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幸福論 RSSフィード

2015-07-31

びりびり。

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ホワイトボード・ミーティングの集まりでお会いした修士の院生さんから、小説を2冊お借りしました。

わたしは自分の本の読み方について、いつも、もったいない読み方をしているなーと感じています。

好きになった作家さんの作品はとことん読み込むけれど、なかなか新しい作家さんの本を読もうとしません。

新しい世界に飛び込むことに臆病なのだと思います。

好きな作家さんという枠組みがあれば、自分の好きな世界に安心して浸っていられるし、例え新しい小説でも安心してその世界を楽しめます。

でも、誰かから全く読んだことの無い本を薦められるような機会があれば、

それじゃあ、せっかくだし、読んでみてもいいかなあ(めちゃくちゃ偉そう。笑)、と重い腰を上げます。

作家さんを好きになるきっかけはいつもそんな感じでした。

(穂村弘さんだけは、自分で吸い寄せられましたが。)


かなりハマる作家さんに出会うと、これは、と気持ちがびりびりします。

本当に、3年に一度あるか無いか、というような感覚です。

それが、今起きています。


本の帯に書いてある読者レビューに、

「私が最近読んだ現代の小説では群を抜いています。」

とあって、おお、そうなの?と思います。

そんなに現代の小説をたくさん読んでいないので、比べる材料が少ないですが、それでもわたしもそうじゃないか、と思います。

あと、ラスト40ページは涙涙涙、みたいなことも書かれていましたが、わたしは涙しませんでした。普通の人は涙するのかな。

でも、それに値する感動はありました。


『君の膵臓をたべたい』

というタイトルです。

お借りした本だけど、お返しした後には、ちゃんと自分で買おうっと。

ゼミ。

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M研のゼミに参加してきました。

M先生、学部ゼミ生が8名、院生さん1名、N県の学校の先生4名、無職の(この肩書きが定番になりつつありますね。笑)スーパーアドバイザー1名。

わたしも含めて、計16名の参加でした。

部屋、ぎゅうぎゅうです。


ゼミでは、主に9月に行われるイベントについての話し合いをしました。

主催の立場ではないからこんなことが言えてしまうのかもしれませんが、とても楽しい雰囲気でした。

どこか楽観的にその場にいられるというか。

きっと主となって進めている学部4年の方たちは見えない苦労をたくさんされていることと思います。

でも、苦労を楽しんでいる雰囲気が見えました。

学生同士が「大変だよね」「そうだね」と言い合えているからこそ、そんな雰囲気になれるのだろうなあ。

何かと戦おうというのではなく、一緒になって戦おうとしている感じ。

……うーん、戦うって言うと少し表現が違うかなあ。

そんなガツガツではなく、もっとのびのびしてしなやかな感じですが。

とにかく、そんな雰囲気を感じました。


M研のゼミ生さんたちの素敵なところは、与えられた環境から真摯に学びとろうとする姿勢だと思います。

ゼミ終わりにご飯をご一緒させていただいても、それぞれに良さを感じました。

本当に、本当にすごい。

やっぱり、年齢は関係無いな、と思い知らされます。

あの人たちのすごいところ、真似しよう、と帰りの電車で思いました。




ここ最近で、分科会のことについても、少し相談できたし、いろいろよかったです。

勇気を出して相談すると、前よりももっとその人のことを安心して好きになれます。

困ったときに助けて、ということは

自分の問題を解決するためだけではなくて、

人の関係をあたためるためにもあるのかなあ。

2015-07-30

練習会。

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ホワイトボード・ミーティングの練習会に参加してきました。

ファシリテーターとしてホワイトボードにペンを走らせていて思うことは、とにかく書くスピードが追いつかない、ということです。

人の話を聞きながら自分に分かりやすいようにメモをとっていくことは、中学校や高校の社会科の授業で随分鍛えられたと思います。

しかし、そこに自分がファシリテートしていくという一役が加わるだけで、もうてんやわんやになってしまうのです。


だいたい、ホワイトボードに書いているうちに2人の自分があらわれます。

1人は、聞いた話を一字一句残さず書いていきたい!と思う自分です。

そして、もう1人は、純粋にその人の話をもっと聞きたい!と思う自分です。

2人にはもっと協働してほしいのですが、今はどちらか一方が頑張るともう一方が急に大人しくなり、それではダメだ、と大人しくなった方を盛り上げていくと、今度は逆が大人しくなる、というような感じで。

シーソーがゆれっぱなしになって、ちょうど中間地点で止まってくれない状態です。


こんな状態ですので、自分のスキルをあげていくことも必要だとは思うのですが、

これは周りの助けもあった方が確実にやりやすいのだろうな、と感じました。

例えば、ホワイトボード・ミーティングでは、話を掘り下げていくのに第1階層~第4階層までの階層があります。

1:(自分)私

2:(自分を構成する要素)音楽がすき

3:(要素をさらに詳しく)大学でバンドを組んでドラムをやっていました。

4: (具体的なエピソード)音を合わせるのが大好きで、ライブの最中に周りの人と上手く音が重なった瞬間に「おっ」と思って、大抵そういうときはその子と目が合う。その瞬間が楽しい。


