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2014-07-31

戦う相手は。

| 11:56 | 戦う相手は。 - 幸福論 を含むブックマーク


昨日、こんな言葉を聞きました。


積み上げてきたもので戦うんじゃない

積み上げてきたものと戦うんだ


なるほど、と思ったのでメモしておきます。

ogymogym2014/07/31 19:29学生の時の友人は、積み上げてきたものを一度壊すんだ!と言っていとことを思い出しました。その後、積み上げてきたものはそれはそれ、ともかく今!という人もいました。それぞれの人が、それぞれに感じ考えているんだなぁと思いました。

自分の場合は、どうかなぁ^^…

mei-c5mei-c52014/08/02 06:15>>ogymさん
コメントありがとうございます。
どなたも積み上げていることは前提というところがすごいですね。
わたしも少しずつ積み上げて、自分の納得できる考えを見つけてみたいです。

2014-07-27

憧れ。

| 03:07 | 憧れ。 - 幸福論 を含むブックマーク


人をまとめたり取り仕切ったりする役を持つことがとても苦手なのですが、

今、なぜか名乗りをあげてそういう役についています。

それは、本当に単純な理由で、

最初にやる、と言った子がかっこよかったからです。


この時期、教育大の、しかも4年生ともなると

教員採用試験でみんな忙しく、できれば試験勉強の時間を潰す可能性のあるような役割には出来るだけつきたくない

というのが、みんなの思うところだと、なんとなく理解していました。


でも、誰がこの役をやろうか?という話合いになったとき、

その子が誰よりも早く

「すごくやりたいって人がいなければ、やらせてもらっていい?」

と言いました。

その言い方もかっこいい、と思いました。




つい先日も、その子に助けられました。

「辛いときはお互い様やん」

と言われて、わたしはハッとしました。


この子は「お互い様」を自分からしていて、

それも、自分だけが助けるのじゃなくて、

助けられるような力があるかも分からないわたしが助ける機会を待ってくれている。

そういうところが、かっこいいのかもしれないです。

そこに憧れて、わたしもやりたいです、とやっと言えたのだと思います。

FlipperKFlipperK2014/07/28 07:47 そういう人って素敵ですよね。私もあこがれます。そういうところから最も遠いところにいるので。

mei-c5mei-c52014/07/28 13:43>>FlipperKさん
コメントありがとうございます。
最も遠いというよりも、FlipperKさんにはまた次元の違うかっこよさを感じます。
あの子にとっては、それが無理のないかっこよさですし、
FlipperKさんも、やはりFlipperKさんにしかできないかっこよさを感じるんです。
わたしの味の出たかっこよさってなんだろう、と思います。。。

