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2014-04-25

促織。

| 03:09 | 促織。 - 幸福論 を含むブックマーク


今、漢文を読んでいます。

促織(こおろぎ)というお話です。




昔、上の位の人たちの間では、促織を闘わせて遊ぶことが流行っていました。

そこで、上の位の人に媚びようとする者は、促織を献上しました。


しかし、促織は非常に価値があって高いものだったため、

(流行り物の価格が高騰するのは、今も昔も同じことですね。)

一匹を献上するだけでも、村の家2~3軒が生活していけなくなるほどでした。


それなのに、無理な取立てはずっと行われ、

あるとき、成名という男が、促織を献上するためのお金を村で集める役目になってしまいました。


成名は村の人たちに無理にお金を取り立てることもしなければ、

自分でそのお金を払うこともできず、

困り抜いて命を絶とうとします。


それを見た成名の妻は、こんなことを言ったそうです。


「死んで何の益があります。

 自分で行って探すのがいいじゃありませんか。

 万一見つからないとも限りませんよ。」





この言葉、少し冷たいようにも思いますが、わたしはこの妻を尊敬します。

夫が命を絶とうとしているそのとき、

こんなに前だけを見た言葉をかけられるなんて、すごいなあ、と。

ひとつも後ろ向きな要素がない上に、とても力強いです。


こんな人、どこかで見たことあるなあ、と思っていたのですが、

今さっき、その正体がやっと分かりました。

わたしの母でした。

karakusa01karakusa012014/04/26 23:02いい話ですね。明日はわが身ですか(笑)
今日は『学び合い』中国の会ありがとうございました。ゆっくり話ができなくて残念でしたね。次の機会にまたゆっくり話しましょう。

mei-c5mei-c52014/04/27 12:49>>karakusa01さん
わたしも前向きなところを見習いたいです!

昨日は大変お世話になりました。
karakusa01さんが会で出された疑問点(お悩み)について、今まで深く考えたことがなかったので、とても勉強になりました!
またぜひ会などでお話しさせてください。

karakusa01karakusa012014/04/29 06:20少し補足?説明?
2次障害云々という話…
簡単に言うと僕の熱意の問題だったと思っています。『学び合い』に囚われすぎて周りの子達を動かそう動かそうとした結果なんだと思います。その裏にはその子をどうにかしようという願いがありましたが、その子やその保護者の方には関係ありません。その学年は今年持ち上がりです。『学び合い』のセオリーはあると思いますが、そこは今回中国の会で学んだあの手この手を試行錯誤してがんばろうと思っています。
長々とすみません。

2014-04-22

いよいよ。

| 02:14 | いよいよ。 - 幸福論 を含むブックマーク

今週末は中国『学び合い』の会があり、

わたしも参加させていただく予定です。

今週はそれを楽しみに乗り切ります。


久しぶりに、あと4回寝たら~……とカウントダウンするほどワクワクしています。


6月は実習があるので、おそらくしばらくは『学び合い』の会にも行けないです。

だから、何ヶ月分か、いっきに充電してこようと思います!

