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幸福論 RSSフィード

2015-08-30

続けること。

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函館の蔦屋書店が実践するコミュニティデザインについてのニュースを見ました。

http://greenz.jp/2015/08/30/gdsapporo_2/


TSUTAYAがコミュニティデザインって、どうやって?

デザインするという言葉も最近よく見かけるのですが、じゃあ一体コミュニティをデザインするって何??

というところにひかれて、ニュースを開きました。

全体をみて、上の疑問についてわたしが一言であらわすならば、

『その地域にある良さと、今そこに暮らす人たちを繋ぐこと』

が、コミュニティデザインなのかなあ、と。

そして、このニュースでは蔦屋書店とあるけれど、それはどこでも誰であってもできるものなんじゃないか、と思いました。

というのも、記事の中にこんな言葉があります。


>コミュニティ発展のためには、自己実現の場として、自分ごとにする、自分の場所だと思うことが重要です。


そのためには、

>"あそこでは毎日何かやっている"と思ってもらうことが重要です。

具体的には、地域の人たちと協力して多様な場面を用意できるようにしているみたいです。

本屋という場の概念にとらわれず、料理教室、フェルト教室、ヨガ、パン屋さんまで……。


つまり、人々が集う居心地のいい場づくり(目的)のために、今ある概念にとらわれず多様な面から向かい続けること。

これは、どんな職種であっても可能、

というか、いろんな職種が協力してより可能性が広がるものだろうな、と。


じゃあ、学校にできることは?

2015-08-29

ひとつにまとめる。

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『幸せを科学する』の中で出てきていたもので、なるほどなあ、と思ったことです。


ロバート・エモンズさんの研究で、

・幸福感の高い人は、いろいろな目標に一貫性があり、1つの目標を達成することが別の目標の達成を促す。

・一方、幸福感の低い人は、目標間に葛藤が見られる。

ということが報告されています。


これは例えば、ある男の人に子どもが出来たとき、

「良い父親でありたい」という目標があるのと同時に、

「精一杯仕事をしたい」という目標もあるとします。

すると、良い父親であるためには、早く家に帰ってたくさん子どもと触れ合いたい。

でも、精一杯仕事をしていると、家に帰るのが遅くなってしまう。

という葛藤が生まれるかもしれません。


ここで、「精一杯仕事をする」=「最大限時間をかけて仕事を行うこと」の場合は上記のような葛藤が生まれるかもしれないですが、

「精一杯仕事をする」=「決められた時間内に最大限のパフォーマンスができること」であれば、「良い父親でありたい」という目標との葛藤が少なくなり、1つの目標を達成することが別の目標の達成を促す状態になります。