2014-07-25

ふたつの立場。

| 15:56 | ふたつの立場。 - 幸福論 を含むブックマーク


友達から、こんな話を聞きました。


個人指導を先生から受ける時間があるけど、

今はその時間を、基礎的な理論を学ぶ時間としている。

でも、自分は基礎の部分を感覚的に分かっているし、つまらないからやりたくなくて、

個人指導の時間では、もっと応用的な自分の楽しめることをやりたいのだ、と。


でも、先生の言い分としては、

感覚で分かっていて自分では表現できても、

常に自分の中から表現できることが生まれてくるわけではないから

誰かのものを学び取るときがやってくる。

人のものをしっかり学び取ろうとすれば、感覚だけではしっかりと学びとれない。

だからこそ理論が必要なのだ!となるそうで。




どちらの言いたいことも分かるし、どちらの言い分にも突っ込めるところはある、、、、ように見えるのですが。

ただ、ここで問題となっているのは、それぞれが自分の考えをゆずれない、というところかなあと思います。

だからこそ、二人の間で衝突が起きているのです。




友達の立場と、先生の立場

ふたつの立場に立って、自分がどう解決していくか考えてみました。


前者だったら、個人指導以外の時間に応用的なことを試してみて

いざ個人指導で基礎的な理論を学ぶ、となったときに

これは応用でやった○○の基礎的な部分かな?とつなげたり、

それを「○○ってやってみたんですけど、こことつながっていますか?」と先生に聞いてみたりするかなあ。

それか、感覚的に分かっている基礎の部分を、誰かに教えてみる、というのもいいかもしれないです。


で、後者だったら。

とにかく授業として理論を教えることが必須になっているのであれば、

わたしはこういう理由で理論が必要になると思うけど、

あなたはどういう理由で理論が必要だと思う?って聞いてみるかなあ。

でも、それだと必要であることは前提になってしまって、一方的になるか。

いやいや、でも、前提にしてしまった方が好都合なのか……。

いっそのこと、立場を逆転して、基礎の部分を教えて、と言ってみるのも面白いかもしれない。


理論を教えることが必須ではないのならば、きっと強要はしないと思います。

一番必要なところは、誰かから学び取るときにしっかり学び取って欲しい、という部分。

だとしたら、しっかり学び取るってどういう状態か?を具体的にしておいて、

こういうふうに学び取れるようになって欲しいんだけど、どうしよう?と考えてもらって。

その上で、理論を学べたほうがいい、と思えた時には学んで欲しいです。



うーん。

この問題、絶対に先生になったとしても直面することだと思います。

友達はどういうふうに解決するんだろう。

2014-07-24

ぞんざい。

| 01:29 | ぞんざい。 - 幸福論 を含むブックマーク


漫画の『真夜中の弥次さん喜多さん』や『弥次喜多 in DEEP』、動画「ならべうた」など、

さまざまな作品で知られる、しりあがり寿さんの本に

『ぞんざいな存在』というものがあります。


その中でしりあがりさんは、「ぞんざい」なものにリアルを感じる、と言っていて

それがなんだかおもしろいなあ、と感じました。




ぞんざいには、

・いいかげんに物事をするさま

・投げやり

・粗略

などの意味があるのですが、

わたしがしりあがりさんのその言葉の中から感じたのは

おおざっぱで、ざっとしていて、有り合わせで、中途半端で、、、

上で言うと、投げやりに近いイメージかもしれません。

でも、そういう感じでした。

こういうところにリアルがある、というのは、分からないでもないなあ、と思います。


だって、例えば彼氏が家で彼女の作ってくれたご飯を食べることになって、

「牛ほほ肉の赤ワイン煮込み」が出てくると、かなり頑張ってくれたな…!と驚くかもしれません。

でも、これが「あまりものの野菜が入った焼きそば」だと、ああ、いつも通りだなあ、となります。


「牛ほほ肉の赤ワイン煮込み」に比べ、「あまりものの野菜が入った焼きそば」はぞんざいかもしれません。

でも、そのぶん、リアリティ(生活感?)は増しています。





しりあがりさんはこうも言っています。


「いいんですよ、ぞんざいに生まれて、ぞんざいに生きて、ぞんざいに死んでいけば。それでも世界は絶対に美しい、それはもうしょうがないですよ。」




わりと、ぞんざいでもいいかも。

それすらも美しいものなのかも。

そう思った今日でした。

2014-07-23

合意形成

| 01:21 | 合意形成 - 幸福論 を含むブックマーク

今週も学生主催の会に参加してきました。

今日のファシリテーションは現職院生の方です。



最初にUbuntuカードでアイスブレイク。

はじめて聞く名前にびっくりしました。

なんだろう、ウブンツって。

なんかの儀式みたい。。。

でも、この「Ubuntu」という言葉は、アフリカのズールー語で「他者への思いやり」を意味するのだとか。

そう聞くと、なんだかそう思えなくもないような。

外国の言葉って不思議ですよね。


カードの中には、おもちゃや貝殻、時計などの写真がランダムに散りばめられていて

自己紹介をした後、自分の持っているカードと相手の持っているカードを見せ合い、

共通の小物を見つけて先に言った方が相手のカードをもらえる、という内容でした。




アイスブレイクも終わり、いよいよ本題です。

今回は、合意形成プログラムというものを体験させていただきました。

流れは、このような感じでした。


①ある物語を読み、出てきた登場人物(今回は5人でした。)に対して、好意を持てる順位を決め、番号をふる。

②グループに分かれてそれぞれの番号を見合わせる。

③グループ内で合意形成を行い、グループとしての、好意を持てる順位を決める。

④振り返り




わたしのいたグループは本当にそれぞれの順位がバラバラで、なかなか合意形成のやりがいがありました。

しかも、それぞれが自分の意見を曲げたくない気持ちが強かったのか、

どういう理由でこの順位にしたのかをメンバーが一通り説明し終えて、

さあ、グループとしての順位を決めていこう!となったとき、

お互いに一歩も譲らないぞ……!という雰囲気が漂っていました(笑)

それぞれが思い思いに主張をして、あーでもないこーでもないと時間ばかりが過ぎていきます。


この状況を変えたきっかけは、ひとりの子の

「そうかぁ」

という声でした。

「そう考えると順位が変わってくるかも」

誰かが言っていた主張に対して、理解をして、自分の感覚をそこへ寄せようとしていたのです。


そこからは雰囲気が一変して、主張するばかりではなく、「説得」「納得」というやりとりが増えていきました。

最後は全員すっきりと納得しきれずに、もやもやが残る結果となってしまったのですが、

それでも、なんとかグループでの順位を決めました。


振り返りで、別の子からこんな言葉が出ていました。


「言っていることはすごく理解できるけど、感情がついていかなくて納得できなかった」


そういう理屈は分かる。

分かるけど、どうも自分の感覚ではしっくりこない。

そんなことって多々あります。

以前こういう内容のことを日記に書いたとき、

それが誰の言葉か、という条件でも納得できるかどうかが変わってくるとコメントをいただきました。

これはつまり、自分の価値観を揺るがすほどの人からもらった言葉で、

ようやく、自分の中に落ちていく、ということだと思います。


納得というのは、それほどにすごいことなんだなあ、と改めて感じました。


全員が全員、本当に納得してすっきりした状態になることなんてあるの?