あ~楽しみ~~。

FlipperKFlipperK2014/04/24 06:49お待ちしています。今までにないような会になるかもしれません。お楽しみに。

mei-c5mei-c52014/04/26 02:35>>FlipperKさん
とても楽しみにしております。

2014-04-21

感覚。

| 01:29 | 感覚。 - 幸福論 を含むブックマーク


いよいよ大学も4年目、卒業論文の題目提出です。

明日は自分の興味のあるテーマを持ち寄り話合いを行います。


自分の興味のあることが、少しでも誰かの役に立つことに繋がれば、幸せです。


けれど、全く興味が無い、もしくは自分の感覚に合わないことをしていると、だんだん苦しくなってきます。

働き始めると、そういうことは山ほど出てくるはず。

こんな苦しい状況を乗り越えるためには、やはり自分ひとりでは難しいんだろうなあ、と思います。


学び合い』の空間はわたしにとって、ほっとするような空間です。

楽しいことばかりではないかもしれません。

でも、苦しくても、どこかでほっとできる空間じゃなければならないと思います。


おそらく、『学び合い』をされている方、知っている方、それぞれに

学び合い』のイメージがあると思います。

具体的に語れるようになればもっといいのでしょうけど、

わたしはまだ感覚的にしか、これかな?と思うものをつかめていません。

自分の中のイメージが、まだぼやけているからかもしれないです。


どんどん文字にしていって、誰かにこの感覚を伝えたいなあ。

2014-04-20

痛い。

| 01:59 | 痛い。 - 幸福論 を含むブックマーク

3日間の重度訪問介護研修を終えました。


研修中、力強く生きていこうとする方々のエネルギーをいただいた一方で、

個人的にショックな出来事があり、とても落ち込んでいます。

考えないようにしてみても、どうしてもそのことばかりが頭をよぎり、

苦しい気持ちになります。


どうか、どうか、

学び合い』の考え方がはやく、ひろく、しっかりと伝わって、

こんなことが起こらなくなってほしい。

わたしたちが達成すべきことは何で、それはいつまでなのでしょうか。

at.taat.ta2014/06/13 17:47ここでは、はじめまして。
京都もんです。この数週間、府北部で学んでおります。(近隣に特支学校があります)

難しい状況に遭遇したのですね。コメントするのも難しいのですが…。
まず、自分の健康を維持せねばなりません。働けなければ、将来の改善もなくなりますので。
そのうえで、たとえば学校で経験したことの原因は何か、自分が個人あるいは組織でできることが何か、考えることになるのでしょう。
いっぽうで、ご自分の感情はしっかり、受け止めてあげましょう。もし感情を抱えきれなくなった場合に備えて、あらかじめ誰か相談できる人を探しておくのも、一手です。

私も、教育に間接的に関わる者として、その思いを共有したいと思います。同じ思いでいる者がいることを、忘れないでください。

mei-c5mei-c52014/06/16 23:19>>at.taさん
はじめまして。もしかして会でお会いした方でしょうか?
もし勘違いでしたらすみません。

あの出来事は、何度思い出しても胸が痛みます。
それが、わたしは今一体何ができているんだろう?(このままでいいの?)という焦りになります。
でも、こうしてコメントをいただけると、言葉にはしていなくても、思っている人はもっともっとたくさんいるのだと、心強く思います。
本当にありがとうございます。
わたしはまだまだ、頑張れそうです。

2014-04-19

ほっこり。

| 23:21 | ほっこり。 - 幸福論 を含むブックマーク

久しぶりに友人の家に泊まりに来ました。

友人は去年国試に受かって看護師の仕事をしています。

職場では分からない単語が飛び交い、新しい薬もどんどん出るため、

全てメモをしておいて、休みの日にまとめて調べているそうです。


「勉強熱心やね~」と調べているのを横で見ていると、

「熱心とかじゃなくて、分からんままやと患者さんが困るし」だそうです。

でも、面倒だとか何とか言いながら、何だか楽しそう。

いいなあ。

誰かのために何かをすることで、こんなに楽しそうな友人が素敵だな、と思いました。

FlipperKFlipperK2014/04/20 08:47 楽しいのが一番です。私は教師を続けている一番の理由は、楽しいからです。ほかに取り柄がないと言うのもありますが…(ホントに取り柄なのか???)週末遠くからお越しいただけるということで、またお目にかかれるのを楽しみにしています。私はともかく、ゲスト2人の話は500円では安いと思える内容になるはずです。

mei-c5mei-c52014/04/21 00:16>>FlipperKさん
最高に素敵な理由だと思いますよ(^^)
今週末、とても楽しみにしております。
前回の岡山の会も楽しかったですが、今回も楽しくなりそうですねえ。
FlipperKさんも含め、みなさんがどのようなお話しをされるのか、今からとてもわくわくしております!
それから、『学び合い』の会ではいつも値段では換算できないほどのことを学ばせていただいてます。本当にありがとうございます。

