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幸福論 RSSフィード

2015-09-29

東信の会。

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9/26(土)に、第3回『学び合い』東信の会のメモです。

FBにもあがっていますが、こちらでも。


今回は、高校生たちが普段どのように『学び合い』をしているのか、を見てもらうために、勉強道具を持ち寄り、会の時間の中で『学び合い』をしました。

参加者はと言うと、見守る、まわりで自由におしゃべりする、お茶菓子をいただく、という非常に自由な雰囲気でした。


語る人が居ない中での『学び合い』の様子。どんなものかとドキドキしましたが、

高校生たちが黒板にそれぞれこの時間で達成したい目標を書いていき、

出揃ったところで、一人が立って

・ここに書かれてある目標を時間内に全員が達成すること

・最終的には全員が志望する大学に合格すること

をみんなで確認し合ってスタート!

雰囲気は、さながら部活動の試合前のようでした。


そこからは、一人で進める人も居れば、教えてもらいたい問題をピックアップしてきてさっそく聞く人……等々。

自分の課題が終わったら誰かのサポートをしようとする姿、終わっていなくても聞かれたら答える姿も見られました。


そして最後は、残念ながら全員達成ならず。

「どうやったら全員達成できるのか?」

を短く確認して、『学び合い』が終わりました。



また、今回新しい試みだったのは、会の最中に西川先生とSkype通信をしたことでした。

最初のご挨拶をいただくだけのつもりが、少しお時間をいただき、高校生たちの『学び合い』へのアドバイスや、高校生たちからの質問にも答えていただき、高校生たちは口々に「深い……」と言っていました(笑)

(詳しくは先生のブログに書かれてあります。)




会を終えての感想(抜粋)です。

・最後の振り返りで「あ~俺足引っ張ったなー」という言葉が聞こえました。そんな彼らがこれからどう変わるか楽しみです。

・受験勉強を第3の視点でながめたのが初めてでしたので、とても新鮮でした。

・目標設定が下手だという事に気付いた。(高校生)


次の会は、センター試験の迫る11/8です。

お時間があれば、ぜひお越し下さい。

また、高校生たちにもフィードバックできますので、ぜひご意見ご感想ありましたらよろしくお願いいたします。

2015-09-28

心理学として見ること。

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先日、アドラー心理学の勇気付けの講演(?)に行って来ました。

といっても、大学内で開かれているもので、行く、ってほどの距離じゃないのですが。

こんなに近くで、しかもかなりお安く(!!)講演を聞くことができるなんて、ありがたいことです。

環境に恵まれているなあ、とつくづく感じます。


そして、講演を聞いていて気付いたのは、

わたしは講演向けの脳のタイプではないのかもしれない

ということでした。

20年以上生きてきて、何を今さら……って感じですけど。

うすうす感じていたのが、今回はっっっきりくっっっきりと判明しました。

これは本当に人それぞれタイプがあると思います。

講演を聞いたり、本を読む方がいいんだ!という人も、もちろんいると思います。

それがわたしの場合だと、実際に見てみるのが一番いい、というタイプなのだと。


今後は、ここを活かしたような学び方をしていこうと思います。

具体的には、とにかく実際に見て体験する。

身体がもう2、3体欲しいです。

感覚。

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人生で初めて稲刈りをしました。

作業を続けていると、その作業をいかに効率よくできるか、というようなことを考える脳の働きとは別に、その作業をする自分を上から眺める自分が現れます。

そういうときに、生きているなあ、いい感じ、と感じます。

結構昔からある感覚ですが、あんまり人に話す機会もなく今日まで来ました。

こんな感覚を持つ人って、結構いるものなのかなあ。

でも、ああ生きてるな、と実感するときは人によって違うものだろうし、そうでもないのかなあ。

○○することが生き甲斐、とかよく聞くけれど、○○のシチュエーションが生き甲斐、というのは聞かないし、ちょっと違うのか……?


以上、不思議に思ったことメモでした。

つえ蔵つえ蔵2015/09/28 23:12要は現場で試行錯誤向きってことですね。

ogymogym2015/09/29 23:06アドラーに稲刈りに…環境が羨ましいなぁ^^と思いました。

mei-c5mei-c52015/09/30 23:26>>つえ蔵さん
そうです、その通りです!