教師も同じようなことが言えるのではないかと思います。

「自分が幸せでありたい」

「子どもたちの一生涯の幸せを保障したい」

この目標間の葛藤を少なくするためには、そして、片方の目標を達成することが別の目標の達成を促すようにするためには……。

それを追求していったものが『学び合い』ではないかな、と。

2015-08-28

自分だけの時間。

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今日久しぶりに研究室に行って、隣の席の子と話しました。

わたしは人と話していると、たまに、この人自分だけの時間を持っている人だなあ、と感じることがあります。

隣の席の子も、そういう子です。

自分だけの時間を持っていることが良いか悪いかは分からないですが、そういう人と話したときに、ちょっと羨ましく思います。


例えば、隣の席の子は「ペットを飼いたい」と思っていろいろ調べた結果、今のところはリスが一番いいのではないか、と考えているそうです。

肩や頭に乗せて可愛がりたいので小さい動物がいいけど、トカゲやハムスターだと、脱走したときに捕まえるのが大変そう。

ウサギはよっぽど躾をしない限りはいろんなところで糞をするから困る。

鳥は調べてみると鳴き声の無い静かな種類がいるけれど、やっぱり飛び回っていろんなところで糞をされるのは困る。

その点リスはそういうところもなくて良さそう。

ただ、

・爪が鋭いので肩に乗せると服がボロボロになること

・危険にみまわれたとき尻尾を切って逃げようとする(トカゲみたいに)ので、そうなったときに自分がそのショックに耐えられるか

というところが難点。


こんなことを全部、自分だけの時間で考えているのが、わたしにとってすごくおもしろいことなんです。

というのも、わたしは、何かしたいなあ、と思ったらすぐに行動したり、誰かに相談したりするので、ここまで考え込んだりしないのです。

だからこそ、こういう部分を羨ましく感じるのかもしれません。


そういえば、大学のときにも「ゴキブリが嫌いだけど、ゴキブリについてあんまり知らないからいっぱい調べてみたんだけど……」と言って、

ゴキブリの特徴やすごさ、退治の仕方などを詳しく教えてくれた人がいました。

何にも食べるものがないと、人の髪の毛まで食べるんだって。

枝毛を割いてわけあって食べたりするのかなあ、と。

そのときも、自分だけの時間をこんなふうにゴキブリのために使う彼を、すごく羨ましく感じました。

つえ蔵つえ蔵2015/08/28 15:08一人で抱え込んで、石橋を叩きすぎて壊して渡れなくなってしまうので、「何かしたいなあ、と思ったらすぐに行動したり、誰かに相談したりするので、ここまで考え込んだりしない」のは羨ましく感じることもあります。
一番勉強になったのはリスの尻尾切り。
本当かな?

ogymogym2015/08/28 23:15自分だけの時間で考えている人
何かしたいなあ、と思ったらすぐに行動する人、
やっぱり、多様性ですねぇ^^ 向こうも、すごく羨ましく思っているのではないでしょうか。

mei-c5mei-c52015/08/29 13:35>>つえ蔵さん
隣の芝は青く見える、みたいなものなのでしょうか。お互い良い芝なんでしょうね、きっと(^^)
あと、尻尾は、緊急時にはほんとに取れるそうです。

mei-c5mei-c52015/08/29 13:56>>ogymさん
ogymさんのおっしゃっていた、みんな違ってみんないい、のような気がします。
ジグソーパズルも、ひとつひとつ凸凹は違うけれど、そうじゃなければおもしろくないですよね(*´-`)

2015-08-26

二次試験も終わり……。

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はれて自由の身となったので、本屋さんに居座っていろんなコーナーをぶらぶらと回っていました。

回っていて、あれ、と思いました。

なんか、同じコーナーに居る人は、雰囲気が似ているものなんでしょうか。

バイクのコーナーにはバイクが好きそうな感じの人。

看護のコーナーには看護師さんだろうなあ、という感じの人。

…………当たり前ですかね。


でも、たまに、絶対に昔格闘技してましたよね?と聞きたくなるくらい大柄な男性が料理のコーナーでおにぎらずの本を選んでいる、というような場面に出くわすのが面白いです。

この人、家でおにぎらず作るんだろうか、

それとも、奥さんに「これ、作って」というための本だろうか、と思います。


本屋さんは、そういうところも面白いなあ。

幸せを科学する。

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本屋さんでぶらぶらしていて、たまたま見つけました。

大石繁宏さんの『幸せを科学する』

最近、これは!と思うようなぐっとくる本に巡り合うスパンが短くなってきています。

この本も、今のわたしにとってぐっとくる本で、買ったそばからかじりつくように読んでいます。


「幸せ」って言っても人によって違うよね、で終わらせない。

では、どう違うのか?

どんな尺度ではかればいいのか?

を、さまざまな論文を元に考察しています。

いいな、と思うところは、幸せとはこうだ!という一方的な決めつけはなく、あくまでもひとつの投げかけたもの、という立場で書かれているところです。

この本にわたしも入る隙間を与えてもらっているような、そんな嬉しさを感じます。


それから、読んでいてふと、大学の先生が「カオスからコスモスにするときに喜びを感じる」とおっしゃっていたのを思い出しました。

ある実験で、小さな子にバラバラの積み木を与えたところ、それを積み上げたり並べたりして遊び、楽しんだそうです。

つまり、人はそんなに幼い頃からでも、無秩序にあるものを秩序づけることに楽しみを見出だすものだ、ということだそうです。


『幸せを科学する』は、無秩序に散らばった「幸せ」に関する情報を、項目によって秩序づけた本です。

別にわたしが秩序づけたわけでもないのですが、秩序づけられたものを見るだけでも、やっぱり楽しいと感じます。

これを書いた人は、もっと楽しかったんだろうな、と思います。

いいなあ。

mogymogy2015/08/27 05:33二次試験お疲れ様でした。

本屋さんでの人間観察、面白いですよね。自分もよくやります。
棚を眺めていて、手に取ろうと思った本を隣の方が偶然にも先に手に取った時など、
なんだか不思議な親近感を覚えてしまいます。

