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2015-06-28

オルタナティブ2。

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伊那谷まあるい学校のHちゃんが主催する会で出会った方たちとお話ししたことを、メモしておきたいと思います。


今回出会った方々は、公教育(とりわけ、義務教育)に問題意識をお持っておられる方が多かったです。

フリースクールを立ち上げたHちゃんの主催する会なので、そんな方々が集まるのも頷けます。


会の中では、それぞれが今抱えている課題を述べる時間があり、

走り書きしたので、少しズレがあるかもしれないですが、以下のような課題が挙げられていました。


・自分の学校に来る子どもについて、枠組みを設けてよいのか?

・運営について(NPO運営のこと。財政面なども含む)

・組織作り、社会づくり(主に、NPO法人立ち上げにあたって)

・公教育との連携(対立じゃなくって!)をするためには?

・子どもたち一人ひとりを人間らしく尊重するってどんなこと?

・公を変えるには?

・地域の自然、文化とつながる教育って?


ひとりひとり異なった課題のようで、繋がった課題だな、と思います。

中には作家さんもいらっしゃって、言葉だけではなく絵でも伝えられることってあるなあ。むしろ、言語の垣根を越えて「場を再現する」のに、絵は最高のツールなんじゃないか?と、その方の絵を拝見しながら感動。

学び合い』の考え方にも興味を持ってくださったようで、また会などでお話しできるとおもしろいと思いました。

「教育のことをお話しできる会もあるんですよ~」とご紹介すると、「教師じゃないですが……(行ってもいいんですか?)」とのこと。

こういった方たちが参加してくだされば、もっともっと多様な立場の人が参加して話し合える会になるだろうなーっとわくわくしました。


また、一度公立の学校に就職したけれど、仕事を辞めて今に至る、という方たちのお話を聞いていると、底知れないエネルギーを感じました。

武術から教育を考えている方や、今は公務員をしているけれどいずれ自分の学校を作りたいと考えている方。

たくさんのエネルギーを吸収して、また自分なりの疑問も生まれたワークショップでした。

toyohashi-starttoyohashi-start2015/06/28 20:53H君元気そうですね!
当時はよくいろいろあり、いろいろな話をしたものです。
詳しいことが聞きたくなったら、ぜひメールください。
もちろん、しなくても大丈夫です(笑)

mei-c5mei-c52015/06/29 12:29>>toyohashi-startさん
一緒にお仕事されていたのですか!
愛知県ということは聞いていたのですが、まさかまさか……!
びっくりです。
コメントくださってありがとうございました。

2015-06-23

オルタナティブ1。

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土日で、長野県の伊那市にある、伊那谷まあるい学校というオルタナティブスクールの代表の方(Hちゃん)にお話をうかがってきました。

4月末頃からお会いしたいとお願いして、やっと、です。

でも、グループワーク課題で、公教育とはの構造とは?義務教育とは?ということを勉強している最中で、フリースクールについてもっと知りたい!と思っていたところだったので、時期的にはぴったり。

どんな経緯で自分の学校をつくりたい、と思い、実行されたのか。

学校を作ってからの苦労。

様々なことを知ることができました。


それから、Hちゃんの開催する会に参加して、箕面こどもの森学園、というユネスコスクールとして認定されたオルタナティブスクールの校長先生(Mさん)のお話もうかがうことができました。

Mさんが、NPO法人の学校運営についてのお話されていたことが、わたしの中ではかなり印象深かったです。

それは、「働いているけれど、生活面でどうしても苦しくなり、もっとお給料の良い仕事へ転身される方が多いのでは?」という話題になったときのこと。

Mさんがおっしゃるには、箕面こどもの森では、学園の理念とその人の考えが合わなくて辞めていく例は過去にあったけれど、そういった理由で辞めていく人はなかなかいない、と。

では、それはなぜ?となりましたが、

「理由はなんだろう、分からない」と前置きされた上で、

もしかしたら、学園の立ち上げに携わってきた人たちが、今学園で働いていてこれから学園を動かしていくだろう人たちのために「この人たちがもっと仕事をしやすくなるためには……?」と考えて各方面で動いていて、

