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幸福論 RSSフィード

2015-11-28

諦めない。

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今日の学年ゼミで、以前にも書いたような気がするけれど、ああこれって大切だったなあ。と再認識したことがあります。


それは、「全員達成」が大切なのではなくて、「全員達成を諦めないこと」が大切なのだということです。


例えば、算数の問題、あの子はできなくても仕方ないや。と一つ諦めてしまうと、どんどん諦めることに慣れて、いろんな場面で「○○だからこれでいいや」の言い訳が出てきてしまいます。

それを繰り返していると、どんどん諦めることに慣れていきます。


わたしは、そんなふうに生きてきた人が、何かものすごく辛いことに直面したとき、「生きていなければこんな辛い思いをしなくてすむ」と生きることを諦めてしまうのが、とても怖いです。

それに、そこまではいかなくても、「会社に行かなくていいや」「捕まって刑務所で暮らしていればいいや」と諦める場合もあります。


だからこそ、毎日「諦めない」を体に慣れさせていくことは大切だと思います。

でも、一人で「諦めない」を体に慣れさせるのは、とても大変なことなんです。

とても、言葉にはならないくらいに、それはもうしんどくて「ああ、もう諦めちゃっていいかな~」と思うときも必ずあります。

そんなときに「まあまあ、そう言わずに。わたしも手伝うから」と言ってくれる人が一人でもいれば……。

きっと、わたしなら、「うーーーん、じゃあ諦めずにあと少しがんばってみるか!」となります。

わたしがわたしを諦めてしまいそうなときは、誰かがわたしを諦めないでいてくれる。

一緒に「諦めない」をしてくれる。

これってとてもありがたいことです。


社会に出れば、全員達成なんてことは言われません。

でも、「まあまあ、そう言わずに。わたしも手伝うから」と言ってくれる人は絶対にいます。

だから、わたしも「諦めない」を体に慣れさせて、まわりの人が辛くて諦めかけたときには、一緒になって「諦めない」をしてあげたい。

その方が、わたしにとって生きやすい社会になるんだと思っています。

ogymogym2015/11/29 23:50>>一緒に「諦めない」をしてくれる。
他者は、自分があきらめないでいられるための触媒になってくれるかもしれないなぁと思いました。『学び合い』を続けることで「あきらめないでいられる程度の目標」を自分で決めていく力もつけることができるかもしれない。ホームラン王になる!大金持ちになる!をあきらめず続けるのも厳しい……時間制限と目標の再設定の力もつけられるかも……『学び合い』はいろいろつくなぁなんて思いました。

mei-c5mei-c52015/12/06 20:09>>ogymさん
他者は自分が諦めないでいられるための触媒であり、自分も他者のあきらめないでいられるための触媒、だったら持ちつ持たれつですね(^^)

目標の設定のときに、なんのためにその目標があるのか、を考えて時間的制限や社会的制限と折り合いをつける必要もありますね~。かなり前にogymさんが「目標と目的」のお話をブログでされてましたが、そのことを思い出しました。

2015-11-26

接ぎ木。

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去年の赤坂研の方の論文に、「学校改善に努める校長のリーダーシップに関する事例的研究」というのがありました。

この中の一部に、『学び合い』の考えを取り入れていくときに似ているなあ、と思うところがあるんです。


自分が読み返したときに分かるように書いていくと、

まず、校長のリーダーシップについて、日本教育経営学会というところが、

「校長先生って、長年積み重ねてきた教育者としての自覚と経験のあとに、接ぎ木するようなかたちで、管理者としての知識とか使命感がついてるような、どうにも異質な感じがするよね」

と言っています。

「ほんとなら、『教育者的なリーダー性』と『管理者的なリーダー性』が一緒にあるようなのがいいんだけど……」と。

それもそうですよね。

民間企業から採用された校長先生もいないこともないですが、やっぱり大多数は教員が教育実践をベースとして校長の職につくわけです。

そこには、学級をもって働く先生方の苦労も分かる、という良さなどがある一方で、

管理者と(一般的な教える人という意味での)教育者の境界線が曖昧になる、という難点もあるわけです。


いったい、校長のリーダーシップってなんなの?

