2012-05-07
めんどうのもと
育成会の写生大会の時のこと。
役員をしているママ友に頼まれてお手伝いをした。
男の子のグループが、校庭の真ん中で
「何書けばいいんだよー」
と叫んでいたので傍に行ってみる。
確かに何を描けばいいんだと言う感じ。桜はほぼ散っており、空は曇天。校舎はやたらと窓があって描くのは面倒くさそう。綺麗に咲いた植木鉢の花でも書くか?そんな「女の子くさい」のは君達の柄じゃなさそうだしねえ。
「俺、あれを描く」
「俺も」
「俺もそれでいいや」
指さしたのは手入れされた立派な松の木。
すでに出来上がったものだから、絵にはなると思うけど・・・君達渋いなぁ~と思いつつ、
「あれに決めたならそれでいいけど、もう少し近くに行って描こうよ。」
と私。
「えーめんどくせー。いいよここで。」
「いくら君たちの目が良くても、ここからじゃ松の木のごつごつしたところなんかは見えないでしょう?」
すでに敷物を敷いて荷物を置いていたのだけれど、渋々、ズリズリと移動を始めた。まだ何も描いていないのに
「俺早く遊びに行きてー」
と一人がいうと
「俺も」
「俺も」
何しに来たのさ・・・君達。
1年生くらいの男の子に
「どんなふうに画用紙に描こうか?この窓から見て、あの木の一番かっこいい所を見つけてみて。」
と言って構図を切り取るためのスケールを渡すと興味津々。
「なにこれ、なにこれー」
と言って大はしゃぎ。スケールを覗きながらあっちへ行ったりこっちへ行ったり。ドラ〇もんの秘密道具じゃないんだけど~。
そんなことをしてたら別の二人はもう絵の具の準備を始めた。画用紙にはまだ何も書かれていない。
「下書きはしないの?」
「あぁめんどくせーから描かない」
まあね、みんながみんな丹念に鉛筆で下書きしなくちゃいけないなんてことはないから・・・。彼らはさっさと水を汲みにいってしまった。
少し離れたところで5年生くらいの男の子が二人、花壇の前に陣どって熱心に描いている。花壇と言っても花はなく、その縁にチューリップの鉢が並んでいた。
一体どんな構図にしたのだろうと思って画用紙をのぞきこんでみた。画用紙の真ん中に台形が3つ並んでいた。
「・・これは・・・何を描こうとしているの?」
「縄跳びの台」
「えーと・・・跳んでいる人はこれから描くの?」
「めんどくせーから描かねー」
「描かないの?何でこの台を描こうと思ったの?」
「簡単だから」
「この絵を見て縄跳び台ってわかってもらうには相当難しいと思うけど・・」
「もうこれって決めてきたからっ!」
これを「絵」にするには相当な技量がいるだろう。
雨の日も風の日も、じっとたたずみ、幾多の子どもに踏みつけにされ、汗と涙を吸い込んで凹みすり減った台。
感謝されることもなく壊れればただ捨てられるだけだろう。
細かい傷や凹んだ部分を丹念に書き込めばなにかしら伝えられるかもしれないけどねぇ~(笑)
「誰か呼んできて台の上で飛んでもらう?」
とおせっかいなことを言ったらきっぱりと断られた・・(苦笑)他のアイデアにも明らかな拒絶反応。ボランティアのおばさんは黙って立ち去るのみ・・。
1年生らしき2人の女の子が一生懸命クレヨンを動かしているのが見えた。校庭のほぼ真ん中から何を描いているのか?と思って行ってみるとなんと80メーターは確実に離れているところにある遊具だった。どれだけ目がいいんだ(笑)
よく見ると後方にあるはずの鉄棒とかブランコも描いてある・・パノラマか?楽しそうに遊ぶお友達も描いてあった。
「絵を描くの楽しい?」
と聞いたら
「楽しい!」
と答えたので描きたいものを描きたいように描いているのをあえてとやかく言うこともないかと思い通り過ぎた。
