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演劇と教育と『学び合い』 ~matchy-ez8の日記~ このページをアンテナに追加 RSSフィード

新潟県上越地区で小学校の教師をしています。演劇教育と『学び合い』の2つの視点から「一人も見捨てない」教育・「一人も見捨てない」社会の実現を目指します。メールアドレスは、matchyez8とgmail.comを@でつないでください。

2012-05-01

表現欲求

| 18:08 | 表現欲求 - 演劇と教育と『学び合い』 ~matchy-ez8の日記~ を含むブックマーク 表現欲求 - 演劇と教育と『学び合い』 ~matchy-ez8の日記~ のブックマークコメント

 人には必ず「表現したい」という欲求(表現欲求)がある。「表現欲求」は「コミュニケーション欲求」と同一のものである・・・いや、昔は濃厚にそうだった。

 インターネットというものがない(概念そのものがない)時代、「おもしろい事を思いついた」「漫画を描いた」としたら、それを友達・知人に見て・聞いてもらうことが「表現した」という証だった。人がいるからこそ(コミュニケーションするからこそ)表現欲求が満たされるのである。

 ところがIT環境が当たり前となった現代、人と相対しなくても「表現」は可能となった。クリック一つで「簡単に」不特定多数へ自分の思い・作品を表現することができてしまうのである。

 便利は便利であるが、そこで忘れ去られてしまった大事なことがある。それは、「表現はリスクを伴う」という感覚である。

 面と向かって友達に「こんなおもしろいこと考えたんだ」とアイデアを語っても、必ずしも受け入れられるとは限らない。顔をしかめられて「つまんねえ」と言われてショックを受けることも多々ある。携帯のない時代、彼女に連絡をとること自体が冒険である。「電話に親父が出たらどうしよう・・・」なんてリスクを背負いながら、ドキドキしながら彼女の家に電話したものである。メールのない時代、一字一句に心血を注いで徹夜でラブレターを書いたものである

 ・・・面倒くさいなあと思わないでいただきたい。このリスクこそが大事なのである。リスクがあるからこそ自分の表現に「責任」をもとうとする。表現が伝わらなかったとしても、他人のせいにはせず、「どうすれば相手に伝えることができるのだろう」と自分を省みることができた。

 子どもたちには、そんなリスクも含めて、でもそれでも「相手と面と向かったコミュニケーションっていいよ!」って繰り返し訴えていきたい。そのために、演劇は大きな力となると思う。