>>ogymさん
本当にありがたいことですよね。
無駄にしないように、そして感謝をわすれないようにしたいです。

2015-09-25

失敗。

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同じ失敗を繰り返してしまいます。

分かってはいるけれど、自分の好きなことになると、すごい勢いで一方的に(ともすれば押し付けるように。笑)話してしまいます。

やってしまったあとで、あ。。。と思うのですが、毎回押し付けている最中には興奮していてまわりが見えていないんだと思います。

今回も、伝えすぎて「やってしまったー!」って感じです。


今後の目標は、

好きなことを話すときには、あえて端的にその魅力を語ること。


一回で全てを伝えてしまおうと思わず、「会話しよう」という意識が大切なんだろうなあ。

だって、一回で全てを伝えられるはずないし。

つえ蔵つえ蔵2015/09/28 16:21あっ、同じことをしょっちゅうやってる。
自分一人ではなかった。
よかった、よかった。

mei-c5mei-c52015/09/28 22:33>>つえ蔵さん
わたしがつえ蔵さんとお話ししたことも迷惑になっていないことを願うばかりです;

つえ蔵つえ蔵2015/09/28 23:07ちゃんと楽しい思い出ですよ。
そうじゃなければブログにコメントなんてするわけないじゃないですか。

mei-c5mei-c52015/10/03 22:20>>つえ蔵さん
ありがとうございます…!

2015-09-15

死ぬ権利。

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11日に、カリフォルニア州で安楽死・尊厳死を合法化する「死ぬ権利」法案が可決したというニュースを見つけました。


ふと、伊坂幸太郎さんの本の中で出会った衝撃的な内容を思い出しました。

今手元に本がないので、定かではないですが、確か

「人は自分の死を瞬間のものとしてとらえている」という内容でした。

それは、苦しいのは一瞬だけ、という意味です。

でも、実際に病気にかかった場合には、もう死んだ方がましだ、という痛みや苦しみと闘いもがきながら死んでいく、という可能性もあります。

しかし、普段は死とそういった長い苦しみをイコールで繋ぐことがあまりない、と。


もちろん、すべての人がそう思うとは言いませんが、

わたしは、漠然と死を想像することはあっても、そんな苦しみの伴う死を想定していなかったなあ、とその本を読んで、かなりの衝撃を受けたのでした。

安らかな最期は誰にでも与えられるものではない、ということが怖いです。



死ぬ権利を行使する人たちの思いも、知りたいなあ。

きっと、わたしには想像もつかない思いがそこにはあると思います。

2015-09-14

それから。

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今回の公開授業、すごく特別な時間だったと思います。

というのも、東信の会の高校生が一名参加していたからです。

彼は、『学び合い』の授業を見るのは、今回が初めて。

「どう? 初めて見てみて、感想は」

と聞いてみると、

「本当に、これが普段の授業で出来たらなあ」

と羨ましそうに言っていました。

そして、自分たちが自主的にしている勉強会で役に立つかもしれない、とペンを片手に気づいたことをメモしていました。


自分のため、まわりの人のためにこんなに一生懸命に動くことのできる彼に、本当に頭の下がる思いでした。

彼らがこういう姿勢だからこそ、何か力になれたら、と動いてくれるまわりの人たちがいるのだと思います。

素敵な関係だなあ。

大満足。

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高校の、異学年・異教科の『学び合い』を見学してきました。