さらに、校舎に向かって一生懸命鉛筆を走らせている子が数名見えた。近づくとどの子も想像通り、画面いっぱいの窓、窓、窓。校舎中央の時計台を画用紙の真ん中から書き出して両側に描き広げていた。建物の立体感は全く感じられなかったのだが時すでに遅く、修正不可能と思えたし、こちらも特に悩むことも迷うこともなく地道な作業を淡々と、それなりに楽しそうではあったので、その心がけを褒めるにとどめた。
松の木を描こうとしていた子が戻ってきていたので、のぞきに行くと画用紙の真ん中に茶色い亀裂?が走っていた。
「これ松の木の幹?」
「そう」
松と言うより柳の枝だね・・ふと思い立ち、持参した刷毛を彼に持たせてみた。
「そんな細い筆じゃなくて、これで描いてみる?」
「でかっ!」
パレットの絵具はあっという間に刷毛に吸い取られてしまったが、彼が最初の線の上をザザッザザッと筆をダイナミックに動かした。あまりにも無造作だったので
「ちゃんと松の木見て書かないと・・」
「ちゃんとみてるよ!!なんかおもしれー」
書かれた線は意外なほどよかった。勢いがよくて、惑いがなく、媚びてないというか、素直な線で水墨画の巨匠の線に見えなくもないくらいいい感じ(笑)思わず
「カッコいいじゃーん、君天才かもよ~」
なんて言っちゃった。
「ウヒッ」
彼は素直に喜んでいた。が次の瞬間
「もう終わりでいい?」
と言った。
「えーせっかくいい絵になりそうなのに、これで終わりにしちゃうのぉー?」
「えーもーいいよ。もうめんどくせーよ。」
何か言えばすぐ「めんどくせー」と言うこの子達に絵を描かせるのはめんどくせー…(苦笑)
ただ、手伝っていて思ったのは画用紙の大きさのわりに筆やパレットが小さすぎるっ!手間ばかりかかってちっとも楽しくないから面倒くせーんじゃないかと言うこと。
この学校では1年生の時、全員同じ絵道具を買わされる。買わされるなんて言うと先生方は心外だろう。学校で配られたカタログからの購入は強制ではなかったとおもうが、お友達と一緒がいいとか、一緒じゃないと仲間外れと言われるかも・・といった理由で学校で斡旋してくれるものを買う人が多い。
うちの学校に限らず、小学校に入るとこのての絵具セットを買うようだ。
ネットなどでもかなり安く売っているが、入っている道具の仕様はほぼ同じ。
12色程のチューブ絵の具、大小1本ずつの筆と折りたたみ式パレット、水入れとスポンジがシステマチックに入っていて4千円近かった。
「現場の先生方の声を聴いて作りました。」なんて宣伝してるけど、保護者の間では評判が悪い。
特に絵の具セットを入れるバッグ。あれはいらない。
どぎつい色使いに変な絵が描いてあったりする。
単品で買おうとすると1700円もする。
子ども達が絵を描くこと楽しむ前に、絵を描くことは面倒くさいことだと思って敬遠するのはこの道具のせいだと思う。
あの薄っぺらなパレットの一番大きな「お部屋」で目一杯絵の具をといて、一番大きな筆で塗っても4つ切り画用紙の半分塗るのには結構な時間がかかるし、途中で絵具が足りなくなって継ぎ足しでもすれば、最初の色味と違ってくることもあるだろう。
それでいて先生方は、ムラなく綺麗に塗りましょうとかへーきで言う。絵の具を絞りだしただけならまだしも、いい具合に調合した色の場合は継ぎ足しはかなりむずかしい。
しきりが十数個並んだ折りたたみ式パレットの使い方をちゃんと教えてもらってはいないようだ。
本来あの小さな仕切りにはあらかじめ色を全部出しておき、そこから2,3色すくい取って広い部分で混色するものだが、みんなあの小さな仕切りの中で混色しようとしている。
端っこの方はよく混ざらないし、絵具を入れすぎれば隣の色まではみ出して、色が濁る。
ちなみに水彩画のプロは全色パレットに出し、あえて乾燥させてから使う。
