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2018-12-09教師の勤務時間について このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

西川先生が書いていらっしゃる勤務時間について。

身近な人たちを見ていても、私ほど勤務時間を守ろうとする勤務態度をとっている人はなかなかいません。

朝は、勤務時間開始1時間前に学校に入ります。

早朝勤務をすると、自分の時間が思うように取れます。

「朝。7時30分より職員会議」

なんてことはないからです。

帰りは、16時45分で勤務が終わります。

私は、17時30分前には、学校を出るようにしています。

早いときには、16時45分に学校を出ています。

教務主任も早いので、二人で

「今日はお先に」

なんて言い合っています。

早く帰るので、用事がある同僚は、私が職員室に入ると同時に

「先生」

と呼びに来ます。

業者の方も

「先生はなかなか会えませんね」

と言っています。

それでも、1ヶ月でだいたい30時間程度の超過勤務になります。

小学校の1ヶ月の授業日数は、だいたい20日ですから、1日1.5時間程度の超過勤務になります。

働き方改革の「45時間」という数字は、私のように働かなければ達成できない数字です。

朝、30分程度の余裕を持ちたいという勤務は、帰り1.5時間程度の超過勤務までが一応の許容範囲です。それで、1日2時間の超過勤務となり、1ヶ月40時間となります。

夕方、1.5時間となると、18時15分までです。これはかなり達成困難な時間設定です。

だいたい土曜日日曜日も4時間程度の勤務をしたとなれば、それだけで30時間を超えるような超過勤務になります。

45時間を達成するとなると、私のように、当たり前に17時過ぎには学校を出るという勤務態度にしないといけないのです。

「勤務時間を減らしても、仕事が減らないから」

という同僚がいます。

自分で減らそうと思えば減らせます。

私は、どんなに教育的な効果が期待できるような実践でも、自分や子供たちに負担になるような授業は絶対にやりません。研究授業でも、この態度を変えません。

100点でなくても、80点で地道にしつこくやればそれなりの成果はでます。

それで、いいと私は思っています。

勤務時間についての議論を人任せにしないで、まずは自分でできることをやってみる態度が私は大切であると考えています。

2018-12-01蜘蛛の糸 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

勤務校では、音読朝会があり、すべてのクラスが1年に一度は登壇して発表を行います。

音読朝会ですから、本を見ながらでもいいはずですけど、どういうわけ必ず暗誦を行います。

今回は、芥川龍之介の名作、「蜘蛛の糸」に挑戦しました。すべて読むと長すぎるので、抜粋しました。

読んでみるとわかりますが、この作品は音読には向いていません。特に冒頭のお釈迦様のいる極楽の場面は、覚えにくいし、言いにくい文が並んでいます。

「御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。」

お釈迦様が対象なので、敬語を何重にも重ねています。

「御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。」

ですが、後半は

「ぶらぶら歩いていた。」

という部分を「お歩き」「なって」「いらっしゃいました」と重ねているのです。

この覚えにくい読みにくい文章を取り上げたには訳があります。

「リズムよく」

とよく言うのですが、最も「リズムがとりにくい文章は」と考えていたら、この文章があったということです。

芥川龍之介は、リズムをとりにくい文章を書こうとした訳ではないと思います。実際、カンダタがもがいている地獄の場面は、大変に力強い文が並んでいて、極楽ほどの困難さはありません。

