makine45の日記 このページをアンテナに追加

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2019-11-30廃校 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

昨日、以前勤務していた「A校長先生を囲む会」がありました。

A校長が退職されてから10年間、この「A校長を囲む会」と称して1年に2回の食事会が開かれてきました。

A校長の人望の高さを感じます。

私は、A校長退職の年の1年間だけご一緒させていただいただけですが、今でもこの1年間は本当に幸せだったなあと思い出します。

昨日も合計15名が集まり、現状を報告したり、思い出話に花を咲かせたりと楽しい時間を過ごしました。

これから退職以降の時間を考えている私は、退職後の方々の生活を直にお聞きするとてもいい時間でもあります。

皆さん、とてもいい時間を過ごされているようで、いい目標ができたと思っています。


さてさて。

その場で、近くの普通科高校の廃校の話を聞きました。

その高校の近くに、職業型の高校もあります。

廃校は、職業型の高校の高校ではなく、普通科高校の方だと聞いて

「やはり」

と思ったのです。

普通科高校では、一部の進学用の高校を除いて、廃校が視野に入っているのだと実感しました。

そのニュースを、西川先生のご指摘の文脈で理解している人はそんないないだろうとも思っています。

さらに、私は小学校の現場にいて、小学校の「使用期限」を感じるようになっています。

「こんなことをやっていて、小学校は50年後存在しているのだろうか」

と思います。いっぺんに変化はやってこないでしょうが、気がついたらなくなっていたという事態を想像するようになりました。

最近は、テレビにも同じようなことを感じています。

テレビをほとんど見なくなりました。

たまに見ていると

「テレビ番組を作っている人は、これでいいと思っているのだろうか」

と感じてしまいます。

「3丁目の夕日」で、テレビが普及していく姿が描かれていますが、あれから60年程度でテレビの使用期限が迫っているようにも感じます。

教育というシステムは、人類が始まってからのシステムですから、教育はなくなりません。しかし、現在の学校制度はたかだか150年程度のものです。この学校制度の使用期限が迫っているように感じています。

高校統廃合のニュース

https://news.yahoo.co.jp/byline/endotsukasa/20191129-00152923/

2019-11-08「個別に対応する」を考えました このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「学びの共同体」の指導による国語の授業を参観しました。

とてもいい授業でした。

子供たちは、友達と関わり合いながら課題に向けて一所懸命学習を進めていました。

参観者の感想も好意的な発言が続きました。


例えば、作文を書くとします。

教科書には、作文を書く手順のようなものが掲載されています。

その手順は、全員に有効なのでしょうか。

全員が、その手順で書くことを求めるのが、授業なのでしょうか。


例えば、指導案を書きます。

私は、全体の目次のようなものを書き出して、次に本時の目標を入れます。

次は、展開を書きます。

あとは、上に行ったり、下に行ったりして、ほぼ同時進行で全体を書き上げます。A4、2枚程度の手慣れた教科の指導案なら、2時間もあれば書き上げられます。

この書き方は、万人に向いているのでしょうか。

以前、

「A4、2毎程度なら、30分あれば大体できあがる」

と職員室で言っていたら

「じゃここで、書いてみてください」

と言われて、実際に書いてみたことがあります。


作文を書くという行為は極めて個人的な作業です。

全体のレベルを確保しつつ、個人的な取り組みを認めていくとしたら、やはり『学び合い』の考え方しかないだろうと私は感じていました。

好意的な発言が続く中で、私はやや冷めた感想を持っていました。

個人的な作業だから、みんなの力を借りた方がいいのです。

でも、やはり、最後は個人に返されるとしたら、個人的な手順の自由さが私は必要であると感じています。

久しぶりに、更新しました。

2019-09-05「学びの共同体」の話 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

私の勤務地は、“学び合い”を推進しています。

指導者は「学びの共同体」の方々です。

最近の校内研修はすっかり変わりました。

参観者が子供たちの学びをしっかりと見取り、それを研修会で話すという形になりました。

今日は、指導論レベルの話はほとんどありませんでした。

おそらく多くの同僚は、指導論レベルの話から、学習者レベルに変わったことに気づかないと思います。

今までたくさんの研修会に参加してきましたが、教材論レベル、指導者レベル、学習者レベルという聞き方をすることすら、意識しなかったと感じています。

今は、これが私は気になって仕方ありません。

現状では、特別支援学級の担任ですから、指導論、教材論にどうしても触れないわけにはいきません。

研究会のあり方もようやく変化をしてきました。

授業や普段の指導はどうか。

まだまだこれからです。

2019-07-22成績をつけました このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

特別支援学級の担任になって、初めての成績付けをしました。

私のクラスにいる支援員の先生は、長年特別支援学級の担任を経験された先輩です

「こういうことを記録しておくと、いいですよ」

と学期途中から助言頂いていたので、大変に助かりましたし、私が書いた所見にも目を通してもらって、たくさんの助言を頂きました。

成績をつけると言っても、評定はありません。

すべて、記述です。

やってみると、案外楽しい成績付けでした。

マイナスを書く必要はなく、

「こういうこともできたな」

「こういうこともやったな」

とプラス面に焦点を当てるので、私も楽しくなってきました。

書き上がって、

「時間があれば、全員がこういう成績表の方がいいのではないか」

と感じました。テストして、ABCをつけていくなんてことは、あまり効果がないように感じたのです。

小学校の甘えでしょうか。

私の勤務する小学校は、ほとんど地元の中学校に進学します。

評定をしたところで、子供たちの学習意欲が上がるなんてことがあるのでしょうか。

文章で、または、口頭で、

「ここが良かった。次はここだね」

と言葉で示した方がいいように感じたのです。

現状で、これをやろうとすると、とんでもなく負担が大きくなるので、無理です。

クラスの人数が減り、そんな成績表が作れる日がやってくることを私は祈りたいと思います。

2019-06-30大丈夫なのか? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

今回も、いい話ではありません。


学校外で、知り合いの教師に会うことがあります。

買い物に行ったときなどです。

「久しぶり」

のあと

「学校はどう?」

と話をします。

「大変だよ」

という返答をもらいます。

私ほどの年齢の人たちは

「もう辞めてもいいや。いつ辞めようか考えている」

と言います。

ここ数年で現場はものすごく変わりました。

私の周りの五〇代の先生方は、

「いつ辞めようか」

という話を普通にしています。

年金の支給が65歳に引き上げられる年代ですので、定年まで働いたとしても、5年間の空白があります。

それでも、

「もう耐えられない」

と感じているわけです。

どうして、こういうことになってしまったのか、わかりません。

どこかで、戻ることのできない限界点を超えてしまったとしか感じられません。

大量採用の人たちが、定年を迎え、職場は一気に若返ろうとしています。

この大変な時代に、先生になろうという若者達が誇りをもって働ける職場になって欲しいと強く思います。

「老兵は死なず、ただ去りゆくのみ」

と行きたいところですが、若者達の行く末を思うと、何もできなかった自分に反省すること、しきりです。

定年までに、職場の何が変わってしまったのか、考えたいと思っています。


6月の私は、勤務時間外に34時間ほど働きました。

1日平均1時間半程度です。