「幸福」に関する文献、面白そうですね。
先週参加したある研修を通して、子どもにとっての幸福とは何か、改めて考えていました。
幸福に対すとらえ方は人それぞれであると思うけれど、「子どもにとっての」となると、
文化や風習が異なっても、大きな違いはないように思いました。
さらに教育という分野に限っていうと、少なくとも、数値のみにこだわる学力マシーンのような
子ども達を生産することではない、ということだけは間違いないかと。

「教育はサービスでなく、未来への責任である」とある方がおっしゃっていましたが、
子どもにとっての幸福を考えることは、 今に生きる我々の責任感が問われていることでもあると感じます。
特に学校現場では忙しさにかまけて、こうした根源的な問いに対しての対話の積み重ねががまだまだ足りないですよね。
そこが一番の課題かもしれません。

つえ蔵つえ蔵2015/08/27 11:52二次試験、お疲れ様です。
沖縄に来たのは二次試験前だったんですね。

『幸せを科学する』ってタイトルで頭の中はカオスです。
普段なら「人によって違うから科学なんて…」で終わるのに、meiさんが読みたくなる内容で伝えてくるから…。
これをコスモスにするには、読んでみるしかなさそうです。

mei-c5mei-c52015/08/27 23:24>>mogyさん
研修のお話、またよろしければお聞かせください(^^)
教育は未来への責任、というのは、なんだか心にずっしりきますね。
でも、みんなで分担する、と考えれば案外気楽なものかも……。(ちょっと楽観的すぎますか?)
対話の積み重ね、とても大切だと感じます。
「深刻に」ではなく「真剣に」対話を積み重ねていけたら、もっとおもしろいのになあ、と思います。

mei-c5mei-c52015/08/27 23:29>>つえ蔵さん
そう考えると、「はれて自由の身」とか書いていますが、結構自由にしてますね(笑)

読んで、さらにまわりの人と話してみることによって、よりコスモスになっていくのだと思います。
今度、幸せについて、お話ししましょう。

2015-08-18

見えない部分。

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お世話になったバイト先の方と数日間過ごしてみて、考えたことがあります。

たいていの方は、目に見える困難に対して優しいです。

例えば、その方は脛椎損傷で体が動かない状態ですが、街に出ると本当にたくさんの人が気にかけてくれたり、助けてくれたりして、困ったことがあっても基本的にはなんとかなります。

そのことは、去年いろいろなところについて回っていたときにも感じました。


では、目に見えない困難に対しては、どうだろう?と思うのです。

全く診断名もついていないけれど、生活で困難を抱える人はたくさんいると思います。

例えば、わたしは本当に頻繁に大切なものや事柄を忘れたり無くしたります。

まわりの人がそういう自分も受け入れていてくれるからなんとかなっているものの、

それでもいろんな人に迷惑をかけてしまっています。

そして、そうなったときには、自分自身がとてつもなく嫌になり、信じられなくなります。

ドン底に沈みながら、わたしが自分自身の目に見えない困難と向き合えていない、と思いました。

つまり、何が起きているかというと、

「理想の自分」を見てばかりで「困難を抱える自分」を認めず、排除しようとしているのです。

きっとわたしは、まわりにいる人たちよりも、わたしをわたしのカタチで受け入れられていないのだと思います。




この前、長野である方々と飲み会をしました。

その方々は、わたしにとって「人生の先輩」でした。

上に書いているようなわたしの困難を、同じように持ち(ともすれば、もっと困難かもしれないです。)

