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2017-06-23指導者の指摘 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

今日は校内の授業研究会。

相変わらずの一斉指導に、定型的な授業展開で、途中で嫌になりながらも、参観していました。

「研究会も気が重いなあ」

とほとんどやる気のない態度で臨みました。

しかし。

指導者の話で意外に面白いことになりました。

「先生方の、子供の見取りが大切です」

これって、意識している教師はあまりいないのではないかと思っていたのでした。

私も、西川研究室で毎日のように子供たちの話し合いを掘り起こしてきたので、「子供って、やるねえ」

が完全に染みついています。

この「やるねえ」の感覚があるので、子供たちの会話を楽しく聞いていられます。

「無駄話はしていないか」

「遊んでいないか」

としか子供たちを見られない教師に見取りなどできるはずもありません。


もう一人の指導者がさらに面白かった。

「授業を定型化したり、きれいなノートを求めすぎたりすると、自分たちの首を絞めることになる」

私は、前任校でも、前々任校でも、授業の定型化と付き合ってきました。

特に、今算数がひどい。

あまりにも、定型化が進むと、授業研究の授業を決めるときに、その型に合う展開が可能な授業を選ぶようになります。

台形の面積の求め方が、一番いい例です。

課題解決型の算数で、偶数と奇数を教える授業を見たことがありません。

やっと、馬鹿馬鹿しい授業の定型化から抜け出せます。

定型化しつつ、

「内容や子供たちの実態に合わせて、柔軟に展開を工夫する」

とでも、書いておけばいいのです。

ややすっきりした研究会となりました。

2017-06-19振り返る このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

17日のセミナーを振り返ります。

「明日の教室には全く役に立たない」

という話を現実にしてみると、朝からドキドキになっていました。

「これって、意味があるのか」

という問いが当然あるのです。

今思えば、これこそ、野心的なセミナーだったという訳です。

これが一番最初の振り返りです。

西川先生のご講演は、いつものようにたくさんの示唆に富んでいます。

「生涯の伴侶を中学校校区で見つけられるように」

というご指摘は、毎回頷くばかりです。

私の妻は、中学校の同級生。

私が妻の実家の方に住んでいるので、私の実家も校区にあります。

子育ての間、両方の親にたくさん手伝ってもらいました。

本当によかったと思っています。

両方の父親が、子育ての終わりとほぼ同時に他界。

今振り返ると、本当に不思議な縁だと思います。

金銭的な意味でも、心の問題でも、親の力を借りられるというのは、とても大切だと感じています。

内田樹さんは、上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」に対して

「血縁を軸にした緩やかな共同体のようなつながり」

を提案されていますが、その通りだと強く思います。

続いて、横山験也先生のご講演です。

20年以上前に聞いたことがありますが、本当に久しぶりです。

教師の人生も長い目で考えようという、事務局からの提案をそのままに的を射た内容だったと感じています。

若い先生方が、水道方式や仮設実験授業を知らないという現実を私は知っていました。

採用試験を受けようという若者が、大村はま先生の名前すら知らないという現実に何回も唖然としてきました。

「せめて、これを読んだ方がいいよ」

と「教えるということ」をプレゼントしてきました。

採用試験で

「最近、読んだ本は何?」

と聞かれたら

「教えるということ、です。」

と言えるではありませんか。

私も若い頃、多くを知っている教師ではありませんでした。

「勉強してほしい」

というメッセージを私も若者たちに送りたいと思っています。

私もさらに勉強します。

こういう名前を若者たちが知らないというのは、やはり「教科教育」が終わったという証拠なのかもしれません。

ドキドキで始まった今回のセミナーも

「皆さん、大人ですから」

という信頼に支えられました。

ありがとうございました。

ご講演いただいた西川先生、横山先生、参加された皆様、事務局の皆様、心より感謝いたします。


もし、次のテーマが浮かんだら、次をやるかもしれません。

こういうことは、若い先生方が考えることだとも思っています。

2017-06-16明日はセミナーです

子どもに学ぶ教師の会埼玉セミナーがいよいよ明日になりました。

当日参加も可能です。

「もっと長い目で教育を考えよう」

が今回のテーマです。

よろしくお願いします。


研修で

21:51 | 研修で - makine45の日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 研修で - makine45の日記 研修で - makine45の日記 のブックマークコメント


昨日は、1年に一度の「支援担当訪問」がありました。

今日は、校内研修の指導案検討会。

両方とも、途中からとんでもない違和感を感じて、話し合いに全く入れませんでした。

「こうすれば、子供たちにもっとわかりやすい」

という言い方や発想に対しての違和感です。

私は、支援担当訪問で、指導主事が見ている授業では、完全な単元丸投げの家庭科の授業を公開しました。この授業を、指導主事がどのように指導するのかに大変興味がありました。

