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2015-07-26

長野市の会、ミニ。

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東京フォーラムの分科会のことについて相談のため、長野市の会のミニバージョンが開かれました。

長野市の会の分科会は『学び合い』初心者に向けての内容になっています。

そんなわけで、分科会に来てくださった人も参加するカタチの授業形式でやることに。

そして、わたしは授業者をすることになりました。

今日、決まりました。

新任の人でもできる、ということを押しているならば、先生未経験の人がやった方がいいよね、と。

うーん。なるほど。ってかんじです。

なるほど、なるほど。緊張する。。。


でも、せっかくなので、試しに授業をしてみよう、ということになり、

「はい、語って」と言われたとき、何も言葉が出てきませんでした。

小学生の子や中学生子たちに向けて話したときとは違う感覚があります。


そこで、ふと、疑問に思ったのですが、大人に向けての語りって、子どもに語るときと全く同じなのでしょうか?

願いを伝える、という点では同じように思うのですが、わたしの中では、どこかちょっとだけ、微妙に感覚が違う気がします。

わたしの何がそうさせているのか、わかりません。

以前に一度、老人ホームのようなところ(グループホーム)なんかで『学び合い』はできないかと考えたときに、

学び合い』をするとなると、そこにいる職員さんたちが語るということになるかな?

でも、それってお年寄りの方たちにお話しをするということ?

そんなことできるかなあ?

と思いました。


わたしの中で、目上の人(人生を経験してきた人)が一番、という考えが無意識にあるのか。

それとも、語る人は立場が上なのだ、という考えが無意識にあるのか。

もしかして、そのどちらとも?と思ったりして、なんとも言えない気持ちになりました。


思いは人それぞれだし、願うだけなので別に立場が上だとかそんなわけではないことくらい、理屈でわかっているつもりなのに、なんで感覚として違う気がしたのか。

まあ、「子ども」という子どもがいないのと同じで、「大人」という大人もいないですかね……。

だとしても、不思議です。

今日試しに授業をしたことによって、自分の無意識にそんな思いがあるのかなー?と考えるきっかけになりました。


でも、わたしは今日、なんで語ろうとしたときに言葉が出てこなかったのか、、、未だに謎です。

本当になんでだか。

上越に戻ってくると。

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研究室から花火が見えました。

遠くの方で上がっています。

夏休みなんですね。


教員採用試験の面接で、事前の自己PRの部分に、大学のときアクティブラーニング推進の会へ参加していたことを記入していたことについて、とても突っ込まれました。

どうしてそれに参加しようと思ったのか?と聞かれました。

ので、自分が社会構成主義について勉強していたこと。

社会構成主義とは簡単にいうとどんな考え方なのか。

その考え方が学校に取り入れられたとき、どのように学校は変化していくと思うか。

ということを話しました。

伝えたいことがたくさんあったのに、結局うまく話せなかったように思います。


やっと、夏休みが始まったな、という感じです。

sumi-chansumi-chan2015/07/29 20:27おおー!授業者に大抜擢ですね♪
応援しています✨