そして、そんな自分と向き合って対処をしていました。

自分がお財布を忘れることを見越して、あらゆる場所にお金を忍ばせておく、とか(笑)

その飲み会のあとから、自分の気持ちが軽くなりました。

落ち込むのは自分を盲信しているからで、特性を捉えた上で信じてあげられたらいい、と思えたからです。

自分はこんなふうに生きていけばいいのかなあ、と指針ができたようで、本当に気持ちがふわっと楽になりました。


このように、自分でも目に見えない困難と向き合うことが難しいのに、

他人の目に見えない困難に気付き、ああそんなこともあるんだな、と認めたり、何かお手伝いできることは?と心配りしたりすることは、相当難しいことだと思います。

でも、そういう心を持つ人があとちょっと増えると、かなり優しい世界になっていくはずです。


これが、ソフト面とハード面を兼ね備えたユニバーサルデザインってやつかもしれない、と思いました。

つえ蔵つえ蔵2015/08/18 15:16目に見えない困難って気づきにくいですよね。
気づけるようになりたいとどんなに心掛けていても、気づかないことも多く…。
その人と同じにはなれません。
全部気づくのは無理なので、気づくいたときの体験を蓄積していくしかないのかなって思いました。
完璧を求めるのではなく、気づける頻度を増やしていけたらいいなぁ。

mei-c5mei-c52015/08/20 17:16>>つえ蔵さん
コメントありがとうございます。

>気づける頻度を増やしていけたら
本当にその通りですよね。
日々、それの繰り返しを続けるのみですね。

ogymogym2015/08/21 00:59うまい方法重ねて、何とかマシになる程度になっていけばいいなと思いました。みんなお互い様ーになっていくといいなーと。

mei-c5mei-c52015/08/21 20:42>>ogymさん
お互い様って心地いい言葉ですね(^^)
みんながそういう気持ちで居られたらもっと優しいのに、と思います。

2015-08-16

目的に向かって。

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日本はなんだかんだ、他国と問題がありながらも、戦争をせずに70年が経ちました。

それはこの国の人たちが、ただただ、戦争をしない、戦争に巻き込まれない、という目的に向けて手段を選ばず向かっていった結果だと思います。

あくまでも、自国を守る、ではなく

戦争をしない、戦争に巻き込まれない、です。

内田樹さんがいつかおっしゃっていたように、

ずるくても卑怯でも、のらりくらりでも、どんな手段を使っても、戦争をしない、巻き込まれないという目的を達成し続けて70年。

まあ、(これまでは)それでよかったんじゃないかと、わたしは思います。


例えば、わたしの住んでいる日本が、明日どこかよくわからない国に占拠されて日本ではなくなったとして

自分の命をかけて戦って日本を取り返すか、そのわからない国の国民として生きていくか、と選択を迫られたら、きっとわたしは後者を選んでしまいます。

たくさんの方々が「大切なお国のために」と命を落とされたことも承知の上ですが、やっぱり、その「大切なお国」を構成する「たいせつなわたし」が居なくなることの方が大きな損失だと今のわたしは思うのです。

なぜなら、「大切なお国」はわたしたちがいれば何度でも作れるかもしれないけれど、「大切なわたし」はもう二度と作ることができないからです。

でも、だからといって泣き寝入りをするわけではなく、なぜその国がそうするに至ったのか、その背景を学び、そしてその国との折り合い地点を見つけていく必要があります。

これって、『学び合い』で言う、大人になる、というのに似ていますよね。

これは教室ではなく国際規模なので、国が大人になる、ということになるのでしょうか。


わたしは、日本って、国として大人になる土台ができているように感じます。

ので、これからは、日本という狭い範囲内での目的で動くのではなく、より広い範囲に目的達成を拡大していく動きができるのではないかと思います。

つまり、どこまでを集団と捉えることができるか。


子どもたちが課題の「全員達成」の「全員」って、本当に学級にいるみーんなのことなんだ」と実感できるようにすることと同じで、

各国が「すべての国って、本当に地球上にあるすべての国のことなんだ」と実感できるようになるための、トップランナー(最近わたしのなかで流行りの言葉です。)に、日本がなれたらいいのになあ。