こんなふうに、どんどん掘り下げていくにつれて、聞いている人にとって話をイメージしやすくなっていきます。

音楽がすき、というところではぼんやりしていた情報が、第4階層までくると、映像として頭に映る程度に鮮明になってくるのです。

この話す順番というか、構造に慣れている人は、ファシリテーターが次の言葉を促さなくても、自分で整理してすらすらと話してくれます。

でも、それに慣れていなければ、ファシリテートの力が必要とされます。

わたしなんかは、全然この構造に慣れていないので、サイドワーカーとして話していても途中で言葉が途切れてしまって、ファシリテーターの人にすごく頑張って自分の考えを拾ってもらっているなあ、と感じます。


うまい人、慣れている人が支えてくれるこのシステムって、なんだか優しいな、と思いました。

2015-07-29

偽善。

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偽物の善は、どこにあるんだろうか、と思います。

偽物の善は、善じゃないけれど、善の形をしているということなのかなあ。

でも、善は形だけでは善とは言わないものなのか。

善の形じゃない部分って一体なんなのか。

それがわからないです。

ogymogym2015/07/29 21:53人によって分かり方は違う、人によって善と思うものは違う、あたりが解くカギになるんじゃないでしょうか。なんてことを思いました。

mei-c5mei-c52015/07/30 01:49>>ogymさん
むむむ……。
読めば読むほど、そんな気がしてきました。
でも、ふとまた分からなくなるときが来るんです。
定期的に同じことをぐるぐる思考しているような、停滞感があります。

ogymogym2015/07/30 20:44考えてみました。けどずれずれなら済みません^^;
①例えば形として「発表の約束」や「ハンドサイン」がある。
②それはただの約束や形。善かどうかは人が思い込みで決める。
③授業は先生がコントロールすると考える人からみたらそれらを提供し守らせることは本当の善に見える。
④『学び合い』の考えの人から見たらそれらを提供し守らせることは本当の善と見えない偽物の善に見える。
⑤人によってわかり方は違う、善にもなるし、偽善にもなる。
そんな感じでしょうか^^。

mei-c5mei-c52015/07/31 06:07>>ogymさん
ずれずれじゃないです!
身近に感じられて、とても分かりやすいです。ありがとうございます。
でも、ひとつ分からないことが、、、④の偽物の善に見えるは、イコール悪に見える、ですか?

ogymogym2015/08/01 00:55>>④の偽物の善に見えるは、イコール悪に見える
悪、まではいい切らないけれど、もっとましな方法があるように見える、てな感じな気がします。

教師がいっぱい教材研究して一つの道すじを準備して「さあここを進みなさい」と言わんばかりに指導案通り授業をしたとする。「よかった!」「学べた!」と思える子はいるでしょう。学びはあるから悪とは言わない。けど、もっとみんなが身に着く『学び合い』という方法があるように見えるんだけどなぁ…と見えます。きっと^^。

mei-c5mei-c52015/08/02 22:41>>ogymさん
なるほど、、、ちょっとだけ、今日勉強してきたこととリンクする気がします。
ジェットコースターに乗ったこどもと、丸太の一本橋に乗ったこども。今脳震盪を起こしたら、どうなるでしょうか?という質問で、ジェットコースターはきっと乗ったままでも怪我はしないけれど、丸太の一本橋は確実に落ちて怪我をします。
どちらが脳を使っているか、という観点で見ると……?というような内容でした。
みんなが身につくためには、「マシ」なんですね。

ogymogym2015/08/03 00:00「しない善よりする偽善。した方がマシ」「偽善するぐらいなら、何もしないほうがマシ」「することは善。反対する理由が理解できない」「することは悪。全くすべきでない」それぞれが、どれをマシと思い選択するかです。

『学び合い』とリンクして考えると、善の形じゃない部分は「考え方」じゃないかなぁ、そんなことを思いました。

つぶやきに長くコメント続けましてすみません^^;。

mei-c5mei-c52015/08/04 14:28>>ogymさん
わかりました!!!(たぶん)
↑で「なるほど」とか言っていますが、違いました。今、「なるほど」しました。
でも、まだ、自分の中でうまく消化できていません。もう少し考えたいです。

とんでもないです。ああ!となるまでお付き合いくださってありがとうございます(^^)

2015-07-26

長野市の会、ミニ。

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東京フォーラムの分科会のことについて相談のため、長野市の会のミニバージョンが開かれました。

長野市の会の分科会は『学び合い』初心者に向けての内容になっています。

そんなわけで、分科会に来てくださった人も参加するカタチの授業形式でやることに。

そして、わたしは授業者をすることになりました。

今日、決まりました。

新任の人でもできる、ということを押しているならば、先生未経験の人がやった方がいいよね、と。

うーん。なるほど。ってかんじです。

なるほど、なるほど。緊張する。。。


でも、せっかくなので、試しに授業をしてみよう、ということになり、

「はい、語って」と言われたとき、何も言葉が出てきませんでした。

小学生の子や中学生子たちに向けて話したときとは違う感覚があります。


そこで、ふと、疑問に思ったのですが、大人に向けての語りって、子どもに語るときと全く同じなのでしょうか?