絵の具を溶いて色を作る作業ってなかなか大変。
せっかくいい色ができた!と思ったとたん、無情にもチヤイムがなってお片付けの時間。
せっかく作ったいい色も流しへさよなら~。あんな立派なパレットより3個100円で買える小さい密閉容器のほうがよっぽど便利だと思う。
絵の具はたっぷり溶いて残りは捨てるくらいの気でないといい仕上がりにはならないし、蓋があればそのまま保存して次の時間まで取っておくと言うこともできる。
空なんて一生懸命ぬらなくていいものを小さい筆でちまちま塗るから時間ばかりかかってしかたないのだ。刷毛1本あれば四つ切り1枚全面だって1分もあれば塗れる。作業が断然早くなるけれど、それに気づいて買い足す人はあまりいない。
無駄に高いバッグの値段を出せば大きな筆か、刷毛が2,3本買えるのに・・。
筆洗も密閉容器の方がいい。水道から席までフタをすればこぼさず運べる。バケツタイプのものはハ分目までいれると、そうとう注意してもこぼれる。友達とぶっかって廊下が水浸しなんて悲劇はへるだろう。ちょっと学習できる子は最初から半分くらいまでしか水を入れない。だからすぐに水が濁るんだ。
絵具の量も少なすぎるせめて基本の三色だけでももっと大容量な物にしたほうがいい。絵具がないからテキトーな色をとりあえず塗っておこうなんてことも減るだろう。
アメリカの小学校で見たイーゼルはすてきだった。
「あたしなんだか描きたい気分・・」そう思ったらイーゼルの前に立って数色のちょうどいい具合に溶かれた絵具の壺のふたを開ける。紙はロール状になったものがセットされていてスルスルと引き出せば、「先生紙ちょうだーい」なんて言わなくてもいい。書きたい気持ちが活かされる。
大きなものなので一人一台と言うわけにもいかないが、あの大きな画面を思いのままに埋め尽くす快感を一度味わうと、面倒くさいと言う思いよりも描きたいと言う気持ちの方が勝るような気がする。
4,900円以上送料無料!※一部除外ありイマジナリウム DX木製アートイーゼル
- ジャンル: おもちゃ・ホビー・ゲーム > おもちゃ > 知育玩具 > お絵かき・工作
- ショップ: トイザらス・ベビーザらス
- 価格: 6,999円
イメージはこんな感じ。
一人前の画家みたいでしょ(笑)
2012-04-14
「あ!」
「あ!」と言う間に新年度。
先輩ママ友が
「中学の3年間はあっという間よ~、部活の送迎やってた頃が懐かしいわ~、忙しかったけど楽しかったなー」
と言っていた。そんな心境になれるだろうか・・。
平日は朝の6時半には学校に行き、19時半頃に帰ってきて、時にぼろ雑巾のようになって居間に寝そべる娘を絞り上げ、ご飯を食べさせ、勉強させる毎日。
土日もなく、お弁当持たせて、時に、当然手弁当で朝から夕方まで娘の試合の応援に行く。本人は楽しくてやっている部活だけど、寒いのと早起きと人づきあいが苦手な私は親の愛というやつを深―いところから掘り起し、もしかして、万が一、近い将来、日の丸を背負って戦う娘をテレビ画面の中で見られることもなくもない、という一縷の望み(笑)を励みに、何とか1年やってきた。あはははは。はぁ~
娘の通う中学と母校の小学校は目と鼻の先。
4階の教室の廊下から小学校のグランドが見下ろせて、旧知の先生が授業をやっていたりすると、まさに上から目線で突っ込みを入れているらしい。運動会の時なんて
「うちらの時はさー、今頃もう〇〇してたよね~」
「今年の〇年やる気ないよね、あんなことやってたらうちらの時めっちゃ怒られたよね~」
「〇〇先生は踊り覚えてないからうちらが教えに行ってやりたいよね。」
とか・・。本当にそうなったらおもしろいのになと思ったけど、中学生は部活で忙しすぎて実現させるのは難しかった。