と、これもグループのうちの一人が言っていたことですが、

自由にも制限があるように、納得の状態にもきっと、それぞれが折り合いをつけるという制限がつくのではないか、と思いました。

kota_02kota_022014/07/25 06:59おはようございます。
とても面白そうですね。
>ある物語を読み、出てきた登場人物(今回は5人でした。)
物語の題名を教えていただけませんか?

mei-c5mei-c52014/07/25 15:41>>kota_02さん
『クルーザー』という題名で、ネットでは「クルーザー物語」と検索すると出てきました。
結構有名なお話なんですね。

ちなみにわたしの順位は
1医者 2ヨットマン 3彼女 4老人 5フィアンセ
でした。
検索結果からもいろんな人の考えを知ることができておもしろかったです!
ありがとうございました。

kota_02kota_022014/07/25 20:06ありがとうございました。
私は、こういった物語は苦手です。

mei-c5mei-c52014/07/26 15:39>>kota_02さん
そうなんですか。
会では苦手と言っている人がいなかったので、そのご意見とても新鮮に感じます。
もし今度これをやる機会があっても、苦手な人もいるんだなあという気持ちを持ってやることができそうです。
ありがとうございます。

2014-07-18

変化。

| 05:59 | 変化。 - 幸福論 を含むブックマーク


ときどき思います。

変化を起こす意味はあるのかなあ?と。


でも、そうやって行動を諦めかけるたびに、

変化を起こすことに意味を求めるのはやめよう、と思うことしています。


自分が信じることをしていても、そうでなくても

変化しないものは変化しない

変化するものは変化する


それならば、自分の信じることをやってみよう、と思えます。

scorpion1104scorpion11042014/07/19 07:09行動を諦めるときって、自分に都合のいい言い訳で自分を納得させることが私はよくわりますね。

で、諦めたことを後悔する時間がその後自分を支配することに嫌気がさすということが多々あります。

それぐらいなら、行動する方がいいんですけどね。
そういうところは、積極的に変えたいんですが(^^ゞ

mei-c5mei-c52014/07/21 23:01>>scorpion1104さん
そうなんですよね。わたしも、そんなことがしょっちゅうです。
最近では、後悔することは、学んで反省をしているようで、実は「○○じゃなければよかったのになあ」と現実逃避をしているのに近いのかもしれない、と思うようになりました。

できることならば、いつでも悔いがないような生き方をしたいです(^^)

toyohashi-starttoyohashi-start2014/07/22 21:56変化を起こすこと自体に、きっと意味はないのかなぁと思います。
というのも、結局それを意味づけするのは自分だったり、他者だったりするからです。

そういう意味では、自分にとってよい方向に向かえているかどうかが大事なのかなと思います。きっと、そこには後悔はないでしょうからね。

何はともあれ、自分にとって大切にしたいことについては、行動していきたいですね。
他が敗れまくっても(笑)

FlipperKFlipperK2014/07/23 10:31難しいことを考えるんですねぇ。すごいなぁ。まあ、私なんかは、やりたいことをやっているだけですね。

そういえば先日娘がオープンキャンパスにお邪魔しました。とても満足したようです。

mei-c5mei-c52014/07/23 23:11>>toyohashi-startさん
意味づけ、ですか…!そうですよね。
これって何の意味があるんだろう?よりも、ここからどういう意味を見出すだろう?の方が道が開けている気がします。
自分の大切にしたいことは、やはり感覚でこれ!と思うものなのでしょうか。
大切なものが多すぎて困ります。

>>FlipperKさん
今は時間的に思考の余裕がある分、余計なことまで考えてしまうのかもしれません(笑)
やりたいことをやって突き進めたら、それは素敵なことだと思います。

こんな田舎まで来てくださって本当にありがとうございます、とお伝えください。
お会いできなかったのですが、自然を堪能していただけたようでよかったです(^^)

2014-07-16

分けてもなくならない。

| 01:50 | 分けてもなくならない。 - 幸福論 を含むブックマーク

友達が、自分のやりたいことのために、一歩ずつ着実に進んでいっています。

見ていてうれしい気持ちになります。





そういえば、わたしが小さい頃に出した手紙の返事に、

「うれしいことは分けてもなくならない

それどころか、2倍にも3倍にも増えていくものだよ」

と書かれてありました。

わたしはこの手紙をくれた人に感謝をしていて、

今でもとてもだいすきです。


自分がそのときどんな手紙を出したのかはあまり覚えてないけれど、

その手紙に涙を流して喜んでくれたことと、

返事に書かれてあったその言葉だけは何故か強く残っています。


ふと、うれしい気持ちが増えていっていることで思い出した、昔むかしの話でした。

2014-07-12

叶う。2

| 03:15 | 叶う。2 - 幸福論 を含むブックマーク


昨日の日記の内容についてです。

夢は叶う、という言葉がけについてでしたが、様々のご意見をいただけました。

その中でも、


本当に願っていることならば、何かしらの行動を起こすはず。

そうでなければ、本当の願いではない。


このことについて、少し考えを深めてみたいと思います。

そうは言っても、願いと向き合うことが怖くなって立ち止まってしまうことはあると思います。

そんな場合の「願い」は本当の願いとは言えないのでしょうか?