願いを伝える、という点では同じように思うのですが、わたしの中では、どこかちょっとだけ、微妙に感覚が違う気がします。

わたしの何がそうさせているのか、わかりません。

以前に一度、老人ホームのようなところ(グループホーム)なんかで『学び合い』はできないかと考えたときに、

学び合い』をするとなると、そこにいる職員さんたちが語るということになるかな?

でも、それってお年寄りの方たちにお話しをするということ?

そんなことできるかなあ?

と思いました。


わたしの中で、目上の人(人生を経験してきた人)が一番、という考えが無意識にあるのか。

それとも、語る人は立場が上なのだ、という考えが無意識にあるのか。

もしかして、そのどちらとも?と思ったりして、なんとも言えない気持ちになりました。


思いは人それぞれだし、願うだけなので別に立場が上だとかそんなわけではないことくらい、理屈でわかっているつもりなのに、なんで感覚として違う気がしたのか。

まあ、「子ども」という子どもがいないのと同じで、「大人」という大人もいないですかね……。

だとしても、不思議です。

今日試しに授業をしたことによって、自分の無意識にそんな思いがあるのかなー?と考えるきっかけになりました。


でも、わたしは今日、なんで語ろうとしたときに言葉が出てこなかったのか、、、未だに謎です。

本当になんでだか。

上越に戻ってくると。

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研究室から花火が見えました。

遠くの方で上がっています。

夏休みなんですね。


教員採用試験の面接で、事前の自己PRの部分に、大学のときアクティブラーニング推進の会へ参加していたことを記入していたことについて、とても突っ込まれました。

どうしてそれに参加しようと思ったのか?と聞かれました。

ので、自分が社会構成主義について勉強していたこと。

社会構成主義とは簡単にいうとどんな考え方なのか。

その考え方が学校に取り入れられたとき、どのように学校は変化していくと思うか。

ということを話しました。

伝えたいことがたくさんあったのに、結局うまく話せなかったように思います。


やっと、夏休みが始まったな、という感じです。

sumi-chansumi-chan2015/07/29 20:27おおー!授業者に大抜擢ですね♪
応援しています✨

2015-07-24

話の長さ。

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話せば話すほど伝わるものだと勘違いして、どんどん話してしまいがちだけど、実はそうでもないのかもしれないですね。

本当に大切なことを、シンプルにストレートに伝えられることは、強い。と思い知りました。

2015-07-19

ちゃんぽん食べたか。

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昨日、今日と、大阪SORAの会に参加するために大阪にいました。

久々の関西だー、と思って、夜中に普段はあまり見ないテレビをつけてみると、さだまさしの「ちゃんぽん食べたかっ!」がドラマでやっています。


主人公は、プロのバイオリン奏者になるために、中学生になると同時に長崎から東京へ出てきて、親から仕送りをもらって生活をしていました。

決して裕福な家庭ではないけれど、父親は懸命に働いて主人公へ仕送りをしています。

主人公はというと、高校生になり、プロのバイオリン奏者になれるのはほんの一握りの人だけなのだという高くて厚い壁に当たって悩んでいました。


悩んで、悩んで、夏休みに長崎に帰省した主人公は父親と散歩している最中に、とうとうこう切り出しました。

「バイオリン、辞めようと思う。プロになろうとしたら、いい楽器も買わなければならないし、レッスン代も……とにかく、すごくお金がかかる」

父親は黙って主人公の目を見ていましたが、少しして

「要するに、自信がないのか?」

と確認しました。


わたしは、なるほど、と思いました。

別に言葉に正しいとか間違いはないと思うのですが、わたしにとってはこの父親の言葉が正解の言葉だ、と感じました。

お金がかかる→お金は何とかする

こんなふうに言葉の表面だけを押さえてフォローしていれば、考え抜いて決断した主人公をさらに追い詰めることになります。

そういう意味で、本質を捉えた返しだなあ、と。

将棋で言えば、何手も先を読んでいる状態。(将棋、全く知りませんが。笑)


主人公は頷くと、泣きながら「一生懸命考えて、決めたんだ。今まで応援してくれて、ありがとう」と言いました。

この辺で、わたしもうるうる。

そしたら、父親が、

「よく自分で決めたな」

と、自分と同じくらいの背丈の主人公の頭をなで、

「お前の人生やけん、好きなようにしたらよか。ばってん、これからどうすると?」

ここから、ああ、よかったー。と思って、わたしも主人公と一緒に号泣。

ほんとによかった。


東京の学校に戻った主人公は、学校の先生にもバイオリンを辞めることを報告します。

先生も、同じように言いました。

「お前は自分で重大なことを決めた。俺はそれを評価する」

そうかー、先生ってこうか、と思った夜でした。

2015-07-15

分かってほしいために。

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自分の考えを分かってほしいがために、全く異なる考え方の人にそれをありのまま提示し、強要することは、