「音読には向いていないと多くの人が思うだろう作品に挑戦してみる」

という目標の設定も、大変に楽しい展開です。

子供たちは最後まで

「先生、覚えられません」

と言い、最後には

「音読朝会が延期になることはありませんか」

とまで、言いました。

楽しいですね。

その都度、私は

「発表の日は決まっています。延期はありません。」

なんて、笑っていました。

子供たちは、どうにか無事に発表が終わって、1日はしゃいでいました。

かなりの重圧だったのでしょう。

次の目標は、6年生を送る会と卒業式です。

2018-11-25本当の自由とは このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

道徳の授業で

「本当の自由とは何か」

と問う題材の授業をしました。

五年生に、こんな設問をするのかという感じですが、「わけのわからない問題」が好きな私は、結構楽しみました。

「君たち、先生は自由に見えるのですか」

と質問すると

「私たちを自由にしてくれます」

と応えてくれました。

「別に、君たちを自由にしているつもりはないよ」

と言いましたが、私は子供たちをかなり自由にしているように見えるようです。

子供たちを縛り付けるようなことはほとんどしません。

けがをしたり、友達を傷つけたりすることに対しては、当たり前ですけど、厳しく指導しています。

それ以外は実にのんびりと子供たちを見ていることが多いようです。

子供たちからすると、

「自由だなあ」

と感じるようです。

私は、そんな子供たちの反応を

「いいなあ」

と思っているのです。

他の先生方からすると

「もっとちゃんと指導してください」

と感じるかもしれません。

実際、そういう反応をいただくこともあります。

「それができるからと言って、それが子供たちの将来の幸せにつながりますか。それをやりたいのは、教師ではないですか」

と言いたいこともあります。

寅さんではありませんが

「それを言っちゃあ、おしまいよ」

です。自分と自分のクラスに被害がない程度にやっています。

それを

「自由だなあ」

と感じているのでしょうか。


教育評論家の尾木直樹氏が

「教師は疲弊しきっている」

と最近の新聞で指摘していました。

決められたこと、やらなければならないことなどに追われて、確かに疲弊している同僚もいます。

多くの職場は、自分たちが疲弊しきっている現状にすら、気づかないだろうと思います。それが、常態ですから。

私は、教師のあり方も多様の方がいいと思っています。

多様な教師のあり方をどのように共存させるのか、この点については、30年前の職場の方が、ずっと智恵があったと思います。

そんなことを言うベテランも、もうすぐいなくなります。

2018-11-18課題を考える このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

学び合い』では、高い目標を子供たちに示したり、高い課題を出して全員が達成することを求めます。

課題集もあります。

最近、この「高い目標」という考え方について、もっと詰めるべきではないかと思うようになりました。課題の質を考えると言い換えてもいいのかもしれません。

教師が高い目標を掲げなくても、子供たちが面白がって課題の解決に向かって動き出す授業があります。

ただ、渡すだけでも楽しくなる場合もあります。

課題の質をどのように考えるのか、新しい課題となりつつあります。

2018-11-02高い目標という考え方 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

学び合い』が日常となっている生活をしていて、

「あっ」

と気がつくことがたくさんあります。

目標の設定についても、課題についても、

「高い目標」

の必然性をとても強く感じるようになりました。

今、地域の音楽会に向けて、学校代表として練習に励んでいます。

カール・オルフというドイツの作曲家が作曲した「子どものための音楽選集」から「5拍子の舞曲」という難曲に挑戦しています。

今は、youtubeでその演奏を見ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=gCDJdSBW_YA

私が、まだ20代だった30年前に、ヤマハ主催の音楽の研修会が八ヶ岳で開催され、その研修会で取り上げられた曲でした。

30年前に体験したこの曲をこれまで一度も完成したことはありませんでした。

それをやろうというのだから、大変なことになりました。

私にとっても、子どもたちにとっても、大変に高い課題となったわけです。

高い課題となると、教師ですら、一人ではどうしようもない状態になります。

夏休み明けの9月には

「本当にこの曲が仕上がるのだろうか」

と一人で悩みました。

子どもたちも、全員ではないにしても、やはり悩んでいたのだろうと思います。

教師も子どもたちもどうしようもない状態で、どうしようかと悩んでいるほどの課題だった訳です。

上で書いたヤマハの研修会の講師だった、当時大阪教育大学の柳生力先生は

「みんなで、この曲はどうなるのかと考えている時間が、一番楽しい」

と言っていたように記憶していますが、その言葉が30年かかってやっと私の心に落ちてきました。

ある練習日に、一番のポイントである楽器の子供が、さらっと5拍子を叩いていることに気づき、その瞬間に

「あー、もっく早く、難しい曲だからこそ、任せればよかったんだ」

と我に返ったのです。私としたことが、子供たちと悩むという方向をもっと早くに見つけるべきだったと思ったのです。

それ以来、悩んでいたことが嘘のように、順調に進むようになり、ある日、始めから終わりまで通せたときに、言い知れぬ感動がわいてきました。

この曲への挑戦は、本番まで続きます。

音楽には、完成はありませんから。いくらでも高い目標を設定できるのです。

他の教科でも、

「答えは子供にも教師にもわからない」

というちょっと無責任かもしれない、高い課題を設定して、教師も加わって、その課題の解決に寄与できたなら、きっと楽しい授業になるだろうなあと感じています。

多くの授業で、課題が低すぎてつまらないのです。


それにしても、音楽家の才能というものは、実に恐ろしいものです。カール・オルフという作曲家は「カルミナ・ブラーナ」という曲が有名で、CMでよく使われています。バッハ、ベートーヴェンの系譜に並ぶ偉大な作曲家が、子供のために書いた曲にも、その偉大な才能は詰め込まれています。音楽が飽くなき追究を呼び覚ましてくれます。やってもやってもつきない奥深さを感じることができます。

そんな曲に挑戦し、発表する機会を得ることができたことにとても感謝しています。