願いと向き合うことを怖いと思って立ち止まってしまう

この状態を、目的論(アドラー心理学)では、

立ち止まるために怖いと思っている

と捉えることができます。


つまり、願いと向き合い、それが叶ったときの自分を想像して、

(いや、実際そうはならなくてもいいな。)と思っているのです。

だから、

「でもね、失敗したら……」

「だって、自分はそんなふうにできるかどうか……」

このように、ありとあらゆる理由をつけて立ち止まろうとします。


ラリー・スミスという人も「あなたに夢の仕事ができない理由」(https://www.youtube.com/watch?v=bHntsxwsVLI)で、立派なキャリアを求めつつも失敗する人について、同じようなことを言っていました。




「立派なキャリアを望むなら、自分の情熱を、夢を追い求めなさい。

 人生をかけて夢中になれるものを追い求めなさい。」

何度言われても、みんな、そうしないと心に決めている。

やらないと決意してしまっている。

スティーブ・ジョブズが卒業式でやったスピーチを何回見ようとも。

やらないと決意してしまっているのだ。

いろいろな理由をつけて、情熱を探さない言い訳をしている。




注目すべきは、失敗には上記の言い訳パターンと、もう一つある、というところ。

それは、「興味」で終わらせてしまうこと、です。

「~~がやってみたいんだ!」

「~~に興味があるんだ!」

必要なのは、そこから

何と比べて、どれだけ興味がある?

興味があって、それをどうする?

を考えていくことなのに。


面白かったのは、この情熱と興味について、恋人を例にして説明していたところです。




「結婚してくれ、君に興味がある」

これでは足りない。

情熱があれば、他と比べようがないほど深い愛情を注げる。

たくさんある選択肢の中から『運命』を探し出して、

愛情を注ぎ「続ける」こと。

愛情を注がない言い訳(仕事が忙しい、、、など)をしてしまったところで、それは失敗、なのです。



『運命』を探し出して、言い訳をせずに愛情を注ぎ続けられるのか。

わたしたちに問われるのはまさに、これなんですね。

(jun24kawa先生のブログにある通りのことです。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20050508/1172644081

kota_02kota_022014/07/13 13:03こんにちは。仕事に疲れたので息抜きに、あえて「夢」の負の面を考えました。
「あしたのジョー」のジョーは今日を生きていました。丹下段平はそのジョーに「明日」を教えました。ジョーは明日のために今日努力する歓びを覚え世界を広げましたが、「今」を喪いました。
ジョーは今日を生きていたのに、丹下段平に「明日」(夢)を与えられ、灰になってしまいます。
明日は、明日になると、さらに一日先に逃げます。「夢」とはそんなイメージです。
夢を持って、そのために今日を生きることは、内田樹氏が批判している、何かのために、という思考方法に近いような気もします。
ごめんなさい、あえて、負の面を考えました。ゲームとしてのディベートです。

私は、「願い」よりも「祈り」の方が好きです。
夢は、誰かに願うものでもないような気もします。

関係ありませんが、Bon Joviの「Livin’ On A Prayer」好きです。

minamiminami2014/07/13 14:40願いは叶うと思います。
ただ,それが本当にその人にとって必要な願いなら,そして,その人が本当に本当に願っているのなら,そして願い続けるのなら,という前提でですが。

minamiminami2014/07/13 14:40願いは叶うと思います。
ただ,それが本当にその人にとって必要な願いなら,そして,その人が本当に本当に願っているのなら,そして願い続けるのなら,という前提でですが。

mei-c5mei-c52014/07/13 22:14>>kota_02さん
日曜日までお仕事お疲れさまです。
違った視点からのコメントをいただけて嬉しいです。
ジョーのように、未来のための今を生きることで今を見失うこともあるかもせれませんよね。
「あしたのジョー」をちゃんと読んだことが無かったのですが、このお話を踏まえて「立て、立つんだジョー!」という台詞を改めて見てみると、今までは励ましと捉えていましたが、少し酷な気もしてきました。

Bon Joviといえば、わたしはIt's my lifeを思い浮かべます。
その中にはこんな歌詞がありました。
No silent prayer for the faith-departed(信じることを失った者は祈らない)
「Livin' On A Prayer」聴いてみます。


>>minamiさん
お久しぶりです。
ブログへコメントしていただいて、ありがとうございます。
コメントを拝見して、本当に必要な願いは叶ってから「あ、これって自分にとって必要だったんだ」と気づくこともあるのかなあ、と考えました。
(それが本当に必要な願いかを見極めることが難しい場合、です。)
願い続けること、大切ですよね。

kota_02kota_022014/07/13 23:24こんばんは。
「It's my life」に出てくる、夢をあきらめなかった、Tommy and Ginaの物語が、「Livin' On A Prayer」です。偶然だったので、コメントしました。

「This ain't a song for the broken-hearted
 No silent prayer for the faith-departed」
(夢をあきらめてしまった者への黙祷でもない)
という感じで、Bon Joviは絶望した者に対して冷たいですね。

mei-c5mei-c52014/07/16 00:16>>kota_02さん
確かに、Tommy and Gina出てきますね!
こんなところに繋がりがあったなんて、おもしろいです。
絶望した者に対して冷たい、というか、自分が絶望してしまわないようにわざと冷たくしているようにも感じました。