「自分は何も変化したくないけれど、相手に自分を認めてもらって、変化しなくてもよい環境を作ってもらいたい」ということじゃないかと思います。

例えば、『アナと雪の女王』という映画で、エルサが「ありのままの姿をみせる」と歌っていますが、

あの場面は、エルサがありのままの姿を他人に見せて、この姿を認めて、許してね。という場面なのか?というと、そうじゃない気がします。

あれは、エルサがありのままの姿でいることを自分自身に見せて、まずは自分を認めてあげる、という場面なのではないでしょうか。

そして、自分では認めてあげられるけれど、ありのままでは他者に迷惑をかけてしまうため、

結局、エルサは自分をコントロールする力を身につけて、他者と共生するようになります。


エルサは真の愛に気づいたときに、自分の力をコントロールできるようになりました。

わたし自身、真の愛がなんなのかはまだまだ全くわからないのですが、

自分がいて、異質な他人もいて、みんなで一緒に生きていきたい、と思えることかな??と、あの映画を見て思いました。

あ、でも、最後、悪役はかわいそうな結果になっちゃいましたけど。


この表現のままでは矛盾していますが、あの映画では

善=共生

悪=異質を排除

の構図を感じました。

ここで、善が悪(ある意味善の立場からすれば異質)も排除せずに共生していくと、より矛盾がないのに、と思います。




今のところ、わたしの中で、上記のような考え方、つまり、善が悪(ある意味善の立場からすれば異質)も排除とせずに共生していくこと。

これが「社会構成主義」を表していると考えています。

善は悪がいるから善でいられるし、悪は善がいるから悪たりえるのです。

主義、主張に関しても、同じことが言えます。

たくさんの主義主張があるけれど、それらはお互いがいるからこそ主義主張になり得るのだ、と。

だからこそ「社会構成主義」も、主義として定まったものではなく、これからどんどん変容し、作られていくものだ、と言われています。


マジョリティやマイノリティに関わらず、全ての人が共生していけたらいいよね、という考え方は、自分がどの立場にいても得だろうな、と思います。

共生したくない!!と思う(おそらく)マイノリティにとっても、

そういう考えもあるよね、そういう人もいていいんじゃない?と受け入れられ、認められる環境は悪くないはずです。


その考え方、振る舞い方に慣れていくために、学校での『学び合い』があるのだと、わたしは考えます。

mogymogy2015/07/15 06:48「善は悪がいるから善でいられるし、悪は善がいられるから悪たりえる」のくだりから、
先日のゼミの中で出てきた、「人間にとって世界のリアリティは、他人の存在によって、
つまり、他人の存在が万人に現れることによって保障される」という、 アーレントの一節を
思い出しました。
他者の存在があるからこそ、自分という存在を認識できる。他者は自分を映し出す鏡のような
存在なのかもしれません。

公共性は様々な語られ方をしていて、自分の中ではまだきちんと整理ができていませんが、
「善と悪」という点に限って言うと、その境ってとっても曖昧な気がします。
善が何か、悪とは何かは別として、人間はどちらにも成りうるからです。
重なる部分があるならば、お互いが共生していくことは可能ではないかと思います。

映画について触れられていましたが、例えば、映画「スターウォーズ」でアナキンは、
愛する人たちを失った悲しみ、大切なモノを破壊された怒りにつけ入れられた結果、
自分の力を制御できずダークサイドに落ち、ダースベーダーとなりました。

アナキンとダースベーダーは同一人物であり、善か悪かと聞かれても答えに窮します。
むしろ悪の権化とされるダースベイダーがとっても人気があるのは、人はどこか悪しきものに
惹かれるところがあるのかもしれませんね。それはやはり、人は内面としてどこかに似たものを
抱えているからかもしれません。

「善か悪か」というのも、見方によって変わってきたり、振れ幅の程度によるものであったりするものではないのかな〜、
とも思いました。

本文の内容から脱線した雑感となってしまいゴメンなさい。
でも、朝から啓発される内容で、目が覚めました。
ありがとうございます!

mei-c5mei-c52015/07/16 21:43>>mogyさん
こちらこそ、ありがとうございます。
アーレントさんはそんなことを言っているのですか……!確かにそう言われてみれば、自分の心のどこからが内側でどこからが外側、なんて明確に説明できるものではないので、ある意味他者という認識と違いを見つけることで自己を認識しているのかもしれませんね。
スターウォーズの解釈も、とってもおもしろいです(^^)

アーレントさんのこと、今回初めて知ったので、『人間の条件』から勉強してみようと思います。
ありがとうございました!

2015-07-13

同じ方向。

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大学時代の道徳の先生は、よく、子どもと同じ目線で、というのは物理的にも同じ目線になることが大切だ、と言っていました。

わたしは、その言葉を、そんなもんかなあ?と思いながら聞いていました。


今でもその理論はよく分からないのですが、物理的に位置関係を変えてみることによって関係性に変化が生じる、ということについては一理あるのかもしれない、と思うような気づきがありました。

それは、隣に座って、同じ方向を向いている相手には、怒りを向けにくい、ということです。

気持ちが同じ方向を向くために、まずは物理的に同じ方向を向いてみよう作戦です。

こんな単純なこと、もう誰かが発見していることなのかもしれませんが、わたしは今気づいたので、感動しています。


例えば、子どもに叱りたいときも、面と向かっていると

「どうしてこんなことしたの!」

と言ってしまいそうなところですが、

これが隣に座っている状況だと

「どうしてこういうことをしたんだろう?」「どうしたかったんだろう?」

と純粋な疑問として聞けそうな気がします。

まあ、隣に座っている時点で、だいぶ気持ちが落ち着いてるから、とも考えられますが(笑)