2015-08-15

対話の始まり。

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今、お世話になったバイト先の方のお家に泊まりこんでいます。

日中、たくさん動いて疲れたのか、わたしが夕食を作っている間、その方は車椅子の上でぐったりとして眠っていました。


夕食を食べ終えて、食器の片付けをする前に、その方に向かってこう聞きました。

「片付ける前にベッドに移りますか?」

あくまで、疲れているだろうから、という気遣いだったのですが、その方は

「もっとゆくりさせてよ~」

と、ちょっとムッとしていました。

その返し方を聞いてわたしはびっくりしました。

今まではベッドで寝ることがゆっくり休める一番の手段だと思っていたけれど、この方にとっては違うのか!?と。


そこで、「わたしなら、ちょっとでも長くベッドに居たいと思いますけど、そうじゃない人もいるんですね」と何気なく言ったところ、その方は言いました。

「嫌になるほどベッドにいたからね。ベッドに居着くのはできるだけ避けたい」

ああ、そうか。

自分の想像力のなさに落ち込みます。

目の前にいる人の特質をいくら頭で理解していても、自分基準でしか考えていなければ、とっさの時にこういう食い違いが起こってしまいます。

本当はもっと相手の歴史をもっと手に取るように理解して、それを基準に考えられたらいいんだけど。。。

気の遣える人とはそういうことの得意な人、または気を付けている人だと思います。

でも、いくら得意な人であっても100%分かるのは無理です。

そこで、対話が始まります。


わたしはどちらかというと、躓いた部分から対話をはじめることをたくさんの人におすすめしたいです。

一方的に切ってしまうのではなく。

FlipperKFlipperK2015/08/15 05:48新しい気づきにつながったのですね。

mei-c5mei-c52015/08/16 04:18>>FlipperKさん
日々、気づきです。
本当にまわりの人たちには感謝してもしきれないほどです。

2015-08-11

用語集から考える。

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アクティブ・ラーニングを用語集で確認しているときに、「シラバス」という用語が同じページに載っていました。

シラバスは、各授業科目の詳細な授業計画です。

科目の到達目標や学生の学修内容、準備学修の内容、成績評価の方法・基準を明示するためのもので、

実際にシラバスに載っているのは、以下のようなものだそうです。

・授業名

・担当教員名

・講義目的

・各回ごとの授業内容

・成績評価方法・基準

・準備学修についての具体的な指示

・教科書・参考文献

・履修条件


シラバスは、一般的には大学で用いられるものだと思うのですが、

これらの項目を見ていて、仙南の会に参加したときに見せていただいた、小学生の単元の学習めやす表(?)を思い出しました。

そこには、上の項目のうち、

・授業名

・各回ごとの授業内容

・成績評価方法・基準

の3つが示されていました。


また、『学び合い』の授業なので、

・講義目的

は最初に語られ、

・教科書・参考文献

も、環境を整備する、という教師の役割でカバーされていると考えます。

一部の子どもにとっては、めやす表が準備学修をする指標にもなるかもしれません。

よって、

・準備学修についての具体的な指示

の項目もカバーしています。


さらに、公立の小学校ということを考慮すれば、

・担当教員名

これは、年度の始めに分かっていることで、

・履修条件

こちらは基本的にどんな条件の子どもであれ、そのクラスの一員であれば条件を満たしていることになるので、特に明記する必要がないと考えられます。


このように見てみると、単元まで明示して『学び合い』で授業を行っているところは、実は仕組み的には大学と同じレベル(内容は異なりますが)の学びに取り組んでいるように思います。

さらに嬉しいことに、『学び合い』では、準備学修をする、のような単独学修であっても、「誰かの力になって、繋がるために学修をしている」と堂々と言い切れるところです。

講義形式で自分だけが話すような授業では、いくら上記のことを子どもたちに伝えたいと思っていても、その良さを実感してもらう時間が無いため、

言っていることとやっていることが違うじゃん。

と言われても仕方ない事態になってしまいます。



自分の良いと思うことを、矛盾無く語れるなんて、いいシステムだなあ、と改めて感じました。

2015-08-07

高校生。

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昨日、N県の高校3年生が主催する『学び合い』活動の作戦会議に参加してきました。

最終的には高校生7名が参加しての作戦会議になりました。

自分たちが受験勉強をする上で、『学び合い』の考えに基づいてできれば、もっと集団がよくなるのではないか?