2014-07-11

叶う。1

| 23:39 | 叶う。1 - 幸福論 を含むブックマーク


「夢は叶わない」と言われました。

バイト先の尊敬している人から、です。


理由は、死ぬほど努力しても、叶うかどうかわからない。そういうのを、夢と呼ぶのかもしれない。だとすれば、安易に叶うと言ってしまいたくないから、だそうです。


そう言われてみると、確かに、他人が根拠もなく夢は叶うと言ってしまうことは無責任なのかなあ、と感じます。

でも、わたしが叶うと言うときは、予言するためだけに口にしているのではなく

叶えばいいのになあ、と純粋に思っているだけのような気もします。

叶えばいいのになあ、が強すぎて、叶うよ、とか

あなたならできるよ、と言ってしまうんだろうな。

setoutisetouti2014/07/12 20:40mei-c5さん、様々に考えを巡らしていらっしゃるようです。お見事です。
さて、先日、苫野一徳さんの「自由」についてお話を聞く機会がありました。私自身、もやもやしたものがあったのです。子どもたちの未来の幸せについてめざした所が叶えられないことの方が多いのではないか。苫野さんは、「欲望の中心点を変える」という視点で、話を最後にして頂きました。不幸感は〈自身の欲するところ(欲望)と実際(現実)とのギャップ〉と分析されていました。それを解決する方法は3つ、欲望のレベルを下げる、自身を高める、そして、欲望の中心点を変える。私は目が覚めたような感じを受けました。夢は変えられるのです。そういうことだと考えます。個人の幸せの追求のためにこのような考え方は必要だと思いました。

FlipperKFlipperK2014/07/12 20:51お久しぶりです。かなえたいと願うものをゆめというのだと私は思います。

FlipperKFlipperK2014/07/12 21:12そういえば、うちの長女がそちらのオープンキャンパスに伺うようなことを申しておりました。(岡山の会で受付をしていたあれです)奇跡的にお目にかかるような偶然があったら、一声かけてやってください。バカ親より。

jun24kawajun24kawa2014/07/12 21:42願いは叶います。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20050508/1172644081

mei-c5mei-c52014/07/13 01:46>>setoutiさん
コメントありがとうございます。
「欲望の中心点を変える」とはどういうことなのか、掴みかねるところがあります。
これはつまり、「目指す先は同じでも、そこへ行くための方法が違う」ということなのでしょうか。それとも「目指す先自体を変える」ということなのでしょうか。
後者である場合、その切り替えのポイントがどういうものなのかも気になります。
それとも、「欲望の中心点を変える」とは、もっと次元の違う話なのでしょうか。十分な理解ができていなくてすみません。お時間がございましたら、教えてください。
(自分でも苫野さんの著書やネットに出ている文をあたってみます!)
また新たに考える視点をいただけて嬉しいです。ありがとうございます。


>>FlipperKさん
お久しぶりです!
>かなえたいと願うものをゆめという
わたしもそう感じています。
それに対してのアプローチの仕方が、人それぞれなのでしょうね。

オープンキャンパス、確か来週の日曜日でしたよね。
もしかしたら大学にいるかもしれないです。是非お会いしたいですね~。
今回キャンパスの案内役ではないので、邪魔にならない程度にうろうろすることにします(笑)


>>jun24kawaさん
本当に願うことは興味では終わらない、ですね。
情熱を感じます。
ありがとうございました。

2014-07-09

学んだ方が良いこと。

| 00:54 | 学んだ方が良いこと。 - 幸福論 を含むブックマーク


先週に引き続き、今週も教育ビルドという学生の会に参加してきました。

今日は全員で7人。1年生から院生まで幅広い層の参加者でした。

それぞれが話し合いたいことを出した結果、今日のテーマは


「子どもが学んだ方が良いこと」


に決定。

3人と4人に分かれて、それぞれのグループで「今学校で授業をしているけど、そのことも含め、本当に学んだ方が良いこと、学ぶ必要のあることって何なんだろう?」と話し合いました。


わたしたちのグループは、日本語や数字といった教科に関係するものから始まり、多数の候補が上がりました。

・日本語(書く力、読む力)

・数字(時計の見方、九九、お金の使い方)

・道徳

・礼儀

・人との関わり方(家庭・恋愛、心理学、哲学)

・食育、体のこと

・情報

・自分の将来(夢)を考える

・日本、世界の将来を考える

など、など。。。

3人で出し合ったのですが、あれも必要、これも必要、結局今の授業でやってることもあるに越したことはないよね!と、どんどん増えていきます(笑)


こうして出し合った中でも、特に学んだ方が良いと思うこととしてピックアップされたのが、

<人との関わり方>でした。

人と関わっていくことは、社会へ出ても必要だけど、うまく関われないことも多いよね……と、人と関わる上で苦労した話などをして、特にどういうことで苦労したのかを考えていきます。

すると、


空気を読む & 自分の考えを主張する


この2つのバランスを取ることが難しい!という意見がでました。

空気を読みすぎると、その場はなんとかまとまるかもしれないけれど、本当に自分が言いたいことが言えない場合がある。

でも、自分の考えを主張しすぎてしまうと、今度はただのわがままになってしまう可能性もある。

ここのバランスを絶妙に保つことが必要なんだ、ということです。


この、自分や相手の人権を尊重した上で、自分の意見や気持ちを適切な言い方で表現することを

「アサーティブ」なコミュニケーションと言います。

(と、偉そうに言ってますが、今日院生さんから習ってきました。笑)

