた効果のことも考慮しつつ楽しい食事ができるようにしたいなあ、と思います。
せっかく、みんなで食事できる機会なので。
2016-01-27
ラーメンズ。
普段のこと |
ラーメンズというお笑いコンビがいます。
以前にも書いたのですが、わたしはこの人たちのコントがとても好きです。
このコントをつくっているのは小林さんという人で、この方はお一人でも劇場でお芝居(?)をやります。
コントの面白さもさることながら、やっぱり単独の舞台も思わずにやりとしてしまうような笑いがたくさん。
加えて、彼一人の舞台は、とても心地のよい音で流れていきます。
先日、教師は声の質が大事だとゼミで聞きましたが、本当に小林さんの声の質はよく、
大学で言えば、A先生(他研究室のすごすぎる先生)の声にそっくりなんです。
なので、最初にA先生の声を聞いたとき、小林さんのドッペルゲンガーか何かだと思いました。
やはり、多くの人に自分の言葉を聞かせようとするとき、声の上げ下げや話し方が似てくるものなんだろうか、と思います。
もちろん、質も。
真似ようと思ってもすぐには似せることのできない何かが、そこにあるような気がします。
2016-01-20
料理。
普段のこと |
料理をするときに、レシピの書かれた本を見たり、それを参考にしたりしながら作る人がいます。
わたしは本屋さんの料理本コーナーによく行くのですが、そこにはそんな人たちに需要があるのか、たくさんの種類の本があります。
例えば、和食を作りたいな、と思えば和食のレシピが載ってある本を探して、買って帰って作ることができます。
これが、最近ではネットの料理サイトで簡単に調べられるようになりました。
鶏肉を使って和食を作りたいときには、
本だと買ってきてそのページを探さなければならないのにくらべて
「鶏肉 和食」と打って検索をかけるだけで、山のようにレシピが出てきます。
レシピを見ると、大抵は出来上がりの写真と
それぞれ作っていく行程をうつした写真が、作り方と一緒に何枚かあって、
この行程ではこうすればいいんだな、ということが静止画でわかります。
でも、本当にここ数週間で気づいたことなのですが、
最近はさらにそれが進化して、動画で簡単に行程が説明されているものをよく見かけるようになりました。(もっと前から?情報が送れているかもしれませんが、、、笑)
静止画とくらべると、やはり料理は動きがある方がより食欲がそそられるし、
動画で行程を軽く流し見ることによって、作る過程が自分の中で再現しやすいような気がします。
この、自分の中で再現しやすい、というところは料理にとって重要なポイントですが、
授業でも同じことが言えると思います。
先生は、自分の中で「こんな授業をしようかな」と再現できることを実践していきます。
よって、授業実践の経験がある先生と、まだ経験の浅い先生が一緒の空間で授業をしながら、
「ここではこういうことを気にして、こういうふうにしたりするんだよね」
「よくこういうことがあるから、そんなときはこうするとうまくいくことが多いよ」
など、料理の作り方のコツじゃないですが、ちょこちょことその都度話していくことで、
経験の浅い先生は、自分の中に授業イメージを再現しやすくなり、
もっとこんなふうに授業をしてみよう!と挑戦できると思います。
さらに、「前もこういうことがあってさあ、こういうふうにしたら失敗しちゃったんだけど、そのあとこういうふうにしたらなんとか持ち直したよ」
なんて体験談も聞ければ、
挑戦したあと、もし失敗してしまっても、
先輩もいろいろ試して改善していってるんだから、自分もいろいろ試して改善してみよう
と前向きに思えるかもしれません。
自分の中でこれならいけるな、のイメージを持つことは、大切だと最近の料理界の動向(?笑)から感じました。
学習成果発表。
会のこと |
院での2年間の学びを発表する会が行われました。
先輩方の発表を見ていると、研究観が研究室によって異なることがわかります。
やっぱり、アドバイザーやゼミ全体の雰囲気に影響を受けているんだろうな、と感じます。
でも、どういうふうに言っていいのか、自分の中でまだ言葉の整理がついていないのですが、
うちのゼミの先輩が発表しているところを見ていて、他ゼミよりも研究室としての統一感がない気がしました。
これは、一人一人の個性がとても強く出ている、という意味ですし、
本来研究は人それぞれに興味が違っているので統一されていなくてもいいものだとも思います。
が、、、
でも、他ゼミの先輩方の発表には研究室の色があったからなのか、
ちょっと自分の中で違和感が残りました。
追記です!