その文化が継続されると、集団だけではなく高校自体がよくなっていくのではないか?

高校から発信して、全国の学校がよくなっていくのではないか?

そんなことを、7名が話し合っていて、びっくりしました。

わたしが高校生のときには、こんなことを考えていなかったなあ。

もしかして、『学び合い』の考えを伝えれば、もっともっと共感してくれる学生(校種限らず)がたくさんいるのでは?と思えた会議でした。


これからは、『学び合い』という特別な型がある、ということを伝えるのではなく

学び合い』は民主主義のプロセスで、トライ&エラーを繰り返してよりよい自分たちの勉強環境を作っていくもの

という観点で伝えていければいいなあ、と思います。

要は、全員が目指す進路へ進めるという目標を達成することを掲げればいいのだと。

そのために、チーム一体となって、それぞれができることをする。

最初から自分の思う『学び合い』を伝えすぎるのではなく、彼らが必要としたときに、わたしたちも環境の一部として彼らのお役に立てれば嬉しいな、と思います。(ついつい、出過ぎたことをしてしまうので気を付けないと……)

それが『学び合い』なのかな、と。


教師という立場の人がいない集団での『学び合い』。

これからどうなっていくのか、興味津々です。

しかも、会議は許可を得て動画で記録中です。

このプロセスを追っていくのも、ひとつの研究として面白いのかな、と思っています。




それにしても、身体が疲れているのか、久々に体調が優れない感じがあります。

立っていると平衡感がないような、ふわふわした感じで、これは軽い熱中症みたいなものでしょうか。

本格的に大学寮から避難する必要があるかもしれません。

みなさんも、水分はしっかりと摂取するようお気を付けくださいませ。

scorpion1104scorpion11042015/08/07 07:13きっと、頭脳の方が著しい成長をしているため体がそれについていけてないのではないかと。アンバランスな状態があるような気がしますね。お大事に。

mei-c5mei-c52015/08/11 13:07>>scorpion1104さん
バランスが悪いんですね(笑)
しっかり休むことにします。ありがとうございます。

2015-08-05

嬉しい2日目。

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東京フォーラムが終わりました。

自分の弱さが見える苦しい2日目でしたが(主に体力面で、わたしは睡眠を十分にとらないとどうにもならない人間だと改めて感じました。笑)、それ以上に嬉しいことがあり、フォーラム自体は最高でした。

後片付けなどあまりお手伝いせずに帰ってきてしまったことが心残りです。

実行委員の方々には本当にお礼を言っても言い尽くせないほどの気持ちでいっぱいです。

参加された皆様も含め、素敵な2日間をありがとうございました。


2日目、嬉しいことは、実はちょっと泣けるくらいに嬉しかったです。

うちのゼミには、『学び合い』を全く知らない状態で入ってくる学生もいます。

その中の一人が、今回の<『学び合い』とリフレクション>という分科会を受けて、かなりのステップアップをしたみたいなのです。

「どんな感じだった?」と聞いてみると、明らかに今までと話していること、見えていることが違う様子です。

「俺、もう分かった。一斉授業もバリバリにやるわ」と言っていました。

つまり、『学び合い』の型にこだわっていたところから、考え方だと思えた。そういう大きな変化だ、と本人自身が言っていました。

ついに、いや、もうきちゃった!?うわー!!やっぱりどこか違った!!と思って、飛び上がりたい気持ちでした。


もともと、会ったときから、この人はとても「学ぶ」ことに対してのセンスがいい人だなあ、と思っていました。

その証拠に、「部屋にこもってずっと一人で数学の問題を解いていたい」というタイプなのに、どんどん、どんどんまわりにあるものを吸収していって、また今回も変化しました。

