makine45の日記 このページをアンテナに追加

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2012-01-23楽しい授業研究会 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

勤務校の校内研修は、外部の指導者を招聘しない自由な空気がある。

今日は、1年生、2年生、特別支援学級、4年生、5年生が研究授業

参観は自由なので、適当に見に行く。

「自習時間が増えないように」

という配慮からこういう形式になっている。

これが結構おもしろい。外部の指導者も来ないので、みんな気楽に参観している。

私は6年生の担任なので、高学年部会というくくりの中にいる。

5年生は道徳。資料は「手品師」である。

この有名な資料について、千葉大学名誉教授の宇佐美寛先生の痛烈な批判がある。私は、この批判が大好きで、この教材が取り上げられるたびにこの批判を引用している。

詳しくは宇佐美寛著【「道徳」授業批判】を参照されたし。

手品師」のあらすじはこうである。

 あるところに、腕はいいのですがあまり売れない手品師がいました。その日のパンを買うのもやっとでしたが、大劇場のステージに立てる日を夢見て、腕を磨いていました。

 ある日、手品師は小さな男の子がしょんぼりと道にしゃがみこんでいるのに出会いました。男の子はお父さんが死んだ後、お母さんが働きに出て、ずっと帰ってこないというのです。手品師が手品を見せると、男の子はすっかり元気になり、手品師は明日もまた手品を見せてあげることを約束しました。

 その日の夜、友人から電話があり、大劇場に出演のチャンスがあるから今晩すぐに出発して欲しいというのです。手品師は、大劇場のステージに立つ自分の姿と男の子とした約束を代わる代わるに思い浮かべ、迷いました。そして手品師は、明日は大切な約束があるからと友人の誘いをきっぱりと断りました。

 翌日、手品師はたった一人のお客様である男の子の前で、次々と素晴らしい手品を演じてみせました。

(あらすじについてhttp://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyokasyo/doutoku/sakusha/sakusha02/tejinasi_01.aspより引用)

今日の授業では、最後の部分を子どもたちに見せないで、

手品師はどうしたと思いますか。」

という発問から始まった。

A:劇場に行かずに、男の子との約束を守る。

B:男の子との約束を守らずに、劇場に行く。

どちらかの立場をとれという発問である。

子どもたちは、迷っていた。

大部分の子どもたちがBをとっていた。

高学年部会の教師たちは、そんな子どもたちのそばに行って

「夢を取る方が大事じゃないの」

「そんな約束は破ってもいいんだよ」

などと“悪魔のささやき”を繰り返した。

授業の途中で、資料の残り部分を子どもたちに読み聞かせした。

その後、授業の感想を書かせた。

すると、子どもたちはまたまたBをとった。

ずっとAをとっていたK君もBの立場になって、感想を書いていた。

私は、K君の耳元で

「ずっとAだったのに、いいの」

「夢が大事なんじゃない」

と言っていた。

すると、K君が

「それを書いたんじゃ、この資料を読んだ意味がないでしょ」

と言い返してきた。

私は、それを聞いて笑った。

なーんだ。

子どもはわかっていたんじゃないか。

だいたい、この資料でAかBかなんて決められるはずもない。


その後の、授業研究会で、このK君の発言を発表した。

みんな笑っていた。

結構楽しかった。



tokucyotokucyo2012/02/04 10:16はじめまして
4月から『学び合い』をしようかな…と画策中の者です。
よろしくお願いします。
「手品師」に反応してしまいました。
宇佐美先生の批判はおもしろいです!
こういう見方は、やはり大好きです。
「手品師」は、「想定した価値=Aが道徳的!」を前提に書かれているので、
どうしたってそういう雰囲気を醸し出します。
子どもたちは、そういう「空気」を実に見事に感じ取って読むということを国語を通して学んでいるので、
一般的にAに流れます。
そういう意味では、卑怯な!?資料だと思っています。
道徳の時間で取り上げる以上、もっと深く(君の生き方に根ざして)切り込もうよ!
というのが、宇佐美先生のアプローチだと思います。
ただ、「手品師」は所詮虚構の世界です。
虚構に、現実的な視点を当てても、面白いかもしれませんが、
単なるダメだしで終わっちゃう気がします。
そういう意味で「手品師」は扱いにくい資料だと思っています。
ところで、makineさんは道徳の時間も『学び合い』をされているのですか?

makine45makine452012/02/04 15:11貴重なご意見をいただき、ありがとうございます。
道徳の時間は、『学び合い』をやっていません。子どもたちは勝手にいろいろなことを言っていますので、『学び合い』ではないと言い切れないかもしれません。
宇佐美先生の指摘は、大変におもしろくて、道徳の研究会で宇佐美先生寄りの発言をすると、おかしなことになります。
「虚構」と「事実」と事実についても、宇佐美先生の指摘がありますね。これも大変勉強になります。
私は、「手品師」のごとき資料がさも「価値ある教材」のように扱われる研究に納得できないでいます。
こういう資料より、子どもたちが納得でき、学ぶことができる「事実」に基づいた資料を積極的に取り上げていくべきだと思っています。

tokucyotokucyo2012/02/04 21:35事実に基づく資料を取り上げるべき…同感です!
事実だからこそ、そこには関係する人々の「生きる姿」が投影されます。
資料としての力は格段に違うと思います。
「手品師」に関して言えば、モラルジレンマの手法で価値を追及しようとするからおかしなことになるんです。
この資料は、手品師の浅はかさは認めながらも、「でも、この手品師は素晴らしいよね」と、彼のよさをきちんと認識させることに意義があるはずです。
(私ならこの方向で行います)
でも、そういうことを何となく躊躇させてしまうところが、この資料の危うさなのだと思います。
道徳での『学び合い』って、難しいんでしょうかね?
自分としても、全くイメージがつきません。
とりあえず、教科(中学国語)で頑張ろうと思っています。

makine45makine452012/02/05 07:07西川研では、小学生でも道徳で『学び合い』が可能であることは研究されています。中学校の道徳で『学び合い』に是非とも挑戦して、どのような結果になったのか公表をしてほしいと思います。
私もどのような『学び合い』ができるのか、挑戦してみます。

tokucyotokucyo2012/02/05 07:43挑戦することは大切ですよね。
『学び合い』による道徳の実践記録はいくつか確認しています。
ただ、何となく自分が考える道徳と違うような…。
頭の中でこねくり回していても迷うだけなので、
私も動いてみたいと思います。
有意義な意見交換、ありがとうございました!

かみじょうかみじょう2016/09/04 19:26aとb逆だカス