2014-04-14

記憶。

| 03:05 | 記憶。 - 幸福論 を含むブックマーク

人間の記憶には、3つの能力があるそうです。


記銘 : 新しく記憶を取り入れる

保持 : 記憶を保管しておく

想起 : 記憶を思い起こす


これらの3つのうち、どれか1つでも欠けてしまうと、日常生活に支障が出てしまう、と言われます。

それだけ、記憶というものは人間にとって大切なものなのです。




最近、認知症による記憶障害(短期記憶障害)を持った方と接する機会がありました。

短期記憶障害は、例えば、物忘れなどが多くなり、繰り返し同じ話をしたり、何度も日にちを確認したりするような症状

つまり、最近の出来事を思い出せない状態になることです。


認知症は、短期記憶障害から徐々に長期記憶障害(昔の出来事を思い出せない状態)へ移行していくので、

その方はまだ認知症の初期症状とのことでした。


「すごく美味しい~!」と言いながら夕飯を食べたはずが、

2時間後に「今日の夕飯はなんだった?」と聞かれると、

「うーん、なんだったっけ?」となります。

あんなに美味しくて嬉しかった気持ちが、ぽん、と何処かへ消えてしまうのです。


夕飯ならばまだいいのですが、その忘れてしまうということが、もっと違う形で利用される可能性だってあります。

例えば、貸していないお金を貸したと言われて騙されるなど。

こうなってしまうと、安心して人を信用することができなくなり、

信頼できる人でさえ、疑ってかからなければならなくなります。


今日、本当にその方のことを思っている人の口から、

「自分さえも疑ってかかるように言ってある」

と聞いたとき、悲しい気持ちになりました。


心配しているからこそ、そのような言葉をかけることができるのかもしれないけれど

わたしなら、騙されてもいいから全部信じていたいなあ、と。

なんとも言えない、辛い気持ちになりました。


記憶って、人間関係すら変えてしまう不思議なものなんですね。





そういえば、わたしの祖父も、認知症の症状がありました。

わたしは遠方で生活していて、会いに行ける機会も少なかったため

だんだん長期記憶障害へ移行したというよりは、ある日突然長期記憶障害へ移行したというイメージが強かったです。


帰省して病院へ面会に行った日、

「あ、もうわたしの名前を読んでくれることは、二度とないんだ」

とはっきりわかりました。

人が亡くなったときの悲しさとはまた違う、不思議な悲しさです。


おじいちゃんがいるのに、おじいちゃんがいない。

というより、おじいちゃんの中に、わたしがいない。


不思議で、泣きたいのにどう泣いたらいいのか分からないくらい不思議でした。

あの日のあの悲しい気持ちは、本当にはっきりと覚えています。

祖父はあのとき、いったいどんな気持ちだったのだろう、と思います。



記憶障害を持つ人にとっての幸せって、なんなのだろうなーと、今日はぐるぐる考えていました。

2014-04-12

固定概念。

| 02:28 | 固定概念。 - 幸福論 を含むブックマーク


今日は、研修で脳性麻痺の方のお話を聞いてきました。

脳性麻痺は、その特徴として、重複障害(脳性麻痺+いろいろな障害)が多くみられるそうです。

例えば、精神発達遅滞や視覚障害、言語障害、てんかん、嚥下障害など……で、

中でも、言語障害は6~9割とかなりの高確率だそうです。


お話をしてくださった方も、言語障害を持っていて、

ゆっくりと発音していても、なかなか聞き取りづらい箇所がありました。

そんなわけで、今日はこうした言語障害を持った人たちとうまくコミュニケーションをとるためにはどうすればよいのか?ということを中心にお話してくださったのでした。


まず、最初に「僕がなんと言っているか当ててみてください」とクイズ形式で自己紹介が始まり、

名前や出身地を言ってくださったのですが、

名前や地名というのは、普通の会話と違って予備知識が無いため、推測しづらくて、

当てるのがとても難しかったです。


このように、なかなか聞き取れない!と困ったとき、

例えば、「○○町」の「町」だけなら聞き取れるんだけど~…という場合には、

「なに町ですか?最初の文字は?」

というふうに、どんどん限定して、詰めて聞いていくと良いそうです。

そうすると、伝える側としても、どれだけ伝わっているのかが分かりやすいのだとか。




それから、印象的だったのは、

趣味を言っているときに、これは名前や地名と違ってある程度推測もできるだろう、と思っていたのに、壊滅的に聞こえなかったことです。

「趣味は、○○、○○、○○です」

3つ言っていることは分かるのに、どれも未知の単語に聞こえます。

えー!?

前後は聞こえているのに、どうしてこんなに分からないんだろう???