翌日先生からお話を伺ったところ、
自分がゼミの内にいるからわからないかもしれないけれど、
うちほど研究室の色が出ているところはないと思うよ、全部『学び合い』だし。
と言われてはじめて、
自分が『学び合い』があることについて当たり前になっていたので、そこが見えていなかったんだな、と気づきました。
2016-01-18
sumi-chanmeiさんの体験を紹介した後で、参加者のみなさんそれぞれの「あなたのやる気がでる瞬間」とか「やる気を出すために(継続するために)やっているちょっとした工夫」などについて近くの人と共有する時間を取るなんてことを試してみるのも一つかな?と、meiさんの記事を読んでいて思いました。(思いつきですよ。)
mei-c5>>sumi-chanさん
コメントありがとうございます。
実は、やる気をどうやって出していたか、体験談を話したあと、時間が少し余って何も喋ることが無くなってしまい、はからずも(というより本当に無計画に;)、自分はどうやってやる気を出すか考えながら、近くの人と話してください、という時間が出来てしまいました。
うまく話し合いの雰囲気が作れませんでしたが、ちょっとやる気について考えるくらいの時間になっていればいいなあ……という希望です(笑)
2016-01-15
使う言葉。
普段のこと |
わたしの後輩に、「その言葉って、文章では見たことがあるけど、話すときにも使うんだ!?」とびっくりするような言葉を使って話す子がいます。(ただわたしの語彙が少ないのかもしれませんけど、、)
人間には理解語彙と使用語彙がある、と習ったのは、大学生のときでした。
理解語彙は、見たり聞いたりしたときに意味が分かる言葉
使用語彙は、実際に使う言葉
なのだそうです。
その子はきっと理解語彙をどんどん使用しているから、使用語彙が多くなるのだと思います。
その子の話は、言葉選びが面白く、聞いていて飽きません。
でも、「え?何言ってんの?」とそれをまったく楽しく思わない人もいます。
きっと、人それぞれ、使う言葉が違えば、それを受け入れられる言葉というのも違うものなんです。
子どもの授業中の会話を起こしていると、人によって使用語彙が全く違うんだなあ、ということに気づきます。
教えている時に、「え?」と聞き返されると、また違った言葉(その子にとって分かりやすい言葉)で返すような子がいます。
この子はおそらく、説明することに慣れている子です。
が、慣れていない子は、「こうやって、ばんばんばーんってやるんだよ」と詳しく言っていないことも多々あって面白いです(笑)
ただ、どんどん繰り返していくうちに、説明がうまくなっていっていることは確かです。
何度も失敗、改善を繰り返せることは、本当にすごい、と思います。
個々のことは、全体を見ていると気づきにくいけれど、みんな成長してるんだなあ。
2016-01-13
崩壊。
普段のこと |
譲歩と後退を繰り返して負の方向へ。
2学期から3学期にかけて学級が崩壊していく過程を、じんわりと肌で感じます。
みんなのフラストレーションが発散されることもないまま、少しずつ降り積もっていくこの感じ。
傷口が膿んだまま、その膿が出ない状態が続いているのと一緒です。
こんなことでじわじわと溜めているくらいなら、はやめに崩壊すればいいのに、とも思います。
みんないつまで耐えるつもりなのかなあ?
速効性。
普段のこと |
やっぱり、先生は「○○のときには~~すればいい」みたいな、即使える内容が載っている本がありがたいんだろうなあ、と思います。
日々に追われて、じっくりと自分で考える時間がないからです。
前までは、理念(学び合いだったら子ども観とか)をもとに、
これだったらこうしたほうがいいな
を自分で考えて試すことで、思いが継ぎはぎにならず、後々いいんじゃないかと思っていましたが、
本に書いてある速効性のあるものを、
これはどうしてこうするんだろう?
というふうに、自分なりに考えて辻褄を合わせておく方法も、比較的思いが継ぎはぎにならずいいんだなあ。と、最近やっと学びました(笑)
応援。
普段のこと |
勉強できないことが子どものせいになってしまっているような気がします。
このままでは苦しいなあ。
自分がどうしても偉そうな態度になってしまうことが嫌なのかもしれません。
もっと応援したいです。
応援するって、結構すきな表現なんです。
その人がその人自身を信じてあげられるように、奮い立たせるのが、応援です。
明日はもっと違うことをしてみようっと。
変化。
普段のこと |
面白い人が面白いことをする
↓
面白いから凡人が集まってくる
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる
こんなのを見つけました。
「凡人」とか「見切りをつけて」とか、言い方はちょっと悪意があるような気がします。
これ、逆を言えば、古くからいる人が変化を恐れているとも言えますので。
変化を恐れている、というか、単純に価値観が合わなくなってきてしまったのか。
でも、言い方はどうあれ、コンテンツの一生としてはよくあることなのかなあ、とも思います。
これまで面白いなあ、と思って見ていたサイトの空気が変わってきました。
人はどんどん変わっていくんだなあ。
2016-01-11
2016-01-09
研究と実践の場。
明日の臨床教科教育学会では、
わたしたちが明らかにしたいと思ってきたことが、
聞きに来てくださった方たちにちゃんと伝わるよう発表をしたいです。
それから、他の人たちがどんなことを発表するのかも、楽しみにしています。
朝早くから夜遅くまで、それぞれが汗水たらして分析をしていたところを見ているからこそ、
どんなことを研究しているのか、最終的な形をしっかりと見ることができるのは、本当に嬉しいです。
どんな発表がいいのかも、ちゃんと見ておきたいです。
居心地の良さ。
普段のこと |
学力がトップの人の中には、自分がよい情報を持っていて、他の人の間違いに気づいているにも関わらず、それを教えてあげようとしない人もいます。
そういう人は、これまで「自分が最も優れている」ことによって自分を認められてきた経験があると考えられます。
だから、他の人がよくなることに手を貸すメリットがないのです。
でも、学力がトップであっても、そうは思わない人もいます。
外国のことは詳しくないので、あまりどうこう言えないのですが、
日本で24年間暮らしてきたわたしの価値観で話すならば、
少なくとも日本では、後者の方がより多くの人から承認を得る可能性は高いんじゃないかな、と思います。
やっぱり島国だから、この集団が駄目なら別の集団に乗り換えよう、という考えではなく
今いる集団でいかに居心地を良くするか、という発想になってくるのでしょうか。
他人に手を貸すことは、自分の居心地のよさのため
つまり、徳ではなく得、ということなんだろうなあ、と思います。
同じ失敗を繰り返してることに気づいて、学べてないことにも気づいてるのて、馬鹿じゃないですよ。
まぁ、馬鹿だとしてもだめだなんてことで見捨てませんよ。
戒めにコメントいただき、ありがとうございます(>_<)
自分に甘くしてしまうところをかえたいなあ、と思います。