小学校とそれほど近いのだけれど、残念ながら『学び合い』の「ま」の字も中学校では聞かれない。
授業中は私語厳禁。同じ制服を同じように着てまっすぐ前を向いて授業を受けていないと内申書に響くぞーみたいな世界・・・。
先生達に本当は面と向かって言ってやりたいのだろうけど言えない娘の愚痴は裏返せば『学び合い』の授業への郷愁か・・。
「お母さん、私、〇〇の内申点は悪いと思うよ。」
「なんで?」
「だってさ、授業中態度悪いって睨まれてるから。」
「聞いてないの授業?」
「聞いてるよ、だけど、先生の説明がよくわかんないから友達に聞いてると、『そこ、おしゃべりやめなさい!!』ってたびたび怒られるんだよ。おしゃべりっていうのは無駄な話で、授業以外の話とかでしょ?うちらのはおしゃべりじゃなくて相談だっ!つうの。確かに〇〇とかは授業をちゃんと聞いてないけど、〇〇だってわかりたいと思って聞いてくるんだよ、うちらちゃんと授業の話をしてるのに(怒)それとさ、先生たちはプリントとかとりあえず一人でやりなさいって言うけど、最後まで一人でやらされて、一人でやってもわからなかったから、人と相談してると怒るんだよね。結局わかんないまま授業終わりにしてさ、いつ解れっていうのかな。〇〇君とかも言ってるよ。うちら友達に聞いてわかる授業の方がいいっよねって。
「先生にそのまんま言ってみれば」
「そんなことしたら内申が下がっちゃうよ。」
いまだに内申書って最終兵器みたいだな・・。でも誰がそんなことを教えるんだろう?
私が中学3年の時は先生が教えていたのを思い出した。
たまたま通りかかった隣のクラスの学活の時間。
先生が激昂し生徒に向かって言っていた。
「お前らの人生は俺の手に握られてるんだからな。内申下げたくなかったらちゃんと言うこと聞け!」
あのころは結構そういう先生が多かった。
あ!そんなトラウマを抱えた私達親世代が教えているのかも。
2012-03-10
あいさつ
先日、娘の通う中学校のあいさつ運動に参加した。
「あいさつ運動実施中」と書かれた蛍光色のタスキをかけて通学路に立った。
2人でするところ、相手の方がなかなか来なくて、一人で立っていたのでかなり気恥ずかしいし、難しいお年頃の中学生は必ずしも挨拶を返してくれるわけではないのでむなしい気もした。
約20分ほど立っていたのだけれど、面白かったのは時間の経過とともに、あいさつをしてくれる子が少なくなっていったこと。
予鈴の時間になってもだらだらと歩いてくる子ども達。このままのペースだと時間内に校門にたどり着けないだろうなーさっさと歩け~と思いつつ「おはようございます」と声を掛けるけど無言。
同じように掛けたつもりだったけど、後半の方はかなりイライラしていたのだろう、ちらりと一瞥する子も「うざったいんだよ」とでも言いたげな顔であった。
校門の前でも保護者と先生が同じように挨拶運動をしているのだけれど、お子さんにきちんと挨拶させてください!なんて言う人に限って、実はそういう当人の挨拶こそ直してほしいと思う。そもそも挨拶って、あなたとお近づきになりたいです、あなたの仲間です、いい関係を築いていきたいですなどと言う気持ちがあってこそするわけで、「ちゃんと俺様にあいさつしろよ!しないと承知しないぞ!」みたいな気を発している人に声を掛ける気はしない。
そこに気づいてないで「ちゃんとあいさつしろっ!」なんて言っちゃってる人にはますます挨拶しなくなるんだけど、わかってないのね~。
同じ通学路を小学生が通ったのだけれど、ほぼ全員が素直な、元気のいい挨拶を返してくれたのがせめてもの慰めだった。
motoryou同感です!
e_chigoya同感です!