と不思議に思いました。


正解は、

「趣味は、酒、タバコ、競馬です」

でした。


正解を聞いたとき、どうして未知の単語に聞こえてしまったのかがやっと分かりました。

わたしは、無意識のうちに「この人はたぶんそんなことをしないだろう」と思い込んで、勝手にその単語を頭から排除していたのです。

その証拠に、正解を聞いたあとだと、確かにそう言っていると分かります。






最後にその方が、言語障害の人とコミュニケーションをとる上で気をつけてほしいこととして、3つ挙げていました。


ひとつは、分からないときには別の単語に言い換えてもらうなど、表現方法を工夫すること。

もうひとつは、分かっていないのに分かったふりをしないこと。

そして最後は、固定概念を持たないこと。


「僕が、酒やタバコ、競馬って言うなんて、思わなかったでしょう?」

と言われて、ああ、まさにその通りです、と思いました。

思い込みって、怖いですねえ。

もっと頭をやわらかくしないと、と思ったのでした。

scorpion1104scorpion11042014/04/13 08:28固定概念があるというのは教育の現場でも、たっくさん!あると感じます。そして、子どもより教師には多いでしょう。良い面悪い面ありますが、時代はすすんでいるのに、子どもはこうあるべきという概念がじゃましていると思う時も多々ありますね。それは、その方の人生経験でもあるのでなかなか崩せないと思います。ですから、まずは自分自身を見つめその概念崩しをしなければと思っています。そして、重複障害については日々感じるところがあります。例え診断名がない子どもでも気をつけています。

daitouirukadaitouiruka2014/04/13 18:03日常のことなら、脳の情報処理のスピードを上げるためには、固定概念とか予測変換の機能は役立っている、むしろ必要なものなんでしょうけどね。
初めてのこと、行き詰まりを感じていることについては、それを一度とっぱらわうことで道が開けてくることが多いんですよね。

FlipperKFlipperK2014/04/13 20:12コミュニケーションを取る上で気をつけるべきことって、『学び合い』をする上で、教師が気をつけたり、子どもたちに気をつけてほしかったりすること、そのまんまですね。おもしろいです。

mei-c5mei-c52014/04/15 01:39>>scorpion1104さん
やはり、話しをするときには自分のこれまでの経験をもとにしてしまいます。そして、それがうまくいった経験だったとすれば、同じような場面に出くわしたとき、何も考えずにその方法を選んでしまうことが多々……。これが概念にとらわれているところなのでしょうね。
「失敗するかも」と思ってやめたけどあとになって思えば失敗してでもやっておけばよかったなあ、なんて思うことは、本当にたくさんあります。
やっておけばよかったなあ、が少なくなるような教育現場だと素敵ですね(^^)

重複障害についてのお話、また機会がありましたら、scorpion1104さんからじっくりお聞きしたいです。

>>daitouirukaさん
確かに、そうですね。無ければ毎日困ってしまいます。
こんな大切な存在なのに、邪魔だと思ってしまうなんて、わたしは身勝手ですね(笑)
行き詰まりを感じているときに、自力でとっぱらえればいいのですが、なかなか。。。だからこそ、人との繋がりって大事なのでしょうね。

>>FlipperKさん
おもしろいですね。
自分で見返してみて、汎用性の高さにびっくりしました。これってどんな場面でも言えますよね。
そういう根本のところをついている『学び合い』って、やっぱりすごいなあと思いました。

2014-04-10

修復。

| 02:25 | 修復。 - 幸福論 を含むブックマーク


思い出したように、社会構成主義のことについて書いてみます。

前回、「最後に自己の流動性のことを書いて終わろうと思います」と言っていたので、

今回は自己の流動性のことを書いていきます。


そもそも、自己の流動性なんて分かりにくい言葉を使っていますけれど、

これはつまり、「ある人が何者であるかは、会話における一瞬一瞬の動きで決まる」ということらしいです。


え、一瞬一瞬で?

自己がそんなあやふやなものなのに、人と人はちゃんとした関係性を築くことができるの?