これからの人たちも、それをしっかりと見て、自分たちのためにどれだけ頑張ってくれているかを実感し、応えようという思いで動けているからかもしれない。

とおっしゃっていました。


確かに、それも、とても大切なことのひとつだと思います。

でも、わたしは、もっと根本的なところに、そのこたえがあるように感じました。

それは、設立からずっと同じ理念をそこで働くみんなが共感し、共有し続けている、ということです。

やっぱり、理念に共感して集まった人は、その理念がブレない限りは離れていくことは少ないのでしょう。


この、理念をブレさせないことには、秘訣があるそうです。

それは、「発言の重みは、その物事に対して責任が取れるかどうかで異なる」という考え方。

経営について何かを言う人がいても、同じような立場で経営している人と、それに関して全く責任をおう必要がない人とでは、その発言の重みが違うのだそうです。

この考え方で、その人のたち位置を理解しておくことで、様々な人の意見を取り入れすぎて理念がわからなくなってしまう、といったことを防いでいるそうです。


発言は、みんな平等に大切で、と思っていたけれど、そういう考え方もあったのか!

自分にとって本当に重要な考えを守るためにはこんな秘訣もあるんだなあ、と大きな収穫でした。




そして、不思議に思ったことがひとつ。

そんな自分で学校を作ってこられたHちゃんや、Mさんは、元は公立の学校に勤めていました。

辞めてから気付いた公立の学校の良いところは、一年で担任がかわること、だそうです。

へえ、となんだか意外な気持ちになりました。

一年で一新されるこの制度ってよくできているよなあ、とお二人はおっしゃっていました。

例えば、途中で学校の仕組みをこういうふうに変えたい、と思っても、ずっと同じメンバーなら一年で心機一転、切り替え、ということがしづらい。

対応の難しい人とも一年で関係が切れるというわけではない。


確かに、よくできている制度だな、と思います。

こんなにたくさんの考えをもった先生が全国にいて、それでも教育が成り立っているのは、この制度が当たり前のように享受されているからというのもひとつの理由かも、と。


でも、と思います。

仕組みを変えたくなって、次の年の子どもたちから新しい仕組みで運営したとします。次の年の子どもたちには、なぜ変えたのか、なんて理由をしっかりと説明しなくてもいい(というか、する必要もない)ので、その点便利です。

が、途中で仕組みを変えたくなっても、そのままで一年を過ごし、結局説明しないまま次の年を迎え、それを繰り返していくことが、なんとなく、わたし、耐えられるのか?と疑問に思うのです。

もやもやするけど、なんと言い表していいのかわからないもやもやが、漠然とあります。

これは、もうちょっと考えをまとめる必要のあることなので、保留しとくことにします。



それにしても、とてもとても貴重な体験でした。

まあるい学校の見学や、出会った人たちのメモは、また今度します。

2015-06-13

解決。

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先月からもやもやとし続けていたことが、今日の学年ゼミですっきりしました。