意見がぶつかりそうな真剣な話をするときには、ドライブをしながら。ソファで隣り合って座りながら。

そうすると案外、話し合いの方向も同じところにむいていくのかなあ、なんて思いました。

mogymogy2015/07/14 07:05日々思索しているんですね。
すごいな〜。

mei-c5mei-c52015/07/15 00:24>>mogyさん
普段はもっともっとくだらないことばかり考えています。
今日はその中でも、わりと今後の人生に役立つくだらないことだったので、よかったです(^^)
コメントありがとうございました。

sumi-chansumi-chan2015/07/19 14:03えーっと、ある時、漢字ドリルをやっていて(子ども達は3人のうち1人しかいない状況)、私は正面にいたのですがその子に「こっちにきて」と横並びの位置を指定されました。本能かな〜

mei-c5mei-c52015/07/19 23:07>>sumi-chanさん
どうなんでしょうかねえ。
カウンセリングなんかでも、正面ではなくあえて少しずれた位置に座って話を聞くそうですし、威圧感を無意識に避けたのかもしれないですね(°o°)

2015-07-12

パターン。

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社会に出て(出る前にも?)必要になってくるのかな?と思う資質を2つ、考えました。


1つ目は、「勉強ができる」ことです。

ちなみに、ここで言う「勉強ができる」こととは、持ちうる知識をアウトプットすることができる、ということです。

2つ目は、「協働力がある」ことです。

定義はさまざまですが、ここでは「協働力がある」ことは、人の力になりたいと思える、ということとします。


この2つができるできない、あるないのパターンで分類してみました。

①「勉強ができる」「協働力がある」

②「勉強ができない」「協働力がある」

③「勉強ができる」「協働力がない」

④「勉強ができない」「協働力がない」


①が最も必要とされるパターンとして、④まで順に並べています。

そして、これからは、①②のパターンの人を主に育てよう、としていく流れになっている気がします。

しかし、これまでは、①③のパターンの人を主に育てよう、としていたのではないか、と。


さらに、「勉強ができる」ことの意味も変化して、

知識のアウトプット → 目の前のことから学びとろうとする姿勢がついている

となっていくかもしれないなあ、と思います。

もしもそうなれば、そんな人たちを育てよう、となれば、社会は結構変わるのかも。


うとうとしてきたので、ぼやーっと考えたことをメモして脳を起こしました。

さて。。。

2015-07-11

ワクワク。

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昨日「知的なワクワク」と書いていて、ひとつ、思い出しました。

わたしは、人生の中で一番ワクワクしながら読んだ本と言えば、ケネス・J・ガーゲンさんの『あなたへの社会構成主義』という訳本だなあ、と思います。

わたしの人生で読んできた本の数が少ない、というツッコミどころもあるのですが、それを差し引いても、相当におもしろい本だと思っています。

本当に、苦労して、苦労して読みました。

何しろ、まったく知識が無かったのです。

試験勉強で名前くらいは見たことのある、ベーコン、ブルーナー、ダーウィン、デカルト、フーコー、フレイレ、フロイト、ホッブズ、、、そして見たこともない名前の数々。

そんな人たちの考えの一部が、わかっている前提で当然のようにぽんっと載っていたりするわけです。(もちろん、とても分かりやすく書かれているのだと思いますが、知識ゼロの人にはかなりキツイ。)

ひとつの本を読むために、他の何冊もの本を読む日々。(これまでがゼロだからこそ。笑)

ネットの解説ページをいくつも読み漁り、この人はこう書いているけど、別の人はこんなことを書いてる。一体どっちなの!?と迷子になる日々。

でも、無駄だとは感じませんでした。

本当に楽しかったのです。


教員採用試験で、「ブルーナーは発見学習で……」と覚えているときは、最高に無駄な気がするのですが、不思議と本の文脈で出てくるときブルーナーを調べていたらワクワクするのです。

社会構成主義というひとつの視点から、様々な人の考えが解釈され、位置づけられているのを知ることが、おもしろくてたまらない!という感じでした。

そして、それをはるかに上回るおもしろさがあったのが、自分で位置づける作業をする、ということでした。

わたしの大学での卒業論文は、社会構成主義という視点から学校教育、『学び合い』を位置づけるという作業でほとんどが終わりました。

卒業論文としては、本当に誰の役にも立たないんじゃないか、というようなどうしようもない出来栄えだったのですが、最終的には自分の納得する位置づけに落ち着けることができました。

(本当は、誰かの役に立つ卒業論文が書きたかったのですが。笑)