ということで、わたしは全く知らなかったのですが、外国の人が校長のリーダーシップについて、こんな論文を出しているそうなんです。

校長には「管理技術的志向」と「シンボリック志向」というリーダーシップの性質が求められていて、

もうこの時点で難しくってあんまりよく分からないのですが、

とりあえず現在は「シンボリック志向」が少ないのだとか。


ほうほう……?


で、このよく分からない「シンボリック志向」の研究については、これまでどんな内訳かというと、

大半が『本質論』としての文化的リーダーシップの研究

そして残りの少数が『現象論』としての文化的リーダーシップの研究なのだとか。

またもや訳のわからない言葉が出てきた!


うーーーーん。もう読むの諦めよっかなあ。


となっていると、しかし!ときます。

「でもこれってあくまで理論で、実証的なデータに基づいてないんだよね」と。

おーなるほど。そうなんですか。

つまり、机上の空論だと言っているんですね。

「これの実証的なデータを取っているのがこちらです」



伊藤・西川(2013)



えっ。

こんにちは。こんなところでお目にかかるなんて。

大学近くのブックオフで先生に出会ったときくらいの驚きです。


この研究では、「校長交代におけるリーダーシップの変化は、職員集団の人間関係に影響がある」ということを言っています。(ざっくりですが。)

しかも、同年の林・西川の研究では、「校長は集団に対しての働きかけをするといいんだよ」という結果まで出ています。


ここからは、実際に校長先生がどんな働きかけをするのか、という事例的な研究に入っていくわけですが、全部書いてしまうと、もしかして著作権的にダメかもと思うので、一番良いところは伏せておきます。が。


わたしは、ここまでの流れの中で、ああこれは、と思うところがあったのです。

それは、序盤も序盤。

校長先生が接ぎ木状態になっている、というところ。

なんか、この接ぎ木状態って、『学び合い』を知って始めようとする先生の状態に似ているなあ、と感じるのです。


「わたしは教える人」という意識から「わたしは管理する人」という意識への変容は、やっぱり違和感があって当然だと思います。

教えていれば良し、教えきれなくても時間を取ってもらってなんとか教えきればセーフ!とされる立場から、

先のことを見据えてみんなに挑戦の場を与え、みんなの失敗に対してはそれをフィードバックする。さらに対外的なものに関しては責任をとらなければならない、という立場になるわけです。

少し、いや、これはかなり違います。


考えが根本的に、変わっちゃうんだなあ。それは混乱もするよね、と思い、メモしました。

2015-11-24

嘘つき。

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部屋の掃除をして、洗濯物をしながら、ぼーっとしていました。

ぼーっとしながら、自分がこれまでについてきた嘘を振り返ってみました。

嘘つきは泥棒の始まり、と言いますが、思えばわたしは、もう泥棒を繰り返して何度も捕まっているのではないか?というほど嘘をついています。

でも、その嘘の中でも、自分のためにつく嘘と、他人のためにつく嘘は違うな、と思います。

というのも、自分のためについた嘘は、どれもあんまり気持ちのいい思い出ではないのです。


嘘はついてはいけない、というのに、お世辞や心にもない言葉が溢れているところを見ると、あれは嘘とは言わないんだ……と不思議に思っていました。

きっと、ついてはいけない方の嘘って、自分のための嘘の方なんだろうな。


自分のための嘘は、自分を守ろうとしながら自分を傷つけています。

それを知っている人や、守らなくても、まわりの人が守ってくれる、という気持ちになれる人。

つまり、人を信じることのできる人は、自分のための嘘をあまりつかないのかな、と考えました。

つえ蔵つえ蔵2015/11/25 11:07嘘も方便とも言います。
諺って正反対のものもあって、面白いですよね。
三度目の正直。
二度あることは三度ある。
どっちが正しいではなく、どっちもあるからこそ両方ともに残ってるんでしょうね。

mei-c5mei-c52015/11/25 15:26>>つえ蔵さん
諺って不思議ですよね。
>どっちが正しいではなく、どっちもあるからこそ両方ともに残ってる
これに尽きるなあと感じます。
何か唯一の正しいものがあるなんて、無いだろうな、と。