と思いますよね。

でも、現実に関係性は築かれています。


それは、どうしてかというと、

①何が存在するのか(現実についての認識)

②どんなふるまいが適切なのか(倫理についての認識)

が、その関係の中で共通理解されているから、なのだそうです。


特に、②なんて、その集団の中での「暗黙の倫理観」があったりしますよね。

日本では知らず知らずのうちにこうしているけれど、外国に行くと全く違った!なんてこともあると思います。


スコットとライマンという研究者は、

その「暗黙の倫理観」が乱されるようなことがあったときに、

その秩序を修復する手段が生み出されると言っています。


例えば、人のものを盗んではいけない、という秩序がある中で、

Aさんが盗みをはたらきました。

誰かがそれに気づき、Aさんを非難します。

非難されたAさんは、

「魔が差したんです」と言い訳したり、

「こんなところに盗まれるようなものを置いておくのがおかしい」と正当化したりするかもしれません。

この言い訳や正当化が、どちらも修復する手段だというのです。


「魔が差したんです」は

「いつものわたしはこんなふうじゃないんです(わたしはなにも変わっていませんよ)」と修復しようとしているし、

「こんなところに盗まれるようなものを置いておくのがおかしい」は

一般的にあった「置いてあるものを取っていかない」という認識に異議を唱えて、

今ある関係そのものや考え方を修正する可能性を持っています。




自己の流動性から話が広がっていきましたが、

本の3章に書かれてあった内容は、今回で終わります。


また、今勉強していて興味をもったことがあればメモしていきたいと思います。

2014-04-08

思いを入れること。

| 01:13 | 思いを入れること。 - 幸福論 を含むブックマーク

バイトの研修で、自立と社会参加について考える機会がありました。


そもそも、自立って、社会参加って、一体どういうことだと思いますか?

わたしの自立は、自分の意思を持って生きていくことで、

社会参加は、社会に交わり、何かしらのかたちで社会の一端を担うことだと思っています。

けれど、これはあくまで「わたしの」であって、その人ごとに捉え方は違うんですよね。

さらに言えば、未来のわたしはもっと違う捉え方をしているかもしれません。


一緒に研修を受けた人たちも、社会参加ってどういうこと?という問いに

「働く」

「社会の一翼を担う」

「外出する」

とそれぞれ答えていて、やっぱりその人によって全く違う認識なんだなあ、と実感しました。


それから、自立や社会参加をしよう、とは言うものの、それっていったい何のためなんだろう?

何を目的としていて、そうすることで変化することってなんだろう?

ということについても考えました。

この研修には障害を持っている方も参加していたのですが、

その方は「旅行」というかたちで社会参加をするとおっしゃっていました。

では、それは何が目的か?というと、


例えば、旅先までの交通手段に、思った時間の便の飛行機を利用することが出来ないことに気づきます。

車椅子などの大きさの関係で、機体が限られてしまうこともあるんですね。

でも、もし車椅子で移動する人がたくさん居たとしたら、どうなるでしょう?

1日に1、2本しか出ていない便が、3本、4本と増えるかもしれません。

つまり、「旅行」という社会参加は


自分が過ごしやすい環境になるために


という目的があるのです。

そして、その環境は自分だけではなく、きっと同じような人たちにとっても過ごしやすいものだと思います。

もっと言えば、そうでない人たちにとっても過ごしやすいものかもしれません。


「旅行」という行動ひとつをとっても、何か社会を変えるきっかけになるかもしれないと信じて行動している人がいることに、すごい…!と衝撃を受けました。

わたしは、自分の行動にそこまで思いを入れることができているだろうか?というと、必ずしもそうでないことがたくさんです。

だから、今日からは、少しずつでも思いを入れて行動していこうと思います。


と、いうわけで、簡単なところからですが、この気持ちが少しでも多くの人に伝わるように、文章にしてみました。

2014-04-06

異世界。

| 02:09 | 異世界。 - 幸福論 を含むブックマーク

わたしはラーメンズというコントユニットがすきです。

今まではその理由をそこまで深く考えたこともなかったのですが、

昨日たまたまラーメンズのコントを題材とした、コントと笑いの関係についての論文を見かけて

それを見ながら、どうしてすきなんだろう?と改めて考えてみました。


内容は、

まず、ラーメンズのコント(特徴的な22のコント)を分析して、

核になる要素と、その要素の共通項があげられています。

そして、それらに対しての観客に生まれた印象、感情をあげ、

コントがどのように成り立っているのかが突き止められています。

と、こんな感じ。


筆者は、コントでは異世界が形成される、と述べていて

なるほどなあ、と思いました。

確かにコント中は、決まった役があったり、設定があったりと、

その舞台ならではの世界が出来上がっています。

では、ラーメンズのコントにおいて、どんなふうに異世界がつくられているか?