それにしても、本当に贅沢な時間だったなあ、と感じます。

わたしが卒業論文を書いていたあの期間は、本当に一生に一度しかない、わたしのための時間だったのです。

他のゼミでは、卒論の書き方の指導などがされている中、わたしを自由に解き放ってくださったY先生には、感謝の気持ちでいっぱいです。


先生、わたしは今でも、ギリギリにならないとスイッチの入らない性格が健在です。

修士コース。

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つい最近のちょんせいこさんの学校出前授業を見学させていただいたときに知り合った、大学院修士コースの方と、「絵本」という共通の話題で盛り上がり、その後、連絡を取り合っている中で、


「本のことはもちろん、『学び合い』についてもお聞きしたいことが山のようにあります。」


と言われました。

同じ大学なので『学び合い』のことを知っていらっしゃるのだと思いますが、

修士コースの方でもこんなに興味を示してくださるのか……!とびっくり。

なんとなく、わたしの中で、修士コースというと教科を突き詰めている人で、『学び合い』にはあまり興味のない方が多いのかなーという勝手な決めつけ、凝り固まったイメージがあったのです。

ああ、これが偏見というやつか、と反省しました。


実は、ちょんさんとお話をしたときに、ちょうどわたしの研究室の話にもなり、

「ああ、N研ね」

となって、そこから『学び合い』の話になったのですが、

「ホワイトボードミーティングと『学び合い』はとても親和性が高いものだと思うんだよね。誰かやってくれないかな。ホワイトボードミーティング×『学び合い』、みたいなのを(笑)」

と、おっしゃっていました。

緊張していて、「具体的には、どういうところに親和性が高いと感じますか?」と踏み込んで聞けなかったのですが、

目指すところ(一人も見捨てられていない社会)が共感されやすい、というところにも親和性が高い理由があるのではないかと感じました。



よく先生が「教材研究をすることもいい。が、それは集団ができてからやっていくもの」とおっしゃっています。

わたしも、本当にその通りだなあ。と、やっとわかってきました。

やっぱり、とことん教材を研究されている方のお話を聞いたり、またはブログなどで目にしたりすると、知的なワクワクがあります。

修士コースの方は、そういう部分を創っていく人たちなのだと感じます。

わたしたちは、その創られたものが存分に生かされるような集団、ひいてはその集団が生まれる環境をつくる立場にあるのかなあ、と。

きっと、どちらも大切で、支え合うような関係なんですね。

2015-07-10

2ヵ月。

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昨日は、午前中に支援校での支援があり、そのままi-kawa-nakajimaさんの学校へ授業見学にうかがいました。

およそ2ヵ月前に見学させていただいた学級です。


人間関係がすごくあたたかい方向へ変化しているなあ、というのが、一番の感想でした。

前は、自分の課題が終わったあと動きのあまりなかった子が、今回、ふらふらっと立ち上がっているところが見られたり、

前は、分からないところを聞きたいのに勇気が出なくてギリギリまでひとりで困っている子がいたのに、今回は勇気を出して聞いて、結果、まわりに人が集まっていたり。

それが、男女などほとんど関係なく行われている感じです。

はたから見ると??と思うような子もいたのですが、後からのご説明では、子ども同士では事情が分かっていて、お互いに気遣えている状態、とのこと。

今後も、より相手の気持ちをおしはかることができる集団になっていくのだろうなあ、と、彼らをみていて嬉しくなりました。

わたしも、相手の気持ちをおしはかれるように、成長しなければ。


それから、一緒に見学に行ったY氏と話しているとき

学び合い』をしていると、学級集団に先生の色がうつっているよね。と。

色がうつる、というのは、結局どの学級(『学び合い』をしていない学級)でもそうなっていくものかもしれません。

が、改めて考えてみると、先生の想いは色濃くうつされるものなのかな、と思います。

ただし、まるっきり先生の色単色ではなく、全体を見渡すと、個々の色が滲み出て混ざった色になっている気がします。

先生の色だけで染めてしまうよりも、そちらの方が民主的な集団らしい、とわたしは感じました。

2015-07-09

読みの方略。

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今、教職大学院のグループ学習で、ある探求課題に取り組んでいます。

その大きなテーマが、「読みの学習とは何か?」です。


以前、kota_02さんの書かれていたblogにも読みのことについてありました。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kota_02/20150606/p1

わたしはずーっとここに書かれてある本のことで、引っ掛かりを感じていました。

そして、うまくその引っ掛かりを言葉にできず、もやもやとしていたのです。


昨日、課題を出してくださった先生のところへ、グループの人たちとお話を聞きにいって、ちょっとそのもやもやが晴れた気がします。

その先生は、読み手が「あ、この本を書いた人って、こう思って書いたんじゃないかな?」と本の内容を解釈していくことを、読みの方略、とおっしゃっていました。

ただし、それは自分ひとりで読んでいるうちには、はっきりと意識されないことが多いのだそうです。

でも、別な方略を持った人と話し合うことによって、

「ん?自分はこう読んだんだけど。こっちの方が正しいんじゃない?」

という気持ちが出てきて、もやもやとします。

このとき、「こっちの方が正しいんじゃない?」を強く思ったり、言語化したりすることで、霧がかかって全貌の見えなかった自分の「読みの方略」が、少しずつ見えてきます。


実際、『白いぼうし』というあまんきみこさんの短編集の一部を読んで、

他の人と話し合いをしているときに、同じようなことが起こりました。

ある人が「これは現実にはあり得ない話だから、結局は全部主人公の夢でしょ」と言ったのです。

わたしはファンタジーのお話を読むのが好きで、現実にはない世界に入り込んだところで楽しさを感じながら読んでいたので、

(ええーっ。それを言っちゃったら、ファンタジーの面白味がなくなるのに……。というか、そんなことを言うんだったら、そもそもこの主人公もいないし。)

と思って、なんだかいやーな気持ちになりました。


でも、と思います。

わたしが思うファンタジーの面白味ってなんだろう?