それに、あいさつ運動って「おはようございます」以外はなぜかしませんね。「こんにちは」や「ありがとう」も同じくらい、まずは自分が言わないと。
o4da何でもそうかもしれませんが、渦中にいるときづきません。6年をもちあいさつの担当が1人のときなどまさしくそうでした。しかし、1年で担当でもなんでもなく、気軽になにげなく声をかけている今だからわかります。
mana-mama5先生方に同感されると、ちょっと複雑な気が・・・。
2012-02-23
言葉にしないと
歯磨きをしながら新聞を読んでいると、娘が来て、火傷の傷が痛いと言って傷口をみせた。
鼠色に変色し、朽ちかけた皮膚の周りを、薄紅色のジクジクした新しい皮膚が取り囲んでいた。
医者に見せているし、薬も塗っているし、こうなるともう後は、傷痕が残らないように
一日でも早く治りますようにと祈ってやるくらいしかないなと思って、その傷口をいたわるように撫でる真似をしながら、痛いの痛いの飛んでいけーのおまじないをかけた。が、口の中は歯磨き粉でいっぱいだったので、
「ふふんふ、ふふんふ、ふんふふふー」
としか言えない。
「え?何言っちゃってるの?」
と言われたのでもう一度、
「ふふんふ、ふふんふ、ふんふふふー」
と言って前より一層心をこめて、最後に笑顔をつくってみせた。
今度はわかったろうと思ったら、娘が
「ひとごとだと思って!ひっどいっ!」
と怒り出した。
「んん!?ふんふ?(え、なんで???)」
「ホントに痛いんだから、そのうえ皮を剥けだなんて!」
「ふが?ふふ?(えつ?皮?)」
話が全く通じないのであわてて口を漱ぎ、娘に聞いた。
「痛いの痛いの飛んでいけーってやってあげたのに・・・・なんでひどいの?」
「え?そうなの?なーんだ・・」
「だからー、なんて言われたと思ったの?」
「え?ああ、かわむいて、かわむいてポーーーイ。うひっひ」
・・・なんじゃそりゃ・・・
「皮をむけなんて言うわけないじゃない。無理に剥いたらだめでしょう。」
「皮膚科の先生が皮が剥がれてきたら取っていいって言ったもの。」
「え?そうなの?それは聞いてないし、そんな痛そうで、恐ろしいこと私は言わないけど。」
「お母さんなら言いそうかなと思って・・。」
がーーーーーーーん。そんな風に思っていたなんて・・・。
愛を伝えるのに横着してはいけませんねぇ(涙)
2012-02-13
やさしく傷つけられる方が
2週間ほど前の朝の出来事。
娘がいつものように寝ぼけた顔して起きてきて、普通に朝食を食卓に運び席に着いた気配を台所で感じ、さて次は・・と思ったその時、朝のしじまを破る乙女の叫び!
「おかあーさぁーーーん!*◎★△!!痛―い!!」
尋常ではない叫び声に何事かと駆け寄ると、自分の脛を指さし見せた。
ゲゲッ!そこには500円玉くらいの大きさの水泡がぼこぼこっと2つあった。
あまりにも大きくて信じがたい。雪見だい〇くを張り付けた?そんな冗談を朝っぱらからするわけないか・・水泡・・火傷・・なんで?いつの間に?え?もしかして湯たんぽで?朝一番で皮膚科に行った。
皮膚科の先生言わく
「湯たんぽなんかの低温やけどの方が、治癒するまでに時間がかかるんだよね。例えるとね、ステーキを焼くときに、高温の鉄板の上でジュッと焼くでしょ、表面はこんがりと焼けるけど切ったらレア、中までは焼けてない。でも、弱火でじっくりと時間をかけて焼くと、表面は焦げないけど中までしっかり火が通るでしょ。あれと同じ。細胞が中の方まで壊れると治りにくい。時間がかかるし、痕が残っちゃうかな~。」
実をいうとこの2週間前くらいに反対側の脛に小っちゃい火傷を作ってしまい、その時はかなり熱いお湯だったし、袋状のカバーの口の所から本体が出た可能性もあったので、それ以来かなりお湯の温度は下げたし、本体が出ないように布でしっかりカバーしたのに、この有様で、娘に申し訳なく思った。良かれと思ったことが裏目にでた。低温やけどに対する認識が甘かったと思ったが後悔先に立たずである。それにしても、いかにも痛そうだったり、怖そうな物なら遠ざけてやるし、自力で回避することもできるだろうが、一見優しげなものにじわじわと傷つけられるのはなかなか気づかない。
この間のセミナーで、保護者の方へのインタビューの時間に、学び合いはどんなところが良かったと思いますか?と言ったような問いかけを主催者であり元担任の先生が、お母さん達にしたところ一人の方が、「自分の居場所がある、ここにいていいんだという安心感が良かったと思います。」と言ったようなことを言われているのを聞き、うちの子もそうだった、そうだった。そこ、大事よねと大きくうなずいた。
あの会場にいた先生方は全員ここに気づいてくれただろうか?