というのが、この論文でした。




それから、筆者は、ラーメンズのコントが他の人たちのコントと異なるとも述べていました。

その異なる部分とは、


「異世界」自体を観客と共有することを目的としているため、観客を無理に笑わせようとする台詞や動き

つまり、異世界にとっての不自然さを極力排除している


というところです。

ということは。

普通ならば、観客を笑わせることが目的で異世界が作られるところ、

ラーメンズは、作った異世界を観客に見せることが目的で、その手段として笑いを使っている

と言えるんじゃない?となってきます。


そこで、冒頭の「どうしてすきなんだろう?」という問いに戻ってくるわけですが、

コントを見ていて、作った人の「こういう世界を見てほしいんだ!」という思いが素直に伝わってくるところに惹かれていたのかもしれない、ということに気づきました。


それにしても、何気なくすきだなーと思っていたことがここまで細かく分析されていたなんて、びっくりです。

myblueheavenmyblueheaven2014/04/07 20:12私も大好きです!初めてコントを見たときに、衝撃を受けました!この方達に近づきたいと思いました。難しく考えたことはないのですが(^^;;とにかく洗練されたものだと感じました^ ^

ogymogym2014/04/08 01:32ちば!、しが!、さが! でしょうか 好きですね^^;。

mei-c5mei-c52014/04/08 23:33>>myblueheavenさん
そうなんですね!「近づきたい」とは、作り上げるものの世界観がということですよね?
わたしも同じ感覚になりました。たくさんの人にそう思ってもらえるものを作っているって、すごいことですよねえ。

mei-c5mei-c52014/04/08 23:35>>ogymさん
そうです、それです!結構有名なんですね…!
そして、話してみなくて気づかなかっただけで、意外にもすきな人は周りにたくさんいるんだなあと気づきました。うれしいです。

2014-04-05

著者は誰か。

| 23:13 | 著者は誰か。 - 幸福論 を含むブックマーク


みなさんは今、何か本を読んでいますか?

もし読んでいるとしたら、それはどんな本でしょうか?

タイトルは?

著者は??

内容は???


本を知るためには、たいていその内容を聞くのと同じように、タイトルや著者名を聞くかと思います。

けれど、この著者名というのは、実はもとからあったシステムではなかったということを最近知りました。

実は、本はある人の心(考え?)を表現するものだ!とは、昔は考えられていなかったのです。

今となっては、1つの書物に1人の著者の名前が添えられるようになっていますが、

では、どうしてそのようなシステムができたのでしょうか?


ことの始まりは、なんと、フランスの王朝が、自分たちの政治を批判する冊子を書かれないために、

著者名のない原稿は出版してはいけないという決まりをつくったところにあるそうです。

これって、立派な言論の統制ですよね。

けれども、社会はたくさんの個人から成り立っている、という個人主義の考え方がされる今、

本はある人の心を表現するものだ、というシステムは、

うまーくその主義とマッチして残っているわけです。




考えてみれば不思議だなあ、と今更になって思います。

書いた人は確かにその人なのかもしれません。

でも、ここに書かれるまでに至った思考を作り上げていったのは、

その人だけではなく、その人に関わるたくさんの人も一緒なのです。

それなのに、書かれるのは1人だけ。

今まではなんとも思わなかった著者名の記述が、

一瞬「ん?」と立ち止まって考える要素になります。


こんなこと、思ってもみなかったです。

何気なく通り過ぎていることにも、何かしらの意味があるんですね。

おもしろいなあ。

kota_02kota_022014/04/06 10:26こんにちは。

>でも、ここに書かれるまでに至った思考を作り上げていったのは、
>その人だけではなく、その人に関わるたくさんの人も一緒なのです。
>それなのに、書かれるのは1人だけ。

でも、その思考は、書かれて完成ではないでしょう。
外山滋比古は、読まれる中で、作者と読者の協同、影響関係の中で、無数の解釈を生んでいく、と言っています。(『近代読者論』『異本論』『古典論』など)
なんか『学び合い』的な考え方だと思いませんか。

mei-c5mei-c52014/04/06 17:17>>kota_02さん
確かに、「読む」という行為も立派にその本の一部を果たしていますよね。
またまた、盲点でした……!
そう考えると、どこまでやって完成、というものって無いのかもしれないです。

それから、外山滋比古さんという方、初めて知りました。
>読まれる中で、作者と読者の協同、影響関係の中で、無数の解釈を生んでいく
素敵な考え方ですねえ。『学び合い』もそうですが、可能性や世界の広がりを感じてわくわくします。
また興味を持つものが増えました。ありがとうございます!