具体的には、自分が『学び合い』のできる環境下に置かれていながら「一人も見捨てない」ことを求められていない場合はどう動けばいいのか?ということでした。

というか、そもそも、「一人も見捨てない」ことを求められていないのか、求められているか、というところもよく分からない状態で、

上記のことが言葉にしづらかったのかもしれません。


でも、実は、先週の段階で心の整理はついたつもりでいました。

上記のもやもやに対してわたしの出した結論は、「きっと求められているだろう、と期待して、無理しない程度に動き、何かあれば心を無にする」でした。


ただ、今日の学年ゼミで、自分も何か質問しなければ……と思ったときに、ふと、自分の中では解決したはずのことを質問していました。

きっと、頭の片隅では、まだ納得できていない自分がいたのかもしれません。

というよりも、せっかく興味をもって授業を受けたのに、宙ぶらりんのままの同学年の子の気持ちを考えると、心を無にすることが難しかったのかもしれません。

その気持ちを考えると、悔しくて?というのか、よく分からないですが、泣きたい気分になります。


でも、今日質問してみて、先生の本心や今後の見通しを聞くことができたので、ほっとしました。

こんなことなら、素直にもっと早く聞いておけばよかったかな~とか、

でも、このもやもやしている期間にも大切なことに気づけたので、それはそれでアリかな、と感じました。


本当に、今回のことで身をもって感じました。

「一人も見捨てない」ことを願っているかどうか分からない態度で『学び合い』をすると、わたしのように違和感を感じる子が、少なからずいるということ。


また、そういう実験もおもしろいのかもしれない、と思いました。

もしもこういう方向で研究を進めていけば、『学び合い』がカタチではなく考え方だということが明らかになったりするのかなあ、なんて。


とにかく、今日はよかった。

2015-06-10

グループワーク。

| 01:38 | グループワーク。 - 幸福論 を含むブックマーク

ただいま、院の授業で絶賛グループワーク中です。

現職院生さんとわたしのような学卒の院生たちが入り交じり、9人×7グループで、それぞれのグループが教職大学院の教授方から出された課題をそれぞれに取り組んでいます。

課題は最終的に、発表できる形にまとめ、全員の前で発表します。


グループワークが始まって、もう2~3週間。

わたしのグループには、この人が2年間も現場にいないなんて、もったいない!(なんて言い方は失礼かもしれませんが。。)

そう思うような現職の方が、たくさんいます。


今日は、自分が先生になれたら、こういう考えを持ち続けられる人になりたいなあ。と思う出来事がありました。

それは、グループワークで一緒の現職院生さんとお話ししているときでした。


わたしたちのグループは、最初は、調べたことを分かりやすく発表する、というプレゼン形式の発表で、最後に質疑応答の時間を設けるはずでした。

が、なんとなく言葉が専門的すぎて、もしわたしがこれを30分も聞くとなると、きついな……と感じたので、

「わたしが発表を聞く立場だったら、聞いていて分からないことがあれば、その瞬間に誰かに聞けたり、そこからまた何かを考えたりできる時間があると嬉しいな、と思うのですが、こういう方法はどうでしょうか?」

とグループワーク形式の方法を提案してみました。

すると、

「なるほど~そうしてみましょうか!」

と言って、その現職院生さんがわたしの言葉を受け止めてくださったのです。


正直なところ、反対されるだろうな、と思っていました。

というのも、その方は、この発表のために何冊も本を読み、休みの日も図書館で勉強し、毎回打ち合わせのときに大量の資料をわたしたちに提供してくださっていたからです。

グループワークにするということは、そうまでして調べたことを『発表しない』ということなのです。

正直なところ、わたしもその方ほどではありませんが、資料に目を通し、自分でも気になるところは調べて、分かりやすく発表するためには……とまとめてきたので、

誰かに伝えないともったいないなあ、という気持ちでいっぱいでした。

だからこそ、反対されてもそれはそれで仕方ないかもしれない、と思っていたのですが。


「じゃあ、時間がないから、これとかこれは、説明する必要はないね。ここも、うーん、いいや、削りましょう!」

と、その方が、バッサバッサ発表内容を削っていくのです。

最低限の説明にとどめよう。ということで、それぞれが削っていき、最終的には、わたしの方が持ち時間が多くなってしまいました(笑)




しかも、だんだん発表の形ができてきて、方向性が見え始めたとき、その方がわたしに、

「いやー、学卒院生さんが遠慮せず意見を言ってくれるから、発表って最初は堅苦しいものだと思っていたけど、普通に授業するのと一緒だな、と思えました。ほんとにすごいなあ」

とおっしゃったのです。

わたしは、冗談ではなく、本当に2、3秒ほど固まってしまいました。



わたしは同じ立場だったとして、この言葉が言えただろうか?