2015-11-23

区別がつかない。

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仙南の会の懇親会で、名古屋の高校生Fさんと出会いました。

彼のことは名古屋で開催されたTEDの動画で拝見していて、お会いできるのをとても楽しみにしていました。


会った感想は、ただただ、悔しい!でした。

おもしろそうなことを言うだけではなく、すでにやっているんです。その分だけ言葉に重みがあるし、聞いていてなるほどなあ、となります。

一緒に行った研究室の現職院生さんから、勝ち負けじゃないよ(笑)と言われましたが、もうただただ悔しかったです。

ちょっとでもプラスに言うならば、「刺激を受けました。」です。




おもしろかったのは、Fさんのリュックの中に全国の鉄道のダイヤが載った冊子が入っていて、いろんな駅を知っている、ということを知ったときでした。

「うちの近くに○○駅っていうのがあって……」と友達が説明していたりしても、「ああ、駅前に◻◻があるところね」と返答して、「なんで知ってるの!?」とびっくりさせる、なんてことがしばしばあるのだとか。

時刻表も調べるよりFさんに聞いた方が早いのかも、というほど。


「いいなあ。やっぱり、○○のことなら俺に任せて!って言えるくらいのつきつめたものがあると、おもしろいよねえ」

と言ったら、

「いや、どこかへ行くときも18切符でとにかく安く行けるように、ってしているだけです(笑)」

と返されました。

その言葉を聞いたとき、あ、そんな感じでもいいのかあ、という感覚になりました。

今までは、何かを突きつめていった人はどこか遠い存在に思っていたけれど、案外自分の利害だけを追求していった延長線上にあるのかもな、と。


それから、すごく共感できたのが、

「勉強と遊びの区別がつかない」

ということでした。


大学生のときにも、よくまわりから言われたのが、「いろいろな会に行ったり本を読んだり、いっぱい勉強しててすごいね」という言葉。

でも、わたしにはそれが違和感だったんです。

え、だってみんなも好きなスポーツしたり、ギターを弾いたり、いっぱい勉強してるじゃん。え、なんで??という感じで。

そのことを言うと、Fさんも「分かる!」と共感してくれました。


オンオフがはっきりしない、というマイナス面もあるけれど、これはこれで、一瞬一瞬を楽しく過ごせるので気に入っています。

そんな中、夢に論文が出てきました。

いろんな人から、先生が夢に出てくるという話は聞くのですが、まさか論文が先に出てくるとは。

夢と現実のオンオフもついていないようです。

2015-11-22

えっ。

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仙南の会に参加しました。

すごく嬉しいことがありました。

それは、会の最初に、主催者のYさんの膝にコミュニティボールを発見したことです。

PAの会では有名?ですし、つい先日ではp4cの連絡会でも実践報告でコミュニティボールを使用しています、というお言葉を耳にしたばかり。


わたし「うわあ!これ、あの、ハワイ発祥の……!」

Yさん「そうです、コミュニティボールです!今日はp4cを実践されている先生がいらっしゃっていて、その方のクラスからお借りしたものなんです」


なんだか、ぞくぞくするほど嬉しかったです。

先日、p4cの連絡会に参加したときに、『学び合い』との親和性が抜群だ、と思い、

いつかコラボレーションできたらおもしろいよなあ、と思っていたのに。

こんなにも早くにそれを実現する機会が現れた……!




