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2017-09-14宇佐美寛先生の指摘 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

宇佐美先生の本を読んでいます。


宇佐美寛著

「授業研究の病理」

東信堂 2005.6.30


帯に

「自らの授業実践を具体的に紹介した『大学の授業』(5刷)、講義中心の授業を分析・批判した『大学授業の病理』(2刷)と三部作をなす」

とあります。

前著『大学授業の病理』からの引用です。

私がここに書くと、二重引用になりますが、ご容赦ください。


「なぜ教師の板書がそんなに要るのか。教師はなるべく板書しない方がいい。前述のように、何事もなるべく学生にさせるのである。教師はのんびりして、学生が緊張して活動しているという状態が理想なのである。」

(P.118)


この部分を読んだときに

「そうだよ」

と納得しました。

学び合い』は、まさにこの状態です。

教師は、のんびりと子供たちの学習している姿を見ています。

必要に応じて、質問を受けます。

でも、基本的には、のんびりとしています。

子供たちは、本当に大変です。

宇佐美先生のご意見に相当する教室の状態が『学び合い』で実現していると思うと、ちょっと嬉しくなりました。

では、『学び合い』が宇佐美先生のご意見と一致しているかというと、全くそんなことはありません。

「理想の状態」ではあっても、その「状態」で、子供たちが何をどのように学習しているのかが問われています。



宇佐美先生の本について書き込みをすると、

「もしこの書き込みを、宇佐美先生がお読みになったら」

という緊張感があります。

2017-09-11戦闘力0 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

今年は、家庭科をもっています。

2学期は、布を使った教材を扱います。

私は、裁縫が全くできません。

子供たちに

「先生は、全く裁縫はできません。戦闘力0です。このことを考えて、何を作るか決めてくださいね。」

と言いました。

子供たちは

「何とかなるでしょ」

という反応でした。

戦闘力ではなくて、指導力ですが、子供たちにはこの方が伝わるようです。

指導力なしで、無責任なようですが、内田樹さんは

「教卓のこちら側に立つ」

と言っているので、この場合、私は、ただ教卓のこちら側に立っているに過ぎないのです。

戦闘力0なんて、『学び合い』でなければ言えません。

私が0でも、子供たちの『学び合い』は100なので、全く問題を感じていません。

さて、この家庭科がどのように進むのか、楽しく見ていようと思っています。

2017-09-07静かな授業 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

国語の校内授業研究会がありました。

子供たちの話し合いが少しだけあったところが、すごく評価されていました。

そんなものなのかもしれません。

「一つの花」

の授業でした。

宇佐美寛先生が


「一つの花」は「知らぬが花」なのである。

(「国語科授業批判」明治図書 1986.8 P.144 )


と書いているのを読んで以来、この教材を感動とは無縁に読む授業をしてきました。

この指摘を研究会で発言したら、指導者が

「宇佐美先生のお名前を聞いて懐かしかった」

と言っていました。

宇佐美先生のご指摘を要約することはできません。

「引用なきところ印象はびこる」

(この引用も、出典を明らかにしなければなりません。)

とご指摘ですから、私が宇佐美先生のご指摘は、こういうことであると言うことは、宇佐美先生のご指摘を裏切ることになります。

文学教材だからと言って、感動的に読む必要など全くない、批判的に読むこともできるし、全く違う角度から読むこともできると私は、勝手に自信を持っています。

だから、国語の授業で『学び合い』をするときに、全く遠慮のない授業をすることができます。

もう30年も前の本ですが、未だに色あせない勇気が沸いてくる不思議な本です。


それにしても、子供たちが静かな授業でした。

動きがなさ過ぎます。

もっと動きがあり、意見の交換があり、笑いが起こるような授業が私は好きです。

2017-08-24若者にエール このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

私の趣味の一つは、自転車です。

自分で乗るのが楽しみです。

競走には全く興味がありません。

自分の速さで、適当なコースを適当に走るのが好きです。

そのための、自転車に乗っています。

後ろのディレイラーの調子が悪くて、自転車さんに持ち込むと、すぐに原因がわかり、すぐに修理。

よかった。


修理している店主と、雑談をしていたら、若者がふたりやってきました。

「こういう部品を探している」

と言ったら、店主が

「よくわからない。ないかもしれない。」

などと素っ気ない返事をしていました。

若者二人は帰ってしまうのか見ていたら、私の修理が終わるのを待っていました。

支払いを済ませて帰ろうとすると、店主は椅子に座って、若者二人と話を始めました。

この店主、いわゆる職人気質の人なのです。自転車については、大変な技術の持ち主ですが、話し方を間違うと、商売するのか、わからなくなります。

こういう大人とどうやってコミュニケーションをとるのか、私は、胸の中で若者たちにエールを送りました。

内田樹さんは、コミュニケーション能力について

「コミュニケーション能力というのは、コミュニケーションが成立しなくなった局面を打開する力ではないかと思うのです。」

(内田樹著「日本の覚醒のために」2017.6.20 晶文社 1700円+税 P.192 )

と述べています。

まさに、この状況です。

若者たちが、こういう大人とどういうコミュニケーションをとっていったのか、私はとても興味があります。

2017-08-17夏休み このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

お盆休みに入る直前から、やっと休みになりました。

短い夏休みです。

たまっていたやるべきことにやっと手をつけています。

かなり楽しい。

始めたら、楽しいアイディアが浮かびました。

これまた楽しいことです。



久しぶりに友人と話していたら、超過勤務の話になりました。

私の勤務地周辺は、今年はお盆休みの期間、学校を閉めました。

勤務時間の改善のためです。

友人の知り合いには、4月5月の残業時間が160時間を超えた方がいるそうです。

信じられません。

同時に、若い女性の先生一人で家庭訪問に行かせ、5時間も帰ることが許されなかったそうです。

5時間拘束となれば、これは、警察の範囲です。

同時に、5時間も同僚が帰って来ないのに、学校にいた先生方は何をやっていたのでしょうか。

もし、私が並行級なら、その家に行くか、その家に電話するかをします。

だいたい若者一人で家庭訪問をさせるなんてことはしません。

その学校は、何をやっているのか、腹立たしく聞いていました。

私の学校は、問題があって、家庭訪問をするときには一人では絶対に行きません。

教頭か、教務が必ず付き添います。

学校で、面談をするときにも、担任一人で対応することはありません。

管理職が、このルールを徹底しているのです。

私は、この環境に感謝していますし、自分ができることがあれば、すぐに対応しています。

現場は、学校によってかなりの差があります。

この差によって、たくさんの先生が苦しんでいます。

一刻も早く、多くの先生方を助けたいと思っています。

そのためにも、自分がやるべきことを仕上げたいと思っています。

ひどい現場で苦しんでいる先生方に、声を上げる勇気を届けたいと持っています。