2014-04-04

tera school見学。

| 17:58 | tera school見学。 - 幸福論 を含むブックマーク

京都のお寺で行われる『学び合い』、tera schoolを見学してきたことについてもメモをしておきたいと思います。

まだ始まったばかり(お試し期間?)ということで、

参加人数は小学生が2人と京都の大学の教員志望の学生が1人でした。

人数が少なかったため、わたしも『学び合い』に参加させていただくことに……!

京都の本屋さんで買った哲学の本を持って行き、

「本の1章分を理解して、小学生にもわかるように説明する」

という課題を設定して1時間取り組みました。


tera schoolも、manabiai schoolと同様に

最初に自分の課題を決める仕組みみたいです。

今回はそれぞれが自分の決めた課題を設定したので、

「今日は○○ができるようにする、という課題でやります」

とみんなの前で自己申告をする時間がありました。


環境は、とても静かで勉強に集中しやすかったです。

畳に長机、という和の雰囲気も落ち着くなあ、と思います。

ひとりひとりに椅子が用意されているわけではないので、

何人まで!という制限も特に無いし、隣の子、もしくは周りの子に声をかける際の敷居がそんなに高くないところがいいなあ、と思いました。


そして、時間帯が少し遅かったため、最後まで参加することはできなかったのですが、

自分の課題

「本の1章分を理解して、小学生にもわかるように説明する」

なんとか達成……??