若干見ていない部分はありますが、前半一部と後半一部を見学できたので、その感想をメモしておきます。


2年生物理と3年生数学。

最初の語りは物理のH先生が行いました。

最初の語りでは、なぜ異学年で授業を行う必要があるのか?についてお話ししていました。


H先生のお話しを聞きながらも、後ろから見ていると、あることに気づきました。

教室のちょうど真ん中で、2年生と3年生がぱっくりと分裂して座っているのです。

数学のM先生に聞いてみると、一応「自由に座っていいよ」と声をかけていたけれど、初めての異学年の授業なので学年別にかたまっているのかも、とのこと。

同じ学年の集団でもグループ化が激しければ、学年でかたまって座らずに各地に散らばっていたかもしれないけど、

学び合い』をしていて、ある程度自分たちがひとつの集団だという意識を持っているからこそこういう現象が起きたのかな?と思いつつ。。。


後ろに置かれた移動式の黒板には、生徒たちのネームプレートが貼られていました。

できた人は「できた!」の枠内にネームプレートを移動させるようですが、

残り時間も15分程になって、もう一度黒板を見てみると、まだ一人もネームプレートが動いていないようでした。

課題がそんなに難しいのかな?と思ったけれど、そうでもないようで、

いつも支援に入っているN研の子に聞いたところ、

できている人が、自分の課題ができたらすぐに他の人のところへ教えにまわったりして、それに夢中でネームプレートを動かし忘れる(動かす暇もない?)ことがあるのだとか。

それだけ夢中になれるってすごいことだな、と思います。

ネームプレートは誰ができているか、できていないかが分かりやすくなるような補助的なものだと思うので、それが既に必要のない段階まできているのかなあ。

もしくは、ネームプレートの意義を理解していない人もいるのかも?


最後は残念ながら全員達成ならず。

でも、これまでそれぞれが別々に『学び合い』をしてきて、この日初めてお互いの集団の『学び合い』の雰囲気を共有できた、というだけでも大きな成果なんじゃないかと感じました。

終わりは数学のM先生から、「達成できなかった理由を今一度考えてみて欲しい」ということや「これまで以上に集中が途切れることなく授業に取り組むことができていた」というお話があり、授業が閉じられました。







授業の質疑応答、、、はまた個人的に記録に残しておくようにして、その後は講演会でした。

わたしにとっては、もう、大大大満足の講演会でした。

これまでバラバラにあたっていた情報が、高い場所からひとつのかたちとして見ることのできるようなお話でした。

わたしはこの講演を聞くと、もう反論のしようが無いくらいに「納得!」と思うのですが、そうは言ってもやっぱりこれでも「納得!」とはならない方もいるのだと思います。

そこは、講演という一斉型だからこそ起こることで。

「納得!」となってからも、それをいろんなかたちでわたしなりに言語化していく必要があるな、と思いました。


でも、そこに集まったいろんな立場のいろんな考えの人たちが、子どもたちのために動いていることは確かだと、講演会に出席された人たちの表情を見て感じました。


今回の講演会が次に出る本の一部。

ということは、これが世の中に出るということ。

本当にわくわくします。

今週末、母校の兵庫教育大学に行って院のPRをしてくるので、後輩たちに講演会の内容も先取りで伝えることができればいいな、と思います。

2015-09-11

1000人で。

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先週のことですが、1000人規模の『学び合い』を見てきたのでメモをしておきます。


もう、圧倒でした。

小布施という地域の幼稚園、保育園、小学生、中学生の1000人を超える子どもたちが、体育館に集まって『学び合い』です。

2学年ずつ分かれて課題が出され、それを全員達成するという流れでした。


軽く人に酔いながらも、ひとつの場所にとどまって動画をまわしていたのですが、

やはりはじめての動きなので、最初の語りは聞いているものの、子どもたちも先生たちも戸惑っている様子が見えました。

かと思えば、各地ですぐに勉強体勢に入って学び合っている子もいたり……

結構子どもによって温度差を感じました。

もしかして、『学び合い』をしている(慣れている)クラスとそうでないクラスがあるのかな?と思ったくらいです。

が、これについて情報を仕入れることを怠っていて、結局そのままになっていました。

今書いていて、そういえばどうだったっけ、と思い出したので、忘れずに聞いておこうと思います。

(メモすると、こういうことが振り返りできて便利ですね。笑)




