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め ざ す は、「見捨てられていない」、
「安心して学校生活ができる」、
「安心して授業が受けられる」と
子どたちに感じられる教育の実現



教科の授業の中で行う
ソーシャルスキルトレーニング

それが 『学び合い』

ポイントは、子どもたちにとって、
誰も見捨てられていないと感じられること

教師が、子どもたち(子ども集団)は有能だ(可能性を持っている)と
思うことができるかどうかが鍵

まずめざすべきは、子どもたちが「分からない」、「できない」と
安心していえる雰囲気づくり

『学び合い』は、人間関係づくり

だから、安心して学ぶ雰囲気が醸成されれば

自ずと学力は上がる

だって、真剣に取り組む時間が増えるんだから

子どもたちには、「勉強もチームワークで」と呼びかけます


出前授業等お受け致します

2時間同じクラスで授業させていただくのが原則です。
(交通費、宿泊費不要)




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◇西川 純先生の「小規模小学校に於ける
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◆第15回教室『学び合い』フォーラミin長野 兼 第13回『学び合い』セミナー   

期日:令和元年11月2日(土)・3日(日)     
会場:長野市 信州大学教育学部


2010-09-14(火)

9月14日(火)  『教育格差真実 どこへゆくニッポン社会9月14日(火)  『教育格差の真実 どこへゆくニッポンの社会』 - ★ maya-1のつぶやき ★ を含むブックマーク はてなブックマーク - 9月14日(火)  『教育格差の真実 どこへゆくニッポンの社会』 - ★ maya-1のつぶやき ★ 9月14日(火)  『教育格差の真実 どこへゆくニッポンの社会』 - ★ maya-1のつぶやき ★ のブックマークコメント

教育格差の真実?どこへ行くニッポン社会? (小学館101新書)

教育格差の真実?どこへ行くニッポン社会? (小学館101新書)

(p197~p201を引用

尾木  格差社会一番大切なのは、格差本質をつかむことではないでしょうか。というのも、そもそもこの格差は、“自然現象でもなければ”“歴史必然”でもないからです。これまでの森永さんのお話から経済構造上の問題がよく分かりましたが、きわめて人為的、政策的、つまり政治が主導して生んだ格差ですよね。

 実は、だいたい教育も同じなのです。数値目標を掲げて、成果を争う競争原理主義教育政策にも導入すれば、学校格差学力格差などが広がるに決まっているじゃありませんか。高校だって学区を取り払って 全県一区制にして競わせれば、全体の流動化が激しさを増し、結局一番からビリまで序列化される。たったそれだけです。公私を巻き込んだ県という狭いコップのなかの、それも、それが「本当の学力」かどうかあやしい学力」を目標に競わされているのです。県全体の学力が向上していく保障などどこにもなく、挫折を味わい心に傷を負ったやる気の失せた若者を大量に生み出すだけです。今、学区撤廃は二〇都府県にも及んでいます(読売新聞二〇〇八年七月二八日付)。東京では入試の志願者が定員割れした都立は、学区撤廃前の二〇〇二年には一九校だったのに、二〇〇八年には三二校に激増。すさまじい序列化の結果です。定員割れの高校の“教育困難”ぶりは言うまでもありません。若者希望や意欲をザックリ奪うのですから、もったいない話です。労働界と全く同じ構造ですね。ワーキングプアならぬ“教育難民”を大量生産しているのですよ。

 今、流行の小・中の「学校選択制」なんかもそうです。百歩譲って、人気集中校の学力教育成果がすごく上がったとしてもダメ。それはあくまでごく少数の子への恩恵にしかすぎない。学校児童・生徒の多くが「自分はこの学校になんか来たくなかったんだ」とマイナスからの出発なんです。教師もこんな子にやる気を出させるのは大変です。親達も地域制がありませんから、連帯感も地域の支えもない。これでは“自由”という美名の“教育崩壊”ですね。習熟度別授業、二学期制、授業時間増、「ゆとり」から「詰め込み」教育への転換など、どれをとっても、最近教育改革は、教育の機会均等を奪い、経済格差学力格差、公私格差を生む“構造”になっていますよ。

 何でも競争すればいいという、この発想を変えない限り、個人的展望国家の発展も厳しいと思いますね。

森永  では、どうしたらいいんでしょうね。

 

尾木  ここまで格差固定化され拡大してきた中で思うことは、とにかく、市場原理競争原理主義的な発想と政策から勇気を持って撤退することだと思います。もう限界に達しています。そして、まるっきり反対の「協力社会」の実現に向けて、一歩でも半歩でも踏み出すことですよ。

そのためには、格差などハンディを認めて上で、“教育特定財源”それこそ教育サポートに対しては、免税措置など、大胆な税制財源上の施策に転換すべきですよ。最低でも機会均等政策に転換すべきですね。学力面で遅れている子がいれば、他の子の二倍でも三倍でも時間と人手をかけてケアする、生活保護世帯一人親家庭など経済的に困難な子どもには、就学援助金拡充だけでなく、当面は福祉の視点から塾や習い事にかかる経費も支援してもいい。邪道などと言わず“機会均等を保障する姿勢”を明確に打ち出すことによって、それらの子ども学習や生活へのモチベーションなど生きる力が飛躍する可能性や、そういう社会や大人への信頼が芽生えてくる期待があります。ひいては、急速に失いつつあるモラルを回復させることにもつながります。

 中学生不登校過去最高に達し(二〇〇八年八月七日文部科省発表)、不登校小・中学生は前年比二〇〇〇人増の一二万九二五四人となりました。九三%もの都道府県教育委員会が「人間関係をうまく構築できない子どもが増えている」ことをその増加の背景として上げているのですが、それは、これだけ教育のあらゆる領域に市場原理に基づく競争原理主義を貫けば「人間関係」を築けないのは当たり前ではないでしょうか。学力向上のために授業時間が増え、文化祭運動会遠足など協力性、共同性を培う行事生徒会活動など自主性、自治的力量を形成する場面は削られているのですから。

 (中略)忘れてはならないのは、これらを北欧並に私学も含めてすべて“無料”にするべきだということです。「教育未来への投資」「知的公共財の育成」と考えれば、当然です。高校で入学金や授業料が必要な国は、OECD加盟国の中では、日本韓国イタリアポルトガルぐらいのものです。高校教育など無償が“世界常識”なんですよ。少なくとも、現状の日本社会において、お金の有無によって義務教育段階における学習機会の格差が生じることだけは避けたいものです。

(後略)


直接子ども達に関わっている私たち教員が、子ども達の自立を願い、誰も見捨てられない教育、誰も切り捨てられない教育を求めて声を上げなくて、いったい誰が声を上げられるのでしょう。


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maya-1maya-12010/09/14 18:419月16日(木)にI中学校で授業公開(常に公開可能ですが)を行います。信毎の記者さんが参観に訪れます。
1時間目(8:45~)3年の社会科、2時間目(9:45~)に1年生の理科の参観が、そして第3時(10:50~)は、国語科担当、3学年担当のK先生二への質問コーナーということに決まりした。この日は小学校の運動会の全体練習ということですが、時間をやりくりし一緒に参観させていただ区予定です。もしご希望の方がおられれば私にメールで連絡ください。