わたしは、このアサーティブなコミュニケーションというのが、「折り合いをつける」ということと似ていると考えます。

他者の考えも大切で、自分の考えも大切で、その中でもより良い妥協点を見つけていこうとする考え方は、どの環境にいたとしてもあって損はないはずです。


そして、学んだ方が良いこと=アサーティブなコミュニケーション、とした上で

じゃあ、これを学べる時間って、実際のところ、あるの??という疑問が浮かびました。

今の学校の状況で見れば、

・学活、特活

・休み時間

・放課後

・修学旅行などの自由時間(自分たちでどこを回るか決めたりする)

・音楽祭や体育祭などの行事

学外では、自然学校もこういうことを学べる良い場所ではないか、という意見がでました。


でも、1年間朝から夕方まで学校にいるはずなのに、学べる時間は案外少ないよね、という気づきに至りました。

ここで、時間がきたため、話し合いは終了。


もう一つのグループでも、コミュニケーション力が挙がっていて、

わたしたちのグループと違ったのは、コミュニケーション力を学ぶって、具体的には「何を」だろう?と考えていたところです

・相手が自分と同じ気持ちとは限らないということを知る

・自分の考えを伝える大切さ

の2つが出ていました。




とても楽しく話し合いができて嬉しかったです。

実習先の子とならまだしも、教育大の将来先生になりたい人たちと、

「えー、かけ算って必要!?」

「いや、知っといたほうが便利ですよ」

「計算機あるのに~?」

「せめて、九九くらいは……」

「時計の見方を習ったけど、あれは絶対に必要だと思う」

「でも、デジタルだったら別にいらないんじゃ……」

みたいな話をするなんて、思ってもみなかったので。

ogymogym2014/07/10 22:22>>1年間朝から夕方まで学校にいるはずなのに、学べる時間は案外少ないよね、という気づきに至りました。

そこで! とテレホンショッピングのノリでフリップ出してみたいですね。『学び合い』ですよ~って。ああ、『学び合い』紹介のプレゼン一つできそうです^^;

mei-c5mei-c52014/07/11 22:41>>ogymさん
そうなんですよね。そこで……と繋げていきたいです。
実は全体で話す時間はなかったのですが、会の後にご飯に行ったとき、一年の子と『学び合い』についてじっくり語り合えました!
自分でもやってみたいと言っていて、見捨てたくない、という部分にも共感してくれています。
何より、既に本を買ってるそうなんです。期待大、です(笑)

2014-07-07

防止する。

| 02:03 | 防止する。 - 幸福論 を含むブックマーク


いじめ防止対策推進法について調べていて、疑問に思ったことをメモしておきます。


いじめ防止対策推進法は、昨年から施行されていて

この施行のきっかけとなったのは、一昨年の大津市中2いじめ自殺事件です。

この事件から、防止対策についてだけではなく、

いじめとはどういうものなのか、その定義をもう一度見直し

学校はどう対処していくのか、具体的な対処法も考えられました。


その対処法の一つに

>必要があると認めるときは、いじめを行った児童等についていじめを受けた児童等が使用する教室以外の場所において学習を行わせる等いじめを受けた児童等その他の児童等が安心して教育を受けられるようにするために必要な措置を講ずるものとする。

とあって、ここがわたしの疑問に感じたところです。

これはつまり、教室を分けて授業が行われる、ということ。


でも、そうまでして受ける教育って何なのでしょうか?


わたしが小学生のとき、同じような措置をされていたとしても

安心して教育を受けられる状態にはならなかったと思います。

教室が離れていても、この学校に自分をいじめる子がいることには変わりないんです。

じゃあ、授業時間以外はどうすればいいのでしょうか?

それから、放課後、休みの日は?

いじめられて不安な気持ちは、その子が見えなくなったら消える、という単純なものではありません。

その子の存在自体が消えてしまえば、まだ楽になるかもしれないけれど、そんなことは実際、起こるはずもないのです。








それから、いじめを防止しなければならない、の主語が一体誰なのか?


というところにも疑問を感じました。

いじめを防止(または解決)するのは、教師や関係機関の人たちだけなのでしょうか。

教師や関係機関の人たちは、その子たちが大人になってつらい状況に陥ったとき、助けに駆けつけてくれるのかというと、必ずしもそうではないです。


でも、と思います。

わたしはいじめを受けて死にたくなるような環境にまで追い込まれたことがないから、こんなことが言えるのかもしれない。

実際のところは、どうなんだろうなあ。

ogymogym2014/07/09 22:29いじめている(ように見える)子が、いじめられた!と訴えてくることがよくありました。保護者も子供も。文言にすると、難しい…

mei-c5mei-c52014/07/10 01:02>>ogymさん
とても、わかります。
自分がいじめる立場を経験しているぶん、いじめられるという立場に対して敏感になるのかもしれないな、と。これはわたしの数少ない経験のみから考えたことですが、そう思います。
でも、訴える声が大きい者だけが思い通りになるとすれば、それは少し悲しいことですね。

