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2015-11-26

接ぎ木。

| 接ぎ木。 - 幸福論 を含むブックマーク


去年の赤坂研の方の論文に、「学校改善に努める校長のリーダーシップに関する事例的研究」というのがありました。

この中の一部に、『学び合い』の考えを取り入れていくときに似ているなあ、と思うところがあるんです。


自分が読み返したときに分かるように書いていくと、

まず、校長のリーダーシップについて、日本教育経営学会というところが、

「校長先生って、長年積み重ねてきた教育者としての自覚と経験のあとに、接ぎ木するようなかたちで、管理者としての知識とか使命感がついてるような、どうにも異質な感じがするよね」

と言っています。

「ほんとなら、『教育者的なリーダー性』と『管理者的なリーダー性』が一緒にあるようなのがいいんだけど……」と。

それもそうですよね。

民間企業から採用された校長先生もいないこともないですが、やっぱり大多数は教員が教育実践をベースとして校長の職につくわけです。

そこには、学級をもって働く先生方の苦労も分かる、という良さなどがある一方で、

管理者と(一般的な教える人という意味での)教育者の境界線が曖昧になる、という難点もあるわけです。


いったい、校長のリーダーシップってなんなの?

ということで、わたしは全く知らなかったのですが、外国の人が校長のリーダーシップについて、こんな論文を出しているそうなんです。

校長には「管理技術的志向」と「シンボリック志向」というリーダーシップの性質が求められていて、

もうこの時点で難しくってあんまりよく分からないのですが、

とりあえず現在は「シンボリック志向」が少ないのだとか。


ほうほう……?


で、このよく分からない「シンボリック志向」の研究については、これまでどんな内訳かというと、

大半が『本質論』としての文化的リーダーシップの研究

そして残りの少数が『現象論』としての文化的リーダーシップの研究なのだとか。

またもや訳のわからない言葉が出てきた!


うーーーーん。もう読むの諦めよっかなあ。


となっていると、しかし!ときます。

「でもこれってあくまで理論で、実証的なデータに基づいてないんだよね」と。

おーなるほど。そうなんですか。

つまり、机上の空論だと言っているんですね。

「これの実証的なデータを取っているのがこちらです」



伊藤・西川(2013)



えっ。

こんにちは。こんなところでお目にかかるなんて。

大学近くのブックオフで先生に出会ったときくらいの驚きです。


この研究では、「校長交代におけるリーダーシップの変化は、職員集団の人間関係に影響がある」ということを言っています。(ざっくりですが。)

しかも、同年の林・西川の研究では、「校長は集団に対しての働きかけをするといいんだよ」という結果まで出ています。


ここからは、実際に校長先生がどんな働きかけをするのか、という事例的な研究に入っていくわけですが、全部書いてしまうと、もしかして著作権的にダメかもと思うので、一番良いところは伏せておきます。が。


わたしは、ここまでの流れの中で、ああこれは、と思うところがあったのです。

それは、序盤も序盤。

校長先生が接ぎ木状態になっている、というところ。

なんか、この接ぎ木状態って、『学び合い』を知って始めようとする先生の状態に似ているなあ、と感じるのです。


「わたしは教える人」という意識から「わたしは管理する人」という意識への変容は、やっぱり違和感があって当然だと思います。

教えていれば良し、教えきれなくても時間を取ってもらってなんとか教えきればセーフ!とされる立場から、

先のことを見据えてみんなに挑戦の場を与え、みんなの失敗に対してはそれをフィードバックする。さらに対外的なものに関しては責任をとらなければならない、という立場になるわけです。

少し、いや、これはかなり違います。


考えが根本的に、変わっちゃうんだなあ。それは混乱もするよね、と思い、メモしました。