今回の会に参加するにあたって、わたしが持っていた課題のひとつとして、

「いろんな人が、子どもたちの、そしてみんなの幸せのために、とそれぞれの立場からアプローチして実践されています。例えば、『学び合い』だったり、p4cだったり、PA(冒険教育も?)だったり、、、、本当にいろいろあるわけです。そんな人たちが力を合わせて何かおもしろいことはできないかな、と思います。そのヒントをいろんな立場の方々からいただきたいです。」

という思いがあったので、そのまま最初にお話しさせてもらいました。

でも、もう、会に参加した時点で、おもしろいことは始まっていたんですね。


わたしって、ずっと停滞していたんだ、と思います。

やっぱり、常に新しい学びがなければわくわくしません。

今まで会を開くことに自信が無かったのは、わたしが主催者として、そして一参加者として何かを提供できると思えなかったからかもしれません。

でも、今回の仙南の会に参加して、自分の気持ちの変化に気づきました。


一般的には、何かの会のときに、その会とは違う話題を口にすることって、気が引けるものだと思います。

それは「布教」っぽく見えるからです。

でも、今日の会は、それぞれの人の課題について解決できればいいよね、というスタンス。

学び合い』じゃなきゃ、という縛りは決してありませんでした。

そして、わざわざお休みの日に時間を削って来られた方々です。子どもたち、そして自分たちの幸せのために、となんらかのアクションを起こしているわけなので、大枠としての目的は一致しています。

何かしらの課題を解決するには、これが万能薬だ、というものはありません。

いろんな人が、いろんなアプローチで自らの課題を解決していきます。

だから、『学び合い』以外の話も何の違和感もなく出せるし、あなたにとってはそれが解決に繋がるんだね、と思えます。

わたしの課題解決方法は、必ずしも、あなたの課題解決方法とは一致しない。

あなたの課題が解決されて、少しでも楽になったり幸せになったりできるのなら、その方法はなんでもいいんです。

そんな気持ちで会に臨めました。


これなら、自分で会をするのも特に苦とは思わないなあ。

daitouirukadaitouiruka2015/11/22 09:04会を開くとき、「自分自身もいい実践を報告しなければならない」という思いに縛られているとなかなか開けないけれど、「人と人がつながる場を提供する」ということも、自分自身が何かを生み出すことと同様に尊いものだと思うようになりました。
その場での出会いがなければ生まれなかった「すごいこと」を生み出すための欠かせない要因の一つなのだから。
ちょうど、『学び合い』をするときに
「あっちの人がそのことについて考えてたよ。自分はよく説明できんけど…。」
という「つなぎ役」がとても大切な役割を果たすのと同じような感じでしょうか。

FlipperKFlipperK2015/11/22 10:37始めると、くせになりますよ。(笑)

ogymogym2015/11/22 23:09「集まり」を始める練習中です^^。「人と人がつながる場を提供する」とても参考になりました。

mei-c5mei-c52015/11/23 04:56>>daitouirukaさん
つなぎ役、がいわゆるファシリテーターということですよね。
さらに、何か与えなければならない……なんて思っていましたが、「学ぶ姿勢」に関してはいくつになっても同じとするならば、主催する人だって課題があってそれを解決したいから、という理由で開いていいんだなあ、と。ちょっと会に対しての印象が変わりました。

mei-c5mei-c52015/11/23 04:59>>FlipperKさん
今までは、まったくそんなことないと思っていたのですが、今はそうなりそうな予感がしています。

mei-c5mei-c52015/11/23 05:05>>ogymさん
わたしも、『学び合い』の会ではないのも含め、ですが、何度かチャレンジしたことがあります。
でも、それは自分の課題を無視した「会を開くための会」になってしまっていたような気がします。開くことによって自分の課題が解決されると思うならば、それはそれで良いと思います。が、わたしの場合はそこまで落とし込めていないままだったので、今思うと参加者の方に失礼なことをしたなあ、と……。
ぜひogymさんの会にも参加させていただきたいです。

2015-11-17

価値を見出だす。

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最近、石黒浩さんのインタビュー記事や本を読み漁っています。

何も前提がない状態からの「なぜ?」をたくさん持っている方で、

石黒さんのお言葉を拝見していると、そう言われてみれば、そうだな!なんでこれまで自分は気にしてこなかったんだろう?と思うことだらけです。


例えば、石黒さんは小学生の時に先生から「人の気持ちを考えなさい」と言われたそうです。

でも、「人ってなに?」「気持ちってなに?」「考えるってなに?」全部わからないのです。

しかも、大人は答えを教えてくれない。

結局はみんなわからないのです。

わかったふり、はできても、わからない。

わかったふりでわかったようにしているのは、思考停止じゃないの?