2014-07-06

一般的に変換。

| 06:07 | 一般的に変換。 - 幸福論 を含むブックマーク


人のプレゼンを聞いていて、この伝え方はうまい、と思う瞬間があります。

それは、かなり専門的だなあ…と思われるような内容が、素人のわたしの頭にすとんっと落ちてくるときです。

この一瞬に、どんな力を魔法が使われてるの!?と思ったので、そうなったときの状況を思い出してみました。


・話している内容が身近に感じられた

・過去にそんな経験があった、または容易に想像がついた

・自分の生活でも使えそうな気がした

・他の興味があることと関連付けができた

・衝撃的、印象的だった


こうして挙げてみると、

聞いている人からすれば遠い存在のものを、シンプルな言葉で、その人にとって身近で意味のある存在のものに変換する

というところに魔法がありそうです。


でも、魔法というだけあって、これはなかなか難しいことだと思います。

なぜなら、プレゼンをする人=そのプレゼン内容について詳しい人、だからです。

詳しければ詳しいほど、その人の見方が一般的ではなくなり、プレゼン内容を一般化(その内容を知らない人にとって分かりやすいものに)しづらくなります。


それから、聞いている人数によっても、難しさが変化するのではないかと考えます。

聞いている人が一人であれば、その人の身近なものってなんだろう?と考え、

それに合うように伝えていけばよいのですが、

大人数だった場合、その人の数だけ「身近なもの」があって、

それに対応するには、伝える内容を限りなく一般化しなければならなくなるのです。

上手なプレゼンは、ここのさじ加減がとてもうまく出来ているんだな、と思いました。

2014-07-04

くだらない話。

| 17:14 | くだらない話。 - 幸福論 を含むブックマーク

水曜日のことですが、教育ビルドという学生の主催している会に参加してきました。


毎回やっていることは自由で、集まって活動内容を決める、ということも多いのですが

その日は「何かについてとことん語り合いたい!」という人が多く、

4人グループ3組で話し合うことになりました。

話し合う内容もそれぞれが自由。

このメンバーが集まれば、こういうテーマになるんだ……という面白さもあるから、あえてテーマは統一せずにいこう、と意見が出たからです。

「最後には自分たちがどんな話合いをしたのかを、ここにいる人たちに向けてどんなかたちであれ発表すること」を目標に、話し合いが始まりました。


わたしのグループには、3年生1人、2年生2人がいます。

さて、どういう話をしようね、となったとき、2年生の子が

「僕、ずっとやってみたかったんですけど、くだらない話を真剣に話し合ってみたいです」

「教育のことについて話し合うのも面白いけど、例えば、ジブリ作品ってなんであんなに人気なんだろう?とかそういうテーマでもいいと思って」と。

その言葉から、すぐにテーマが決定して、

それぞれのジブリ作品についてのイメージを話していきました。


物語の構成、物語から伝わってくること、この作品はどんな人に人気、などを話したあと、

登場人物の話になり、その物語の主人公がどんな意志を持っているのかが話題の中心になりました。

そこから、多くの物語に共通するのは、この主人公たちの意志がぶれることってあまりない、という点ではないのか?

わたしたちは、そういうところに惹かれて、ジブリ作品を見たいと思うんじゃないだろうか?

最終的にはそういう意見が出ました。

くだらない話を、、、なんて言っていたわりに、結構考えさせられるところのあるまとめです。




他のグループでは、

「どうして人にやさしくしなければいけないの?」

「理想の人って?」

というテーマで話し合っていて、時間があればその話もぜひしてみたかったなあ、と思いました。


集まって話す、といっても、こういう内容を話すことはあまりなかったので、貴重な体験をした夜でした。

2014-07-02

やり抜く力。

| 02:58 | やり抜く力。 - 幸福論 を含むブックマーク


TEDの動画を見ていて、面白いスピーチを見つけました。

教師から心理学者になったAngela Lee Duckworthという人のスピーチです。

彼女は、教師時代に数学を子どもたちに教えている中で

IQだけが優等生と劣等生の違いではない、ということに気づきました。

例えば、頭がいいなあ、と思う子のテストの点数を見てもあまり成績がよくなかった、というように。

でも、彼女はこう考えました。


「どんな生徒も十分な時間をかけて一生懸命勉強すればその習得は可能だ」


そのために何よりも必要なのは、動機付け。

これは、心理学の観点から生徒や学習についてもっとよく理解することが必要だ!

と、そんなわけで、心理学者へと転身したのだそうです。




学者になって彼女が調べたことは、

IQでは測れない学校や人生でうまくやっていくための力とは何なのか?」でした。


対象となったのは、様々な超挑戦的な環境に置かれた子どもや大人。

これは例えば、陸軍士官学校の大人や、全国スペリング・コンテストに参加した子ども、

民間企業の販売員、更には教育的困難な地区で働く新米教師など。

本当に偏りなく、ありとあらゆる分野を網羅しています。


この調査で注目したのは2点。

①誰が成功したのか

②それはなぜなのか

この共通項を見つけていけば、「IQでは測れない学校や人生でうまくやっていくための力」が何なのか、見えてくるはずだと、彼女は考えていたのです。


調査の結果、見えてきたのは、

成功を大きく左右する特徴が「やり抜く力」だ、ということでした。

では、この「やり抜く力」がある状態って、一体どんな状態なのか?