指導主事の指導を私が評価するという「えらそうな」ことを書いています。

誠実なご指導だったと感じています。

「こうすれば、もっとわかりやすかった」

「こうしたので、子供たちがわかりやすくなってよかった」

という2点に集約できると考えています。

指導案では、単元の目標を語るときに、指導書のレベルの目標を設定するつもりでした。こうすれば、私が目標を子供にわかるように、精一杯語ることになりました。

しかし、授業が始まって、いざ目標を語るときに、その目標を子供たちにわかりやすく語ってしまいました。

それを私は、

「たの目標設定は失敗です」

と反省しました。

指導主事は

「あれで、子供たちがわかりやすくなってよかった」

と評価しました。

目標は、わかりやすくなってはだめです。

わからないくらいの方がいい。

わからないくらいだから、教師がしっかりと語らなくてはならない。

わかるまで、語る必要がある。それでも、大部分の子供はわからない。

でも、「教師がわかるように語る」という姿勢は伝わります。

ここが肝心だったのに、なんであんなところでひるんだのか、一番の反省です。

それでも、クラスには、こういうことがしっかりわかる子供が必ず数名います。

その子たちが理解していれば、何とかなります。

その状態の方がいい。

「あの先生、訳のわからないことばかり言っているけど、なんだか不思議」

という感じの方がずっと楽しくなります。

教師は、自分が語る内容にばかり気が行っていますが、自分が語る体勢の方がずっと大切であると昨日は、大反省しました。

2017-06-11再読する このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

ブックオフで、内田樹さんの本を見つけて、購入。

多分、読んだはずだけど。

内田樹著

「ひとりでは生きられないのも芸のうち」

文春文庫 2011.1


もしかしたら、と思い、自分の本箱を見たが、この本はない。

だいたい面白い本があると、近くの人に

「この本面白いよ、気に入ったら返さなくてもいいよ」

と言っているので、返ってきていない可能性もある。

読んだことがあるはずだとしても、とても面白い。

多分、単行本で読んでいるはずだから、単行本なら2008年ということになる。

10年近い時間がたって再読すると、いろいろと自分が感じることの変化に気づく。

内田さんは

「同じことを繰り返して書いていると、言葉の精度が上がる。」

というようなことを書いているから、何回も同じことを繰り返して書いている。

どの本で何を言っていたのか、私にはわからなくなっている。

それでも、

Ⅱ 働くということ

Ⅲ グローバル化時代の歪み

は、世界を考える示唆に富んでいる。


私は、少人数指導に批判的である。

「個別指導が必要」

という理由で、少人数にすれば指導が行き届くという発想が理解できない。

もし、少人数指導が絶大な効果があるとすれば、子供の人数が減ったために、廃校になると事態はないはずである。

全校で、子供一人で、担任と校長という贅沢な教育環境が無償で用意されるのだから。

子供の人数が減った学校に向けて、転入が殺到するはずである。

事態は、全く違う方向に動いている。

人数が減った学校からは、転出が増える。

どんどん人数が減る。

減るから転出する。

ということになっている。

子供たちの一番の教育環境は、子供なのだとみんなわかっている。

それなのに、

「人数を減らせば、わかる子供が増える。」

とまだ思いこんでいる。

個別に教師が指導すれば、子供たちがその課題を解決する機会を奪うことになる。

子供たちが苦労して、課題を解決する経験を重ねる必要があるのに、教師がその機会を奪っている。

何をやるにしても、得意な子供も不得意な子供もいる。

当たり前である。

どうやって、みんなができるようになるのか、とても大切な経験である。

その機会を奪うことはしないほうがいい。


こういうと、多くの教師を敵に回すことになる。

だから、人には勧めない。

私は何も言わずに、そっと

「みんなができることが大切ですよ」

と子供たちに繰り返している。

2017-06-09算数の授業がつまらない このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

子供たちの話ではありません。

私です。

最近、算数の授業が本当につまらない。

指導案の検討など始めると、ひたすらに

「早く終わらないかな」

と思ってしまいます。

学力テストのB問題への対応なのでしょうか、やたらと

「説明する」

「意味がわかる」

というような話になります。

授業は余計に理屈っぽくなります。

「理解は、意味がわかることが大切」

まあ、そうですけど。

例えば、分数のかけ算を学習します。

分子同士、分母同士をかけます。

途中で、最後で約分があれば、約分します。

その意味を長々と、説明させます。

「わかってから、計算の技能を身につけるのではなければ意味がない」

という訳です。

本当に、そうでしょうか。

例えば、2年生で身につけるかけ算九九は、かけ算の意味がわかってから、身につけるのでしょうか。

まさかです。

取り返して、練習しているうちに、意味がわかってくるという子供はいないのでしょうか。

計算の仕方がわかっているので、分数のかけ算はすらすらとできる。

ドリルを解いているうちに、

「ああ、そうなんだ」

とわかる。

そういう子供はいないのでしょうか。

私は、現状の算数に対して、かなり懐疑的です。

もっと、スカッとする瞬間がほしい。

理屈をこね回しているような授業を見ていると、いらいらする。

「いいから、計算をやらせて」

と言いたくなります。


そんな算数ですが、多くの学校で行われている授業。


問題を出す。

式をかく。

課題をかく。

自力解決。

発表する。

練り上げる。

まとめをする。

練習問題。

ふり返り。


こんな感じでしょうか。

全く別の発想の授業を考えたい。


学び合い』で、国語はかなり違う発想の授業ができるようになりました。

社会、理科もできます。

体育、家庭科、図工、音楽も可能です。

算数だけが、どうにもなりません。

最近、算数の授業をどうにかできないのか、考えてばかりいます。

目標は、例えば

「分数のかけ算ができる」

「分数のかけ算の説明の仕方がわかる」

などです。

これらの目標にそっての展開か、この目標を破棄しての展開か、まだ私にもわかりません。