それにしても、自分で理解していたことを誰かにわかるように伝えることって、本当に難しいですね。

わたしの読んでいた哲学の本も、これ!という答えのある内容ではないけれど、

誰かに伝えるという課題があったおかげで

具体的にどういうふうに説明すれば、「あーなるほどね」と思ってもらえるんだろう?と考えることができました。



tera schoolにしても、manabiai schoolも、

誰がどのように管理して、どういう環境になっていくか

今後がとても気になりました。

これからも機会があれば、見学に入ったり一緒に『学び合い』をしたりしてみたいなあ。

2014-04-01

manabiai school見学。

| 03:02 | manabiai school見学。 - 幸福論 を含むブックマーク

manabiai school(@弁天町)で『学び合い』を見てきたことを、もう少し詳しくメモしておきます。

3月中は無料で行われていたそうです。

教室内は、6~8人くらいが使えそうなテーブルが2つと、

4人がけのテーブルがひとつありました。

壁の貼りものは、これまで来てくれた子どもたちの名前と来た回数の表や、世界地図など。

まだ、そんなにたくさんの物は置かれていませんでしたが、過ごしやすい環境です。

そして何より、商店街の中にあるということで、

夜遅くなっても、親が安心して子どもを預けることのできる場所だと思いました。


わたしが見学させていただいた日には、

小学生の女の子6人、男の子1人

中学生の女の子2人

が来ていました。


まず一番最初にやってきたのは、小学生の女の子集団5人です。

4人は6年生、1人は5年生で、用意されたプリントを解くことに。

インターン生がどれだけの時間で解けそうかをみんなに聞いて、その時間を小さなホワイトボードに書きます。

もうひとつの大きなホワイトボードは2つのスペースに区切られていて、片側にみんなのネームプレートが貼られていました。

課題をクリアした人は、ネームプレートをもう片方のスペースへ移動させる仕組みです。




1回目の『学び合い』が始まりました。

みんな黙々と問題を解いています。

そのうち、6年生の女の子2人が問題を解き終わりました。

どうするのかなあ、と思って見ていると、自分のネームプレートを移動させたあとはおしゃべりをしています。

インターン生が「みんなができないと、課題を達成したことにはならないからね」と言っても、

目の前で手をたたいて「がんばれ~」と応援するだけで、なかなか教えようという動きは見られませんでした。

そのまま1回目が終了。

結局みんなが課題を達成することはできませんでした。


1回目が終わって、休憩もかねて振り返りの時間です。

「みんなが達成できなかったよね。それはどうしてだろう?」

というインターン生の問いかけに、子どもたちは

「時間が足りなかった」

と答えます。

「でも、時間は十分にとったはずだけど。設定した時間の中で、無駄な時間はなかった?」

「うーん……」

「関係ないことしゃべっているのが聞こえたけど」

「それは……」

「次、もう一度『学び合い』をするけど、どんなことを意識すればいいだろう?」

このインターン生の質問に、子どもたちは困ってしまいます。

「どうすればって、うーん。どうすれば……」

「もっと頑張る?」


おそらく、本当にどうすればいいのか具体的な案が出てこなくて困っていたのだと思います。

インターン生は、

「それじゃあ、次は「頑張る」を意識してやってみてね」

とだけ言っていました。





2回目の『学び合い』は、

先ほどの5人に、1年生の子がひとり加わって行われました。

課題は、5人が算数の体積の問題の答えがどうしてそうなるかを教室にいる大人に説明できること。

1年生の子が1年生用のプリント2枚を終わらせること。

5人はホワイトボードにかかれた問題を覗き込んで、あーでもないこーでもないと解き始めました。

1年生の子は5人をときどき眺めながらも、しっかりと自分のプリントを解いています。


ちょっとすると、5人のうち2人が式を立てて、答えにまでたどり着いたようです。

でも、1人はどうしてもその答えに納得していません。

本当にこの式で合っているのか分からない、と悩んでいます。

式を見てみると、四角錐の体積を出すためには

底面 × 高さ × 1/3

のはずですが、最後のかける数が1/2になっていて、

そこがどうもしっくりこないのか、「これって、1/2で合ってるんだろうか??」とずっと首を傾げていたのです。

もうひとりの子は、「これでおっけーでしょ!」と言っていますが、

「でもね、1/2にしたら、三角の形じゃなくなるでしょ」

と、どうしても納得しません。

「じゃあ、どうすればいいんだろう…?」


2人が頭を悩ませているうちに、残りの2人は1年生の子のプリントを教え始めました。

自分たちが一緒に悩んでいても、先に進みそうにないと思ったのでしょうか。

1年生の子の横について、丁寧に問題の説明をしています。


「式が分からないときは、教科書や問題集を見てもいいと思うんだけどなー」

「似たような問題と答えが、どこかにあるはずだけどなー」

とつぶやくと、

「あっ、そうだ、どこかに載ってたかも!」

2人は慌てて探しだします。


「こっちの2人が解き方を探して、こっちの2人は1年生の子を助けてるのかー!時間を有効に使うために、役割分担してるんだねえ。やるじゃん~」

「今回は時間内にみんなができるかもしれないねー」

と言うと、

「そうそう、そうしないとみんなで終われないし!」

「こっち(1年生の子)、もうちょっとで終わりそう」

と嬉しそうです。


「あと何分?」

「間に合う?間に合う??」

最後はかなり焦りながらも、結果、見事6人は課題を達成できました!

自然と拍手がおこって、わたしもとても幸せな気分になりました。



その後も、1年生の子のプリントの答え合わせをして間違ったところを

5年生と6年生の総勢4名で教えていました。

でも、難しいことに、いくら手をつくして教えてみても

「それじゃあ、今言ったことを自分で説明してみて?」

と言うと、途端に固まってしまうのです。


「やっぱり1年生には、説明してみてっていうのが難しいんじゃない?」

「でも自分で説明できないと、ちゃんとわかったかどうかわからないし…」

「じゃあ、文章で書いてみたらどうかな」

紆余曲折の末、1年生の子はプリントに説明の文章を書いて、それを読み上げることができました。

ここでも、みんなで「やったー!!」と大喜び。


学び合い』の時間はもう終わっているのに、どうすればこの子がこの問題をできるんだろう?とみんなで知恵を出し合っている姿が、ほんとうに素敵だなあ、と思いました。

見学に来て、こんな素敵な場面を見ることができるなんて、嬉しかったです。





毎回の参加人数にばらつきがあること、

メンバーが変動することなど、

やはり塾の形で『学び合い』をすることは難しいのかなあ?と思うところはありましたが、

貴重な体験をすることができました。

興味がわいたので、もっと自分なりに、学内と学外での『学び合い』のかたちではどう違うのかということを考えていきたいと思いました。


京都のお寺で『学び合い』をする、tera scoolへも参加してきたので、そのメモも後ほどします。