1000人の『学び合い』が終わって思ったのは、

自分のイメージする「全員達成」の「全員」という範囲が、同じ課題を出されている人(2学年)の括りになっていた、ということでした。

振り返ってみると、自分の課題ができて遊ぶ子が出始めたときに、

「全員が、達成するにはどうしたらいいんだろうね?」

となにげなく言ったときの、「全員が」は、明らかにひとつのブースの括りで捉えていたのです。

お手伝い兼外野として「全員が」と声をかけつつも、本当の意味で「全員達成」を願えていなかったなあ、と反省でした。

子どもたちも、ブースを超えて教えにいこう、教えてもらおう、というような動きがわたしのところではあまり見られなかったので、

分科会のように、同じ場所に居ながらも課題ごとにブースが分かれているような環境を、

最初から学年別に課題が配られているけれど、いる場所はみんなバラバラ

というような環境にすれば、もっと学年関係なく「全員が」を意識した動きが見られたのかなあ?と今になって思いました。


でも、「分からない人いるー?」と声がけしたり、あたりを見回してできないない人を見つけてすーっと寄っていく姿、

「これ、どう?分かる」「いや、無理。他の人に聞いてみる?」と相談する様子など、たくさん、言い尽くせないくらいたくさんの素敵な場面を見ることができて、

嬉しくて嬉しくて、本当にここに来て、実際に見ることができてよかった!と思いました。


それもこれも、かなり細かなところまで配慮して準備してきた三崎研の学生さんたちあってのものだと思います。

当日見ていて、こんなところまで配慮して準備しているのか……!とびっくりしました。

しかも、それを学部4年生が統率していて。。。

勝ち負けではないけど、負けてられないなあ。わたしたちももっとわくわくするようなことをやりたい!と思える力をもらいました。


これからも、地域を巻き込んでこういう行事が続いていけばいいなあ、と感じました。

ogymogym2015/09/11 21:27すごい「教育活動」だと思います。もっともっと、こうしたいい活動、チャレンジを、ニュースにしてほしい!と思う今日この頃です。

mei-c5mei-c52015/09/12 00:50>>ogymさん
そうですよねえ。三崎先生や三崎研のみなさん、maya-1さん、そして何よりもそれに取り組もうと動いている教育長さんや校長先生をはじめとする教職員の方々。全ての人たちの力が集まって成り立った「教育活動」だと感じました。
ちなみに、TVの取材はばっちり来ていましたよ~♪

ogymogym2015/09/13 01:59>>TVの取材
地域限定ですかね。情報あれば知りたいです。…youtubeにもあるかな…?

mei-c5mei-c52015/09/14 00:36>>ogymさん
詳しい情報が入り次第お伝えいたします。
youtubeには、今のところあがっていないようです;

2015-09-09

腐っていく。

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自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する


うーん。

こんなにも近くに子どもがいる環境なのに、感覚だけがどんどん腐っていってる。

自分だけに役立っても意味がないもんなあ。

つえ蔵つえ蔵2015/09/09 23:47腐ってはいないですよ。
腐っているのに惹かれるわけないもん。
ズレてきたと思うなら修正したらいいさぁ。
一人も見捨てない教育、追いかけましょう。

meiさんのファンより

mei-c5mei-c52015/09/10 22:30>>つえ蔵さん
うわあ、ありがとうございます……!
でも、とてもくすぐったい気持ちになっちゃうんで、今後はこんなふわっとした弱音を吐くことを一切しないと、ここに誓います(笑)
「腐った」ではなく「ズレた」ならば、ズレた箇所を検証して改善できますよね。
元気が出ました。

つえ蔵つえ蔵2015/09/11 01:31適度に弱音を吐くのはいいことだと思っています。
弱音を吐かないって決めてしまったら、頑張り続けなきゃいけなくなるじゃないですか。
頑張り続けるのは大変で嫌いです。
それに弱音を吐ける人は弱音わ吐く人を支えられると思います。
弱音を吐いてくれたから、励ませるので、たまには励ます役をくださいね。

mei-c5mei-c52015/09/12 00:57>>つえ蔵さん
ありがとうございます!
でも、そのへんの抜かりはありませんよ~。
「ふわっとした弱音を吐く」ことをしない、なので、こういう不特定多数の方が見ることのできる場所に、どんな意見を求めているのか分からない弱音は吐かないということです。
頑張れないときは、直接がっつりと相談という名の弱音を吐かせていただきますので、励まし役をどうぞよろしくお願いします(笑)

2015-09-08

ものさし。

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大学時代の先生から、東大に中原淳先生っていうおもしろい人がいるんだよ、と紹介されてから、中原先生のブログを読むようになりました。

中原先生のブログは平日ほぼ欠かさずに(わたしの知る限りでは)更新されています。

そして、毎回とっっってもおもしろい。


その中でも、最近書かれていた記事にとても共感しました。

そこには、人生には見方のモノサシがあって、それは本当に多様であることや、

中原先生ご自身も学生時代、学力や体力というモノサシに支配されていた、ということが書かれてありました。

以下、わたしがだいすきな部分を勝手に引用させていただきました。


****

世の中には「モノサシ」がたくさんあります

そして、日本という国は「小さい」「小さい」と言われますけど、おおかた、どんなマニアックな領域でも、それをこよなく愛している人がいて、そこには多様な「モノサシ」があり、コミュニティがあるようにも感じます。