学び続ける教師というのは、学ぶべき何かを求め続ける教師というよりも、何からでも学べる姿勢をもつ教師なのかもしれないな、と感じた日でした。

2015-06-09

仙南の会。

| 19:16 | 仙南の会。 - 幸福論 を含むブックマーク

土曜日、仙南の会に参加してきました。

主催されたg5o0t9o9さん、素敵な会に参加させていただき、本当にありがとうございました。

いろいろな会に参加して感じることは、会全体が、主催される方の雰囲気に包まれているなあ、ということです。

仙南の会も、g5o0t9o9さんのお人柄が出ている、緩やか~で良い加減に力を出せるような雰囲気でした。


昔、合気道をやっていたのですが、

合気道とは、いかに相手を傷つけずに無力化するかというところに特化した武術で、

なんとなく、その構え方に似た雰囲気を感じました。

(この例えは合気道に触れたことのある方にしか分からないかもしれませんが……;)


それから、この会では、お名前は拝見したことがあるけれど、お話ししたことはない、という方々ともお話しすることができて、念願のひとときでした。



自分がこの会に出て、一番「おおー!」と頭の中で繋がったのは、

懇親会で、中学数学の先生とお話ししていたときでした。

その方は、去年g5o0t9o9さんと同じ学校で、今年は別の学校に移動になったけれど、

この4月から『学び合い』を始めたそうです。

どうして『学び合い』をしようと思ったのか訪ねてみると、

学校の授業検討会(?)でg5o0t9o9さんの考えなどを聞いて、いいな、と思ったからだとか。

えっ、でも、g5o0t9o9さんは理科で、数学で……え?

と思っていると、他教科の先生でも集まって話し合ったり相談したりする機会が多かったのだそうです。


この前のN高校の公開授業で受付をしていたのですが、

英語の先生は英語の時間に参観に来て、数学の先生は数学の時間に参観に来て、、、

というパターンが多いような気がしました。

時間の都合で仕方のないことなのかもしれません。

しかし、『学び合い』の場合は、どの教科を見ても(例えその教科の専門的な知識が無かったとしても)、生徒の学んでいる姿から検討会などで思ったことを発言することができるように思います。


この中学数学の先生も、理科という違った教科であるにも関わらず、指導についていいな、と思えたのは

そのような教科の垣根を超えた生徒の見方ができるから、という理由もあるんじゃないかなあ?と思いました。


これまでも何度もいろんな方から聞いてきたことですが、自分の中であーなるほど、と繋がった瞬間でした。

2015-06-05

通ずる。

| 02:07 | 通ずる。 - 幸福論 を含むブックマーク

今日は、電話で『学び合い』の飛び込み授業をしたお話を聞きました。

電話だったので、あまりバレてはいないかもしれないですが、ぼろぼろ泣いてしまいました。

こんなあったかい気持ちで、感動で泣くのって久しぶりだなあ。


やっぱり実践者の方々のお話を聞いて感じることは、

その人の(生き様?)です。

教材や指導方法を話すときとは違った、その人独特の感情、経験、そこから生み出された他人に対する姿勢など……。

絶対に同じものは他では聞けないな、と毎回思います。

誰一人として、同じ『学び合い』をしている人はいないのです。


複雑な要素が絡み合って、それぞれがそれぞれの受け止めかたで『学び合い』を実践していて、

例えば、スーパーティーチャーと呼ばれるような力量を持つ方でも『学び合い』をしている人がいる。

かと思えば、新任の先生でもやっている人はいる。

それぞれがそれぞれのできることをしていて、余力があれば会を開いたり、他に気を回しているんだね。

という話の流れで、

「フラクタル構造!」

と、突然言われました。

えっ?