それが大人になるってことなの?


石黒さんは、それじゃあ大人社会に出ていきたくない、と研究者の道を選んだそうです。

これはこれで、すごくおもしろい人生だな、と思います。



そんな石黒さんが、あるTV番組の中で「命に価値が無いからこそ、生きる価値がある。」とおっしゃっていました。

命は尊いもの、大事にしなければならない。ずっとそういう考えがあったわたしにとっては、え?と耳を疑うような言葉です。

でも、なんで尊いの?なんで大事にするの?これまでは、それを深く考えずにいました。

なので、それからずっとその言葉が引っ掛かって、よく考えてみることにしました。


わたしの命の価値って、もう決まっているものなのかなあ。

そうだとすれば、誰がそれを知っているんだろう。

もしもそれを知っている人がいて、教えてもらったとして、ああそうか、とわたしは納得できるのかな。

たぶん、気に入らなかったら、えー!それは違うでしょ。とか反論するかもしれない。


結局は、そんなもの誰も持っていなくて、自分で決めることなのかもしれないな。

だとすれば、決めるためには、とにかく生きていないと。

ああ、だから「命に価値がないから、生きる価値がある」か!

そんなふうに、巡りめぐって、やっと自分の胸に落ちてきました。


確かに、みんな価値があるんだよ、よりも、みんな価値がないんだよって言われた方が、ちょっとほっとするかもしれません。

そうすれば、わたしには価値なんてないから、と落ち込まなくてすみます。

ないから、みんなそれをつくっているんです。

わたしも、毎日作っています。

kota_02kota_022015/11/17 23:00来年の話ですが、gacco http://gacco.org/list.html で、
石黒浩教授の「人とロボットが共生する未来社会」が、
2016年3月15日から、また開講するようです。
面白かったですよ。無料だし。
日本科学未来館のアンドロイドも面白かったです。
高校生だったら、大阪大学に入学したいです。

mei-c5mei-c52015/11/18 00:21>>kota_02さん
迷うまもなく受講登録しました。ここに書いて本当によかったです!こんな素敵な巡り合わせがあるなんて。
これから来年の3月が楽しみで仕方ないです。
阪大、すごいなあ。今は実際にテレノイドに触れてみたくてうずうずしています。

2015-11-15

臨床教科教育学会研究会。

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昨日、土曜日、第一回目の臨床教科教育学会研究会が行われました。

すごく、すごくワクワクする会でした。

会をつくってくださった先生方の思いが伝わってくる内容だったと思います。


中でも、赤坂先生がご自身の立場である「実務家教員」の在り方(それをはかる「ものさし」)についてを問われていたのが印象的でした。

教職大学院における実務家教員の在り方については、平成18年の答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」で書かれています。

が、きっと、ずっと昔には「実務家教員」という仕事の概念すらなかったものなんです。


よく言われていることですが、キャシー・デビッドソンさんは「米国で2011年度に入学した小学生の65%は、大学卒業時、今は存在していない職に就くだろう」という研究を発表しています。

GoogleCEOは「20年後、あなたが望もうが、望むまいが、現在の仕事のほとんどが機械によって代行される(あなたが望むかは別として、必ず起こる未来だ)」としています。


わたしは、今回先生のお話が、上記のことを肌で感じることのできた貴重の機会だったと感じます。

あの赤坂先生ですら、ご自身の職業についての在り方(それをはかる「ものさし」)を考えているのだから、やっぱり自分のつく職についてもっとしっかりと考えていきたい。


同じ研究室の現職のIさんもパネリストとして登壇されていたのですが、Iさんも教職大学院の院生としてできること、

つまり、研究した内容が実際現場で働く先生方に還元されるためにできることってなんだろう?