それは、自分の長期的な目標に向けての情熱や、そこに向かい続ける忍耐力を持っている状態、ということです。

彼女はこれを「明けても暮れても自らの将来にこだわることだ」と言っています。


一週間や数ヶ月そこらではなく、もっと長くにわたってこだわり続けるなんて、相当の情熱や忍耐力が必要なんじゃないかなあ、とわたしは思います。

どうすれば「やり抜く力」をつけることが出来るんでしょうか。

このことに関しては、正直なところまだわかっていません、と彼女は言っていました。

ただ、データとしてはっきりわかっていることは


「やり抜く力」と才能は違う


ということです。



今のところは、アメリカの心理学者キャロル・ドウェックさんという人の研究で、

「成長思考のある子どもがより持続的に勉強に向かえる」というものがあり、

それが「やり抜く力」を育てる上で有効ではないか?と考えられています。

成長思考とは、学習する能力は固定されていなくて、努力によって変えられる(これを『拡大理論』と呼ぶそうです)と信じていること。


つまり、子どもたちに拡大理論的な思考が備わっていると、

たとえ失敗をしたとしても、自分の持っている能力はこれで出し切った、だからもう無理なんだ、と途中で諦めてしまうことが少なくなり、

それが「やり抜く力」へ繋がるということです。


ここからは、わたしの思うことなのですが

「やり抜く力」は今、個人につけるべきものとして見られています。

でも、ひとりの「やり抜く力」が誰かに影響するということは考えられないでしょうか?

「やり抜く力」は、育てるという観点からだけではなく、

影響させる、広めるという観点から見ることはできないものか。

調べたわけでも調査したわけでもないのですが、そんなことが気になりました。

2014-07-01

分かる、の違い。

| 02:03 | 分かる、の違い。 - 幸福論 を含むブックマーク


この前、学び終えるのに要する時間は個性を反映している、という記事を見かけました。

これはどういうことかというと、分かった!と感じる瞬間が、人によって違うということです。

分類は、この4つ。


①内容を覚えたとき

②問題が解けたとき

③自分で再現できたとき

④これまで勉強してきたこととの関連付けが行われたとき


下に行くほど、分かった!となるまでには時間がかかります。

このことから、記事では

キャロルの時間モデルに基づいて、子どもに動画講義などの独学ができる教材を与えると

これまでの授業では①、②止まりだったところ、

③、④までたどりつく子が増える可能性がある。

と書かれてありました。


なるほど、こういう考えのもと、反転授業が出来たりするのか…!と思います。

教師がサポートできないところも、自分のペースで学んでいける、ということですね。





さて、記事とは少し違うことですが、ここからはこの4つの分類から、

学びの深まりとそのきっかけについて考えたことをメモしておきます。


学びの深まりというのは、例えば、学校で勉強をしていて

分類①の段階で「よし、分かった!」と感じたとします。

すると、心の中ではこういう図式が出来上がります。


分かった = 満足(安定)


おそらく、とってもいい気分。

わたしは、2年生で7の段を諳んじることができたとき、とっても嬉しくて泣きそうになったということを今でもうっすらと覚えています。(これが、本当に苦労したんです。)

でも、その満足した余韻に浸っているままでは、この段階にとどまることになります。

次の段階へ行くためには、この「よし、分かった!」という状態を揺るがす出来事が必要です。


分かった…? = 不安定


この図式になるためにはどうすればいいのか、というと、問題に出会う必要があります。

問題に出会って、覚えていた内容を頭から引き出してきて、解いてみて、、、

そしてまた「よし、これが解けたんだから、もう分かったぞ!」と安定状態になります。

この状態から次の段階へ行くためには、またそれを揺るがす出来事が必要となり……


と、このようにして「分かった!」「分かった…?」を繰り返して

より深い学びになっていきます。


でも。

と、思います。

学びの深まりがこの繰り返しで出来ていることを知らなければ、

どうやってこの分かった!の安定状態を自分自身で勝手に揺るがせばいいのか、

そのきっかけすらどう掴めばよいのやら、、、となります。

(知らなくても感覚でスイスイ出来てしまう人もいると思いますが。。)


その点、『学び合い』はこの繰り返しを他者と補完し合いながら、

日々試行錯誤することができるようになっているんだなあ、と感じました。

ogymogym2014/07/03 00:49なるほど、です。歌謡曲の歌詞の意味が年齢を重ねたころに「ああ、こういうことか」と腑に落ちること多数…。④に子供時代にたどり着くか、いつたどり着くか、たどり着けないかも、人によりけりなのだろうなぁと思いました。

mei-c5mei-c52014/07/03 03:02>>ogymさん
わたしにも、小さい頃は訳も分からず歌っていた歌詞の意味を後になって知る、という経験がありました(笑)
確かに、④はたどり着くタイミングも違えば、関連付けですから何度だって起こり得るので、そこも人によって違うのでしょうね。
勉強ってすぐに結果が出るものではないとつくづく思います。