学び合いの授業でなかったら、わからないことがあってもどうすることもできず、どんどん進んで行くように見える友達の背中を見ているしかない時間。
そこにいるのに、みんな目の前にいるのに、一人取り残されているような気がして、自分が嫌になって、自分を消したくなって・・。そんな思いを抱えている子に気づいてくれているだろうか。
フリートークの時間にとんたん先生をがっつり捕まえて、学校のセンセイってどうして?とか、どうなってるの?とか勢いに任せて質問攻めにした。
そのときのとんたん先生の話が、ずっと心に引っかかっていた。
「学校の先生になるような人って子どもの頃勉強できた人達だから・・・勉強ができない子の気持ちはわからないんだよね・・・。」
学び合いを志す先生はみんなそこに気付いてくれているのかと思ったら、学び合いを体験してみたら、わからない子の気持ちがわかりました。というように書かれたブログにあり、やはりそんなものなのかと思った。
子どもを守ってやりたいという、その一心しかない母親にしてみると、学び合いは今の授業よりまし、ではなく今の一斉授業は子どもの自尊心を傷つけるひどいもんだって言っちゃいたい・・。
tontan2そんなもんです(笑)
通常の授業だとスィートスポットはとっても狭いんです。
教師の意図をくみ取って、教師の望むように動き、教師に愛された子どもがその成功体験をもとに教師になるんです。これは部活動が好きな教師も同じですね。
これははっきり言うと大学教育が悪いんです。教師という仕事は何なのかをしっかりと教えてくれないし、実習もあまりに少ない時間です。諸外国のように6年間学ぶ必要があるのかもしれないですね。
ただmana-mamaさんのように「『学び合い』が広がるとか、マジョリティーがどうたらだとかそんなことどうでもよくて、自分の子どもが思い切り学べるような環境を早く作って欲しい。」という思いは本当に私にとっても切実でした。私の出した答えは「学び合いの高度化」です。中途半端な『学び合い』は子どもをかえって苦しめてしまうのだと感じます。『学び合い』の後に一斉授業になっても乗り越えられる賢い子どもを育てるしかないのです。
mana-mamaさんのお子さんがそうした子どもたちとネットワークが張っていけることが理想です。
mana-mama5tontan2さんコメントありがとうございます。
娘は今期末テスト最中なんですが、先生のアドバイスのおかげで心を入れ替えた?ようで(笑)今回は解らない時はわかる説明をしてくれる人を探しながら、テストに臨んでいるようです。(時に先生も)
授業中は学び合い的な事をすると、怒る先生がいて面倒くさいからやってないけど、学び合いをしたことがある子がなんにんかいるのでなんとなく輪ができるみたいです。火種はあちこちでくすぶってますね(笑)
楽しく読めて、しかも学び取ることが多くある文章ですね。(2回読みました)
「むむ,これは確かにそうだ…。」と教師文化に染まりきった私を,「ちょっとまてよ?そりゃ,そうだよね…。」と思わせてくれます。