と、その可能性をお話しされていました。

いろいろやりたいことが見えてきて、ワクワク。

社会に対して「わたしのやっていることの意味って何?」と聞いて、意味を見出してもらうよりも、それを自分で作り上げていくことができたら楽しいだろうなあ、と思いました。


わたしがここにいる意味ってなんなのか。

を、試行錯誤で見出しながらも、今やるべきこと(予稿を書くこと)をします……。

ogymogym2015/11/16 00:47素晴らしい実践をされている方が大学准教授等になっているのは、そういうことだったのか…です。「実務家教員」初めて知りました。ちなみに赤坂先生経由で上越教育大を知り『学び合い』を知りました。『学び合い』にクラス会議、新潟の「学級力」と、新潟は色々スゴイ!特異な環境だ!と思っています。

mei-c5mei-c52015/11/16 22:15>>ogymさん
赤坂先生経由だったんですね!確かにアドラー繋がり……アドラー関連から発見される人も多いのかもしれませんね(うちの父もそうだったみたいです)。

新潟県はすごく恵まれている環境ですよね。
それをわたしたちが十分に伝えきれていない気がして、なんだか本当に勿体ないことをしている気持ちです。
少しでも上手く伝えることができて、新潟の先生方のお力になれたらいいのにな、と思います。

2015-11-14

できること。

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ある人を馬鹿にすることと、その人のこういうところが困っているんだよね、と言うことは、少し違う気がします。


馬鹿にすることは、必要のない攻撃をする行為。

困ったよね、は自分の心の負担を軽減するための行為。


前者は、できるだけ関わりたくないし、やりたくないと思っています。

でも、わたし以外の誰かからすると、後者の「困っているんだよね」も関わりたくないと思われるものかもしれません。

本当であれば、困っていることも「わたし、あなたのこういうところで困っているんです(もちろん、もっとオブラートにつつんで)」と本人に上手く伝えられたら一番ですから。


必要のない攻撃に触れていると、本当に心が削れていく感じがします。

でも、結局、わたしだって同じことをしているのに、「わたしのせいじゃない」と思いたくて、正当化しているだけなのかもしれません。

それがとても苦しいです。





昔、「明日から◯◯ちゃんを無視しよう」という手紙がクラスの女子みんなにまわったことがありました。

手紙をまわしたあの子も、形はどうあれ、自分とは相容れなかった◯◯ちゃんについての「困っているんだよね」をみんなに共有したかったのかなあ。

わたしはあのとき、「馬鹿じゃないの?」と思って手紙を捨ててしまったけど、(そのせいでかなり面倒なことになったけど、笑)

もっと違う汲み取り方もあったのかもしれないな、と今になって思います。

あの子も、◯◯ちゃんも幸せになる、もっと違う汲み取り方が。


まあ、過去は変えることはできないし、あのときは自分の最善を尽くしたのでいいです。

でも、今、もっと考えられることはないかな、と思います。

2015-11-13

涼しい。

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わたしって冷たいのかなあ、と思ってしまうことがあるよ。

と伝えたときに、

「野田先生(アドラーの)の言葉で言うならば、『冷たいんじゃなくて、涼しいんです』だよ」

と言われました。


そうか、わたしは涼しいのか。

少し、許された気がして、わたしは誰かに許してほしかったのかな、と思いました。

つえ蔵つえ蔵2015/11/13 23:45冷たいではなく、冷静なんですね。

mei-c5mei-c52015/11/14 00:21>>つえ蔵さん
そうですね。そういう見方もできますよね。
思えば、不思議です。
冷たい、という言葉は性格をあらわすときにはマイナスのイメージだけど、「冷たいジュース」だと夏はいい感じだし……。
ちょっと自分を否定して、誰かに受け止めてもらいたい、そんな気分だったのかもしれません(笑)

2015-11-07

全体リフレクション。

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今日は、全体リフレクションという、研究室ごとの成果発表や経過報告をポスターセッションする時間がありました。