そして、それぞれのモノサシで未来が開けることもあります。


逆に申し上げますと、「ひとつのモノサシ」にうまく乗れなくても、「別のモノサシ」を探してみることもできます。

自分の目の前にひろがるモノサシが、唯一のモノサシではありません。

世の中には、モノサシがたくさん転がっているのです

そして、その元には、おおかた、それをこよなく追求している人々がいるものです。

そして、みんな生きている。

****

(引用元 http://www.nakahara-lab.net/blog/i//post_2473.html)


窓際のトットちゃんに出てくる校長先生は、トットちゃんの(一般的に見て)困った行動を目の当たりにしても、それを受け入れました。

わたしは、そのエピソードを見て、ああ、素敵だな。人としてこうありたいな、と感じました。

今はまだなんとなく、ですが、わたしの目指すところは、

たくさんのモノサシで人のよさを感じられる人

なのかもしれないです。

つえ蔵つえ蔵2015/09/09 10:36「たくさんのモノサシで人のよさを感じられる人」に共感!!
いろんなモノサシを良いところ探しに使いたいですね。

mei-c5mei-c52015/09/09 22:26>>つえ蔵さん
そうですね。モノサシが多ければ、人生豊かな気がします(^^)

2015-09-07

ストーリーを語る。

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社会構成主義の本には、ローラ・チェイシンらの研究実践が以下のように書かれてあります。


****

平行線を辿り、どこにも辿り着かないような議論が行われる場合、まず


①どうしてこの問題にかかわるようになったのですか。この問題とあなた自信との関係や、その経緯について聞かせてください。

②~~の問題に対する「あなた自身の」新年や展望について、もう少し聞かせてください。あなたにとって最も重要なのはいったいどんなことですか。

③~~の問題に対する、あなたたちのアプローチについて、半信半疑な部分、今一つ確信がもてない点、心配事、価値に関する矛盾、誰かに理解してもらいたい複雑な気持ちなどはありますか?


の3点について互いに質問をしてみる。


①②は個人的体験に関すること、③は異なる立場にいる人たちも確信を持てないでいるということを知ることができる。

結果として、①②③の質問後に議論を行ったとき、意見の異なる「他者」を自分と同じ人間として見られるようになった。

つまり、質問に見せかけて「他者」に難癖をつけるようなことをしなくなった、ということ。

****


これを見てから、質問をするときにこれまでよりも慎重になったような気がします。

というのも、「あっ、○○について質問してみよう」と思ってから、一度自分の中で、

<そもそも自分はどういう経緯でこれを質問しようとおもったのか?>

と、吟味するようになったのです。

そうやって吟味することによって、質問の目的が「他者に難癖をつけること」ではなく「自分の本心としての興味を聞くこと」であることを意識できるようになります。




すると、最近読んでいる鈴木大拙さんの『禅』という本に、同じようなことが書かれていました。


****

仏教者は、その問題の出できたった源泉、もしくは根源そのものに至って、そもそもなぜこのことが問われなければならなかったのかを突きとめようとする。

「実在とは何か」という問いが与えられるならば、かれらは問いをそのまま取り上げないで、ひるがえって質問者自身にまで至らんとする。

だからその問いはもはや抽象的なものではなく、人が、生きた人が登場してくる。

(中略)

問いはけっして問う者から引き離さるべきではないとするのが、仏教の行き方である。両者が分たれているかぎり、問う者に解決はもたらされないであろう。

****


どちらかと言うと、ローラ・チェイシンの研究が全体実践、上記は個人実践、って感じかなあ。

bunbun-hbunbun-h2015/09/07 20:05鈴木大拙ですか・・・
若い頃から(もちろん鈴木さんのではなくて私の若い頃です、って書くまでもないですねw)知ってたけど、まだ読んだことないんです。読んでみます。

mei-c5mei-c52015/09/08 19:10>>bunbun-hさん
宗教特有の言葉がわんさか出てきて、読み進めるのにめちゃくちゃ苦労しています。読んだらぜひ教えていただきたいです。
若い頃から……すごいですね。わたしは最近この方の存在を知りました。

つえ蔵つえ蔵2015/09/09 10:33某首相と某県知事に見せてあげたい記事内容。
特に首相に…。