これまでは意識もしなかったことですが、その人の一言から自分がそのお話をどう読んでいるのかを考えるきっかけができました。

自分の読みの方略と他人の読みの方略がぶつかったとき、自分の読みの方略がより強く見えてきたのです。

これは、とても大切なことのような気がします。

読みの方略を、そのままその人の価値観に置き換えてみると、ああ、なるほど。そういうこともあるよな。と感じました。

2015-07-08

インプットとアウトプット。

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今日、たまたまネットで「京大受験で学んだ『インプットとアウトプットの黄金サイクル』のたいせつさ」という記事を見かけました。


筆者の方曰く、

勉強とは、インプットした情報をきちんとアウトプットできるかどうか

だそうです。


インプットが苦手な人には、

①何をインプットするのかがわかっていない

②インプットする目的がわかっていない

③インプットする方法がわかっていない

の3つの特徴があげられるそうです。

そして、アウトプットはその量(それにかける時間)がものをいう、と。

これらを満たした勉強を繰り返すことで、インプットとアウトプットの黄金サイクルとなります。


これを『学び合い』に当てはめて考えてみると、形としては、黄金サイクルを守っていることになるのではないかと思います。

まず、インプット面では、

①何を→提示された課題を

②目的→全員達成のために

③方法→困ったことがあれば助けてもらい、困っている人がいれば力になって

この3つがはっきりしていますし、

「どうぞ」と言われてからはアウトプットし放題なので、時間も普通よりは多く取ることができます。

まさに、インプットとアウトプットの黄金サイクル。


インプットの①の何を?というところは、教師が課題を設定するわけですが、

特に、どんなことを、どれだけの範囲するのか、は明確になっていた方がいいのだろうな、と感じました。

こんな視点で、課題の本をもう一度読み直してみたいと思います。

2015-07-06

中立。

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SNSで大学時代の先輩が投稿していた疑問について、おもしろいなあ、と思ったのでメモです。


政治的中立性とは何か?

なぜ教育は政治的に中立でなければならないのか?

政治的中立性(の立場に立つこと?)は可能なのか?


この3つが、問われていました。


山口県柳井市の県立柳井高(小林真理校長)で先月、安全保障関連法案について2年生の生徒が自分たちの考えを発表し、どの意見が説得力があるかを問う模擬投票をする授業があった。これについて、浅原司・県教育長は3日、県議会で「法案への賛否を問う形になり、配慮が不足していた」と授業を問題視する見解を示した。さらに県教委として「指導が不十分だった」と監督責任にも言及した。来年の参院選から18歳の高校生が投票権を行使する公算も大きい中、専門家から「現場を萎縮させ、教育の自由を奪う発言だ」と批判が起きている。

(Yahooニュースより)

この記事を受けての疑問なのですが、うーん。。。

言われてみれば、確かに!という感じがします。


中立なんて、本当は存在しないものなのかもしれません。

平等という言葉も、同じですよね。

多くの人に「もっともらしい」と認められて初めて、それが平等になっていきます。

全て、そういうことなんだろうと思います。

でも、

マジョリティ=正しい

というのは、なんか違うような。

こんな話を、いろんな人とすることって、楽しいだろうなあ、と思います。

限界集落。

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講座の最後に、ホワイトボードミーティングのお題として、「支援を受けていないお年寄りの方などの(幸せな)暮らしのために、わたしたちができることって?」というものがあげられていました。

参加された方の中で、限界集落や、それに準ずるような高齢化の進む地域で、介護のサービスを受けていないお年寄りの方を対象にお話し相手になったり、コミュニティを繋いだりするようなお仕事をされている方がいて、

「何かできれば、と思って仕事をしているけれど、実際にどんなことが幸せにつながるのか。難しい。」

とのこと。


なので、上記のお題について、グループに分かれ、それぞれの立場だからこそできることを話し合っていきました。

わたしのグループの人たちはみなさん教職関連だったので、学校の立場でできること、で考えました。

もちろん、話し合いはホワイトボードミーティングで、です。

子どもと地域のお年寄りの方をいかに繋ぐか、という話題が多く出て、

方法も、学校が(子どもが)「してあげる」のではなく、あくまでもお年寄りの方主体で「子どもたちも一緒にやる」ことを大事にしていくというスタンスが多かったように思います。

具体的には、子どもが地域のお年寄りの方と文通などでやり取りして、その方の特技を知り、学校にお招きしてその特技を教えてもらう教室を開けるよう交渉し、実際に教室を開く。など。