教職大学院のみんなが集まって行うので、それぞれの研究室がどんなことをしているか知ることの出来るいい機会になりました。

そして、支援の意義について、自分の中で今一度考えることの出来るいい機会だったとも思います。


わたしたちが支援に入るのは、学校を良くしたい、そこにいらっしゃる先生方や子どもたちが過ごしやすい環境にしたい、という想いがあるからだと思っています。

それを、それぞれの研究の特性を活かして実現していくのが、学校支援なんじゃないかなあ、と。

そして、研究の特性を最大限に活かすためには、先生方や子どもたちにも協力してもらって、一緒に作りあげていく必要があります。

なので、「わたしたちがよりよいものを知っていて、それを教えてあげに行っている」という姿勢は、受け入れてくれている学校に対して、すごく失礼な気がします。


目指したいのは、先生方も子どもたちも笑顔でいられる環境です。

そこにいる先生方や子どもたちは、わたしたちの実験台ではない。

だから、わたしたちは出来る限りの時間支援に入り、どんな仕事でもやらせてもらって、「まずは先生が少しでもゆとりを持てるように」を実行しているのだと思います。

そのゆとりが、先生方の笑顔に繋がり、子どもたちの笑顔に繋がっていけばいいなあ。

そして、そんな積み重ねを経て、支援校の飲み会に呼んでもらえるくらいの信頼関係を生んで、

もっともっと一緒に子どもたちの幸せを考えて、願っていける関係性になれたら嬉しいなあ、と思います。


研究もしなければならないけれど、わたしたちの目の前にいるのは、代えのきく実験道具じゃないんだ、という気持ちを改めて確認できてよかったです。





それから、今日は学部の3年生も参加してくれました。

全然知らない人だらけの場所なのに、わざわざスーツを着て朝から応援に駆けつけてくれたこと。そしてお手伝いをしてくれたこと。

本当に嬉しかったし、ありがたかったです。

支援があったとは言え、9月に学部3年生の研究授業を応援に行けなかったことが、改めて悔やまれました。

2015-11-03

講演。

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ゼミ室で動画を整理していたときに、先生の講演の動画がありました。

でも、中身を見ていても、いったいどこで行っているものか分かりません。

仕方なく先生に聞くと、教えてもらえました。

が、先生も笑いながら「もうどれがどの講演か分からないでしょ」と。

うーーーん。

まあ、確かに、話す流れというか、型ができてしまっているのか、同じ内容に聞こえます。


「でも、毎回新鮮な気持ちで語っているから」

と、先生はおっしゃっていました。

「内容が一緒でも、新鮮な気持ちでいられるんですか?」

「毎回、人が変わるからね。目の前にいるその人たちのために思いをこめているよ。古典落語と一緒。お客さんは変わっても、その時来てくれた人を思いながら。ただし、その中の2割に伝わればいい、という思いでね」


この会話をしたあと、わたしは、と思いました。

語るときに、目の前の人が見えていたのか。

本気でその人たちの幸せを願えていたのか。


……まだまだだなあ(笑)

自分のことで精一杯になっているときほど、目の前の人をよく見れる人になろうと思いました。

2015-11-01

全校。

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N小学校で全校『学び合い』……ならぬ、「寺子屋タイム」を見てきました。

ランチルーム2部屋を開放して、朝の20分間ドリルタイムを全校で行うというもの。

第1回目なのに、すごい熱気を感じました。

気付いたことを、思い出せる範囲で順に箇条書きしていきます。




・i-Kawa-nakajimaさんが最初に「寺子屋タイムとは何か?」を子どもたちに説明するとき、具体的な良いな(かしこいな)と思われる動きについて触れていた。

→こうしなさい!とは強制していなくて、◯◯もしたらいいかもね、というあくまで一案として出している。何も出さないよりは具体的な方向性が分かって、わたしが子どもの立場だと動きやすいだろうなーと感じる。


