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2014-02-19

説得。

| 05:01 | 説得。 - 幸福論 を含むブックマーク


社会構成主義の、対話ってどんなもの?その2をメモしていきます。

ちなみに、その1では、構造化されたもの(メタファー/ナラティヴ)から見た対話って、良くも悪くも自分というものを固定しているのかもしれない、ということに触れました。

その2では、レトリック(説得)という視点から対話を見てみます。


でも、その前に。

レトリックという言葉が、説得の技術だと言われていることに、おお!と思いました。

小説でも、レトリックは様々な場面で使われます。

それはなぜかというと、書かれてある物事に対して、説得力を持たせるためだったということなんですね。

言われてみれば、そうかも、という感じです。


と、わたしの発見はこのへんにして、

レトリックというのは、古代ギリシャ文明の頃から、欠かせないものとしてありました。

人を説得できる者が、将来有望だ、とされていたそうです。

アリストテレスの書物にも、演説の技術について書かれてあるほど。


ですが、モダニズムというものが登場してからは、客観性や科学、心理に対する信念が強まり

レトリックよりもむしろ、もっと明確に表現された論理だとか、事実に基づいた証拠が大切だと思われるようになりました。

つまり、レトリックは少し軽視されるようになってしまったんですね。


けれど、現代になって、またレトリックに光が当てられることになったのです。

それは、レトリックを研究することで、

「疑いようのない事実」(例えば、科学のこと、経済のことなど)に意義を唱えることができるのではないか?

と考えられるようになったからです。


「疑いようのない事実」には、客観性があります。

でも、客観性があるがゆえに、その事実を共有している者とそうでない者の間には格差が生まれてしまいます。

格差とまではいかなくても、共有している集団からは疎外されてしまうかもしれません。

例えば、太陽が地球のまわりを回っているという事実が共有されている集団の中で、ガリレオ地動説を唱えて出頭を命じられたように……です。




そもそも、客観性って何なのか?というと、

ある事物に対してのたったひとつのイメージが、広く共有されている

ということなのだそうです。

このイメージというのは、結局はその1でも書いたメタファーのことなのですが。

しかし、ただのメタファーではありません。

実は、これぞ客観性!と言われるための、条件なるものがあるのです。

そこに使われているのが、レトリック(説得)、というわけです。



条件1)対象物と距離を置くレトリック

これは、言葉通り、その物事を自分から遠ざけて表現するということです。

例えば、「直感した」というよりも、少し遠ざけて「発見した」と言った方がより客観性があります。

論文でも、「○○だと直感した」という言葉は使われませんよね。


条件2)権威を打ち立てるレトリック

これは、自分がその物事をまるで鏡のように写しだせる位置にちゃんといるかどうか、ということです。

さらに、その鏡の存在が複数人いれば、なおよし、です。

鏡というのは、「わたし」という存在抜きで表現することとも言えます。

「わたしは○時○分に人工衛星を観察した」

「○時○分に人工衛星が観察された」

確かに、同じ内容を言っているのに、「わたし」が抜かれるだけでだいぶ違いますね…!

ちなみに、この「わたし」抜きの表現ですが、神の視点とも呼ばれるそうです。


条件3)レンズを浄化するレトリック

これは事物を写しだすときに「私の感情は一切入っていません!」ということです。

それもそうだよなあ、と思います。

だって、鏡を見たときに、その鏡の気分によって自分の姿が変わったら困っちゃいますよね。

それに、お天気情報を伝えるTV番組で、キャスターの人の「晴れて欲しい」という気持ちで「予報では雨と出ていますが、きっと晴れると思います!」なんて伝えていては、客観性も何もありません。




このように、レトリック共同体がちゃんと機能するための役割を果たしているのだそうです。

わたしはこの「ちゃんと機能する」というのが「ある程度の固定が保障されている」ということかな?と解釈しました。

なので、やっぱり、今回も固定がまとめで。

そう考えると、もしかして次も固定というところに落ち着くかもしれません。

次は「対話ってどんなもの?」の最後、その3をメモしていきたいと思います。