前は話すときに価値観が違うかもしれない、と思ってかなり遠慮をして話していたけれど、前よりも確実に話しやすくなった感覚があります。

一緒の研究室にいる仲間としては、それがとてもうれしいです。

でも、同時に悔しくて仕方ないです。

わたしは、彼の言う、型にこだわるところから、そうじゃなくて考え方なんだ!と気づくまでに、とても長い時間がかかりました。それはもう、本当に長い時間で、年単位だと思います。

それを、彼はこの4月から数えて、約4ヶ月で手に入れてしまったわけです。

悔しいなあ……と思いながらも、本当はワクワクして仕方ないです。

こんな人たちが、どんどんわたしの見ることのできないずーっと向こうの未来を見て世の中を変えていくんだろうな、と感じます。


じゃあ、わたしにできることってなんだろうなあ。

そういう人たちを支えていくこと、応援することはできるかも。

それから、贅沢かもしれないけれど、そういう人たちを育てていけたら、わたしは幸せなのかな。

2015-08-04

花火。

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長岡の花火大会に行ってきました。

長岡花火は日本三大花火の一つだとか。

でも、わたしはそんなに花火に詳しいわけでもないし、どれがすごい花火で、どれがそうじゃないのか正直なところあまりわかりません。

なので、花火があがるとき、まわりの人がどんなふうに見ているのか、に注目してみました。

すると、高く上がって大きくドーン!となるときに、まわりが「おお~~」となっていることに気づきました。

色合いが綺麗なものもいい反応だったけれど、やっぱり高く上がると、それだけでみんなのためいきが漏れるのが聞こえてきます。

なんだ、それだったら、そのすごさはわかるな、と思いました。

2015-08-02

嬉しい。

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分科会の授業を終えて、自分の力なさに、うーん。。。

でも、懇親会で、ある先生がわたしに授業のことで質問しに来てくださったんです。

その質問の内容が、とても嬉しかったです。

子どものことを大切に思っている方なんだろうな、と。

そして、とても素敵な先生だと思いました。

例え『学び合い』と道は違っても、大切な仲間(こんな言い方をわたしがするのは失礼ですが。)と思える人はたくさんいらっしゃることが、身を持って分かりました。


そして、今日、思い腰を上げてようやくFBを始めた人がいます。

これで高知がもっと開示されていくかなあ。

ふふふ。


さらに、さらに、嬉しいことが山積みで。

明日も楽しみです。

daitouirukadaitouiruka2015/08/02 16:09そう、おっしゃる通り、全身、腰にまで「思い」がつまってます(笑)。

mei-c5mei-c52015/08/02 22:31>>daitouirukaさん
あげあしをとるのが上手ですね。。。

sumi-chansumi-chan2015/08/03 01:52meiさん、たくさんたくさんお世話になりました。^^
meiさんがきっと背中を押したのであろう方と、FB友達申請しなきゃ、、!楽しみ♪

FlipperKFlipperK2015/08/03 05:43私もそのうち始める予定です。

mei-c5mei-c52015/08/04 14:38>>sumi-chanさん
ぜひよろしくお願いします。使い方、まだ分からないみたいですが、そこも『学び合い』で…(笑)

本当に素敵なフォーラムでした。微力ながらお手伝いさせていただけて、とっても嬉しかったです。特に研究室で秋には越後の会をするので、そのための貴重なお勉強になりました!

ところで、sumi-chanさんにお会いして、よくFBで見かける猫ちゃんのお顔立ちにそっくり(ん?逆ですかね)でびっくりしました。うちの猫は太っているので気を付けようと思いました。。。

mei-c5mei-c52015/08/04 14:39>>FlipperKさん
わたしも、授業は「そのうち」できれば、と思っていたのですが…。
FBでも繋がれることをとても楽しみにしております(^^)

sumi-chansumi-chan2015/08/08 01:04私とネコの顔が似ていると言ったのは、実はmeiさんで二人目です。(^^;

mei-c5mei-c52015/08/11 12:49>>sumi-chanさん
そうなんですね!
実はみんな思っていながらも言っていないだけかもしれませんね(笑)