・さらに、説明の中で「日本一の学校になるための取り組みである」という説明がされる。

→下級生などは「日本一?」「えー?」という反応があったけれど、i-Kawa-nakajimaさんのクラスは何となく言っている意味が分かってるのかな、と。


・ドリルは1学年に3枚(3種類)あって、自分に合うものをやってよい、とされている。

→まわりの人が必ずしも同じ課題をやっているとは限らないので、分からないときに聞きづらいかも。でも実際に社会に出ていくなら、その聞きづらい部分を乗り越えて「ちょっと助けて」を言える必要がある。しかも、バリエーションが増えるほど、学習内容的にも、ひとりひとりのつまずきにより丁寧に対応できるのかも。(増えすぎると逆に選ぶのが大変になりそうだけど、選ぶのもまた必要な力かなあ。)


・子どもたちの雰囲気がやわらかい。

→とくにi-Kawa-nakajimaさんのクラスは普段からお互いに思い合える大切さを体感しているためか、動きが素敵だなあと思う子がちらほら。(記憶力の限界で全員は顔を覚えていなかったので、、、すみません。)

例えば、最初から下の学年の子について、ちょこちょこ教えながらも自分のドリルを解いている。分からないところがあれば、「これはあいつに聞きに行けばいいんだよ」とその子のところに連れていってあげて、自分もついでに説明を聞く。集中して解いていても、近くに「んん~~?」と悩んでいる子がいると、快く自分のことを中断して「どうした?」と気遣える、など。20分間の中でも、盛りだくさん(ほんとはもっとたくさんあるのだろうけど)の素敵が。


・超、主体的。勉強を「えーーもっとやりたい!」と思える、言える雰囲気。

→仲間とともに取り組めるという環境がそうさせるのか、むさぼりつくように子どもたちがドリルをしている。あまりにもすごいので、途中でドリルのプリントを確認しに行ったけど、そこまで変わったプリントでもない。ええ、そんなに?ちょっと怖い、と思うくらいに取り組む姿勢がすごかったです(ごめんなさい。笑)。


・i-Kawa-nakajimaさんだけではなく、他の先生方のお力があって成り立っている取り組みだということ。

→司会?進行?や締めもi-Kawa-nakajimaさんではなく、他の先生がされていた。やっぱり、こういう取り組みは、理想のイメージがありつつも、他の先生方と一緒に作っていく、という意識がなければできないことなんだなあ……とつくづく感じました。疑問に思う先生もいらっしゃるけれど、それを「ここが疑問なんですよね」と言える雰囲気が、またいいなあ、と。




さて、ずらっと箇条書きにしたのですが、本当に書ききれないほどの刺激をいただいた見学でした。

今日の子どもたちが勉強している姿をぼーっと見ていると、

「みんなが」わかる

みんなが「わかる」

どちらかというと、後者の雰囲気を感じました。

でも決して、みんなが、の部分をおろそかにしている訳ではなく、むしろ前提としてある、あって当たり前のもの、という感じです。


それから、ある先生から「全校でやる意味って何ですかね?まだまだ全然理解してなくって……」と聞かれました。

わたしは、自分も詳しくはないです、と前置きしながらも、上のような姿を見られるのでいいなあ、と思います。とそのとき思ったままのことを伝えました。

でも、今書いていて、見られるのでいいなあって、単なる自分の感想だったな、と反省。


もしも、自分が全校で寺子屋タイムのようなことをするならば、環境(いる人数や関係性)が変わってもその中で自分の課題を解決しながら、なおかつ集団の課題にも貢献できる力を育てるためのもの、という認識かな。と思いました。

クラスのメンバー内での振る舞い。

もっと違う環境での振る舞い。

人によって態度を変えることって、なんだか不誠実なように聞こえますが、それが筋のとおった折り合いの付け方であれば、身につけていった方がもっと楽しく過ごせるのかもしれない、と思います。

嘘も方便、みたいな?


とにかく、新しい感覚を得られた見学でした。

i-Kawa-nakajimaさん、N小学校の先生方、そして児童のみなさん、本当にありがとうございました。