これがものの数分で話し合って決まるところが、ホワイトボードミーティングの凄さだとおもいます。



でも、話し合いで出たこともみんなで合意形成した貴重な結論ですが、実際に自分ならどうするだろうな、と考えておかなければなりません。

わたしの地元の高知県は、今後どんどんこういった集落が増えていきます。

学び合い』の地域コミュニティ、という話は聞くのですが、この実践例が増え、実態がもっとはっきりしていくと助かる地域もあるんじゃないかなあ。

2015-07-05

支援。

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ホワイトボードミーティングの講座に参加してきました。

わたしなんかでも、ファシリテーターとしての技術を磨くことで、きっと誰かのお役に立てる日がくるのではないかと思って、必死にホワイトボードにペンを走らせてきました。


それとは関係ないのですが、今日一番で嬉しかったことがあるんです。

それは、会でたまたま学校支援プロジェクトで同じ研究室のFさん、Kくん、Yくんたちが支援に入っている学校の先生とお会いして、3人のことをとてもほめてくださった、ということです。

しかも、わざわざわたしに声をかけに来てくださって、「本当に頑張ってくれてるよー!助かってるよー!」とのこと。

同じ研究室の人たちを、いつも以上に誇らしく思い、自分がほめられたくらい嬉しかったです。


支援をする、というのは、形だけではなく、相手に喜んでもらえて、よかったなあ、と思ってもらえて初めて「支援」になるんだな、と

Fさん、Kくん、Yくんの3人のことを尊敬すると同時に、

自分も学校のニーズに合ったお手伝いをするためには、どんなことをすればいいのか、とこれまで以上に、真剣に考えるようになりました。

aki1021aki10212015/07/06 22:27こんにちは。
ホワイトボードミーティングに参加していた「支援に入っている学校の先生」です。(笑)
いつも私のブログに☆をつけてくださっていて、ありがとうございます。

今日の私の、あんな悩ましいブログにも☆がついていたので、
(いったい、どんな方が、こんな内容にも☆をつけてくださっているのだろう?)と、
☆をクリックしたら「mei-c5」の表示が出たので、にらめっこすること数秒。
とつぜん閃き、こちらのブログを覗いてみたら、「ビンゴっっっっ!」でした。

今後とも、よろしくお願いします。

mei-c5mei-c52015/07/06 22:40>>aki1021さん
おおー!今、この瞬間に、「支援に入っている学校の先生」とaki1021さんがつながりました!うれしいです。
それにしても、まったく気づかず、大変失礼しました。
いつも、ああ、感覚的にすごく分かるなあ、という感じで☆をつけさせてもらっていました。

お会いできてよかったです。これからもよろしくお願いいたします。

2015-07-03

WBM。

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近くの学校にちょんせいこさんがいらっしゃる出前授業&授業協議会があったため、参加させていただきました。

話合い活動ステップアップのプランとして、


*ステップⅠ(第1~2週目)

 ミニホワイトボードで楽しい対話や意見発表

*ステップⅡ(第3~6週目)

 オープン・クエスチョンの練習スタート!

 友達の意見をミニホワイトボードに書く。

*ステップⅢ~Ⅳ(第7~8週目)

 クラス全員がファシリテーター


という流れが配布された資料に書かれてありました。

今日の見学させていただいた学級は、ステップⅠ~Ⅱの段階だったのかな?と思います。

ミニホワイトボードで先生と対話をしたり、ペアになってオープン・クエスチョンを練習していました。

ペアの組み方によっては、話し合いづらい組み合わせなのだろうな、と思うような、

例えば、少し話してあとはそっぽを向いてそれぞれが別のことをしている、というような様子も見られました。

案の定、学校の先生方が協議会の質問で、「話し合いづらそうな子を見ていると、じっと待っていられない気持ちになる」と。


これは、ちょんさん曰く、今は話し合いづらそうな子たちも、何度も練習を繰り返すうちに、ある日突然、ぽーんと突き抜けてうまくいくようになるときがくるそうです。

何事も、繰り返し諦めずにやり続けることなのかなあ?と、聞いていて考えました。

でも、ただやり続けるだけではなく、そのときの教師の気持ちも大切なのではないかと思います。

この取り組みで、子どもたちみんなの心の体力(わたしたちが本来持ちうる力のことだそうです)を温めていくんだ!という揺るぎない気持ち。

ちょんさんには、きっとその気持ちが強いのだろうな、と今日の授業を見ていて感じました。

2015-07-02

大発見。

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学び合い』で運営されている研究室にいて、『学び合い』をしているから気付けたことがあります。

それは、自分の底にあった価値観です。

その価値観は、きっと今までの経験上効率的ではないし、自分を苦しめているとわかっています。

でも、これまで生きてきた中でずっとその考え方で過ごしてきてしまったので、理屈ではわかっていても、気持ちが急には追いつきません。

そして、実は「過ごしてきてしまった」と言っていますが、これまでの考え方にも、自分自身救われたことが何度もあります。

だからこそ、気持ちが追いつかないのかもしれません。

じっくり、自分の過ごしやすい価値観に変えていけたら、もっと生き方が楽になるだろうな、と思いました。


自分の中では、大発見です。

ここに来なければ気付けなかったかもしれないなあ。