と思ったけれど、フラクタル構造って、ある図形をどれだけ細部まで見ていっても元の図形に相似した形、、、というアレのことです。

離れて全体像を見たときも、それをミクロで見たときも同じ形になっている。

つまり、全体像(実践者を含め、先生方の動き)を見ても、ミクロ(それぞれのクラス)で見ても『学び合い』になっている、ということなんですね。


これには、二人で

「なんか、今の、かなりしっくりきた~。メモしとかないと」

「うん、今、いいこと言ったな~。でも飲んでるから明日には忘れてそう(笑)」

と言い合って、満足しました。


どの場面でも『学び合い』の考え方は適応できるなあ、と思った夜でした。

ogymogym2015/06/06 21:33確かにフラクタル構造^^ 納得です。

mei-c5mei-c52015/06/07 01:43>>ogymさん
本日仙南の会に参加していて、同じように、『学び合い』の広まりなどを全体的に見ても、『学び合い』しているんだ
その人がその人の位置でできることをしているんだ
ということを参加された方がおっしゃっていました。
さらに納得、です。

daitouirukadaitouiruka2015/06/07 07:10あ、先に書かれた。フラクタル構造!(笑)。
氷入れるの面倒で、調子に乗ってストレートでガンガン呑みながら話してたんで翌日午後になっても頭の芯からメーカーズマークが抜けませんでした(苦)。

ミクロで見るとさらにクラス内の各所で見られ、さらに言えば、様々な人と繋がり、『学び合い』の考えを享受した人は頭の中でも様々な人と『学び合い』をしてて、しかもそれらは一見繋がってないように見えてもどこかで繋がり合い影響しあっていて、個性は滲み出てくるので1つとして同じものはないのに、でもやっぱりセオリーとしては同じなので同じに見えると言えば見える。
そんな感じですね。

mei-c5mei-c52015/06/07 23:42>>daitouirukaさん
補完ありがとうございます(笑)
セオリーとしては同じに見える、というところが大切でした。
頭の中でも『学び合い』って、すごいですね……。

自分へのご褒美もいいですが、体には気を付けてください!

2015-06-03

びっくり。

| 14:14 | びっくり。 - 幸福論 を含むブックマーク


別に自分が悩んでいるというわけでもないのですが、

FBを見ていて、知り合いの方が投稿されていた内容にびっくりしました。

それは、「大学を中退する、というと「なぜ?」と理由を求められるけれど、大学を卒業する、ということには特に理由が求められていないのはどうしてだろう?」という内容でした。

自分の感覚では、入学をしたら卒業をする、ということが当たり前になっていたので、

そうか~、そこに「なぜ?」を感じる人もいるんだなあ。とびっくりしました。


その方は、とても活動的で、様々な体験をしているようです。(FBで見ているだけなので、詳しくは分からないのですが……)

なので、普通に大学で過ごしている学生よりは、学ぶことも学んできている。

そうすると、残りの期間、大学で消化するだけの授業を受ける生活を送るよりは、

中退して、はやく社会に出たほうがいいかもしれない。

自分の中では、ほぼ中退の気持ちに偏っているけれど、みんなの意見を聞きたい。

というような考えがあったそうです。


いろんな方が、自分の経験をもとに回答をされていました。

「社会に出ると大学(かなりのブランドがある)を卒業したことが役に立つからやめない方が得。」

「いずれ院に入る予定であれば、学士号は取っておいた方が得。」

「親やまわりの人への義理がある。」

など、卒業する意味を回答されている方もいれば、

社会人の方からは、「社会に出てやっていくのはそんなに甘くないので、悩んでいる暇があったら今すぐにでもやめて会社で働くべき」なんて意見も出ていました。


わたしは大学を卒業した身にもかかわらず、「どうして卒業するのか?」を考えたことがなかったので、賛否両論の回答を見て、改めて考えてみたのですが……

わたしの場合、教育大学だったので、「卒業=教員免許を取得すること」になっていたのかなあ?と。

言ってしまえば、将来のための手段として大学が位置づけられていたのかもしれません。

でも、

大学という場=将来のための手段

と考えてしまうと面白みがないような。。。

でもでも、

わたしは大学に通っていて、それなりに面白いと思えていたけど。。。

この関係を言葉であらわせなくてもどかしいです。